第6話 いざ、《隠し階層》へ
普段より、朝出る時間が早かったせいだろうか。
気づけばぼくは、岩の上に腰掛けたまま、意識を明後日の方にやっていたらしい。ついでに、必要のないことを想い出してしまう始末だった。
(あーもう、想い出に浸るのおわり! おわり! 集中集中!)
仕事に戻らないと――と、目を擦って、顔を上げたときだ。
目の前に、見慣れない色合いのプラーグがいた。
(は? なんだこいつ)
目を皿にして凝視する。
虹色模様に光るプラーグが、ほんの三メートル先にいた。
と同時に、瘴気濃度計が反応音を出した。
(見たことないタイプのプラーグだ。いつの間にこの距離に……)
ぼくは直感で右手を振るった。《夜のはじまり》が銀光を放った。
詠唱。そして指弾――魔導効果【ディレクション】が発動。
細い光の線が、虹色プラーグの周囲を立方体に取り囲んで――【切取】
ひとまずは、これで安心なはずだ。いままで【ディレクション】が破られたことはなかった。ましてや、相手はプラーグ。新種かもしれないが、しょせんはプラーグだ。
(いや、油断するなよ。トム・バードウッド)
緩みかけた心を自戒しつつ、岩の上から土面に降りて、そっと近づいた。
ぼくの胸元あたりに浮かぶ照命石の照り返しを受けて、虹色プラーグの体表が幻惑のように歪んだ。虹色模様は常時変化していた。それこそ、虹色に光る川の一部を切り取って、粘塊状にまとめたように蠢いていた。
ぼくは注意深く観察した。大きさはほかのプラーグと変わらなかった。子供の頭ぐらいのサイズをしていた。でも、ちょっと挙動がおかしかった。
(ぜんぜん動かない……繊毛が機能してないのか?)
【ディレクション】で空間を切り取ると、そこだけ層内の気流が変わるのだ。そして、プラーグは体表面に、肉眼では捉えきれないほどの微細な繊毛を生やしている。こいつらが視覚機能を持たないくせに冒険者に襲い掛かることができるのは、光学受容体のほかに、この繊毛で空気の流れを読んだり、周辺の匂いを感知することができるからだ。
ところが、虹色プラーグは断絶された空間のなかにいて、はっきりと気流の変化を読み取っているはずなのに、微動だにしなかった。
(もしかして、プラーグじゃない?)
次いでとばかりに、照命石の照度を強くしたり、短杖で断絶空間の表面を叩いてみたりした。反応は、ほかのプラーグと同じだった。でも、やっぱり何かおかしかった。
(そもそも、どうしてこいつの気配にぼくは気付けなかった?)
うとうとしながら、思考の沼にはまっていたせいだろうか。
それだけじゃないはずだと、ぼくは直感した。
なぜなら、腰に下げた瘴気濃度計が反応音を出したのは、ぼくが虹色プラーグを視認したのと、ほとんど同時だったからだ。携帯型のそれは、モンストルの接近警告を示す役割を持たされている。だとすると、音が出るのはもっと前からであるのが普通だ。
(何の前触れもなく、急に姿を見せた。そんな感じだった)
そういえば――と、以前にルイ先輩から聞いた話を思い出した。先輩は過去に一度、レベル1の地下魔構で素材回収をしていたとき、トラップに引っ掛かって大変な目に遭ったらしい。そのトラップというのが、一見なんてことない普通のモンストルで、よく考えずに攻撃したところ――
(隠し階層に放り出されたって言ってたな!)
ぼくは記憶を遡った。《ロングレッグス》に入る前。あの魔光掲示板は全十二層しか表示していなかった。つまり、まだ測層調査されていない《隠し階層》があるのだとしたら……
(こりゃあ、すごい発見だぞ!)
隠し階層なんて、そんなの危険だよ。危ないよ……と、思うかもしれない。
でも、このトム・バードウッドの知的好奇心は、そのくらいじゃ揺るがなかった。
目の前の虹色プラーグを攻撃したい気持ちが、どんどんぼくの中で膨れ上がってきた。
(しょせんはレベル1の地下魔構だ。隠し階層のモンストルだって、レベル2程度が関の山。そう本で読んだことがある。ぼくなら、ギリギリ勝てるくらいだ。それに【ディレクション】を使えば攻撃はしのげる。仮に帰還方法がすぐに見つからなくても、飲料と食料の確保は十分。最悪、救命呼笛を使えば、守衛に連絡がいくシステムになってる)
知的探求心が、ぼくの心を後押しした。
右手と左手を重ねて打ち鳴らす。すると、再び光の線が奔って、層内の空気の流れが変化したのを肌で感じた。【ディレクション】を解いたのだ。透明な檻は虹色プラーグの周囲から消え失せ、その不可思議な紋様の体表を、しっかりと層内に曝け出している。
「いくぞ!《 隠し階層》へ!」
詠唱――杖の先から迸る火球が、虹色プラーグを直撃した。
その瞬間。文字通り瞬きすら許さない間隙のうちに、虹色プラーグが、がばっと大きく体を薄く広げて、層内すべてを呑み込むような勢いで、ぼくの全身を包み込んだ。
そうして、ぼくの意識は、そこで途絶えた。