ORDER_4.[天下泰平(ソーシャルレヴォリューション)]
[Fab-11.Sat/11:45]
「にゃはは。つまり、君は独自に追跡不可を調査していた、と。そういう事かな?」
「はいそうですガァッ!痛ェいてぇイテェ!」
「全く、何の為にチドリちゃんが恨まれ役を買って出たと思ってんのかしらねこの野郎は」
「ちょ、ギブギブギブ!カウントスリーカウントスリー!」
「肩が地面についてないからカウントスリーなんざねぇわよ!あ、ちなみにロープも握らせないのがこの技が凶悪と言われる所以よ」
現在、カナタはシズカにドラゴンスリーパーという技をかけられていた。現象、仰向けに倒した相手を、頭上から脇の下に手を回し、締め付ける技であり、両手をあげて万歳している状態なのでカウントスリーノックアウトする事もロープタッチ・エスケープする事も出来ない。現状、カナタは口から泡を吐きそうなくらいによろしくない状況であるが、それ以上に精神的にヤバい事が一つある。
(む、胸ッ!胸が、胸がァァァああああああ!)
そう。考えてほしい。ドラゴンスリーパーというプロレス技を、果たしてキメる事が出来たとしたら、どういう体勢になるのかを。現実、カナタの首筋には、シズカの日本人離れした胸が押し付けられていて、ちょっと顎を引けばそこに柔らかい何かを確認出来る。
(ぐっ、がぉ、ァァア!?胸、胸がァァあ!?柔らッ、いや、痛ェ!これが俗に言う飴と鞭なのかっ!?ホールドされてるトコがメチャクチャ痛いッ、がァッ、こ、これはこれでッ!?)
何やら倒錯的な趣味に目覚めかけているカナタだが、ホールドしていたシズカを止めたのはチドリだった。
「……シズカ。もう時津さんは罰を受けているので放してあげては如何ですか?」
「にゃははっ。お優しい上様に感謝しなさいよ〜カナタくん」
パッ、とシズカが手を離すと、浮かされていたカナタの身体が地面に叩きつけられる。対照的に、後頭部にはまたもや柔らかな感触。
果たして天国だったのか地獄だったのか、判断のつかないホールドから逃れる事の出来たカナタが頭上を見上げると、
「にゃはは〜。これは冤罪の詫びって事で、許しちゃってねぇ」
何か、シズカの顔を見上げていた。が、シズカの顔の下半分は、途中にある二つの双丘に阻まれ、見えていない。
(……あれ?って事は、この後頭部に感じるやーらかい感触は太股ッ!?其れ即ちイコール膝枕!?)
何ですかこの急展開は!?とカナタが急いで身を起こそうとするが、それより早くシズカの手のひらがカナタの額を掴み、押さえつける。その際に、若干、前かがみになったので更に視界が双丘に塞がれる。
「し、ししししし、シズカ!?ぁぁああ貴女、一体何をやってるんですか!?」
「ん?何って、お詫びの膝枕だけど?」
「あ、貴女は男性が嫌いだったのではないのですか!?」
「……人を同姓愛者みたく言わないでくれるかしら。あたしは可愛い女の子が好きなだけで、別に男嫌いって訳じゃないわよ」
それは何が違うんだろうか、とカナタは思う。というか、右耳のみにピアスしているのに、その言葉にはどれ程の説得力があると言うのだろうか。
にゃははと笑いながらカナタの頭を押さえつけるシズカ。怒鳴りつつも二人を引き剥がそうとしているチドリ。どう反応すればいいのか分からずにオロオロと慌てふためくルネィス。
そう言えば、
こんな天下の往来でここまで騒ぎ散らせば、人だかりが出来てもおかしくはない。それがどうして騒ぎにならないのか、とカナタが膝枕されながら周囲を見渡してみると、そこには誰もいなかった。
「……は?」
人一人。騒ぎが起きるだとか人だかりが出来るだとか以前の話として、カナタ達の周囲には誰一人として存在してはいない。我関せずと目を背けて立ち去る人ぐらいはいてもよさそうなものだが、『それでも』いない。
「空間切断。神道の奥社、仏教の教殿、十字教の聖域、イスラムの卍寺院、ゾロアスターの聖櫃、アステカの贄儀台、アボリジニの大岩画、エジプトのピラミッド。世界中の魔術に共通する、『ある程度の空間を掌握する』魔術の一つ。ま、こっちの世界じゃ常識なんだけどね」
シズカが、ニンマリと笑いながら呟く。カナタの頭を押さえていない方の右手は、いつの間にやらチョークで地面に何かの記号を書いていた。
曰く、空間切断というのは、ようするに人払いの魔術の業界用語らしい。張り巡らせた一帯に『偶然通りたくならない』様な暗示をかけるとの事。合点がいったカナタは、しかしふと『何故に?』とも思う。
「……チドリちゃん。いいよね?」
「……好きにしなさい」
納得がいかないが理解は出来た、と言わんばかりにチドリは吐き捨てる。ルネィスは口調のせいで話に入り込めないが、話の流れは分かっているらしく、ニコニコと笑っている。
えっと、とカナタが困惑していると、頭上に見えるシズカの顔が優しく微笑み、
「にゃははっ。カナタくん、あたし達は君を、水先案内じゃなく協力者として迎え入れようと思うんだけど、如何な事ですかにゃ?」
「……は?」
シズカの意味不明な言動に、膝枕から逃れる事も忘れて、カナタは目を点にした。
「にゃは。君の持っている情報が欲しい訳なのですよあたし達は。追跡不可は証拠は残すけど、痕跡は残さないから、顔とかは知らなかったの。だから、君の協力が欲しい訳ですたい」
「で、でも……さっきは確か、癸は反対してたんじゃ……?」
どうしてかは知らないけど、と付け加えるカナタに、チドリは軽く落ち込んだ。その光景を見ていたシズカは含み笑いながら、話を続ける。
「ま、チドリちゃんも渋々ながら同意してくれた事だし。にゃは〜……正直、顔や名前ならまだしも、特徴すら分からない相手を探すっつーのもなかなか難儀でね。出来れば、情報を提供してくれまいかな?」
「……ちょっと待て。僕は追跡不可……レミーナ=オヴはその世界じゃ有名って聞いたんだが?」
「にゃはん?追跡不可は本名・出身・専属・その他は謎に包まれてるけど?」
「……マジか?」
だとすれば、アキラの情報が的を外れているのか、それとも彼が桁違いに情報収集に長けているのか。実際に追跡不可をこの街で目撃した以上、後者という事になる訳だが。
「……と、いう訳です」
「かかかか、カナタ。よよ、よろしく、おぉお願いしますね!」
快く受け入れるシズカとルネィスに対し、チドリだけはずっと渋面を作ったままだった。
[Fab-11.Sat/12:00]
「にゃは〜……。ローマ十字教の、聖堂騎士ねぇ。こりゃまた厄介な相手だわね」
「道理で情報がない訳です。ヴァチカンがそう易々と自らの情報を漏らす筈がない」
「わ、私がイギリス十字教にいた頃も、そそ、そういう話は聞いてません。そ、そもそも、旧十字教と新十字教は、け、犬猿の仲ですから……あの、わ、私の日本語合ってます?」
一通り、アキラから聞いた話をそのままそっくり三人に話したカナタは、ようやくシズカの膝枕から解放された。というか、何故に美女の膝枕でこんなに苦悩しなければならないのか、カナタには分からなかった。とりあえず、チドリの視線が突き刺さる様に痛かった訳だが。
「……で、これからどうすんのさ?」
とりあえずカナタは核心を訊ねる。
「まずは、シズカとルネィスに、新たな探索魔術の術式を組み立ててもらいます。呪詛の根本は名前から、というのが東洋呪術の基本である様に、西洋魔術に於いても名前や顔が必要になってきます。今までは限定条件が少なかった為に、やや曖昧な索敵しか出来ませんでしたが、これならもしかすると、いけるかも知れません」
「で、空間切断を使って人避けした理由は、術式を見られない為って訳よ。内部事情を漏らさない為でもあるけどね」
言いながら、シズカは使い古された黒いリュックから透明なビー玉みたいな物を取り出した。
「ん?あぁ、これはビー玉じゃなくて水晶よ。中に気泡のない一〇〇%純度のガラス玉ってだけだけど、にゃはは、意外と高いのよコレ。一個五〇〇〇円くらいするんだから」
よく見てみると、シズカの手に握られている透明なビー玉の中には、模様も気泡も存在していない。太陽の光を偏光屈折して虹色に輝いている筈なのに、珠の輪郭が見えないくらいに限りなく透明で、とにかく神秘的だ。
「にゃははぁ。まぁ、自費じゃなくて経費だからこそ、これを使うんだけどね。にゃはん、普段は気泡があろうが何だろうが、ビー玉でやるのよ。そんだけ、上が追跡不可を警戒してるって事だけど」
シズカは嬉々として語りながら、一個五〇〇〇円はするらしいビー玉サイズの水晶の表面に、あろう事か安全ピンでガリガリと彫り出した。
見る見る内に傷だらけになっていく水晶は、しかし同時に神秘さも増していく。計算されて彫られていく表面の傷は、光を取り込むと同時に進行をねじ曲げて輝いているので、虹の様な色相の輪が幾重にも重なり、一つの帯の様に地面を照らしていく。
「色彩は緑。用途は『空気を伝い、レンズに情報を集める』術式。支配は完全エリファス式、術者はあたし、水鳥シズカ。失せ者の名は聖堂騎士レミーナ・オヴ、発見次第『砕けろ』」
ガリ、と最後の一振りと言わんばかりに、シズカは安全ピンを豪快に振るって水晶を彫った。強く息を吹きかけ、粉状になったガラスを取っ払えば、そこには芸術と言っても過言ではない程に造形美を保っている水晶が存在していた。
「これでよし。あとは半径五〇〇メートルに入り込めば光が呼応、半径一〇メートルに入り込めば砕けて知らせてくれる」
得意げに術式を刻んだビー玉サイズの水晶を見せるシズカは、メガネのブリッジを左手の薬指であげる。どうもこの、ただ表面に溝を刻んだだけの水晶が魔術らしい。
だが、その効力はやや怪しい。どこにいるか分からない相手を捜しているのに、そうそう半径五〇〇メートルに入るとは思いにくいものだ。
その旨を、近くにいたチドリに訊ねてみると、
「彼女はあくまで、追跡専門なのですよ。索敵に関しても私以上の技術がありますが、それでも人並みよりやや上、程度という訳です。ですが、そこでルネィスとのコンビネーションが必要になるんですよ」
チドリがチラリと、ルネィスに目配せする。ルネィスは頷きながら、しかしどこかバツの悪そうな表情を浮かべている。
チドリは隻眼で優しく微笑みかけ、シズカに向き直る。二、三を小声で相談した後に、ルネィスとカナタに視線を向け、
「ルネィスの死霊繰術の一つである探索魔術『浮霊探知(Academia impero)』は、本格的に使うとなれば儀式場となる魔方陣を築かなければいけません。よって、これからは捜索班と探索班に分かれて行動します」
「にゃはは。あたしとチドリちゃんが捜索班、カナタくんとルネィスが探索班って事で。魔方陣を展開している間はルネィスは動けないから、カナタくんはルネィスの護衛を頼むわね。にゃはっ☆」
二人は言い終わるや否や、ルネィスから小さな可愛らしい手帳をそれぞれ受け取り、歩きだした。
あまりの早業に茫然自失としていたカナタだが、ふと我に気付いた時には、二人は小さくなる程遠くにいた。
「ちょっ、待っ……」
カナタの目的は、日常を守る事だ。友人が危険な事態になるやも知れないのに力になれない自分が嫌だから、自ら動いただけに過ぎない。これでは何の意味もない、どころかチドリにヒントを与えた事で、より一層危険に近付けて仕舞った。
本末転倒、という言葉がまさに当てはまる。舌技話術ではチドリとシズカに敵いそうもないというどうでもいい事実を再認識。
「……、えぇと」
その場に残ったのは、カナタとルネィスだけだ。しかも空間切断の魔術も解いたのか、ザワザワと人が集まってきた。
「と、とりあえず……ど、どこか魔方陣の描ける場所へあぁ、案内して頂けると……助かります、よ?」
恐る恐る、ルネィスがカナタの袖を引っ張るが、カナタは固まったままだった。
[Fab-11.Sat/12:00]
「ふゥ……もウ、クタクタ……」
日本のカプセルホテルとやらはなかなか楽しめたが、窮屈な事この上なかった。ヴァチカンと比べると湿度の高い日本では、冬とは言え、一晩シャワーを浴びないだけで汗がベタつく。十字教にとって不純・不潔・不働は罪である事から、彼女・追跡不可の気分は最悪だった。
「……取引を終わらせたラ、スポーツジムにでも寄ってシャワーを浴びようかしラ」
呟く追跡不可は、ベンチに腰を下ろしている。ジャラジャラと鬱陶しい程のシルバーアクセサリーを鳴らし、傍らに置いた黒いリュックに目を向ける。
「……うふフ、ふフ、うふふふフ!」
取引の時刻は午後六時。およそ六時間後には取引は完了し、あとはいつもの様に追っ手から『逃げる』だけ。いつも通り、非常に簡単で単純な任務だが、どうしても笑いがこみ上げてくる。
(……逃げル。逃げル!うふあはうふフ、そうよ逃げるのヨ!くッ、ふフ、あはははハ!果たして私ハ、一体どこまで逃げ出せば気が済むのかしらねェ!?地球の裏側にでも行けば満足なのかしラ!?)
滅び、聖ヨハネ騎士団に位を奪われたテンプル騎士団の、かろうじて生き残った者の末裔という地位にうんざりして逃げた。修道女として生きた事もあったが、生まれ育った環境のせいか教会の空気が合わず逃げた。聖書片手に巡礼して、迷える人々を諭していく説旅もしてみたが、浮浪者に近付くだけでも吐き気がした為に逃げた。
何もかもから逃げ出した頃、ようやく気付いた事がある。自分には、全てから逃げ出す才能がある事に。
適職は、運び屋。危険な物からそうでない物まで、あらゆる物を運びながら、追跡者を撒く職業は、むしろ天職と言っても差し支えない。テンプル騎士団時代は追跡者としての訓練を受けていたが、逆に逃走者として生きる今、その技術は生きる糧となっている。
追う者の心理・手段を知り尽くした彼女だからこそ、逆にどうすれば逃げ延びる事が出来るかを知っている。
攻防ともに長け、逃亡に特化した魔術師は、いつしか誰もが追跡不可と呼ぶようになった。
(……追跡不可。ふふフ、何て皮肉の混じった素敵なあだ名かしらネ!)
彼女の存在意義……いや、存在定義は、『逃げる』事だ。誰も彼女を捕まえる事は出来ず、追い付く事は出来ず、捉える事は出来ない。故に追跡不可は存在する。
それは、とても悲しい生き方であると共に、とても誇り高き生き方でもある――。