やり直しは可能らしい、一応。―悪役令嬢と運命のボタンー
「君のミアに対する行動は、見過ごせないものばかりだ」
煌びやかなシャンデリアが、楽しげな男女の語らいを照らしていた。
今日は、カリドール王国の貴族の子供たちが通う学園の卒業式。
18歳になり、大人としてのスタートを切る大事な日に
ロゼリア=グレイスは、王太子に“婚約破棄”を言い渡された。
「これ以上、わたしの婚約者でいさせるわけにはいかない」
ロゼリアの目の前で、王太子と学生時代に仲を深めた男爵令嬢カレンが涙ぐむ。
周囲はざわつき、ロゼリアはただ、唇をかみしめた。
「――また、失敗しちゃったわ」
昔からこうだ。何をしてもうまくいかない。
こんな私だから、神様が「あのボタン」をくれたのだろうに。
それすらも、うまく使えない。
ーーああ、今晩もまた押さないと。
そう思いながら、ロゼリアは〝最初の日〟のことを思い出していた。
◇◇◇◇◇
ロゼリアと王太子は、小さなころから決められた婚約者だった。
王太子に相応しくなろうと、ロゼリアなりに努力してきたつもりだ。
けれど、全てがうまくいかない。
明日の学園の卒業を祝うパーティできっと、ロゼリアは婚約を破棄されてしまうだろう。
殿下と仲良くなりたいと学園に通う3年間努めたが、その全てが裏目にでていた。
入学式で殿下はあの男爵令嬢を見そめ、ロゼリアとの交流ではなく
カレンと過ごすことに学生生活の多くを費やした。
婚約者に近づく女性に注意をするのが、なぜ悪いことなの?
「少し距離が近いのでは?」「わたくしとも、お話しする時間をくださいませ」
そう声をかけることが、陰湿なイジメと言われるようなことなのだろうか。
ロゼリアには理解ができなかった。
最悪な結果になるであろうパーティを明日に控え、絶望的な気持ちで過ごしていた夜、
ロゼリアは枕元に、見慣れない小さな箱が置かれているのに気付いた。
箱の中あったのは、手のひらに乗るくらいの正方形の金属。
その中央には丸くて赤い押しボタンらしきものがあり、箱の脇に説明書のような紙が貼られている。
《明日が気に入らなければ、このボタンを押してください》
《あなたはその日を、もう一度やり直せます》
《使用回数制限なし。ただし、戻れるのは“前日の朝”のみです》
「……なんの冗談かしら」
婚約を破棄をされるであろう明日を、ロゼリアが気に入るはずがない。
使用人の誰かがロゼリアを嘲笑って、こんなものを置いたのだろうか。
(屋敷の使用人にすら、嫌われているのね…私)
特に使用人を虐げたことなどないのに、近寄ると癇癪で八つ当たりをされるなどという
根も葉もない噂がまことしやかに囁かれ、自分が遠巻きにされているのをロゼリアは知っている。
覚えがないのに万事がそんな塩梅で、家でも学園でもロゼリアに近寄るなという「空気」がいつの間にか出来上がっていた。
「置きっ放しにしておけば、嫌がらせに飽きた誰かが片付けるでしょう」
ロゼリアは、小箱を元あった枕元に置き明日のパーティに備えてそのまま身体を休めた。
*
次の日の夜。思った通り、婚約を破棄することを宣言されたさんざんなパーティの後。
自邸に戻り、当主である父に殿下との婚約破棄を防げなかったことを叱責され、
謹慎を申しつけられたロゼリアは一人、部屋で外を見ていた。
(このまま家の不良在庫として、誰ともしらない人に嫁がされるのかしら)
外を眺めて明日以降のことに思いを馳せる。
人に好かれるよう努力すれば偽善者と言われ、模範となるべき淑女として努力しても
傲慢と謗られ、みな自分から離れていく。
「きっと私は、この世界から嫌われているのだわ」
何もかもが、どうでもよくなってしまった。
その時ふと、前日にみたボタンのことを思い出す。
小箱は、昨日おいた時のまま枕元に置かれていた。
だから。
どうにでもなってしまえと、ロゼリアはそのボタンを、押した。
瞬きするだけの間だった。
目を開けると、一瞬にしてロゼリアは揺れる馬車の中に移動していた。
「……えっ?」
(自室にいたはずなのに?)
わけがわからず戸惑う中、馬車が止まり扉が開く。
周りを見回すと、どうやら王宮についたらしい。
その後に起こったことに、ロザリアはどう対処すればよいのか分からなかった。
昨日とまったく同じ行動、同じ会話を繰り返す周囲の人々。
次第に、これが現実である実感がぼんやりと沸き上がってくる。
(あのボタン…本物…だったというの…?)
疑心暗鬼の中、ロザリアは少しだけ立ち回りに気をつけてみた。
男爵令嬢を責めない、王太子には微笑む、余計な一言は控える。
――結果。
婚約破棄は、回避できなかった。
(……やっぱりダメ)
前回同様にパーティで婚約破棄をされてしまった。夜になり、自室でもう一度、ボタンを押す。
また昨日の朝に戻る。
また、失敗する。
また、やり直す。
(……もうちょっと、話し方を変えてみよう)
(この話題はやめて、別の方向に……)
(笑ってみせよう。泣いてみせよう。黙っていよう)
ロゼリアは、何度も何度もその日をやり直した。それでも――結果は、変わらなかった。
◆
やがて、彼女は気づいた。
王太子も、男爵令嬢も、周囲の貴族たちも。ロゼリアが何を言っても、
“彼女を断罪するための言葉”が微妙に変化するだけなのだ。
「王太子妃には、彼女のほうがふさわしいと思う」
「君のやさしさは、演技にしか思えなかった」
「そもそも、これは父の命令だ」
毎回、理由が違うだけ。
まるで“彼女が婚約破棄されること”は、決定事項のように。
(どうして……)
失敗の夜を繰り返す中で、ボタンを押す指が震える。
(もしかして、この世界には、そういう“筋書き”があるとでもいうの?)
それでもロゼリアは、やり直すことをやめられなかった。
(まだ……何か、変えられるかもしれない)
彼女は努力した。
紅茶の温度、花の選び方、話し方、髪型。毎朝の祈り。夜ごとの反省。
だが――。
◆
743回目の夜。
ロゼリアは、スイッチを見つめた。
彼女は、その日、押さなかった。
王太子に婚約破棄を言い渡されても、男爵令嬢が涙を浮かべても、ただ静かに頭を下げて王宮から下がってきた。
「……はい。お幸せに」
ただ、そう言ってパーティ会場を後にした。
彼女は、その日を、やり直さなかった。
屋敷中はすっかり寝静まっている。
ロゼリアだけが、ジッと窓から外を眺めている。枕元に置いてあった金属が、静かに光った。
《最終確認――使用者が、“やり直し”を希望しなくなったため》
《記録を消去し、次の対象を選出します》
そして金属は、スッと消えた。
ロゼリアはそれに気づかず、窓の外を眺めていた。
「……明日は、花でも買いに行きたいわ」
満月の光が、静かに彼女を照らしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【件名】
次元観察管理局:観測単位1899「ロゼリア=グレイス」の記録消去および処理報告
【発信元】
自律観測AIユニット "CIRCULUS-19896”
【本文】
観測単位1899――通称「ロゼリア=グレイス」は、次元空間e-77の物語進行区にて、“悪役令嬢”として設定された対象である。
本観測実験は、「定められた役割を果たすことを自覚なく課された存在が、繰り返しの中でそれをどう認識するか」を目的とし、下記条件のもとで実施された。
【初期設定】
•観測対象は転生者ではない
•原作(構造因子)に基づく“悪役令嬢断罪エンド”の流れは不可逆
•観測者側からの直接干渉は行わない
•時間リセット装置を支給し、使用回数制限を設けず、使用は完全自由とする
•リセット条件:「前日の朝に戻る」限定
•終了条件:「ボタンを使用しない選択を対象が自発的に行ったとき」
【経過記録】
1回目:対象は驚愕し、事態をほぼ把握しきれないままリセット
3回目:会話のトーンを更に変更。結果変わらず
15回目:ヒロイン(因子β)との距離を縮めるが、断罪内容が変化し失敗
31回目:衣装、話し方、笑い方の修正
72回目:王子(因子α)との接触を極端に控える
100回目以降:観測対象はすでに“変えられないこと”の存在を疑いはじめる
→ 観測者として、極めて興味深い反応であった。
【特記事項】
繰り返しの中で、観測対象は“世界の都合”に薄く気づいていた可能性がある。
特筆すべきは第600回目以降、対象が“世界を変えること”ではなく、“自分を変えずに生きること”を選びはじめたことである。
【終了フラグ成立】
•第743回リセット後、対象はリセット装置の存在を意識しながらも、押さなかった。
•最終日、対象は婚約破棄を静かに受け入れ、誰も責めず、自らの道を歩く意志を表明した。
•観測終了条件を満たす
《《 装置回収 》》
《《 記録消去処理開始 》》
《《 対象を観測リストから除外 》》
【考察】
対象「ロゼリア=グレイス」は、与えられたルールの中で、“逸脱”することなく、“従属”することもなく、「やり直すか/やり直さないか」その選択権だけを握り続けた。
我々観測者はしばしば、異常個体に期待する。
「世界を暴き、逆転する存在」「設定を壊し、物語を書き換える革命者」
次元空間e-77の物語進行区にて観測される「ざまぁ」と呼ばれる現象の発露を待った。
だが彼女は、そうではなかった。
天命は変ずること能わずとも、自らの心は自在にして幸福を決することが叶うと
しなやかに伸びて育つ植物のような人間となった。
そこに、奇跡は起きなかった。だが、美しさはあった。
【補足】観測AIユニット自身の感想ログ(削除予定)
──私は、次の対象へ向かう。
だが、この観測記録は忘れずにいたいと思う。この実験の意味を。
そして「やり直しのできない明日」に向かって歩いた彼女の、小さな一歩を。
【結語】
本記録をもって、観測単位1899の観測は終了する。
観測AIユニット "CIRCULUS-19896" は次の対象へ移行する。




