第7話 彼女の撮画【ショット】
『先輩、やっぱり俺の言った通りになりましたね?』
ふふんと、得意げに鼻を鳴らしてリドル君が喋りかけてきた時のことを、昨日のように覚えている。ぼくはなんと返したか覚えていないけど、でも、適当に流したんだと思う。
リドル君の言っていた通り、半年間の実地研修を終えたベル・ラックベルは、その後、いくつかの実戦をこなしたのちに、ぼくが一度も合格したことのない冒険者昇格試験をすんなりとパスして、ギルド《星の金貨》創設以来、最速でD級冒険者に上がった。
その後は、レベル1とレベル2の地下魔構を五つ完全踏破。更にはレベル3を二回。レベル4を一回。すべて単独での完全踏破だった。加えて、レベル3の地下魔構に関しては、潜入時間がギルド史上最短というおまけつき。もちろん、層単位当たりの討伐モンストルの数も、新人冒険者にしては破格の数字を叩き出していた。
彼女が完全踏破した地下魔構はすべて測層調査済みだったとはいえ、ぼくの想像をはるかに超える活躍ぶりだった。
そして、彼女はその年の《星の金貨》における、最優秀新人冒険者に認定され、トロフィーと金一封が贈呈された。
それだけじゃなかった。国が実施している、全ギルドの冒険者を対象にした王認年間優秀冒険者新人賞にも上位入賞を果たした。
これにより、彼女は無条件でC級へランクアップ。併せて、ギルド内における特別昇格試験の一次審査をパス。実戦評価をベースとする二次審査に進み、これに合格。入会してたったの一年で、B級冒険者にまでランクアップした。
『俺、十五年以上このギルドにいるけど、ちょっと見たことないレベルの新人だな』
風ノ月から櫻ノ月にかけてのある日。ギルド本部会館の一階の掲示板に貼られた王認年間優秀冒険者新人賞の入賞者一覧表にベル・ラックベルの名前を見て、ぼくの隣に立つルイ先輩が、感心もあらわという態度で口にした。
『一年でE級からB級へ上がるなんて、聞いたことないよ』
仕事に関しては自他共に厳しいこの人が、他局の、それも冒険者をここまで誉めるなんて、ぼくが知る限りでは、この時だけだった。
『このままだと、A級の特別昇格試験もパスして、S級、SS級はおろか、最上位クラスのX級もいきそうな感じだよな? やばいな。もしそうなったらお祭りどころの騒ぎじゃないな?』
同意を得ようとこちらを見た先輩が黙りこくった。それだけ渋い表情を浮かべていたんだと思う。
『まだ、気にしてる感じか』
『……はい』
静かに頷いたぼくの肩を、励ますようにルイ先輩が強めに叩いた。
『気持ち、切り替えてこーぜ。あれからもう1年経つんだから。祝福してやれ。それに、彼女は――』
『……すみません、先輩。カタログの仕事に戻ります』
そう言い残して、足早にその場を後にした。ルイ先輩が次に何を口にするのか。それを予想するのは《シン・デレラ》や《マッド・ハイジ》を潜ることよりたやすかった。
ぼくは、正直なところ複雑な思いでいた。表向きにはみんなと同じで、ベル・ラックベルの頑張りを祝福していた。でも、心の中の《隠し階層》では、また別の淀んだ感情も渦巻いていたことは、認めざるを得ないだろう。
若干の嫉妬もあったのだと、いまにしては思う。後輩に嫉妬する先輩なんて、そんなダサい人間に自分はなるまいと思っていたのに、このざまだ。
自分も、諦めずに冒険局に食らいついていれば――ベル・ラックベルが最優秀新人冒険者に選ばれて以降、そんな思いが胸の奥を蝕んでいった。
櫻ノ月の翌月。つまり緑ノ月の中旬のある日の午後、魔導カタログ校正の打ち合わせを終えて一息つこうと、ギルド本部会館一階の自販機前で、どれを飲もうか吟味していたときだ。
『あ』
『あ』
たまたま、近くを通りがかったベル・ラックベルと、ばったり顔を会わせた。前年の愁の月以来、実に七か月ぶりの、偶然の対面だった。
『お疲れ様です。バードウッド先輩』
彼女の方から、軽く会釈を寄こしてきた。あの長杖は手にしていなかった。恐らくは武器庫に置いてきた帰りだったのだろう。着替えもまだ済んでないようだった。耐魔導効果付与の無骨な冒険者装束のあちこちには、モンストルたちから受けたであろう魔力攻撃の痕跡が煤や変色となって刻まれていた。
『お、お疲れ様です……あ、ぼくのこと、覚えていてくれてたの?』
『はい。広報宣伝局の影響紡ぎ。バードウッド先輩、ですよね? 忘れるわけありません』
彼女はそう言って、すこし微笑んだ。あの時と見た目はあまり変わってなかった。髪型も同じだ。ただ、目つきに若干の精悍さは宿っていた。【冒険者、三日会わざれば刮目して見よ】ってやつだ。
言っておくけど、別に彼女のことをこの時まで意識して避けていたわけじゃない。冒険者というのは、ギルドの全体朝礼が始まる前に地下魔構へ向かい、定時を過ぎてみんなが帰宅した後に本部へ戻ってくる。そういう生活を当たり前のように送っている。
そんなもんだから、二十年以上このギルドに勤めているガルフ先輩も『あれ。あんな人、うちの冒険局にいたか?』って、いっつも首を傾げているくらいだ。まぁ、ガルフ先輩が人の顔と名前(とくに男性)をあんまり覚えない性格ってのも、多少は関係しているけれど。
『き、今日も潜ってきたの? それにしては、帰ってくるの早かったね』
内心、前年の出来事が脳裏を過ったのは否めない。でも、ここで変に気を遣うような態度を取ったら、彼女の気を悪くさせてしまうかもしれない。そう考えて、あえて気まずかった過去の出来事なんて、まるでなかったかのような態度で喋りかけた。
『はい。そこまで難易度の高い地下魔構でもなかったので』
ベル・ラックベルは、素直な態度で応じてきた。
『レベル2?』
『いえ、レベル3です。新しい魔導効果の実戦検証をしてました』
レベル3を【そこまで難易度高くない】か。
さすが、国から表彰される冒険者は言うことが違った。
『もしかして、単独で潜ったの?』
『そうです。ほかの皆さんは、レベル5のダンジョンに潜ってます』
『うへぇ……レベル5か。長くなりそうだね』
『ええ、そうですね……あ、あの、バードウッド先輩』
『うん? ど、どうしたの?』
『その……ありがとうございました』
そう言って、ベル・ラックベルは真剣な顔つきになると、ぼくに向かって頭を下げてきた。
突然のことで、なにがなんだかわからなかった。
『……なにかしたっけ?』
ありがとう? どういうことだ?
この時のぼくには、彼女が何に対して感謝しているのか、本気でさっぱりわからなかった。
ベル・ラックベルは顔を上げると、ぼくの目をまっすぐに見つめてきた。ぼくも彼女の鳶色の目を見かえした。人見知りな性格ってのを理由に、目線を逸らすのはよくないと、この時ばかりは強く感じたからだ。彼女の態度が、ぼくをそんな風にさせたとも言えた。
『去年の愁ノ月の話です。私が居残りで訓練していた時のこと、覚えていますか?』
『あ、ああ。うん』
『あのときの先輩、イゼルタ五十七型の使い方を教えてくれましたよね。いえ、教えていただいたんです』
『あー……』
ぼくは遠い記憶を探った。
いや、そんなに遠くもなかった。わりとすんなり引っ張り出せた。
でも、あえて、ようやく思い出したよ感を出して言った。
『たしか、短杖になるからどうこう……って、そんなことを口にした覚えはある』
『そう! それです!』
はじけるような声と表情だったから、ぼくはちょっと驚いた。普段の真面目な彼女からは、あんまり想像できないくらいのテンションの上がりようだった。
『あの時、先輩からいただいたアドバイスのおかげで、D級の試験に合格できたんです』
『D級か……もしかして、狭い層だったの? それとも、すばしっこいモンストルがいたとか?』
『どっちもでした。どの層も狭かったし、天鼠類のモンストルの数も多くて……試験用にギルドが調整した地下魔構でしたから、大怪我を追う心配はなかったんですけど、時間制限付きだったし、焦ってしまって……』
でも、と、ベル・ラックベルは言葉を区切って、続けた。
『先輩が言っていたことを思い出して、どうにか切り抜けることが出来たんです』
『そ、そうか。良かったね』
『本当にありがとうございます。一度、お礼を言いたいなって、ずっと思っていたんです。でも、やっぱりなかなか会えなくて……遅くなってしまってすみません』
『気にしてないよ。こちらこそ、役に立てて良かった』
優秀な彼女のことだ。ぼくがイゼルタ五十七型の使い方を教えなくとも、自分で勝手に学んで成長していたはずだ。そこまで感謝されるほどでもないというのに、この真面目で、根性があって、そして律儀な超大型新人冒険者は……好印象しかなかった。
その後、成り行きで彼女に自販機の飲料水を奢ってあげた。ささやかだけど、ぼくなりの昇格祝いだった。彼女は柑橘系炭酸飲料水の缶を手にすると、腰に片方の手を当て、その小さな口で美味しそうにごくごく飲んでいた。
『やっぱり、探索明けの炭酸は格別ですね。五臓六腑に染み渡ります』
風呂上がりのおじさんみたいなことを言うんだね、と軽く冗談で言ったら『そうかもしれません。家族からも良く言われます』と、照れ笑いしていた。
それから数日後のことだ。ベル・ラックベルを宣伝素材にした映像広告の企画書をリーランド上長に提出したのは。
『よっしゃ! やっと企画案まとまったか! 安心せえ。ワイが話を取り付けたるわ!』
地元であるイーセイ商業連合国家の訛混じりで豪快に承諾すると、上長は冒険局第五班にさっそく話をつけにいった。
ぼくも昔のトラウマを抱えたまま、勇気を振り絞って打ち合わせに同席したけど、大方の予想どおり、最初は問答無用で突っぱねられた。
ベル・ラックベルの冒険者ランクを考えれば当然のことだ。すでに第五班の主力として活躍していた彼女の探索スケジュールは数ヶ月先までギッチギチで、遠方にある地下魔構も射程距離に捉えていたから、そもそも時間を捻出すること自体、難しかった。
それに、その必要性の是非を巡って広報宣伝局は常に厳しい立場に置かれているのだ。協力的な姿勢を相手から引き出すこと、それ自体に難があった。
やっぱりダメか……意気消沈して、ため息をつく毎日が続いた。
ところが、最初に話を持っていってから、数週間が経過したある日のことだった。
『トム! 喜べや! なんとか一週間だけスケジュール空けたったわ! 気合い入れていこな! 詳しい日取りはラックベルちゃん本人に聞いといてや!』
いったいどんな技を使ったのか。あれだけ頑なな態度を取っていた第五班から承諾を取り付けるとは。さすが商人の国出身なだけのことはあった。ぼくは正直、リーランド上長のテンションの高さにはついていけないところもあるけど、他局との交渉事において、この人は天才だと改めて認めざるを得なかった。
『先輩! 宣伝素材への起用、ありがとうございます! やるならとことん、時間の限りやりましょう!』
ベル・ラックベルとの打ち合わせは、すごく楽しかった。
ぼくより九つ下の彼女は、いまどきの若者らしい感覚に根付いたアイデアをたくさん出してくれた。それも、スケジュールや予算をあらかじめ考慮してくれた、地に足のついたものがほとんどだったから、構成を練るのに苦労はしなかった。あんなにすいすい事が運んだのは、生まれて初めての経験だった。
『魔導具の紹介も、ただ特徴を紹介するだけじゃなくて、ストーリー仕立てにすれば、お客さんも興味を持ってくれると思うんです』
打ち合わせを開始してから四日目。現像所の隣にある、こじんまりとした撮影作業所に簡素なセットを数時間で組み上げたうえで、ぼくは彼女をモデルに、魔導技術【キネマトリクス】が生み出した写画機を回し、無心で撮画を重ねた。
内容は、魔導開発局が一般消費者向けに開発した防犯機能商品の紹介。【ニャラーム】と命名されたそれは、結界の効果を持つ魔石を搭載した掌サイズの猫型器具で、家の玄関先に置いておくと、不審者の接近を感知して警報を鳴らすというものだ。小型で安価であるのと、一年間の保証付きであること、オプションの鈴をつければ低威力の麻痺の魔導効果を発動させて、不審者を拘束することもできるのがウリだった。
近年空き巣が増えているという話をご近所から耳にした、とある女性。いつでも不審者を撃退できるようにと、家の押し入れにしまったばかでかい大槍を取り出そうとする……と、押し入れから猫耳の冠留紗をつけた少女が【ニャラーム】片手に飛び出してくる。元気よく商品機能を紹介して玄関にそれを置くと、タイミングよく強盗が来訪。ドアに接近したところで猫型防犯器具から警報がはげしく鳴り、慌てる強盗。商品名を字幕で出して、最後にオプション機能紹介も兼ねて、麻痺を強盗に浴びせる……そういったストーリー。
ちなみに、女性役はリザ先輩に、強盗役は無理を言ってガルフ先輩にやってもらった。ガルフ先輩には申し訳ないけど、生粋の強面なのも相まって、強盗役がサマになっていた。『念のために、大槍で撃退するシーンも撮る?』と、リザ先輩が笑いながら悪ノリしてきたときには、ぼくもガルフ先輩も流石に冷や汗をかいた。丁重に却下させてもらったけど、たぶん、あれは半分本気の発言だった。
猫耳の冠留紗をつけた少女役はもちろん、ベル・ラックベルにやってもらった。
言っておくけど、冠留紗はぼくのアイデアじゃない。ルイ先輩とリーランド上長が提案してきたのだ。
ぼくはもちろん反対した。彼女はあくまでモデルで、主役は【ニャラーム】だ。彼女に視聴者の意識がいってしまっては本末転倒になる……という、もっともらしい主張だったけど、下っ端の意見は彼らの好奇な欲望には通用せず、また、ベル・ラックベル当人も冠留紗をつけるのにノリノリだったので、ぼくは渋々了承した。
結果から言って、妙案だった。冠留紗をつけて、写画機に向かって笑顔で商品紹介をするベル・ラックベルは、控えめに言って鼻血が吹き出そうなくらい可愛かった。平静を装うのにだいぶ苦労した。
まぁでも、これが後々、大変な事態を招くことになるのだけど。
撮影した感光膜を切り貼りして繋げ合わせて編集し、映像の加工を行い、エフェクトを焼き付けて完成した映像広告は、専門機関を通じて、街中の建造物に設置された映幻鏡へと投影された。
その日から、【ニャラーム】は飛ぶように売れた。狙っていた庶民はもとより、貴族の中にも豪邸の防犯のために購入する者が相次いだ。販促局も魔導開発局もウハウハで、うちのギルドが出した魔導商品の中では、群を抜いて売れ行きがよかった。
でも、その月の優秀局員に、リーランド上長はおろか、ぼくの名前が挙がることすらなかった。結局のところ、どれだけ力を込めて仕事をしても、一回ヒットを飛ばしたくらいじゃ、周りは認めてくれないってことだ。現実ってのはかくも厳しい。
けれど、正直なところショックはそこまで大きくはなかった。ガルフ先輩は『麻痺で腰を悪くした甲斐があった』と、先輩流の言い回しで賞賛してくれたし、リザ先輩も『ひよっ子のトムにしては、なかなか頑張ったんじゃない?』と、目元に笑みを浮かべて褒めてくれた。
でも、一番うれしかったのは、やっぱり彼女の言葉だった。
『先輩の映像技術ってすごいですね。映像広告見ましたけど、商品の良さが伝わってきて、すごく感激しました』
ぼくがすごいんじゃなくて、【キネマトリクス】がすごいんだよと言ってあげたが、内心、冒険者として成功を収めている彼女に褒められたのは、大きな自信に繋がった。
それ以来、ぼくは隙を見ては、ベル・ラックベルに積極的に声をかけるようになった。冒険者である彼女と本部会館で鉢合わせる機会は相変わらず少なかったけど、見かけたら必ずぼくから声をかけるようにしたし、彼女に急ぎの用がなかったら、雑談交じりに次の映像広告のアイデアを語って聞かせて、意見をもらうようなこともあった。
【ニャラーム】の一件以降、ぼくはリーランド上長に許可を貰ってから、ベル・ラックベルを宣伝素材に、いろんな映像広告を撮った。はじめは商品紹介が多かったけど、ギルド内の冒険者に向けた魔導具の使い方講座だったり、彼女を案内役にした新人冒険者採用募集用のギルド紹介だったり、内容は多岐に及んでいった。
撮画を重ねていくなかで思い知らされたのは、彼女が優れた空間把握能力を持っているってことだ。街中でゲリラ撮影を敢行した時も、彼女は写画機へときおり視線を投げかけながら、行き交う通行人の邪魔になることなく、すいすい歩いていったことがあった。そもそも【ニャラーム】の時点からそうだったけど、撮影慣れしていたわけでもないのに、彼女が写画機を前に緊張したそぶりを見せたことは一度もなかった。
その理由は、地下魔構の探索が影響しているのではないかと、ぼくは推察した。
冒険者としての活動を通じて、毎日のようにモンストルと対峙しているということは、それすなわち、モンストルに「見られている」ということだ。
敵意を向けてくる言葉の通じない相手を前に、どういう風に振る舞えば効率的なのか。そういうことを強く意識して行動しているうちに、自らの立ち位置を客観視する力が養われ、結果として、彼女のなかにもともとあった空間認識能力が存分に引き出されたんじゃないだろうか。
仮にそうだとするなら、「見る/見られる」という関係性の上で成り立つ映像広告の宣伝素材として、それは特筆すべき才能だと言えた。
そんな持論を彼女に語って聞かせた時があった。あれは、彼女がギルドに入会して二年目の熱ノ月。会誌の表紙に彼女を使うことが決まり、作業所で撮影をしていたときのことだ。照明を焚いた部屋に他に人はいなかった。ぼくとベル・ラックベルの、ふたりきりの空間だった。
『――だから、君は空間把握能力が高いんじゃないかって、ぼくは考えてるんだけど』
焦点をしっかり合わせて撮画を重ねながら、写画機越しにぼくは喋りかけた。撮影の間、他愛もない話をして間を持たせるのは、影響紡ぎの常とう手段だ。
『うーん、どうなんでしょうね』
白い襟女服にくすみピンクの長い女裳を着こなし、小さめの黒い手鞄を両手で前に持ってポーズを取りながら、彼女は目線を写画機の望鏡へ向けて小首を傾げた。
『あ、いいね。そのポーズ』
『えへへ』
『で、どうなの?』
『そうですねぇ……高いって自覚はないですね』
『もしかして、方向音痴だったり?』
『うそ、なんでわかったんです?』
『そりゃあ、結構一緒に仕事してるから……』
『心眼だー。その写画機、もしや心眼の魔導具なのではー?』
『あぁ、ほらもう、動かない。そうそう片足に重心を軽く乗せて。いいね……』
『はーい』
『……で、方向音痴なの?』
『いまはだいぶ改善されたって思ってるんですけどね。でも、子供の頃、知らない場所にひとりで遊びに行って迷子になったこと、よくあります。あー、なんか懐かしいなぁ。めちゃくちゃお姉ちゃんに叱られたんだった』
『お姉さんがいるのか』
『はい。わたしより三つ上なんです。私が冒険局に配属されたって聞いたら、ちゃんと測層器を携帯しなきゃダメよ! って、めっちゃ心配されましたね』
『もしかすると、お姉さんも冒険者?』
『うお。先輩、さすがの心眼』
『自分でも引くわ。この直感力』
『ほんとに、そこまで当てるなんてすごいです。自慢じゃないですけど、うちのお姉ちゃんは結構すごいところのギルドにいるんですよ』
『姉妹揃って優秀なことで』
『あ、ご機嫌取りですかぁ~?』
『だったら柑橘系飲料水を渡してるよ』
『へへへ……あ!』
『どうしたの?』
『方向音痴で思い出しました。私の彼氏がそうですね』
彼氏。
『あ、待って』
『? どうしました?』
焦点がズレた。落ち着いて調整する。
『大丈夫。続けて。そのままのポーズで……彼氏、いるんだ』
『ええ。結婚を前提に、お付き合いをさせていただいてるんです』
結婚を前提にお付き合い。
『……おかしいな』
『どうしました?』
『また焦点が……あ、よし。大丈夫。ごめんね。続けるよ……』
撮影は小一時間に渡った。その後、なにを話したかはあまり覚えていなかった。ただ、プライベートなことにはそこまで踏み込まなかったように思う。
写真は、どれも良い出来栄えだった。リーランド上長も『ええやん!』とご満悦だったし、ルイ先輩もガルフ先輩も、良く撮れていると言ってくれた。
でも後日、出来上がった会誌の表紙を見て、リザ先輩は違うことを口にした。
『あんた、これで満足だったの? ちゃんとしっかり撮らなきゃダメよ』
彼女にはすべてお見通しだったのかもしれない。
動かない粒子の世界で微笑むベル・ラックベルを、その時のぼくは、直視できなかったのだから。