ORDER_2.[艱難辛苦(ハードラック)]
[Fab-11.Sat/10:30]
誤解を解くのに三〇分という長い時間をかけたカナタは、意気消沈していた。
「と、時津さん。そう落ち込まないで下さい。じ、事情は理解しましたし、特殊性癖でない事も分かりましたから。……というか、さっきからブツブツと怨み言を呟いている様は端から見て異常に異様です」
苦笑いを浮かべながら、フォローしているのか非難しているのかよく分からない言葉を発しているのは、ナチュラルな茶髪を右サイドで束ねた、左目を眼帯で隠した少女・癸 千鳥だ。チドリとカナタはただのクラスメイトだが、冬休み明けに転入してきたチドリとは前日に、とある事情で知り合っている。
ちなみに現在、カナタ達は喫茶店『チヌーク』の一席を陣取っている。どうやらルネィスの待ち合わせ相手というのは、この眼帯隻眼少女チドリとその連れらしい。
尚、余談だが、チドリらが見当たらなかったのはトイレに入っていたかららしい。その旨を伝えたチドリは灼熱する様に顔を真っ赤にしていた。生理的欲求を異性の前で説明すんのはかなりの抵抗なんだろうなとカナタは漠然と思いつつ、しかしチドリが連れに怨みがましい視線を送っていたのでそれだけではないのかも、とも思う。
チドリの連れ、というのは見慣れない少女だった。チドリがこの街に来て一ヶ月程度、内向的な性格なので友人はカナタとその知り合いぐらいだろうと思っていたのだが、それもどうも違うらしい。少なくとも『友人』というよりは『同志』に近いだろう。
カナタの視線に気付いたのか、チドリは連れに視線を向けた。
「紹介しますよ。彼女は水鳥 静香、私達より三つ年上です。来期、大学二年生だそうです」
紹介された、フレームレスの眼鏡をかけた少女・水鳥シズカはにこりと人当たりの良さそうな笑顔を浮かべた。猫みたいな人だなと思いつつ、カナタは右手を差し出す。
「えっと、初めまして。時津カナタです」
「にゃははっ。初めまして、シズカですぅ。呼び捨てで構わないわよ〜」
「いや、流石に年上の人を呼び捨てには……」
「いいのいいの。円滑な人間関係を築く為の儀式みたいなもんだから、名前なんてのは」
「はぁ……じゃあ、シズカで」
「にゃは。よろしくね、カナタくん」
円滑な人間関係はどこにいった、とカナタはツッコミたい衝動を抑えておく事にする。人を呼び捨てない性格なのかも知れないし、別にこれが何らかの不利益に繋がる訳でもない。特に気にせず、カナタは三者の顔を見渡す。
ルネィス=マクスレツィア。歳の頃は一二……に見えるが、本人曰く一五でどう見ても東洋の血が混ざってなさそうな欧州人。荘厳に輝く金の髪は、前髪こそ額が見える程に短いが全体的に長く、地毛なのだろう自然なカールがかかっている。双眸は宝石の様に輝く蒼色で、見ているだけで吸い込まれそうになる。
水鳥シズカ。歳の頃は一九。オレンジに近い茶色の髪はセミロングのローレイヤーで、Jカールの様に緩やかなパーマがかかっている。フレームレスの眼鏡越しに覗く双眸は猫を思わせ、それら一つ一つのパーツが見事なまでに『芸術品』を作り上げている。
癸チドリ。身長が低いせいで見ようによっては中学生ぐらいに見えて仕舞うが、歳はカナタと同じ一六で、クラスメイト。色素の薄い髪はやや細目だが艶があり、右サイドで全て束ねている。左目は眼帯で覆い隠していて、カナタも外した姿を見た事はないが、それがどこかミステリアスな印象を与える。
(……ふむ)
カナタは顎に指を添え、ふと顔を上げて訊ねてみる事にした。
「年齢も国籍もバラバラな訳だが……これって結局、何の集まりな訳?」
カナタの問いを聞いた瞬間、三人は肩をギクリと震わせた。その動作はどこか『やっぱりそうきたか』と言わんばかりのニュアンスを秘めていた。
「……」
「……」
ルネィスとチドリが押し黙る。目線を泳がせている様は、どう誤魔化そうか考えています、と言っている様なものだ。
「に、にゃはは……えっと、カナタくんは知ってるのかな?」
ただ一人、シズカだけが苦笑いを浮かべたまま、眼鏡のブリッジを左の薬指で押し上げながら訊ね返した。
「知ってる、って……何をですか?」
「ん〜、チドリちゃんの正体」
「シズカ!」
バンッ、とチドリはテーブルを叩きながら立ち上がった。そのけたたましい音は、カナタやルネィスの鼓膜を刺激させ、キーンと耳鳴りが響く。
「貴女は、何を言い出すんですか!」
「……正直、今回の件は私達だけじゃ厳しいと思うの。貴女はこの街に来て一ヶ月そこら、私とルネィスは初めてなのよ。土地勘のあまりないこの街で人一人捜し出すというのは、いくら私とルネィスがいても難しい。だから、せめて水先案内はいた方がいいと思うのよ」
「だからって、一般人を頼るなんて……。大工がいないから客に家を建てさせるのですか?コックがいないから客に料理を作らせるのですか!?貴女にはプロとしての自覚がないのですか!?」
「あるわよ。でも、仕事に立ち入らせる訳じゃなくて、ただの水先案内を雇うのは常套手段だと思うわよ?冒険家だって、初めて来た土地でガイドを雇うからと言って、素人な訳じゃない。第一、チドリちゃんもひと月前に一般人の水先案内を雇ったんじゃない?しかも、その時は完璧に巻き込んだって報告があるけど?」
「ぐっ……」
チドリが顔をしかめて黙り込み、それ以上の反論はないと見なしたのか、シズカは再びカナタに向き直る。
「……で、チドリちゃんの正体を知っているの?」
それは、何かを確信している様に思えた。
カナタはチドリを横目で見て、しばし逡巡した後、コクリと小さく頷く。
「……WIKの、魔術師?」
「あら?組織まで知ってるの?」
カナタの言葉に、シズカは目を見開いて驚いていた。
「友人に、そっちの世界の奴がいてな。そいつから聞いた」
「……ふぅん、まぁいいや。だったら話が早いわね」
先程の軽口など欠片もなく、口癖なのだろう『にゃはは』とも言わず、シズカは口元に笑みさえ浮かべた状態で語り始めた。
「まず先に言っておくけど、私達は友人じゃない。WIK……世界魔導文化保護機構から派遣されてこの街に来たワケ。ここまではいいかしら?」
「……アンタら全員、魔術師って訳か」
「そゆ事♪」
ニンマリと猫の様な笑みを浮かべながら、シズカは話を続ける。
「現在、この街に一人の運び屋稼業をしている『はぐれ魔術師』が潜入しているの。
三日前、日本に存在している大きな組織が管理していた『ある霊装』が盗まれた。あ、ちなみに組織の名前は明かせないわよ?欧州特有の秘密結社ってのは日本にもあるって事ね。
で、盗んだ犯人の目的は『ある霊装』の運搬。その魔術師は追跡不可と呼ばれていて、未だ嘗て誰一人として捕まえた事がない程、逃げる事に関しては右に出る者のいない魔術師よ。私達の目的は、追跡不可の取引を阻止する事。まぁ尤も、その受け取り先がどこの組織なのかは謎に包まれてるんだけどね」
「霊装?」
「魔術的な武装の事よ。大きく分けて『魔具』、『呪具』、『霊装』と呼ばれている。まぁ、そこは大した違いはないから気にしないでいいわよ。ただ、武器の運び屋程度に考えて」
深刻な事態だというのはシズカの口振りから伺えるが、ニンマリと浮かべた、人なつこそうな猫みたいな笑顔が不釣り合いだ。何かを期待している様にも見える。
「その、ある武器ってのは?」
「それは企業秘密。少なくとも、協力するかしないか分からない人には教えられないなぁ」
「協力って……具体的に何をすればいいんだ?」
「特に難しい事じゃないわよ。ただ、道案内をしてほしいだけ。私達はこの街の道に関しては殆ど素人だし、地図を見ながらじゃ効率が悪いでしょ。貴方はそれだけをしてくれるだけで構わないわ。後は私達の問題だから」
カナタは考える。
追跡不可と呼ばれる運び屋。運搬しているの物は不明だが、それが何らかの武装である事は間違いない。そしてそれを追う三人の少女。
「……分かった。道案内くらいならやってやるよ」
カナタは首を縦に振りながら、シズカに返事した。
「にゃはは〜!感謝するわ〜!」
シズカは再びカナタの手を取り、ブンブンと振り回す振り回す。肩が脱臼しないだろうかと心配になるくらいだ。
「にゃはは〜。実は今回、追跡不可の取引を阻止出来なかったら減給なのよねぇ。ったく、今まで誰一人として捕まえた事がない奴を、不慣れな土地で三人でどうにかしろってのがそもそもの間違い――」
「いい加減にして下さい!」
先程よりも更に一際大きく、チドリはテーブルを叩いて立ち上がった。右目だけの隻眼はシズカを見据え、睨め付けている。
「シズカ。これはチームリーダーとしての命令です。一般人を巻き込むのはやめなさい」
「でも――」
「いいから、やめろ」
低い声。怒りに満ちて尚且つ溢れんばかりの声は、その場にいた誰もが背筋を震わせた。
あまりの迫力にシズカが押し黙ると、今度はチドリの視線がカナタを向く。
「時津さんも、この件については忘れて下さい。貴方の協力は必要ありません」
「い、いや……けど、土地勘のない街じゃ動きにくいだろうし……」
「……はっきりと言わせてもらいます。貴方は邪魔です。足手まといなんですよ、力のない一般人なんてのは」
どこか悲しげに、しかし確固たる意志の元に語っているという事は、カナタにも理解出来る。それ程までに、チドリの目は本気で血走っている。
「あ、足手まとい……って、そこまで言わなくても……」
泣き疲れてぐったりしたまま沈黙を保っていたルネィスが、おろおろと視線を泳がせながら呟く。雁も鳴かずば何とやら、チドリに睨み付けられ、視線を逸らした。
「足手まといです。そういう不安因子を内包するからこそ、私達の弱みが生まれる。今まで誰一人として捕らえた事のない追跡不可を、ハンディつきで捕らえられるとでも言いたいのですか貴女は?」
「そ、そこまでは……」
「では口出ししないで下さい、ルネィス=マクスレツィア」
言いながら、チドリは焦げ茶色のダッフルコートを羽織って入り口に歩きだした。喫茶店を出るつもりだと言う事に気付いた二人は後に続く。シズカは黒いリュックを右肩に担いで、ルネィスはコートを羽織って。
「お、おいッ!ちょっと待てよ!」
「来ないで下さい!」
一拍遅れて立ち上がろうとしたカナタを、チドリが一喝する。
「ここから先は魔術師達の世界で、そちらは日常の世界です」
それは、相反する二つの世界の狭間だ。決して混ざり得ない、世界の狭間。
「貴方は『そちら』側の人間です。『こちら』には一切介入しない方が貴方の為ですよ」
では、と言い残し、チドリは『チヌーク』を出た。シズカは顔の前で手を合わせて「ごめん」のポーズを取り、ルネィスはよろけながらも何とかシズカにしがみつき、見ている方が申し訳なく思う程に何度も深くお辞儀し、二人は寄り添う様に(実際、ルネィスは歩きづらそうに寄り添っていた)『チヌーク』を出て行った。
ポツリと一人だけ取り残されたカナタ。周囲の好奇の目がやたらとイタいが、それは気にしないでおく。
カナタはチドリが去っていった方角を見つめながら、呟く。
「……いや、そうじゃなくて、」
テーブルに目を向ける。そこには飲みかけのままのコーヒーやドリンク、ケーキを乗せていたのだろう様々な大きさのプレートが積み重なっていた。チドリとシズカが待っていた間の注文なのだろう。
そして何より、カナタとルネィスの抱擁事件を必死に弁解したり忙しかった為に、誰も支払いを済ませていない伝票が一つ。
「……やっぱ、僕が清算するんだな?」
いつもとは手口が違って新鮮だなぁ、とカナタは軽く現実逃避をしてみた。
[Fab-11.Sat/10:50]
「……まぁ、今回は全面的に謝るけどさ、あそこまで言う必要はなかったんじゃないの?」
「足手まといと言うのは真実です」
ルネィスはシズカにしがみつき、チドリを先頭に三人は歩いていた。その間も、終始チドリは不機嫌そうだった。
「一ヶ月前、私は一人の水先案内を頼んだ一般人を巻き込んで仕舞いました。それは完全なる私の負い目です。あんな事はもう真っ平です」
魔術師の戦いに巻き込まれた一人の少女を思い浮かべた。魂を喰われ、倒れ伏せた金髪の少女を。
喰ったのは、他ならぬチドリ自身だ。巻き込むという行為に負い目を感じない筈がない。
「……にゃはは。無神経な事しちゃったわね、ごめんなさい」
「貴方が素直に謝るのも珍しいですね、シズカ」
「ん〜……そりゃあ、ね。流石に言い過ぎちゃった訳だし」
でもね、と。シズカはルネィスにしがみつかれている方とは逆の、左手の薬指で眼鏡のブリッジを押し上げながら囁く。
「本当にそれだけ?」
その視線は刀の切っ先の様に鋭く、振り返ったチドリの表情を強ばらせた。確信を持って言ったのだろうその言葉は、強く深く重くチドリの心に突き刺さる。
「……だって、」
泣きそうな声を絞る様に発しながら、チドリは俯く。
気付けば、話すつもりのなかった『本音』を、チドリは語っていた。それは、自身にも止められない、決壊したダムの様に溢れ出す。
「……見られたくないじゃないですか、戦っている魔術師の姿なんて」
カナタの知っている癸チドリというのは、あくまで同級生の少女としてだ。魔術の知識を教えた事はあるが、魔術師である姿は見せた事がない。見せたくはない。見せられない。
(う〜ん……何つぅか、乙女ねぇ)
穏やかに微笑みながら、シズカは眼鏡を外し、チドリを見据える。その様相は精密な彫刻の様に芸術的で、同性である筈のチドリは顔を紅潮させる。
シズカは不敵に笑いながら告げる。
「それじゃ、さっさと追跡不可を捕まえましょうか。その為に、日本支部からあたし、本部からルネィスが来たんだから」
シズカは黒いリュックのサイドポケットから別の眼鏡を取り出し、ルネィスはうんうんと頷きながらコートの内側から手帳を取り出した。
何だかんだと騒ぎはあったものの、この二人も立派な魔術師だ。チドリは微笑みながら、首に下げていた方位磁針の様なペンダントを取り出した。