ORDER_3.[千変万化(ノンストップ)]
[Fab-11.Sat/11:00]
寝癖の様にボサボサな髪の少年・時津 彼方は、冬の気温に凍えながら街を歩いていた。
「……いや、そんな前々回と同じ出だしされてもなぁ」
何か訳の分からない異次元的な独り言をゴチながら、カナタは呻く。
考える事は色々ある。追跡不可という魔術師の事、チドリやシズカやルネィスの事、……あと半ば強制的に有無を言わさず奢らされた事。というか、魔術問題よりこっちの方がカナタには深刻だった。
時津宅には、二人の居候がいる。
片や有名私立中学に通う中学生、片や半分以上ひきこもり気味にニートしてる吸血鬼。私立中学への学費はカナタが払っているし、ニート吸血鬼は常に部屋で暖房つけたままテレビを延々観て一日を過ごしたりしているので、光熱費も馬鹿にならない。しかも食事は結構大量に作らないとこの二人を満たす事は出来ないので、食費も嵩む。
お陰で、バレンタインの材料を買える金が少なくなった。ただでさえ高一にして主婦じみた家計簿を付け始めたりしているのに、キリ詰めるどころかカナタは集られ癖がついているせいでよく奢らされるのだ。何というかやるせない。
「ってそんな性癖いらねぇー!」
ぐぎゃあ!と髪を掻き毟りながら、カナタは絶叫する。道端で、何の脈絡もなく突然叫びだした少年に、周囲の人々が奇異の目を向ける。当然の反応である。
白い目で見られている当人・時津カナタは急に肩を落とし、ふと辺りを見渡す。シュバッ、ともの凄い勢いで反射的に目を背ける人々。
「?」
訝しみながらも、カナタはまぁいいかと内心で結論付け、コートのポケットからケータイを取り出す。アドレス帳を開き、中から選ぶのは居候の少年。
『アキラ』
「まぁ、ちっとばかし癪だが……聞ける奴っつったらコイツぐらいだろうな」
呟きながら、通話ボタンを押す。程なくしてノイズが響き、
『ん?カナタぁ?どうかしたのか?』
聞き慣れた少年の声。
「アキラ。ちょっと聞きたい事あんだけど、いいか?」
[Fab-11.Sat/11:10]
『運び屋の追跡不可?そりゃ間違いなくローマ十字教元テンプル騎士団のレミーナ=オヴだろ』
「て、テンプル騎士団?」
『あぁ。発足は第一回十字軍後で、決して怯まずに敵を殲滅し、聖地を目指していったと言われてる史上最強の聖堂騎士団だ。一三世紀後期に悪魔崇拝がバレて、逆に魔女狩りの対象となって潰れた馬鹿な騎士団だけど。その末裔がレミーナ=オヴだ。
それが何の因果か、敵から逃げる為にあらゆる工作を仕掛ける運び屋に転職したらしい。こっちの世界じゃ有名人だぞ』
ケータイ越しに話を聞いているカナタは、ふむ、と喉を鳴らす。
(なるほど……だから、追跡不可か)
テンプル騎士団だとかよく分からない単語は置いておくとして、アキラに話の続きを促す。
『俺は無所属で、やってる事は吸血鬼狩りを得意としたローマ十字教と同じとは言え、それほど詳しい訳じゃねぇんだよな。……そうだな……そう言や、他に語れる事と言えば、こんな話を聞いた事がある』
何かを思い出したのか、アキラは肺の空気を絞り出す様に唸りながら、
『追跡不可は、《例え敵が地球の裏側に居ようとも、頑強なシェルターに閉じこもろうとも、直線上にいる限りは距離や障害物に関係なく敵を滅する魔術を使う》んだとか』
なっ、とカナタは言葉を詰まらせた。
それはつまり、追跡不可を敵に回した者はどれだけ逃げようとも、どれだけ守ろうとも、『そんな小さな事に関係なく敵を殺す』という事だ。
距離も障害物も関係なく敵を殲滅する運び屋・追跡不可。そして、それを追う三人の少女。カナタは背筋が凍り付いていくのを感じながら、辺りを見渡した。
既に、チドリ達がチヌークを出てから三〇分は経過している。カナタもテキトーに街を歩いていただけなので、チドリ達がどこにいるのかは分からない。
『……カナタ』
不意に、アキラが呼びかけてきた。
『何考えてんのか知らねぇが、追跡不可に喧嘩を売る様な事はやめとけ。絶対にだ』
言葉こそぶっきらぼうだが、カナタはアキラが自身を案じてくれている事が伝わった。ハァ、とため息を吐きながら、カナタは呟く。
「……まさか、アキラ。テメェ、敵が強大だとか、そんな小せェくっだらねェ理由で、僕が引くとでも思ってんのか?」
下らねェ、とカナタは吐き捨てる。
それ程までに強大な運び屋を相手に、少女三人に任務を依頼するWIKとやらも。それ程までに強大な運び屋なのに、力を誰かの為ではなく自身の為だけに使う追跡不可も。それ程までに強大な運び屋とは言え、強大と言うだけの理由で手を出すなと身を案じてくれている友人も。
全てに下らねェ、と吐き捨てる。
『……ハァ、だろうな。お前はそう言う奴だよ。でなきゃあの時、俺や吸血蜘蛛なんかに立ち向かってなかっただろうしな』
「分かってんじゃねぇか」
カナタは苦笑した。
クリスマスの夜。たった一人、出会って間もない、たった一人の吸血鬼の女性を助けたカナタは、相手が誰であろうと全力で立ち向かった。アキラはカナタの『それ』を知っているからこそ、強く止めようとはしない。
「で、だ。それはそうと、追跡不可の顔とか魔術とか何でもいい、知ってたら教えてくれ」
『ま、お前が決めた事ならそれでいいさ。ちょっと待ってろ、俺のノートパソコンの中にあるブラックリストから写真引っ張りだしてくるから。メール添付する』
ありがとう、とカナタが呟く前に、ただし、とアキラが続けて言葉を遮った。
『今のうちに遺言書でも書いとけ。相続権は全てアキラ・ヒルベルドに託――』
ブヅッ!カナタは問答無用に有無を言わさず、通話を切断した。
それからしばらく、ダラダラ歩きながら道行く人々をウォッチャーしていると、不意にカナタの肩に小さな衝撃が走った。どうやら、前方を歩いていた人の肩にぶつけて仕舞ったらしい。
「あラ、ごめんなさいネ」
ぶつかった相手は、カナタより頭半分以上は高い長身の欧州系美女だった。ニッコリと微笑みながら、カナタに謝罪した。
「前方不注意だったワ。怪我とかないかしラ?」
「あぁ、いえ、平気です」
「そウ。それは何よリ」
微妙な片言だが、しっかりと日本語を語る女性は右手を差し伸べてきた。ジャラリ、と腕に巻き付けている無数のシルバーアクセサリーが甲高く鳴り響く。
「……?」
「あァ、握手握手。hand to hand。日本じゃ少シ、馴染みがないのかしラ?」
そういう事か、と頷きながら、カナタは握手に応じた。純真な男子高校生ならデフォルトで真っ赤になる様な行為ではあるが、カナタの頭には追跡不可の事ばかりが浮かんでいてそれどころじゃない。
欧州系の女性はニッコリと微笑んだまま、バイバイと小さく手を振って去って行った。ベリィショートの金髪を風に揺らし、全身に身に付けたシルバーアクセサリーを鳴らし、古びた黒いリュックを担ぎ直したりと、そんな欧州系美女の後ろ姿をカナタはぼんやりと見つめながら、
(……ちょっと待て?)
欧州系?
確か、アキラが言っていた。追跡不可はローマ十字教の元テンプル騎士団だと。
……。
…………。
……………………、まさかな、とカナタは自嘲気味にため息を吐いた。
[Fab-11.Sat/11:20]
「ふむ……私の羅針盤に反応はありませんね」
チドリはペンダントにしている羅針盤を見つめながら、ため息を吐いた。そもそも羅針盤とは『魔力・霊力・氣の発生地点を指し示す』呪具であり、人探しには向かないのだ。特に追跡不可は索敵の攪乱魔術を使っているだろうから、それを拾う事は出来ない。かつて、白鬼夜行と呼ばれる魔物を追っていた時は、白鬼夜行がわざと自分の魔力を垂れ流してヒントを与えていた為に発見出来たのだ。
「にゃはは〜……こっちも見当たらないなぁ。結構、頑張ってんだけどなぁ」
「わ、私の方も駄目です……。ふ、『浮霊探知』に引っかかりません……」
追跡の専門家であるシズカ、索敵の専門家であるルネィスの両者も肩を落としながら、ため息混じりに呟いた。
不味い、とチドリは焦燥感にかき立てられる。この二人の索敵魔術でも見つけられない程に、追跡不可は上手だ。情報部の確かな情報では、本日の午後六時に『ある霊装』の取引が行われるらしい。それまでにどうにかして無力化しなければ、任務は失敗となって仕舞う。
「……『あの霊装』は常に霊力を発している筈なのに……それすら引っかからないとは、かなり厄介な相手の様ですね」
「う〜ん、流石に焦ってきたなぁ、お姉さんも」
シズカは眼鏡越しに目を凝らしながら、道行く人々を睨み付ける様に眺める。
実は彼女の付けている眼鏡は、高度な術式を施した心霊魔具だ。色彩は緑、用途は『レンズを介し、風を伝い、心霊情報を疑似的に視覚化』する。
万物は物理的属性を持つ『マテリアル体』と、精神的属性を持つ『ミストラル体』、そして心霊的属性を持つ『アストラル体』に分けられる。この眼鏡は人が常に精製する魔力を見極めるという物だ。
近代魔術を定着させた魔術結社、旧『黄金の夜明け団(G∴D∴)』の心霊魔術師・エリファス=レヴィが開発し使用していたという、人のアストラル体の動きや付加属性を視る心霊認識。この眼鏡のレンズは透視魔術の為の技術を精密に刻んでいるのだ。
透視魔術というのは、占い師が水晶に向かってウンウン唸るだけではない。波のない湖面や鏡、さらに黒曜石やコップに注いだ水など、光を反射する物ならばどんな物でも適用する。例えばグリム童話の白雪姫の『真実の鏡』が有名だろう。魔女である継母が『鏡よ鏡、この国で一番美しい女は誰?』と問いかけて魔術を行使している事から分かる通り、未来の予測にも使われている。尤も、シズカの心霊認識は『現世の事象』に限定している訳だが。
「『あれ』程の霊装の残留魔力さえ残さない、強力な結界でも作っているのかしらね。何にも視えないわ」
眼鏡を外しながら、シズカは神妙なため息を吐く。道行く人々のアストラル体を視るというのは、それだけで霊的な負荷がかかるものだ。それでなくとも、アストラル体は人の寿命の様なものなので、それを視るというのはあまり気分のいい話ではない。
「せせ、せめて、ななな、何らかの魔術を使ってくれれば、と、追跡も出来るのですが……」
「……にゃはは。向こうさんは追われる身だし、警戒もしてるだろうから……正直、厳しいでしょうね」
蜻蛉の羽ばたきの様に小さなルネィスの呟きに、シズカは無理に笑いながら、しかしそれでも苦笑いにしかならず、答えた。
[Fab-11.Sat/11:30]
電話がかかってきた。カナタは急いでケータイの液晶に映された文字を見てみると、案の定、アキラからの通知だった。
「どうだった!?」
『おう、あったあった。けど、使ってる魔術の術式やその他の細かい情報はねぇし、写真もテンプル騎士団だった数年前の物だ。今の容姿は分からないけどいいか?』
「それでいい。面影くらいは残ってるだろ、早いとこ送ってくれ!」
『了解。んじゃ切るぞ』
通話が途絶え、それとほぼ同時に添付メールが送られてきた。どうやらパソコンから直接送ってきたらしい。時間がかかったのは、画像の縮小でも行っていたのかも知れない。
添付メールを開くと、一人の少女の証明写真の様な画像が表示された。セミロングの金髪の、歳の頃は一五かそこらだろう、幼さと妖艶さを兼ね備えた少女が薄らと笑っている。
「……ッ!コイツ、さっきの!」
ついさっき、カナタとぶつかった欧州系の女性。確かに髪型や雰囲気、見た目に若干の違いはあるものの、写真の少女はまさしく先程の美女だ。
「やっぱ自分の勘を信じときゃよかった!」
時既に遅し。すれ違ってから一〇分以上は経過しているだろうし、果たしてどの方角に行ったのかも分からない。完全無欠に見失って仕舞った状態だ。
だが、たかがそんな事で、カナタは易々と諦めたりはしない。貴重な日常の大切な友人を危険な目に遭わせる訳にはいかない、その一心で。
追って間に合わないのであれば、走って探せばいい。ただそれだけの話だ。
(あぁクソ、ちったぁこっちの身も考えやがれ!)
どの方角に消えていったのかうろ覚えな記憶を辿り、カナタは全力疾走する。一〇分以上も間が開いて仕舞えば、歩きとは言え相当な距離が開く。
(どこにいる!?いや、そもそも、こっちの方向で合ってんのか!?)
人混みの中から、どこに行ったかも分からない人間一人を捜すというのは、相当な労力だ。しかも自分の判断に自信が持てないまま走り回る分、精神的にも磨耗して仕舞う。
それこそ、魔法でも使わなければ不可能な程に。
(……魔法、)
チドリ、シズカ、ルネィス。三人の魔術師の顔が思い浮かぶ。
何としても、彼女達より先に追跡不可を捜し出し、無力化し、『ある霊装』とやらを奪取する。勝率が低いのは知っているし、勝算がないのは分かっているし、勝負にならないのも理解している。
だが、引くつもりはない。カナタは走る足を更に急かしながら、ケータイを取り出した。メール受信フォルダを開き、先程アキラから貰った追跡不可の情報を開く。
レミーナ=オヴ(17)。専属:ローマ十字教テンプル騎士団上級騎士部隊。
後は証明写真が一つ。
「ってこれだけかよ!役に立たねぇなアイツ!」
情報不足についてアキラは先に断っているので非はない。それはカナタも分かっている。分かっているのだが、人生には理不尽とか不条理とかそんな瞬間はしょっちゅう訪れるものだ。
悪態つくカナタは、ケータイに視線を落としながら全力で走っていた。つまり前方不注意、人とぶつかるのは自然の摂理だろう。
「きゃ!?」
ドガッ、と誰かとぶつかった時、人の頭だろう固い感触がカナタの鳩尾に深々と突き刺さる。「あごぇッ!!」と車に轢かれたガマガエルみたいな悲鳴――というか肺の空気が飛び出る『音』がカナタの口から漏れた。
衝突して仕舞った相手はカナタの勢いに呑まれ、倒れる。カナタもカナタで立ち止まる事もふんばる事も出来ず、慣性の法則とニュートンの意志に抗う事なく前のめりに倒れた。
(ヤベッ、頭打つ!)
勿論、カナタが、ではない。カナタがぶつかって仕舞った相手は、突然の出来事に碧色の目を真ん丸に見開いたまま、後頭部から倒れていっている。しかも下はアスファルト、少女は受け身すらとろうとしない。否、出来ない。
とっさにカナタは少女の後頭部に腕を回し、自分の身体を下に潜り込ませて体位を入れ替える。これで何とか少女を守れるだろう。
(そう、この子は守れるんだガモガァ!)
ズドゴギンッ!
(後頭部に)迸る衝撃!(後頭部を)貫く激痛!(後頭部から)轟くメキャッとかいう出来れば一生聞きたくなかった不吉効果音!
「NO!脳!?ノォゥゥ%#〆℃¥´・ω・`☆§@×××♂♀∞^^;£↑↑↓↓←→←→BA!!」
正しく文字変換されない程の意味不明言語を叫びつつ、カナタはケータイを投げ捨て後頭部を押さえてもんどり打つ。何か立ち上がった少女が叫んだり、周囲からの声が聞こえてきた。
「ちょちょちょ、ちょッ!?かかカか、カナタぁ!?」
「と、時津さん!?どうしてここに……いや、大丈夫……じゃなくて、何をして……違う!えっと、ぇえ!?」
「にゃはははははははははは!つ、ツッコミ所満載ィ!ククフッ、お、お腹痛ッ……!」
それは聞き覚えのある声。ギクリ、と。カナタは痛みに耐えながら、自分を見下ろす『三人の少女』を見上げた。
「……あ?」
茶色の髪を右に束ねた眼帯少女。前髪は短いが全体的に長い金髪ウェーブ少女。ローレイヤーのセミロングをブラウンに染めた右耳ピアス少女。
そこには、WIKの魔術師達がいた。
「と、兎に角、大丈夫ですか!?救急車呼びますか!?」
「にゃはは〜。そんなんより治癒系の呪符を持たせた方がいいんじゃにゃいかなぁ?」
チドリが手を差し伸べてくる。カナタは痛みによるダメージとはまた別な渋面を作りながらその手を取る。どうでもいい話なのだが、シズカは腹を押さえて笑い転げていた。
(……ってちょっと待て。コイツらとまた遭遇しちまったのは仕方ないとして、)
立ち上がったカナタの右手はチドリの手を取っていて、左手は後頭部を押さえている。
では、果たして、ケータイはどこに……?
(よし、テキスト履歴を戻ってみよう。具体的には大体一四段落ぐらい前へ。……うわっ、捨ててる!?)
異次元的な思考回路を経て、カナタは事の顛末を知って愕然とした。どこへ……と周囲を見渡してみると、
今まさに、
ルネィスがカナタのケータイを拾い上げていた。
「れれ、レミーナ=オヴ……と、追跡不可!?」
しかもご丁寧に読み上げやがった!とカナタが後頭部のダメージを完全に忘れてルネィスからケータイを取り上げたところ、既にチドリとシズカの真面目な視線が集まっていた。
「……にゃはぁん。どういう事かしら、カナタくん?」
「……えぇと、」
最早、逃げ場はないらしい。