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第7話「お城からの使者と病の姫君」

 ブロン商業ギルドの横槍を退けたカペル村は、再び平穏な日常を取り戻した。


 いや、もはや「平穏」という言葉は、この村には似合わないかもしれない。


 アロンの指導のもと、村の農業はさらなる発展を遂げていた。


 ジャガイモやトマトだけでなく、トウモロコシ、カボチャ、タマネギといった新たな作物が次々と導入され、畑は色とりどりの野菜で溢れかえっている。


 バルトの商売も絶好調で、カペル村の野菜と加工品は、今や王都の富裕層の間で「幻の食材」として、高値で取引されるようになっていた。


 村は豊かになった。


 しかし、アロンには新たな悩みがあった。


『栄養バランスが、まだ偏っているな……』


 炭水化物(ジャガイモ、トウモロコシ)とビタミン(トマトなど)は十分に摂れるようになった。


 だが、良質なタンパク質や、特定の微量栄養素がまだ足りていない。


 アロンは、さらなる作物の品種改良や、畜産の本格化、そしてキノコ栽培など、次なる計画に頭を悩ませていた。


 そんなある日の午後。


 村の入り口が、にわかに騒がしくなった。


 村の子供たちが、興奮した様子でアロンの元へ駆け込んでくる。


「アロン先生、大変だ!」


「お城の紋章が入った、すっごい馬車が来たよ!」


 アロンが急いで広場へ向かうと、そこには村の誰もが見たことのない、豪華絢爛な馬車が停まっていた。


 馬車の扉には、この地を治めるフェルメル公爵家の「金色の麦の穂」の紋章が、誇らしげに輝いている。


 馬車の周りには、きらびやかな鎧を身に着けた騎士たちが、厳しい顔つきで警護にあたっていた。


 村人たちは、ただただ恐れをなして、遠巻きに見ていることしかできない。


 やがて、馬車から一人の紳士が降りてきた。


 仕立ての良い服に身を包み、片眼鏡モノクルをかけた、いかにも執事といった風情の初老の男性だ。


「この村の責任者の方はいらっしゃいますかな。私は、フェルメル公爵家にて執事長を務めております、セバスチャンと申します」


 その丁寧な物腰とは裏腹に、彼の言葉には有無を言わせぬ威厳があった。


 ダリオス村長が、震える足で前に進み出る。


「わ、私がこの村の村長でございます。して、公爵家の方々が、このような辺鄙な村に、一体どのようなご用件で……」


 セバスチャンと名乗った執事長は、村長を一瞥すると、少しもったいぶった様子で口を開いた。


「単刀直入に伺いましょう。この村に、『アロン』という名の、農業に精通した少年がいると聞き及んだ。その者を、我々の前に」


 セバスチャンの視線が、村人たちの中を彷徨い、やがて、輪の中心に立つアロンの姿を捉えた。


「……ほう。君が、アロン君ですかな?」


 片眼鏡の奥の目が、値踏みするようにアロンの全身を舐めるように見る。


 アロンは、臆することなく、その視線を受け止めた。


「僕がアロンです。何か御用でしょうか」


「ふむ。噂に聞く通りの、物怖じしない少年のようだ」


 セバスチャンは小さく頷くと、本題を切り出した。


「実は、公爵様の一人娘であらせられる、セレス様が、このところずっと、原因不明の病に臥せっておられる」


「病、ですか」


「うむ。名医と謳われる者たちを国中から集めたが、誰一人として、病の原因を突き止めることができなかった。姫様は日ごとに衰弱され、今では食事もほとんど喉を通らないご様子……。公爵様も、奥様も、心を痛めておられる」


 セバスチャンの声に、悲痛な色が滲む。


 領主の一人娘が、重い病に。


 村人たちの間に、同情と不安のさざ波が広がった。


「そこで、だ。近頃、王都で評判になっている食材がある。この村でしか採れないという、栄養価が非常に高く、食欲をそそるという不思議な作物……。藁にもすがる思いで、我々はその噂を頼って、ここまでやって来たのだ」


 セバスチャンの真剣な眼差しが、アロンを射抜く。


「アロン君。君が育てたというその作物を、姫君様のために、分けてはいただけんだろうか。もちろん、礼はいくらでもしよう。いや、もし、君の作物で姫君様が少しでも快方に向かわれるようなことがあれば、フェルメル公爵家は、君に最大限の報奨を約束しよう」


 それは、命令ではなく、懇願だった。


 領主の執事長が、辺境の村の、ただの子供に、深々と頭を下げている。


 アロンは、考える。


 原因不明の病。食欲不振。衰弱。


 前世の知識が、警鐘を鳴らす。


『単なる栄養不足、あるいは特定の栄養素の欠乏症の可能性がある。この世界の貴族の食事は、肉や白パンに偏りがちだと聞く。ビタミンやミネラルが、慢性的に不足しているのかもしれない』


 もし、そうだとしたら。


 自分の作る野菜が、姫を救う鍵になるかもしれない。


「……わかりました」


 アロンは、静かに、しかしはっきりと答えた。


「僕の作った野菜でよければ、お譲りします。お金はいりません。ただし、一つだけ条件があります」


「条件、だと?」


 セバスチャンの眉が、わずかに動いた。


「はい。僕も、お城へ同行させてください。そして、姫君様の様子を、直接この目で見せていただきたい。病状に合わせた、一番効果的な野菜の食べ方を、僕が直接お教えします」


 アロンの予想外の提案に、セバスチャンは目を見開いた。


 騎士たちも、ざわめいている。


 農民の子供が、貴族の、それも公爵令嬢の病状を診るだと? 不敬にもほどがある。


 だが、セバスチャンは、アロンの目を見て、その言葉がハッタリや無謀な思いつきではないことを見抜いた。


 その瞳には、確かな知識に裏打ちされた、強い自信と、病人を救いたいという真摯な思いが宿っていた。


「……面白い。実に、面白い少年だ」


 セバスチャンは、ふっと口元を緩めた。


「よろしい。公爵様の許可は、私が責任を持って取り付けましょう。アロン君、君のその『腕前』、このセバスチャンが、とくと拝見させてもらうとしよう」


 こうして、アロンは公爵家からの使者と共に、領主の城へと向かうことになった。


 それは、彼の運命が、小さな村の枠を大きく飛び越え、国家の中枢へと関わっていく、大きな第一歩となるのだった。

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