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「ハァハァハァ……!」
木々を掻き分け、息を切らし、転がるように樹海を走る影が一つ。
一人の少女だ。
その後ろを追うのは数匹の魔狼。
もうすぐ、もうすぐ森の終わり……。
日光を遮る鬱蒼とした森林の先に見えるのは眩い光。
そこまで辿り着けばこの仕事は終わる。
あくまでも「今日の分」ではあるが。
「やっときたか、急げ急げ! 今回は何匹だ?」
「一、ニ、三、四……」
「おいおい、もっと頑張れよ俺は五匹に賭けてんだぞ!」
少女が森を抜けると、待ち構えていたのは数人の魔族達。
どうやら彼女を余興にして賭け事に興じているところらしい。
そして少女が駆けてきたこの森は、ヴェネム大森林と呼ばれている樹海である。
少女の名前は桷仁薫。
歳は十六。
クロ達が魔王城に召喚されてあの日、カオルもまた魔王城に召喚された百人の人間の内の一人だ。
身に宿したスキルは赤色。
ランクで言えば黄色より更に下の最も最弱に位置するスキルだ。
『スキル:マナの循環』
『ランク:コモン』
『フォーム:常態、特殊』
『接触及び摂取した植物から大地のマナを吸収、体内に貯蔵できる』
『大地のマナ:高濃度の自然エネルギー。効果一、体内に宿す者が育てる植物はとても健やかに育つ。効果二、スタミナが上昇する』
マナは魔力の源ではあるが、彼女は体内に蓄積した大地のマナを魔力に変換する術を持たない。
仮にできたとしてもだ、その魔力を活かす強力なスキルも無い。
そんな戦闘にはまるで向かないスキルを持ったカオル。
だが皆が眠らされ囚われたあの夜、彼女はただ一人魔王城を抜け出すことに成功している。
脱出を可能にした理由は三つ。
一つは彼女のスキルだ。
植物由来であれば毒に該当する成分でさえ大地のマナに変換してしまうその能力は、食事に混ざっていた催眠苔から作り出すルサーリアの睡眠薬さえも自身のエネルギーに変換してしまったらしい。
二つ目はスキルの発現する早さ。
おそらく誰よりも身に宿すスキルとの親和性が高かったのだろう。
晩餐会の頃、まだ誰もスキル発現の兆しが現れていない時から、彼女の左手の甲には既に赤色の刻印が刻まれていたのだ。
三つ目、これは至ってシンプル。魔族側の油断である。
ルサーリアの扱う毒や薬はそれ程に信頼されていたらしい。
それらの重なった偶然が幸いし、カオルは眠ることなく異変を察知。
混乱しながらも命からがら魔王城を抜け出す事ができたと言うわけだ。
だが逃げ出したは良いが、城下町に住んでいるのは全て化け物。
こんなところにはいられないと彼女は街を出る。そして図らずも西へ西へと助けを求めて走りだした。
植物であればどんな物でも口にすることが可能であったカオルは餓死することもなく、恐怖に駆られたまま三日三晩ひたすら走り続けるのだった。
しかしこの地域は魔王軍の台頭によって人間などとうに絶滅している。
ゆえに助けなどあるはずも無いのだが、それはカオルの預かり知るところではない。
更に不運だったのは道中で魔王軍とは別の魔族に捕らえられてしまった事だろう。
西には樹海の他にダンジョンもあり、その近辺には集落を作り生活を送る辺境暮らしの魔族達も点在する。
そいつらに捕まったカオルは今、奴隷として使われている。
カオルは思う。
異世界でもわたしの不幸は変わらないんだな……。
※
異世界召喚される以前の彼女の身分は家出少女。
居場所のない十代が集う街の一角へ自身も身を寄せ、当て所ない日々を送る未成年であった。
それだけ聞けばなんて事のないありきたりな境遇だが、そこに至るまでの彼女の経緯はと言えば、ありきたりとは言い難い。
カオルは十三歳の時に、実の母親とその再婚相手の義父を殺害した容疑で身柄を拘束されている。
だが彼女は容疑を否認。
しかし現場の物的証拠と状況証拠が彼女を犯人だと物語っていたこと。
幼少より繰り返された母親による苛烈な暴力と、彼女が十一歳の頃から始まった義父による性的虐待が判明したこと。
以上のことから殺害の証拠と動機は十分だと判断され、この凶行はカオルの手によって行われたことに間違いないと断定されてしまった。
それでもカオルはその時の記憶が全くないと、判決の後も供述し続けている。
その様子は決して嘘を言っている様にも見えず、周囲は困惑せざるを得なかった。
そして事の顛末は以下の通りだ。
刑事責任能力のない十四歳未満の児童であるカオルだが、あまりに重大な案件である事からその身柄は少年院へと送致。
二年の更正期間を経て自立支援施設へと入所するが、なおも「自分は謂れのない罪を被せられている」と再三にわたり訴えていたカオル。
その主張が聞き入れられることのもう無いのだろうと、絶望した彼女は施設を脱走。公には今もその身元は行方不明となっている。
まあ行方不明で当たり前だ。
カオルは脱走から数日後、十六歳の誕生日を迎えたその日に異世界へと召喚されてしまうのだから。
そして今に至る。
※
「おい! もっと働かねえと飼うのやめて食っちまうぞ!」
魔族の怒号がへたり込んでいるカオルの耳を刺す。
魔族にとって人間は食い物であるが、同時に娯楽という側面も持ち合わせているのは魔王城にて殺戮ショーが行われていた事からも察して余りある。
つまり彼女は玩具なのだ。
食欲の湧かない貧相な体つき。
幼少より受け続けた暴力により歪んだ顔立ち。
それを際立たせる卑屈な笑顔。
それは人間を見慣れていない辺境に住む魔族達に嘲笑と侮蔑の感情を湧き立たせ、肥大したマウント感情は次第に優越感へと変わり愉悦すらも生み出す。
辺境の魔族にとって人間とは、それ程に珍しく面白いものらしい。
つまり食料として殺すより生かして観察するほうが楽しい、今カオルが生きているのはそんな理由だ。
「おい! そいつはいいからこっちをまず殺れ! そら!」
カオルに怒鳴りつけた魔族に、リーダーの魔族が魔獣を殺せと指示を出す。
「オラ!」
「今日も楽勝だ!」
カオルを追って森から飛び出してきた魔狼を、掛け声と共に両断する魔族達。
彼らは「奴隷女が何匹獲物を引っ張ってくるか」などという賭け事をしながら、同時に彼女をエサに使ったおとり猟も行っているのだ。
そんな命懸けの日々を送るカオル。
この時点で、彼女が異世界へ来てから一週間ほどが経っていた。




