ORDER_10.[永劫回帰(トゥルーザループ)]
[Fab-11.Sat/15:50]
シズカの周囲を取り巻く様に、宙に浮いたアーミーナイフがカナタを狙い定めている。その数、三振り。
「……は?」
「一般人相手に魔術は使いたくなかったんだけど、仕方ないわよね、この際」
先の戦いで地面に転がっていたりしたナイフが急に震え、ギュンと弾丸の様に宙を飛ぶという光景を目の当たりにしたカナタは、唖然としていた。そういった不思議世界を垣間見た事のあるカナタだが、今更とは思うものの、どうしても慣れない。というか出来れば慣れたくない。
「王様殺し(ヘジンスレイヤー)と名高い、百発百中の剣であると同時に、神々黄昏の骸骨兵が使っていた剣……追跡剣。もう、貴方に逃げ場はないわよ?」
ダーインスレイヴ。
娘を拐かされた王様ヘジンが、その復讐の為にノルウェーに侵略した際、拐かした王様ヘグニの使った魔剣である。小人の生み出した『生き血を啜る魔剣』は、一振りすれば必ず斬り裂き、確実に敵を仕留めたと言われている、殺人剣である。後の神々黄昏では、量産されたダーインスレイヴは、骸骨兵が使っていたと言う伝承も存在している。
「認めるわ。アンタはあたしの敵よ。いい、聞きなさい?魔術師が敵と認めたのよ?敵と認めたからには、対等な存在と認識して、確実に殺す」
「……」
「最後に命乞いをする権利を与える。ひざまずき、赦しを乞いなさい。そうすれば、助けてあげる」
ギラリと輝く、三振りのアーミーナイフ。否、追跡剣。
シズカは殴られた衝撃で、レンズにヒビが入ったメガネのブリッジを、しなやかな左手の薬指で押し上げながら、囁く。
「気に入らないなら、止めてみせなさい。諦めるなら、そこを退きなさい。アンタのくっだらないプライドで、中途半端な思いで立ち塞がるな!」
レンズ越しの双眸が、妖しく輝く。まるで、全てを見通し全てを見透かす千里眼の様に、爛々と焼け爛れている。
「……上っ、等!」
カナタは拳を握り締め、歯を食いしばる。それはつまり、抗うという姿勢を表していた。
「さっきも言っただろ。テメェが何を考えてんのか僕には知った事じゃねぇけど、誰かを殺さなくちゃ話が進まない様な、クソッタレな神様のシナリオがあるんなら、そいつをブッ殺してやるってな!」
斯くして、二人の戦いは本当の意味で始まった。
王様殺し(ヘジンスレイヤー)とまで呼ばれる魔剣を行使する魔術師と、神様殺し(ロンギヌス)と呼ばれる少年の戦い。
一拍。柔らかな風が二人の頬を撫で、微かに擦過音を奏でる。まるで、その風音が決戦開始の法螺笛かの如く、カナタは一歩を踏み出し、シズカは右手をカナタに翳した。
「色彩は緑、術式は『A∴O∴(アルファ・オメガ)』改良型ロシア十字教式術式。用途は『対象者の壊滅』。等価、〇・一・〇・〇、合わせて一振りの御剣よ、殲滅しろ」
ドン、と凄まじい加速を以て、シズカを取り巻く一振りのナイフがカナタの眉間めがけて飛来する。
「うぉ!?」
身体を捻り倒す事で間一髪、追跡剣をかわしたカナタだが、体勢を崩してその場に尻餅をついて仕舞った。ギュウン、と風を引き裂いて通り過ぎたナイフは、
途中で角度を変え、Uターンする様に再びカナタに向かって飛来してきた。
(何となく分かっちゃいたが……やっぱり誘導追跡すんのかよッ!)
真剣白刃取りという言葉がカナタの頭に浮かぶが、そんな愚かしい事は流石に出来ない。そもそもそんな事をしても、手の肉をザクリと裂いて仕舞うだけだ。
(どう、す――?)
考える暇もなく、ナイフは既に眼前に迫っていた。
地面に座り込んでいるカナタに、避けるという選択肢はなかった。
[Fab-11.Sat/16:00]
それは、まさに奇跡と称するにふさわしい芸当だった。
「……ウソ」
その光景を見ていたシズカは、敵でありながらも呆然と口を開いていた。
「し……死ぬかと、思った……」
呟くカナタ。その右手には、追跡剣の柄が逆手で握られていた。
刃が駄目なら柄、と追跡剣を掴んで止めた訳ではない。それはただ単に、もうヤバいと思って無我夢中に手を出したら、偶然掴み取っていただけだ。
偶然……ではあるのだが、それが出来たのは追跡剣の特性上にもあった。ゼロからマックスに移行する際の瞬間加速は凄まじいものだったが、最大速度は大した事はなかった、というだけの話だ。
「ぐ、この!」
ガチガチとカナタの手が震える。前に進もうとする追跡剣と、押し返そうとするカナタの手が、微妙な均衡状態を作り上げている様だ。
「調、子に、乗ってねぇ、で、大っ人しくしとけボケ!」
急に、引き倒す様に身体を傾け、追跡剣を地面に突き刺した。根本まで刺さったまま、動こうにも動けない追跡剣を見下ろしながら、カナタは立ち上がる。その際に地面から生えた様な柄を蹴り飛ばし、刃を折った。それは即ち追跡剣の破壊……魔術の停止を意味する。
「ハァ、ハァ……ひ、冷や汗が止まんねぇ……」
「ふぅん。そう。だったら、これを見たらもっと冷や汗をかくのかしら?」
シズカは淡々と謳う様に呟きながら、ジャケットに隠したアーミーナイフを、新たに二振り取り出す。それはシズカの手から離れると同時に、残る二振りと同様に宙に浮かぶ。
その数、四振り。たかだか一振りの追跡剣で苦戦すると言うのに、果たして四振り同時に迫るとなれば、カナタに捌ききれる事なのか。
「もう赦しを乞わせる気はないわ。死にな」
ドドン、と二振りが飛来する。やはり速度自体は大した事ないが、何せ二振りだ。先程の二倍だ。
「づぉ!?」
初撃を先程同様にかわし、続く次撃を裏拳で弾く。刃の腹を殴り飛ばせたのは、やはりこれまた偶然だ。
「第二陣」
ドドン、と。再び、激しい音。体勢も整わない内に迫る追跡剣を、カナタは後ろに倒れる様にかわすが、その内の一振りがカナタの左肩を掠めた。
まるで水漏れしたホースの様に血が飛び散る。それはごく少量だったが、それでも血というものは人に恐怖心を植え付けるものだ。
「や、ばい――ッ!?」
先に避けた二振りの追跡剣が、Uターンして真上からカナタに襲いかかる。
「う、ァァァあッああアア!?」
地面を転げ回り、ギリギリと所で回避する。浅く突き立った追跡剣は、弾かれる様に跳ね上がり、再びシズカの周りを浮遊する。
安堵のため息を吐く……暇もなく、今度は地面スレスレの場所を低空飛行してきた。先程の様に転がる事で回避出来ない様に。
「……ちょ、タンッ、マ……!」
もっと身軽な動きをする事が出来れば、まだ避けるすべはあるだろう。だが、カナタにはそんな特殊な技術はない。
刺さる、と目を瞑りながら、せめてダメージを軽減させようと追跡剣に向かって手を翳し、
ゾブリと、一振りの刃が、左手を貫通した。もう一振りは一直線に腹部を狙っていたが、急に旋回して左腕に突き刺さり、これもやはり貫通する。
「く、ぇ、あ、ギグッ……!」
痛みはない。むしろ、熱い。痛覚が情報を正常に通達出来ない程にオーバーフロウを起こし、限界値を越えた痛覚は熱源を関知する触覚として疑似的な電気信号を脳に送る。
誤認した認識情報は矛盾として、結果的に脳に激しい痛みを与える。
麻酔なしで頭蓋骨にゴリゴリと穴を開けられる様な激しい頭痛に耐えながら、出来る限りカナタは冷静に、左腕や手のひらを貫通したナイフを震える右手で抜き取りながら、地面に突き刺していく。先程と同じく、立ち上がり様に蹴ってへし折るが、もはや頭には外部情報が殆ど流れない。視界はおぼつかず、ガチガチと震える上顎と下顎が高速で接して音を鳴らす。
(耐え、ろッ!訓練を、思い、出せ!痛みは耐えず、殺す……感覚を麻痺、切断、封鎖、凍結。……よし、痛みが引いてきた)
ハンカチを取り出し、止血点を力の限り縛り付ける。少なくとも、これで感覚を麻痺させる事は出来た。
強い。そして近付けない。それどころか、追跡剣を捌き切る事すら出来ない。
(打つ手は……ない、のか?)
カナタは荒い息を吐きながら、左腕を支える。暫くはまともに動かす事すらままならないだろう。
シズカの戦術は、派手な攻撃力を持っている訳ではない。だが、とにかく手数が多い。多すぎる。それはまるで、四本の腕を持つ相手とボクシングをする様なものだ。全体を見極めて戦わなくてはまともな勝負にならず、勿論、カナタにはそんな力はない。
詰まる話、打つ手がない。近付く事も出来なければ、避ける事も捌く事も出来ない。
(どうする……どうする!?次の手はどう打てば、僕の攻撃が届く!?)
離れていれば、追跡剣により串刺し。近付いたところで、攻撃を流す技術の高いシズカ相手には、単発攻撃は届かないだろう。左腕が動けばまだ何とかなるかも知れないが、指先を動かすだけで得も言えぬ激痛が走る。
ギシリと奥歯が砕けんばかりに噛み締め、何か手はないかとカナタは周囲を見渡し、
ぁ、と。何かに気が付いた様に、間の抜けた声を漏らした。
「どうしたの?死ぬ?このまま何もせず、串刺しにされるのを待っているの?」
「……ハッ!」
カナタは、嗤う。
犬歯を剥き出しに、映画の悪役を連想させる程に凶悪な笑みを浮かべる。血の滴る左腕をダラリと垂らし、右の拳を握り締め、カナタは眉間に皺を寄らせ鋭く細めた双眸をシズカに向け、呟く。
「まだ、気付いてねぇのかよ、水鳥シズカ。テメェの作り上げた神様のシナリオは、とっくの昔に殺されてるって事によ」
なっ、と喉を詰まらせた様な、掠れた音が、シズカの口から漏れる。
シズカの剣は、二振り。対するカナタの拳は、たった一つ。
二人の距離は優に一五メートル。短距離走の様に、周囲を気にせず全力で走ったところで、一秒強はかかる距離。
それはカナタにも理解出来ている。出来ているからこそ、カナタは嗤う。
この、下らない神様のシナリオは、既に死んでいるのだから。
「……さて。潰すぜ、宿敵」
呟くと同時に、カナタは力強く一歩を踏み出した。
[Fab-11.Sat/16:10]
「オ、ォォ、ぉオオおああああアアアアア!」
激しい慟哭は、地獄の底から聞こえてくる死者達の呻きの様に。カナタは姿勢を低く駆けだし、一気に瞬間加速を捻り出す。その双眸はシズカを捉えていて、周囲は全く映していない。
追跡剣すらも、見えていないかの様に。
(何?あれだけ大見栄きっておきながら、ただの突進?クハッ、見栄張んのも程があるってのッ!)
シズカは少しでも距離を開く為にバックステップを踏みながら、二振りの追跡剣を時間差を開けて射出する。リズムを変える様に、直線的ではなく曲線的な動きで、左右からカナタに向かう追跡剣。
右舷からの一閃。カナタは身体を起こし、仰け反る様に重心を後ろに傾ける事で急ブレーキをかける。先読みする様にカナタの進行方向を狙いすましていた追跡剣は、カナタの減速に反応する事も出来ずに目の前を通り過ぎる。
立ち止まったカナタに、今度は左舷からの一閃。が、これは再び前傾姿勢で走り出したカナタに難なくかわされた。
(チ、クショ……!リズムを変えたのが裏目に出たかッ!)
舌打ちしながら、シズカは尚もバックステップを踏んで距離を開く。だが、人間の身体の構造上、後ろに下がる者は前に進む者よりも速度が出ない。二人の距離は、たった半秒で一〇メートルまで迫っていた。
掠める事なく通り過ぎた追跡剣は、ギュンと中空でUターンし、無防備なカナタの背中を捉える。いくら最大速度が乗らない追跡剣とは言え、人が走るよりは早い。
時間差のある二振りの追跡剣。シズカとカナタの距離は八メートル、それを詰められるよりも早く、カナタを貫くだろう刃を見て、シズカはニヤリと嗤う。
(ただの一般人にしては、なかなか楽しめたわよカナタくん!?でも、それでも魔術師には勝てないものなのよ!)
カナタに向かって、カナタが走るよりも数倍速く飛来する追跡剣。
しかし――、
「噛み砕け、白虎」
横合いから高速で飛び出してきた、三対六枚の翼が生えた、生物学的に考えてバランスの悪い融合獣が、先行していた追跡剣を噛み砕いた。
「――は?」
カナタの背後の、翼の生えた白い虎。更にその向こうには、ボロボロのコートを着た、眼帯を付けた小柄な少女がふらつきながら立っていた。
「チドリ、ちゃ――」
呟くよりも早く、いや速く、白虎は後続の追跡剣に向かって飛びかかり、ガギン、と鈍い金属音を掻き鳴らして噛み砕く。
(あ、あたしの追跡剣が……!は、早く、つ、次の準備を……!)
シズカは、四メートル先に迫ったカナタを見据え、狼狽しながらもジャケットの内側から新たに追跡剣を取り出そうとして、不意に気付く。
(うご……かな、っい?)
ビギリビギバギ、と。まるで『金縛りに遭ったかの如く』、指一本動かす事が出来ない。
思い出すのは、この場にいる魔術師。自分、チドリ、そしてルネィス。
「色彩は黒、用途は『死霊の簡易召喚』。下賤なる死霊よ、罪人の拘束を命じます」
刺された腹部を小さな手で押さえながら血で黒い紙に魔方陣を描いたルネィスは、いつもとは違う『魔術師』の顔をしながら、フラつきながらも立ち上がってシズカを見据えていた。
シズカは、首だけを動かして背後に視線を向ける。そこには、ブチャリと水によりこそげ落ちた皮膚に、血管の浮いた眼球をギョロリとシズカに向けた死霊が三体、グチャグチャに膨れ上がり肌を斑に茶や紫に染めたグロテスクな腕を回して動きを封じていた。吐き気を催す程に気色の悪い腐乱死体を目の当たりにしたシズカは、ぃヒ、と悲鳴ならぬ悲鳴を漏らす。
「だから言っただろ。癸やルネィスを殺すっつぅ、くっだらねぇ神様のシナリオは、とっくに殺されてるんだって」
――前から、声に、シズカは振り返る。零距離まで詰めたカナタは、右の拳を固めたまま、呟く。
「負けたんだよ、お前は。僕達三人にな」
たった一つだけの、何の力もない右手。魔術師の様に何でも出来る訳ではなく、たかが不良の少数グループにしか使えない様な、どこにでもある平凡な右手に過ぎない。
だけど、この右手は便利だ。目の前の宿敵をブン殴る事が出来るのだから。
カナタは、シズカの胸元に額がくっつきそうな程に身体を深く沈め、つまらない平凡な右の拳を鋼鉄の様に固めて腰に溜め、
「待っ て 、 あた し は 、暁 の 星の、為に――ッ!!」
シズカが言い終わるよりも早く、カナタの右拳が、シズカの顎を砕かんばかりに打ち上げた。