ORDER_5.[難攻不落(インプレグナブル)]
[Fab-11.Sat/12:20]
とりあえず舗装されていない地面が必要、という事で、カナタは近頃オカルトな噂が絶えないいつもの私立公園に来ていた。もはや被害総額は計り知れないだろういつもの公園だ。まぁそれはカナタの知るところではない訳だが。
「そ、それでは……この紙を、ははは、半径二〇メートル程度の場所に、は、貼ってきて下さい」
ルネィスは怖ず怖ずと、可愛らしいピンクの手帳に恐ろしいばかりの速度で何か文字らしいものを書き記し、それを破ってカナタに渡す。それは計六枚の……黒い紙だった。
「……何で、黒?」
可愛らしい小物やラメのついたピンクの手帳から、白い文字の書かれた黒い紙を取り出すのは、なかなかシュールな光景だと思う。パステル調のグリーンだとかオレンジだとかならまだ分かるが、ピンクの手帳の中身は全て、黒い紙だった。せめてセピア調のカーキぐらいにして欲しいところである。
「ね、死霊繰術という術名から、わ分かる様に……わ、私は、ぞぞぞ俗に言うね死霊繰者で、くく、黒の色彩を使った魔術が得意ですから……」
「……待って。死霊繰者だって?」
「は、はい。しし、死霊を操る……ね、死霊繰者……です、よ?」
死霊繰者。
相変わらず、カナタの頭に投影される知識はゲームやマンガから得た眉唾物なのだが、死霊繰者と聞けば真っ先に思い浮かぶのは悪役だ。ゾンビやグール、スケルトンにファントムを操り、死者の身体を解剖してフランケンシュタイナーを作り出したり……というイメージがある。
そしてそれは、どうもこの可憐な少女には当てはまらない。
「……実は血とか見てニヤッと不気味な笑みを浮かべるタイプ?」
「……おぉお、仰る意味がいまいち分かりませんが、か、勘違いをななななさってる事はたた確かみたいですので……と、とりあえず、そそその空間切断の術式を貼り付けてきて下さい……」
何気にパシリに使う気かコイツ、とカナタが思っていると、ルネィスは近くに落ちていた細い木の棒を手に取り、おもむろに地面に円を描き始めた。それは直径二メートルはありそうな大きな円だが、フリーハンドとは思えないくらい、歪みも何もないコンパスを使った様に正確な円だった。
(魔方陣……って奴か)
半径二〇メートルに大体均等に、円形になる様に貼り付けながら、カナタはルネィスの描く魔方陣を眺めていた。
ガリガリと拾った木の棒で、直径二メートルの円を二つ、半分ずつ重なる様に描かれている。さらに細長い二等辺三角形を一つずつ、右の円には三時の方角を、左の円には七時の方角を指し示すように描き、左の中心点に『S』、右の中心点に『R』を描く。
なんだあれは、とカナタは思う。魔方陣と言えば、五芒星や六芒星を描くものではなかろうか、とやはりマンガ思考が働いて仕舞う。
何かの一文が書かれた(少なくとも英語ではない)六枚の黒い紙を雑木林に貼り付け終わったカナタは、ルネィスが座っているベンチに近付く。
その変な記号は何か、と訊ねると、ルネィスはやや頬を赤らめながら、聖ジョージ式の魔方陣です、と答えた。ますます意味が分からない。
「ま、魔方陣というのは、ほ、本来は魔術に必要なかか回路ではなく、ほほ補助装置の様なものなのですよ。まま、魔術の方向性やよ用途に合わせて、そその意味はお大きく左右されます」
例えば、と呟きながら、ルネィスは聖ジョージ式とやらとは別に、新たに円を描く。更にその中に六芒星を描いていく訳だが、円も線も見事なまでに正確で、大きさや比率までも均等な事にカナタは驚いた。精密機械の様な正確さなのだ。
「まま、まず……これは表でも馴染みのある記号だと……お、思います」
「六芒星って奴だろ?」
「ははい、六芒星です。で、でわこれは……?」
ガリガリと、六芒星の魔方陣の隣に、全く同じ大きさの円、中に星印を描いていくルネィス。定規で測っても、1ミリの狂いもないだろう、とカナタは漠然ながら思う。
「五芒星」
「そ、うです……ペ、五芒星です。ででわ、この二つの違いは……わ、分かりますか?」
「……。…………。……………………角が一個少ない?」
「み、見たまんまじゃないですかっ!しししかも疑問型です!?そ、そうではなくて、ま魔術的な符号を……考えて、下さい」
大声を出した事が急に恥ずかしくなったのか、ルネィスは段々と声を小さくさせながら頬を赤らめて俯く。腰まである長い金の髪がハラリと垂れるが、前髪は額を出す様に極端に短く切ってあるので、ビスクドールの様に整った顔を隠す程ではなかった。
「ふ、二つの記号の特性は……き、『吸収』と『閉鎖』です。も、元々のるルーツは五芒星が十字教、へ、六芒星がカバラと、ここ根本から違ったりしますが、近代魔術ではどど同等に扱われたりしています。五芒星は五属性……いぃ、いわゆる火・水・風・地・力を、たた大気や地脈からき、吸収する事で、こここ効力を発揮します……」
「……イヤ何言ッテンダアンタ?」
「ぎ、逆に六芒星――そそ、ソロモンの印章やダビデの星と呼ばれたりもします――は、か、隔離や閉鎖の意味合いをもも持ちます。ぺ、五芒星のばば場合は『内から外に放出する魔術』をつ使う時に用い、へへ、六芒星は『内と外を離反する魔術』……よょ、ようするに結界を作る時などに用います」
ルーツはどちらも『魔除け』としてのまじないであるが、その用途はまるで違う。様々な文化圏の民族と合併・吸収してきた十字教のシンボルである五芒星は『吸収』に対し、様々な文化圏より迫害され続けたカバラ=ユダヤのシンボルである六芒星は『閉鎖』であるのだとか。得意げに語るルネィスだが、カナタとしてはまさかこんな場面で歴史の授業を受けるとは思わなんだ。
「で、ですが、ままま、魔方陣というのはあ、あくまでほ補助装置に過ぎません。ここッ、これはまま魔術の効力をぞ、増幅させたりするだけのもので、わ、私の聖ジョージ式も同じ事です」
聖ジョージ式の魔方陣については詳しくは教えられませんが、とルネィスは何故か残念そうに肩を落としながら俯いた。まぁ、教えられたところでカナタにどうこう出来る問題でもない訳だが。
(魔方陣は補助装置、か。それは知らんかったな)
『魔術=魔方陣でバランガバランガ』という公式が頭に浮かんでいたカナタは、専門家の話に軽く感嘆していた。銃火器の世界で言えば、ハンドガンの照星みたいなものか、と噛み砕いて考える。確かに照準を合わせる為には必要だが、別になくても発射機構自体に問題はないし、弾を当てる事が出来れば相手は死ぬ。
ルネィスはピンクの手帳と白のペンを取り出しながら、ボソッと呟く。
「色彩は黒、用途は『亡き魂の強制誘導』。術式は聖ジョージ式『死霊繰術』。死者の理を書き記せ、自動書記」
ゾクリ、と。隣に座るカナタの背筋を震わせながら、ルネィスの恐ろしく平坦な声と同時に、ペンを握った右手が動き出した。人間に出来る限界近い速度で、何かの文字を黒い紙に書き記していく。
かと言って、ルネィスが必死に手を動かしている様には見えない。どちらかと言えば、右手が勝手に文字を書いている様に見える。
小さな手帳に収まるくらい小さな黒い紙に、文字がギリギリ見えるくらいの大きさで二ページも書いたルネィスは、そのページを破って左右に分かれた、半分だけ折り重なった二つの魔方陣の上に置く。中心に書いた『S』と『R』に被せる様に。
「探し人はレミーナ・オヴ。主の光に導かれ賜え。Passus ae eunto(とっとと行け)」
ルネィスが呟くと同時に、二枚の黒い紙がボロリと灰になった様に粉々に砕け、風に流されて消えていった。あまりにも現実離れした光景である。
いや、浮き世離れというのならば、先程のルネィスの口調や表情も、それに該当するだろう。
彼女は自らを死霊繰者と言った。それはやはり、マンガや小説の様に、残酷で残忍で残虐な者なのだろうか。今までは違うと否定出来ていたが、この人形の様なルネィスの冷たい表情を見ているうちに、まさか、という思いが浮かび上がってきた。
ルネィスは別の手帳を取り出し、左のページに何かを殴り書きすると、カナタに向き直った。
「てて、手伝って下さり、ままま誠にありがとうごごございます!重畳です!……あ、あの、私の日本語合ってます?」
先程とは打ってかわって、屈託のない眩しいばかりの笑顔。とてもじゃないが、魔術師だとか死霊繰者だとか、そんな言葉とは遙か遠くの少女にしか見えない。
果たして、どちらが彼女の本質か――。
[Fab-11.Sat/12:30]
「にゃは、リンクしたみたいね」
「ですね」
ルネィスから手渡された手帳を見ながら、チドリとシズカは互いに頷き合う。実はこの手帳、二個一対の代物だったりする。
二人が持っている手帳の右のページに文字を書けばルネィスの手帳の右側に文字が浮かび上がり、ルネィスが左のページに文字を書けば二人の持つ手帳の左側に文字が浮かび上がる。魔術的なメール機能の様なものである。
しかも、ルネィスの索敵魔術『浮霊探知』とリンクさせる事により、一番最後のページには街一つの見取り図が浮かび上がり、追跡不可の大体の位置を知らせている。
「……にゃはぁ。本来なら、ばっちしビンゴで知らせてくれるんだけどにゃー。やっぱ妨害魔術でも張ってんのかなぁ、半径六〇〇メートルってとこねぇ……」
大きくぼやけた黒い円が、現在地よりやや離れた場所に存在している。その半径六〇〇メートルの『どこか』に追跡不可はいる。それはあくまで電波状況の悪い場所でケータイのGPS機能を使った様なもので、『必ずしも中心にいる』とは限らない曖昧な情報なのだ。
「……まぁ、手探りよりはマシでしょう。貴女のエリファス式が偶然ヒットする事を祈らなくては」
「……にゃはっ。私達の目的の為にも、そう願いたいものねぇ」
相変わらず、溝を刻まれた水晶に変化は訪れない。
二人は互いに顔を見合わせ、ため息混じりに追跡不可がいるとおぼしきエリアに向かった。
[Fab-11.Sat/13:00]
空間切断の効果圏外にワゴンを改造したタイプの屋台を発見したカナタは、一番安いホットドッグを二つ購入し、ルネィスと共に軽い昼食を取っていた。どうもルネィスは魔方陣から離れられない様で、カナタは護衛というよりかは付き人になりつつあった。
「ねね、死霊繰者とは何か、……ですか?」
きょとんとした表情で、ホットドッグと格闘していたルネィスは顔を上げた。鼻の頭にケチャップがついていたが、カナタはとりあえず気付かないフリをしつつ、訊ねてみた。
死霊繰者と聞けばどうしても悪役しか思い浮かばない。思い浮かばないのだが、やはり目の前の少女、大きく口を開ける事を躊躇って上下左右からチマチマとホットドッグを食べるあまりケチャップを鼻の頭につけて仕舞う様な、どう見ても純真無垢な少女にはそのイメージは似合わない。
「た、端的に言えば……そそ、そうですね……あ、あらゆる者も物も問わず、『死』を研究する者、でしょう……か?」
しかしカナタの予想に反し――いや、この場合は予想通りと言うべきか――ルネィスは何でもない世間話をするように、ただ淡々と答えた。
「ここ、こういう言い方をすると医者の様なものとか勘違いされる方もいますが、いぃ、医者は『人を生かす』職業でしょう?ね、死霊繰者はあくまで、『死を研究する』職業なのですよ」
解体新書を使う事は共通してますが、とルネィスは言う。カナタはカナタで『医者と言うよりは、司法解剖を行う監察医みたいなもんか』と噛み砕いて考えていた。余談だが、映画やドラマでよく聞く司法解剖とは、事件性のある死因と判断した検事官の指揮下で行われる死体検案(いわゆる検死)を指し、これは監察医の判断で行う行政解剖全般の事である。
「な何故、ひひ人が死ぬのか。なな、何故、物が壊れるのか。わ、私の仕事はまさに、そそそそれを研究するこ、事なのですよ。……お、おそらく、一般の方々がね死霊繰者=し死体をあぁ操る邪法者、と勘違いされるのは……そ、そういうダークな部分もたた、確かに含有しているからだと思いますが。……あの、私の日本語、合ってます?」
あらゆる『死』の研究。それは決して悪行だとか邪法などではなく、ただ単純に一人の研究者としての指向である、と言う事だ。
ルネィスの言葉は、今までマンガや小説で培ってきた死霊繰者という職業(?)のイメージを、根底から覆すものだった。
「けけ、研究によるレポート……つまり解体新書は、後世に伝える為の物です。で、ですから、厳密な意味でゎわ私は魔術師ではなく、ま、魔導師と言う事になります」
と語るルネィスに、カナタは眉間を摘んだ。
「……まぁた初耳の訳分からんワードが出てきたんだが、魔術師と魔導師って何が違うの?」
「へ、へぇ?そそ、そうですね、どどう説明したものか……あ、有り体に言えば、がが学者と教師の違い、でしょうか……」
う〜む、とルネィスは唸りながら、言葉を選びながら語る。
「ま、魔術師は……たた、例えばルーン魔術を用いた場合、どどうすればもっとこ、効率の良い魔術をつつ使えるのか、つ都合の良い魔術にでっ、出来ないものかとけけ研究したり、あぁ新たな指向魔術を開発したりする方の事を指します。
ま魔導師は、ぅ、受け継いだ魔術を元にかか改良を重ねたりもしますが、き、基本的にはま魔術書や魔導書をさ、作成したりして、後世につた、伝える方を指します。わ、私は解体新書をささ、作成する、後者という事になります」
かつてこの街のこの公園で鬼と相対した陰陽師は、道教の四聖獣にルーン魔術を組み込むという無茶をした際、白虎に風使い(ラファエル)を融合していた。だが、風のルーンというのは、様々な形に分岐したルーン魔術にさえ存在しない。つまりは陰陽師が独自に開発した、全く新しいルーン文字だったりするのだが、それはルネィスやカナタの知る所ではない。
要するに、魔術を使う事を目的とするか、魔術を伝える事を目的とするかの違いであり、故に表現としては『学者』と『教師』。それはなかなか、的を得た分かりやすい表現だと思う。
何故だか分からないが、カナタは、そういった知識を蓄える事が、嬉しい。楽しいではなく、嬉しい。
それは恐らく、同居人である狩人や吸血鬼や、クラスメイトの住まう世界を知る悦びだと、カナタは思う。
ルネィスはチラリと横目で魔方陣を眺め、何の反応もない事を確認すると、どこか嬉しそうに再び語りだした。