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治療の終わった日からも平穏な日々は続いていた。
ノクスの「当分ここに来るのとはない」との台詞に落胆するカオルだったが、その寂しさもすぐに解消される。
なんだかんだで彼は週に一度くらいは様子を見に顔を出してくれていたからだ。
そんなカオルの最近の心配事は、セツナがあまり表に出てこなくなったことだろうか。
以前と変わらず会話をすることはできるが、返事がないことが増えているのだ。
――セツナ、起きてる?
今日も返事はない、音信不通もこれで五日目。ここまで長く返事がないのは初めてであり、これにはカオルも懸念を抱いてしまう。
ここ最近は四六時中、セツナを心配すしているカオル。
だが同時に、彼女が出てこない理由になんとなく心当たりを感じてもいる。
もともとは自身の心の闇から生まれてきたセツナ。
今やその原因となった辛く苦しい屈辱的な日々は取り除かれ、現在の暮らしは平穏そのもの。
要するにセツナの存在理由そのものが失くなってしまっているのだ。
ゆえにセツナの気配が薄れていくのは必然。
またお喋りがしたい……、もう誰かを殺して欲しいなんて願わないから……、ただ心にいてくれたらそれでいい……。
そんなカオルの願いとは裏腹に、いやその心情こそが時を追う毎にセツナを消していく。
誰かを恨み、強い殺意を抱くことこそがセツナの力の源泉。
それがなければ彼女はその意思を維持し続けられないのだろう。
それでもセツナ自身は悲観してなどいない。
──オレはこのまま消えていい……。
そう考える彼女の意志は強がりでも諦めでもない、本当にそれで良いのだ。
自分が存在しなくてよい人生こそが、カオルにとっての最良の状況と言えるから。
セツナの望みはカオルの安寧。
その願いのもと、セツナの意識は深く深く沈んでいく。自身の生まれたカオルの心の深淵に溶けて帰っていくように。
※
待てど暮らせど、未だにセツナの返事は無い。
カオルの心に募るのは寂しさと不安。
しかし穏やかで安らぎのあるルサーリアとの暮らしは楽しい。
不穏の気持ちを紛らわせてくれる程に。
そんな豊かで平穏な時間ほど過ぎ去るのは早かった。
治療が終わり四ヶ月、セツナが現れなくなってからはおよそ二ヶ月、カオルがルサーリアの家に居候を始めてから今日で一年と半年が過ぎ去ったある日の午前のこと。
「それじゃ、行ってくるね。二、三日で……帰ってくるから」
「カオルちゃん、またネなんダヨ」
大きな荷物を背負ったルサーリアがエルと共に出掛けの挨拶を告げると、カオルは元気にそれを送り出す。
「はい、行ってらっしゃい! 畑の手入れは任せてくださいね」
その言葉にコクン――と大きく一つ頷いて返すルサーリア。
彼女はノクスの背に跨ると、肩越しにカオルを見下ろしながら手を振る。
ここ最近、彼女は自分の作った薬を魔族の街へ売りに行くのが生業の一つとなっていた。
街の一画に露店のように簡易的な店を構えて、月に一度だけ行商に行っているのだ。
彼女の売る薬は回復薬から毒薬まで様々。
一見すると胡散臭さ満点の店構えだが、怪しくも美しい店主と霊験あらたかな薬の効能が話題となりその売れ行きは悪くない。
中には彼女にちょっかいを出そうとした魔族もいたが、余程腕の立つ者であっても彼女をどうこうできる訳もなく。
何人か半殺しにされた辺りで魔族達の態度も変わり出した。
魔族は強い者へは敬意を払うからだ。
ルサーリアはそうして稼いだお金で樹海の中だけでは賄えない物を入手している。
少し話が逸れたが、今日は丁度その街に出稼ぎに行く日であった。
「ノクス、森の外まで……お願い」
「まったく、私は便利屋じゃないんですがね……」
フンッ――と鼻を鳴らし、不満げに独りごちるノクス。だがその尻尾は言葉と反比例するように揺れている。
それを目の当たりにしたカオルは――
か、かわいい……。
――なんて思いながら、つい吹き出しそうになって顔を下へと逸らしてしまう。
笑いを堪える彼女を見たノクスは、醜態を晒す自身の尾にハッと気づく。
「さ、さあそれでは行きますよ!」
一言告げると慌てて駆け出すのだった。
森の道は緑深く険しく長い。魔狼のような並外れた機動力があれば話は別だが、女性の足では森を出るだけで丸一日は掛かる。
そこでノクスに協力してもらい、その背中へと乗せてもらっているのだ。ちなみに帰りの便も予約済みである。
報酬は特に無い。ノクスが格好つけて「この程度は朝飯前です」と言ってしまったが為にルサーリアも遠慮せず乗せてもらっているらしい。
ノクスの背中から大きく手を振るルサーリアがあっという間に遠ざかっていく。
カオルもまた手を振り返し、彼女らを見送った。
「さあ、まずはエデンの手入れからかな」
現在時刻はまだ午前九時くらい。
体を動かすには丁度良い気温。
鼻唄を歌いながら農園に続く沼地の縁の道を歩くカオルの心の内側で、ずっと待ちわびていた声が小さく響く。
──カオル……、…をつ……て……。
それは久方ぶりに聞こえたセツナの声であった。
──セツナ!? セツナなの!?
慌てて返事をするがそれに対する応答はない。
セツナはなにか言おうとしていた……。
一体なんだろうと、歩みを止めずに考えてみるが思い当たる節はない。
だがそれよりもだ、セツナは消えていなかった。カオルは何よりそれが嬉しかった。
そっか……ちゃんといるんだ、セツナ。
深い安堵と共に心が高揚するのを感じたカオルは、胸に手を当て目を瞑りセツナを探るように心の奥に想いを馳せるのだった。




