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ORDER_9.[和風細雨(シグナルアンブレラ)]

[Fab-11.Sat/15:10]


「……ぁ、    」

乾いた嗚咽は途切れ、ルネィスの小さな身体が仰向けに崩れ落ちる。シズカは掴まれていた手を鬱陶しそうに振り解きながら、血の付いたアーミーナイフを引き抜いた。トプリと、ルネィスの腹に溜まっていた血が、湧き水の様に噴き出す。

「本当なら、予めバッグを隠して、追跡不可(トレースオフ)と戦うチドリちゃんを援護して自然に撤退させて、その際にさり気なくバッグの場所を教えて、怪しまれない様に同じバッグを交換して取引完了としたかったんだけど……チドリちゃんと別れた後にバッグを隠す時間も開けてたら怪しまれるし、何よりこっちの動きはルネィスに筒抜けだからね。誰も死なない穏便な手を考えたのに……やっぱりスケジュールを詰め込み過ぎたのが敗因みたいね」

シズカはブツブツと愚痴なのか呪詛なのかどちらとも取れない言葉を呟きながら、黒いリュックを担ぎ直し、倒れ伏せるチドリと立ち尽くすカナタの間を通り抜け、吹き飛ばされて倒れたまま動かない追跡不可(トレースオフ)に近付く。

「ハイ、これ。取引のブツ……雷撃殲手(マルドゥークガントレット)よ。ちゃんと届けなさいよね」

「フ、ふふフ。ここまでこき使っといテ、少しは労ったらどうなのかしらネ?」

カナタに思い切り殴られた筈なのに、何事もなかったかの様に立ち上がった追跡不可(トレースオフ)は、ぶっきらぼうにリュックを受け取った。

「……どういう、事だ?」

事態が混線してきた事で、頭が混乱してきたカナタがポツリと呟く。

「にゃはは。頭が悪いわねぇ、カナタくん。ようするに、真の悪役はあたしでしたーって話よん♪」

アーミーナイフを手のひらで弄びながら、シズカは笑顔で答えた。胸くそ悪イ、と追跡不可(トレースオフ)は呟いた。

「……道理で、受け取り先の組織が分からない筈ですよね。元から受け取り先がいないのですから」

「まぁ、その情報を操作すんのが一苦労だったんだけどね。ったく、折角綿密な取引計画を決行しようとしたトコで、WIKにバレちゃったのが痛かったわ。あたしの事を気付かれなかっただけでも怪我の功名って感じだったけど。ん?不幸中の幸いだっけ?」

まるでテストの答え合わせをする様に、チドリとシズカは淡々と会話を交わしていく。追跡不可(トレースオフ)はつまらなそうに短い前髪を弄くりながら、吐き捨てる。

「……ぁ〜ア、興醒メ。私は先にこの街を出るわヨ。アンタもどうにかして無事に組織に帰りなさいヨ。……潰れた組織を立て直す為だけに健気に頑張るなんテ、私には真似出来ないわネ」

追跡不可(トレースオフ)。余計な事言ってると、殺すよ?」

ギラリと、血が陽の光に反射して黒光りするアーミーナイフを追跡不可(トレースオフ)の首に当てがう。追跡不可(トレースオフ)は肩を竦め、毛皮のコートを翻した。

「待ち、なさいッ、追跡不可(トレースオフ)!」

「やめときなさイ、魔術師さン。そんな身体で勝てる程、私は甘くはないわヨ?」

「クッ、このまま、逃がす、訳、ないでしょうがッ!」

チドリがコートの内ポケットから新たな呪符を取り出した瞬間、横合いから飛来したアーミーナイフが、呪符を貫いて地面に突き立った。

「残念だけどね。アンタら二人は、この場であたしに殺されなくちゃいけないのよ」

「……シズカ。正気か、テメェ」

「うん?狂気じゃなきゃこんな馬鹿みたいな事出来る訳ないじゃない」

「……シズカァァア!」

血が止まりそうな程に拳を握り締めたカナタは、シズカを睨み付けた。既にその場に追跡不可(トレースオフ)の姿はない。

「アンタみたいな一般人、出来れば傷つけたくはないのよ。あたしがアンタを巻き込もうとしたのは、戦闘要員であるチドリちゃんとルネィスに対する保険、ただの人質なの。こうなって仕舞ったからにはただの用済み。

ムカつくんなら、止めなさい。諦めるんなら、退きなさい!あたしはあたしの信念の為なら犠牲は問わない、刃向かうんなら全力でブチ殺してやるわよ!」

「……そうかよ」

カナタは握り締めた拳を解き、指の関節を鳴らす。

「どんな理由でテメェがンな事しようとしてんのか知らねェけど、癸やルネィスを殺さなくちゃならねぇってんなら、その残酷な神様のシナリオをこの僕がブッ殺してやる!」

神をも殺す槍。その二つ名を拳で固く握ったカナタは、目の前の敵を親の仇の様に鋭く睨み付けた。









[Fab-11.Sat/15:25]


二人の距離は大凡五メートル。最低でも三回は踏み込まなくてはならない距離だ。

相手は魔術師。どんな手を隠しているかは分からない……が、怯むつもりは初めからないカナタは、強く拳を固めて駆けだした。

「うおおォォォおおオ!」

普段は気弱なカナタから発せられたとは思えない程の怒号を浴びたシズカは、その気迫にビクリと肩を震わせながらも、ややぎこちなく横に跳びながら、新たに取り出したアーミーナイフを一閃。

「チィッ!」

カナタは身体を屈めてナイフの一撃をかわし、更に大きく踏み込んでシズカの懐に潜り込む。ひきつるシズカの顔面めがけて、左の拳を捻りながら突き上げる。

だが、拳を紙一重で拳をかわしたシズカは、がむしゃらにナイフを繰り出して牽制する。カナタはバックステップで距離を取ると同時に、再び勢いよく地面を蹴って距離を詰める。

「甘い!」

シズカはナイフを左手に持ち替えながら、カナタの身体めがけて突く。左に跳んでかわしたのだが、シズカは身体を開く様に体勢を右に傾けながらナイフを振るう。

カナタは身体を沈める動きの勢いを殺す事なく、シズカの手の下を蹴り上げる。かなり偶然の様に繰り出された蹴りは、奇跡的にナイフの柄を蹴る事に成功、シズカの手からナイフが飛び抜ける。

「ッ!」

「そこ!」

蹴り上げた足をシズカの足場近くに踏み締め、カナタは身体を起こす勢いを殺す事なく左の拳を大きく振るう。かなり大雑把な一撃だが、そこらの不良程度ならばこれだけで沈める事が出来る破壊力だ。

だが、

「ナメんな、よ、アンタぁ!」

シズカは蹴りで弾かれた左手の勢いを後ろに流して殺しつつ、右手を突きだしてカナタの拳を包み、

腰を反時計回転させる様に、攻撃をいなした。

「……な?」

「離れなさい!」

問答無用なシズカの蹴りが、カナタの脇腹を蹴り付けた。タイミングを逸らす為にカナタは方向に逆らわずに跳び退き、再びファイティングポーズを構える。

(……ちょっと待て。マジか?何だ、コレ?)

カナタは、蹴られた脇腹をさする。確かにカウンターでクリーンヒットした筈なのに、痛みはあまりない。人並みより鍛えられた筋肉がある程度の衝撃を殺しきれている程に、攻撃は弱々しいものだった。

普段は周囲の人間が、人間という規格を遙かに超越した戦闘能力の持ち主ばかりで案外忘れがちだが、カナタは一般レベルで考えれば、強い。飽くまで一般レベル、路上の喧嘩程度の話だが、カナタは最強と言っても過言ではないレベルの実力者だ。少なくとも、五対一ぐらいの不利な人数差でも勝ち星を取ったりは出来る。

だが、裏の世界――魔術世界の魔術師というのは、どうにも『絶対に勝てない無敵超人』という印象だったのだが、だとすれば、シズカのこの戦闘能力は如何なものか。

(踏み込みはデタラメ、ナイフ使いはがむしゃら、体重移動は大雑把、総じて言えばド素人)

そう。シズカの動きはまさに、ド素人そのものだ。格闘技の『か』の字も知らない様な、カナタが押していられるくらいに動きが堅い、ド素人。

(でも、さっき、僕の攻撃を体重が乗る前にいなしたり。どういう事だ?)

天武の才という奴か、と考えて首を横に振った。

カナタのクラスメイトに、真北(まきた) 昂太(コータ)という親友がいる。彼は何らかの格闘技を習った訳ではなく、ただ喧嘩慣れしているというだけで、とにかく強い。カナタと同じくらいか、もしくは……と言える程に強い。まさしく天武の才という奴だ。

そういう点から考えてみれば、シズカの攻撃自体は、軽い。未熟なカナタから見ても、動きにキレが全く見られない。

(どんな魔術を使うのかは知らねぇが、これならイケる!僕の力程度でも十分に通用する!)

ニヤリと、狂気したが如く凶悪な笑顔を浮かべ、カナタは敵『水鳥静香』を睨み付け、

軸足となる右足に最大限に体重と力を掛け、爆発させる様に力強く踏み込んだ。

「うっ!?」

加速。一足でシズカの攻撃圏外ギリギリのとこまで踏み込んだカナタに怯み、新たに取り出したナイフを繰って迎撃しようとするものの、距離がある為に見切られて仕舞う。カナタは前のめりに屈み込んでかわして、右半身が前になる様に身体を半回転させて踏み込む。

真横の動きを最大限に発揮させる、フック。アジアン系の人類は身体のバネがある分、筋肉がつきにくい代わりに、蹴りやフックなどの攻撃に長けている。チドリが突き系の攻撃を殆ど取らない理由は、その理屈を知らないまでも感覚で理解しているからだろう。

無理に身体を捻ってカナタの一撃をかわしたシズカは、体勢を崩したまま、ナイフを振るう。

「今の攻撃には驚いたけど、やっぱりあたしには届かないわよ!?」

袈裟に振るう凶刃は、カナタの首筋を狙っている。刃物で切りつけるには、尤も効果的で殺人的な箇所に一直線に向かう凶刃は、

しかし、カナタは更に一歩を踏み込む事で刃を避けた。《ゴッ》という、ナイフの柄が肩に当たった衝撃音が鈍く響く。

「なっ」

「ナイフがどんな武器かぐらい、知ってんだよタコ!」

ナイフというのは、危険な武器であると同時に、明確な攻撃パターンは二つしかない。首の頸動脈を切るか、腹部を刺すかだ。もしナイフで身体を切りつけようものならば、服にひっかかったりして無防備を晒け出す羽目になる。現実は、ドラマの様に上手くはいかないものだ。

押し倒さんばかりの勢いでシズカに体当たりしたカナタは、シズカの両手を掴んで攻撃を封じる。青ざめたシズカはがむしゃらに蹴りを繰り出すが、カナタは身体を密着させる程に踏み込んでその衝撃を完全に殺す。

カナタはこれから訪れるだろう衝撃に耐えるが為に歯を食いしばり、

身体を弓なりに仰け反らせて最大限に力を蓄え、

溜めた力を一気に放出する様に、シズカの顔面めがけて頭突きを繰り出した。









[Fab-11.Sat/15:40]


「ッづ、ぅア!」

「っ痛ぁ〜!」

カナタの頭突きをまともに受けたシズカはその場に崩れ落ち、ナイフを投げ出して自らの額を押さえつけていた。カナタはカナタで、シズカ同様に涙目で悶絶していた。

シズカの顔面めがけて繰り出した頭突きは、その恐怖に肩を竦め顎を引いたシズカの額に直撃した。身体で最も硬質な箇所である額と額がぶつかったのだ、その衝撃は言わずもがなだ。

暫くは痛みに悶絶していた二人だが、先に体勢を立て直したのはカナタだった。そういう訓練を特殊部隊で受けているので、痛みに耐える事には慣れているのだ。

「ぐっ、ちょっ、待ッ――!?」

「やなこった」

膝を突くシズカは、足に力が入らずに立ち上がれない。それでもカナタはお構いなしに、すくい上げる様に渾身のアッパーを繰り出し、シズカの顎を力の限りブン殴った。

(う、ぁが。ッァァァああア!)

後ろに跳んで衝撃を殺す事も出来ないシズカは、吹き飛ばされ、受け身を取る事なく地面に叩きつけられた。

霞む目を凝らして見上げるとそこには、見下ろすカナタの姿があった。

(見下ろ、す?あ、たしは、また、見下されて……?)

不意に脳裏にフラッシュバックする光景。倒れ伏せる自分を見下す集団。飛び交う罵倒や罵声。灼けた鉄箸が、ゴリゴリ、ゴリゴリと背中を抉る様に、烙印(レッテル)を刻みつけられ、泣き叫ぼうと藻掻き苦しもうとただ死ぬ程の激痛だけが、頭蓋を砕かんばかりに迸り――、

(戻、るの?あの、場、所に?あたしを否定する、死なな、い程度に、殺し尽くす、あん、な、濁り、きって、腐りきった、あの場所、に?)

グチャリ、ビチャリと。肉が潰れる音、血が滴る音が世界を埋め尽くし覆い隠す、あの場所に?

(嫌だ、イヤだ、厭だ!戻りたくない、あんな世界に戻りたくない!イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだ!)

思い出しただけで、涙が視界を滲ませる。あの場所は、それだけ苦痛と悲痛と激痛に彩られた、ダンテの世界の様な地獄だ。

「あた、しは、戻りたくなんかないのよォォォおおオ!」

ビギ、ピギビギバギと、強ばる筋肉を引きちぎる様な勢いで立ち上がったシズカは、涙ながらにカナタを睨み付ける。

そして、シズカは全身全霊を以て、叫ぶ。

「『私の世界を守る(ダーインスレイヴ)』!!」









[Fab-11.Sat/15:40]


地面に倒れて土にまみれたチドリは、カナタとシズカの戦いを霞む視界で見つめながら、ギリッと歯を食いしばり、血が止まる程力強く拳を握る。

(結局、私は。誰かに守られないと生きられない程、弱いんですね)

絶対の力が欲しいと、望む。誰にも負けない、守られずに済む様な、そんな力が。

鬼と戦った時も、こちらの世界とは無関係の少女に、守られて。たかが切り札の一つを封じられただけで、このザマだ。

(……追跡不可(トレースオフ)雷撃殲手(マルドゥークガントレット)を持って逃亡。私もルネィスも動けない。カナタさんは……駄目だ。ここまで巻き込んでおきながら、それでもまだ無茶をしろと言えるのですか、私は?)

血を流しすぎて、殆ど動かない身体。何とか力を振り絞って回復術式を組み立てはしたものの、もはや歩く事もままならない。ましてや戦うなんて、不可能だ。

きっと、カナタは、無茶だろうが無謀だろうが、助けを求めれば、きっと動いてくれるだろう。短いながらも、その間の付き合いだけで、何となく人となりは理解した。

だからこそ、言えない。命を賭して動くだろうカナタだからこそ、言う訳にはいかない。

(……仕方、ないですね)

チドリは倒れたまま、血を吹き出したまま動かないルネィスを見つめ、ため息を一つ吐く。震える手でコートのポケットからケータイを取り出す。

(全く……あの人は、ケータイくらい持てって話ですよ)

チドリはケータイのボタンを弱々しく押しながら、短縮ダイヤルで電話をかける。

(……出て下さいよ、本当に)

コール音が長く響く。二〇コールは流れ、流石にチドリが諦めようとした時、ガチャリと無機質なノイズが聞こえた。

『お、おう?ええと、む、癸ですが?』

「……遅い!居たのでしたら、もっと早くに出なさい」

『……ァあ?その声……もしかしてテメェ、チドリか?ッたく、俺ぁこういう科学の産物っつーのは、どうも苦手なンだよ。話してぇ事があんなら式神でも飛ばして――』

「……済みません。今は、貴方の戯れ言を聞いている暇はないんですよ」

『……ァあ?』

訝しげる、ぶっきらぼうな声。ハァ、とため息を吐きながら、チドリはプライドを殺して、令を発する。

「……行灯陰陽(ダークライトストーカー)の名に於いて命じます。貴方の援護を求めたい」

チドリの言葉を聞いた電話の主は、フン、と嘲る様に鼻を鳴らし、

『で、俺ァ一体何すりャイイんだァ?』

対して間も開けず、話の先を促した。

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