ORDER_X[エピローグ]
[Fab-12.Sun/12:00]
ガスタービンエンジンの喧しい音が響く中、四人は空港近くの公園に佇んでいた。
「本当に、ここまでで良かったのか、見送り?」
「にゃはっ。そんな子供じゃないんだから、いちいち空港まで入ってこなくたっていいわよ。ってか、もうチェックインは済んでるし」
「この資料をどうぞ。本部への『間違った』報告書に、話を合わせておいて下さいね。もしバレれば、私も減給どころでは済みませんので気を付けて。……これ以上の厄介事はごめんです」
「だだ、大丈夫ですよぅ。ま、まぁ、シズカは一年は帰って来れないかも知れませんが……WIKイギリス支部で行われるさ、査問会の結果は、きき、決まり次第お教えしますので」
カナタはシズカと腰を並べてブランコに座り、チドリはルネィスに書類のコピーを渡している。飛行機の出発時刻もあるので、こうして話していられるのはあと三〇分程しかない。
「それにしても、回復魔法ってスゴいな。たった一晩経てば、もう刺された傷が治ってんだからさ」
カナタは先日、追跡剣に刺された左腕の袖を捲り、掲げてみせる。そこにはシズカは、やや表情を曇らせながらカナタを見据えた。
「にゃははぁ……ごめんね、カナタくん」
「うん?あぁ、別に気にしちゃいないよ。後遺症がある訳でもないし、傷つくのは慣れてるしな」
カナタは苦笑いを浮かべながら、腰のベルトに挟んでいた物――黒光りする、やたら大きな自動拳銃を取り出した。見慣れない、見慣れる筈もない代物を見せつけられた三人は、唖然と口を開いたままだ。
「……本物?」
「まぁな。弾倉の中身はゴムスタン弾だが、当たれば骨ぐらいは折れる。下手すりゃ死ぬ事だってある」
セーフティ・レバーを下げ、デコッキング・レバーを上げ、銃身をスライドして薬室に弾薬を装填し、それでも尚も銃身をスライドさせる。排莢口から黒いゴムスタン弾がいくつも飛び出し、地面にボトボトと転がっていく。一二個のゴムスタン弾が地面に落ちたところでスライドがオープンしたまま固定され、弾倉に弾がない事を知らせている。カナタが親指でスライドストップ・レバーを下げると勢いよくスライドが戻り、《ガチン》と硬質的な音を奏でて閉じた。
「お前達に比べりゃまだまだかも知れないけど、これでも僕も修羅場は幾度となくくぐってるからな。気に病む事はないさ」
「……それ、昨日、も、」
「持ってたよ。ただ、あんまし人に向ける様な物でもないからな。使ってりゃ楽にお前を止めれただろうけど、怪我とかしちゃ危ないじゃん?」
胸に当たったらアバラの一本や二本簡単に折れるし、と何気なくカナタが付け加え、シズカは青ざめた顔をひきつらせたまま冷や汗を垂らした。いくら中身が非致死性のゴムスタン弾とは言え、先日、カナタが使っていたら……と思うとゾッとする。
同時に、何となく。三人は時津カナタという少年の本質を知れた様な気がした。
例え自らが傷ついたとしても、誰かを思って行動する少年。その誰かという対象は決して一人の人間ではなく、敵も味方も含めた全員であろう事。きっと彼が救いたいのは、目に映る者全員なのだろう。チドリ、シズカ、ルネィスのみならず、恐らく、追跡不可でさえも。
とても真っ直ぐな生き方。そんな不器用な生き方なんてとうの昔に忘れて仕舞った三人にとって羨ましいと思う反面、時津カナタという人間は眩しすぎた。
「……ところで、気になってる事があるんだが、いいか?」
「へっ!?え、えぇ、……どうぞ……」
急に声をかけられ、我に返ったチドリは素っ頓狂な裏返った声を出して仕舞い、頬を朱に染めて俯きながら促した。甲高い叫び声をまともに喰らったカナタは、キンキン鳴る耳を押さえて顔をしかめながら、訊ねる。
「結局さ。追跡不可とか、雷撃殲手とかはどうなったんだ?」
何気なく、カナタは今回のネックを聞いた。ただそれだけの筈だったのに、ピギバギ、とチドリのこめかみに青い血管が浮かび上がった。カナタはギョッと身を竦め、シズカとルネィスは苦笑しながら明後日の方向に顔を逸らす。
「……私の助っ人が、追跡不可を拿捕しました。全治三ヶ月の重傷を負いましたが後遺症等の心配はありませんのでご安心を。とりあえず話せるくらいまで回復してから、取り調べる方針です。
……雷撃殲手については、追跡不可拿捕の際にッ、つい勢い余ってッ、修復不可能な程に破損して仕舞ったらしいですがねッッッ!」
「そ、そうですか!ハイ分かりましたもう聞きませんすんませんでしたっ!」
何か知らんが怖ァァァああア!と心中で叫びながら、カナタは背筋を伸ばして答える。何と言うか、ブルブルと震える拳は血が通わずに白くなっていて、怒りを抑えている様に見える。訂正する。『様に見える』ではなく、怒りを抑えている様だ。
「にゃ、にゃはは……どうどう、チドリちゃん。と、とりあえずそのヒロイン候補から降格されそうな怒りの表情をほぐしてほぐして。何か今にも胃潰瘍で血反吐ブチ撒けそうで怖いからさ!」
シズカはやたら慌てふためきながら、チドリの背中を軽くトントンと叩く。ヒロイン候補って何の話だ、とカナタが異次元的な会話にツッコむかスルーするか考えていると、ルネィスが一歩前に出てチドリの般若の如き表情を身体で隠しながら、説明を始めた。
「ま、まぁ……今回、ここ、壊れた雷撃殲手を解析したけ結果、ふ、偽物……霊装としては、ななな、何の価値もないた、ただの金属の篭手と言う事がわわ分かったんですよ。どどうやら先方は、ぁあ、予め、こういうじじ事態に対処していた様でして、た、大したお咎めもなななかったのですけど。どど、どうも先方は、わ我々WIKをだ出し抜いてメンツをつつつ、潰したかったみたいです。……あの、私の日本語、合ってます?」
「……え?て事は、何か?シズカはずっと持ち歩いときながら、偽物だって気付かなかったって事?」
「にゃ!?い、痛いとこ突くわねカナタくんも……。わ、私だって盗みは初めてだったし、本物かどうか確認してる暇もなかったのよ。雷撃殲手の隠蔽にWIK日本支部の情報改竄に右往左往してて、ホント、あの三日間は忙しかったわ……」
「威張る事か」
「にゃはっ、ごめんなさい……」
《キィィィィィィィ》と、再びタービンエンジンの重低音により空気が震える。それを機にシズカは左手につけたロンジンの腕時計に視線を落とし、そろそろか、と呟く。
「にゃはは……残念だけど、もう時間みたい。う〜んいざとなったら名残惜しいわねぇ」
「……別に今生の別れって訳でもないんだし、そこまで深刻になる事か?」
カナタとシズカはブランコから立ち上がり、同時にズボンに付いた埃を払う。ルネィスは俯いたまま、受け取った書類をポシェットに仕舞った。
「空港の中までお付き合いしますよ?」
「いやいや、流石にそこまでしてもらわなくていいってば。むしろここまで来てくれて感謝してるんだから。いくら都内だからって、遠かったでしょ」
シズカはカラカラと笑いながら、手をパタパタと上下させる。努めて明るくしようとしているのか、それとも本当に嬉しくて明るいのかは二人には判別がつかず、感嘆の吐息を漏らしただけだ。
「にゃはは〜ん。それじゃ行こっか、ルネィス。……ルネィス?」
まるで釘で打たれたかの様にピクリとも動かない金髪少女に、怪訝な視線が集まった瞬間、
「か……カナタぁ……」
飛びつく様に、ルネィスは泣きながらカナタの服にしがみついた。
「……まま、また、会えますよね?」
「……あ〜、」
グシグシと、ルネィスはカナタの服で涙を拭いている。何か出会い頭にも似た様な事があったよな〜、とカナタは現実逃避しながら、ルネィスの頭を撫でる。
「泣くな泣くな。遠いっつっても同じ地球上の北半球なんだし、会おうと思えばいつでも会えるだろ。さっきも言ったけど別に今生の別れって訳でもないんだから泣くなそして僕の服で鼻水を拭くんじゃねぇって何ベン言や分かるんだお前はァァァああア!」
ギチギチギリギチと引き剥がそうとするカナタの手と押し付けようとするルネィスの頭が絶妙な均衡状態を生み出し、互いの身体がブルブルと震えだした。最後の最後まで、カナタとルネィスは変わらない様だ、とチドリとシズカは苦笑いを浮かべて二人を見守りながら、綺麗に纏めた。
「にゃはは〜。っと、そうだ。忘れるとこだったわカナタくん」
「あん!?っつかテメェは生温かく見守ってねぇでコイツどうにかしろ!」
シズカは笑いながらルネィスの襟首を掴み、ヒョイと軽くカナタから離す。涙と鼻水と涎でベタベタになった服を見下ろし、全身全霊の力を込めてハンカチで拭き取ろうとしているカナタに、シズカは歩み寄る。
「そう言えばさ、カナタくんってチドリちゃんのケータイ番号、知ってる?」
「……あん?」
「メアドくらいは知ってるでしょ?」
「………………………………………………………………………、えっと?」
ピタリと動きを止めたカナタは、コートのポケットからケータイを取り出してアドレス帳を開く。そして呟く。
「……教えてなかったっけ?」
「……はい」
何故か申し訳なさそうに答えるチドリ。ちなみにどうでもいい話だが、会話を聞いていたルネィスは、自分がケータイを持っていない事に愕然としている(本人談:通信魔術があるから必要ない、との事)。というかまた泣きそうだ。
「ちゃんと登録してあげなさいよ、友達甲斐のない男だねぇ」
「……僕に全責任があるのは甘んじて受け入れるが、何故にお前からそこまで言われなくちゃならないのかがワカラナイ」
癸とは割と仲が良くなっていた為にすっかりメアド等を交換した気になっていただけだ、とは言わない。カナタはケータイをコートに仕舞いながら、側頭部を掻く。
その様子を見ていたシズカはにんまりと微笑み、ポンとカナタの両肩に手を置く。身長差はあまりないので、シズカの端麗な顔との距離は僅か三〇センチ程度となり、カナタはドキッと胸を高鳴らせた。
「まぁ、あたしが言えた義理じゃないのは分かってんだけど、それも踏まえて言わせてもらうわね。
チドリちゃんはWIKの仲間。泣かせたりしたら、私の追跡剣が君の心臓を貫くって事を覚えといてね」
「……はぁ、よく分からんが、了解」
「いい子ね」
シズカはどこか含んだ様な満面の笑みを浮かべ、右手でカナタの頭を撫で、
左手を後頭部に滑らせた。
「――は、」
「君はもっといい男になる。期待してるわよ」
不意に、カナタの口角のすぐ隣の頬に、湿った柔らかい感触。視界の端ではチドリとルネィスが顔を真っ赤にして驚愕に目を剥いているが、カナタにはそれに反応している余裕はない。
接近し過ぎたシズカの顔がゆっくりと離れていき、手を離してさらに遠のく。何が起きたのかまるで理解していないフリーズ状態のカナタ。ほんの僅かに頬を染めたシズカは、黒いリュックを背負って、いつもの様に『にゃはは』と笑った。
「次に会った時、もっといい男になってたら口にしてあげるわよ!」
そのまま愕然とするカナタを捨て置き、目を点にして唖然とするチドリを過ぎ行き、口を半開きにして呆然とするルネィスを引き擦り、背筋を伸ばして凛然としたシズカは何事もなかった様に小さな児童公園を出ようとした。
「「シ、シズカァァァああア!」」
チドリとルネィスの叫びは珍しく一致したが、シズカは気にも留めず、いつもと変わらぬおかしな笑い声を挙げて去って行った。その場には、シャーと猫ッポイ威嚇をするチドリと、未だに事態が把握出来ずに我を忘れたカナタだけが残された訳だが、カナタはふと我に返る。
(……あ、あれ?あれぇ!?な、何なんですか今の急展開!?っていうかあまりの衝撃に感触が分からな……だ、駄目だ思い出せない!ちっともさっぱりこれっぽっちも思い出せない!く、クソッ、何だってこんなに……あぁもうウガァァァァァアアアアアアアアアアアアア!な、何たる不幸……!!)
何だかんだ言って、結局カナタは『不幸』が板に付いていた。
[Fab-12.Sun/13:00]
「あ〜、ビックリした……」
カナタとチドリは、肩を並べて電車に乗っている。見送りの帰りである。何分、空港が遠い為に何度も乗り継がなくてはならない程、長い道のりなのだ。
「……ビックリしたのは私も同じですよ」
「ん?あぁ、そりゃいきなりあんな光景見せられちゃな。まぁギリギリ口唇には触れてなかったのが救いだけど」
「(……ホント、不幸中の幸いですよ)」
チドリが何かを囁いたが、口の中でモゴモゴと呟いた為によく聞こえなかった。まぁいいやとカナタは走る電車の窓から外を眺めた。
そこに見えたのは、過ぎ行く景色と、豆粒の様に小さく映る旅客機――。
[Fab-12.Sun/13:00]
「うぅ……り、離陸の瞬間は、ぃい、いつまで経ってもな慣れませんン……」
「にゃはは……ホントにアンタは飛行機に弱いわねぇ。もっと三半規管を鍛えなさいよ」
うぷ、と今にも嘔吐しそうな程に顔を青ざめさせたルネィスは、シズカから受け取った酔い止めの薬を飲みながら、窓の外を見る。目の焦点を遠くに合わせる事で精神集中を謀ろうとしたのだが、窓の外には雲が広がっている為に焦点を遠くに合わせられない。諦めて天井を仰ぎ、目を瞑る。
「大丈夫?背中、さすろうか?」
「……ぉ、お気遣いなく。すすすぐに慣れます……の、ので」
声を出していた方が精神も安定すると思ったのか、ルネィスはげっそりとした表情のまま、シズカを見る。可愛い女の子が大好きなシズカにとってその顔は禁忌と感じたのか、ズバァともの凄い勢いで顔を逸らした。
「……しし、シズカ。……どうして、ぁあ、あんな事をし、したのですか?」
「あんな事?」
シズカはルネィスと目を合わさない様に逆方向を向いたまま、問い返した。
「かかか、カナタとの……キス、でです……」
「あぁ、あれか。ってか、欧州じゃスキンシップ代わりみたいなもんじゃない。アンタ本当に英国人?何もそんなに照れる事もないでしょ」
「……それ、は。……そ、そうですけど」
論点がズレている、否、ズラされている事はルネィスにも分かる。だからこそ、ルネィスはそれ以上の追及はしなかった。
「……ま、また、あ会えると、いいですね」
ただ一言、そう呟いた。そうね、とシズカは端的に答えつつ、しかし振り向く事はない。
今、シズカがどういう表情をしているのか。それはルネィスの知るところではない――。