第4話 言語化可能な恋愛感情
――かなり綺麗で小柄な人が、ウチのギルドに入ってきたもんだ。
彼女……ベル・ラックベルを、ギルド新人お披露目会で見かけた時の初印象はそれだった。これを書いている三年前のことだ。つまり、ぼくは二十七歳のときに、十八歳の彼女を知ったのだ。
櫻ノ月。ギルド本部会館。その最上階にある大講義室の壇上で、彼女は緊張の欠片も見せず、すらすらと挨拶を口にした。
『今日からこちらでお世話になります。ベル・ラックベルと言います。出身はフォレスタ村で、卒業を機に王都に来ました。養成学校を出たばかりで、なにもわからないことばかりですが、はやく一人前の冒険者になれるよう頑張ります!』
よろしくお願いします――そう言って頭を下げたとき、彼女のきめ細やかな茶色のセミロングヘアが、ふわりと揺れたのを覚えている。
まさか、こんな美人で小柄の新人が、冒険局の、それもあの第五班に入るって聞いたときは、驚きよりも心配のほうが勝った。
『ラックベルさん、潰されたりしないかな』
その年の露ノ月のある日、ギルド近くの雄鶏亭で昼定食を口にしながら、木製机の対面に座るリドル・スタインベック君に向かって、ぼくは心配事を口にした。
『第五班の人たち、厳しいのに加えて、気難しい人が多いですからね。色々な意味で』
リドル君が鉄板の上でナイフとフォークを器用に扱い、ガラルドンの炙り肉を切りながら、こちらを慮るように言った。
『自分、魔石局ですけど、たまーにあの人たちの様子を聞くことがあるんですよ。新人を教育するシステムが確立されてないって感じはすごくします』
『ぼく以来、あそこに新人が入ったケースはゼロだからな。昔ながらのやり方を今回もやるに決まってる。引退間近のおじさんおばさんしかいないんだから。頭がダムロックなのさ』
『ダムロック……あのやたらと頑丈でブサイクなモンストル並みですか』
『ああ、そうだ』
麦パンを咀嚼しながら毒を吐いていると、後ろ暗い感情がふつふつと湧いてきた。
『M・Mも、なにを考えているかわかったもんじゃない』
自分でもはっきりわかるくらい、際立った声が出た。
『先輩、もしかしなくても、キレてます?』
『キレてるよ。そりゃキレるだろ。あんなことがあったら』
『あー……もしかして、この前あった、アレの件ですか』
『そうだ。アレだ。一か月前に、雄鶏亭で愚痴ったやつ』
『……あー……』
フォークに刺した炙り肉を口に運ぶ動きを止めて、リドル君が困ったような顔でこちらを見つめた。ぼくはハッとなった。
『いや、すまん。また嫌な話をするところだったな。あれだけ愚痴ったばかりなのに』
『別に気にしてないですよ。自分も先輩の立場だったら、上長に事情を問い詰めてると思いますから』
『ランドルフ上長か』
『そうですそうです』
『そういえば今日、午後の撮画の時に会う予定だ』
『聞いてますよ。映像広告ですよね。そういえば、前に話してたお目当ての魔核晶、手に入ったんですか? トリック撮画に使う感光膜がどうこう言ってましたよね』
『ぜんぜん』
センゲン草の炒め物をつまみながら、ぼくは被りを振った。
『《ミザリー》に行ってみたけど、ダメだった。《マリグナント》の七階層までいかないと無理っぽい』
『レベル4の地下魔構ですか』
『せめて《ノロイ》とか《テリファー》とかの、レベル2の地下魔構だったらギリいけるんだけどね』
『《シン・デレラ》にあればいいのに。あとは《マッド・ハイジ》とか』
『どれもこれも、二層までしかないゴミ地下魔構だろ。このぼくでも一時間で探索できる類の』
『すいません冗談ですよ』
リドル君が付け合わせの野菜を口にしながら、けらけら笑った。その様子を見ながら、ぼくはかねてからの疑問をなんとなく口にした。
『よくわかんないよな、地下魔構って。なんで層数が一律じゃないんだろ。あれってもともとは、拠点制圧の戦略兵器だったんだろ? もっとこう、規則性とかあっても良いと思うんだけどな』
『この前ミス・グレーレディが言ってましたけど、文献に記されている大魔王って、けっこうお茶目な性格だったらしいんですよ』
『大魔王がお茶目?』
『あの人の言うことだから、しっかり調査した上での所見でしょうね』
『……お茶目だから、どーみても探索のやりがいがない地下魔構も創ったってこと?』
『どうなんでしょうね。まーでも、神話に出てくる神様ってちょっとお茶目なところあるじゃないですか。俺たちの知らない特殊な仕掛けを施したりして。ま、余裕ぶってたんでしょうね』
『そんな余裕な態度で戦争を吹っかけてきたから、人類に滅ぼされたか。やだねぇ。調子に乗るって言うのは。自分で自分の首を絞めることになるんだから』
『……ところで、午後からの撮画はどうするんです? 魔核晶、手に入らなかったんですよね?』
『大丈夫。狙ってた魔核晶は、あくまでトリック撮画用だから。午後の撮画はノーマルでも問題ないんだ。ぼくのわがままというか、へんな拘りだよ。別に必須ってわけでもない。だから気にしないでくれ』
言葉とは裏腹に、落ち込み具合がうっかり顔に出てしまっていたんだろうか。心優しいリドル君はこちらの気持ちを察して、不満げに唇を尖らせた。
『ったく。ウチのギルドも頭が固いっすよ。知ってます? 冒険局の連中、探索で獲得した素材の一部を局持ちしてるって』
『なんか、そうみたいだね』
『ずるいですよねぇ。福利厚生も、あいつらばっかり手厚くして。冒険局に各局が必要としている素材の回収させるとか、それぐらいあってもいいのに。そしたら先輩だって、お目当ての魔核晶を手に入れられたのにって思いません?』
『まぁ……え、ていうかさ。素材回収って統括からの直出し? 局長たちからの依頼で動いてるんじゃないんだ?』
ぼくがいた頃と何も変わってないことに驚いた。やっぱり入会して何年経っても、業務上で深い関わりのない局の実態を知るのは難しかった。
『なわけないですよ。ギルドの年間目標計画に基づいた素材を、あいつらが好き勝手に獲得してくるだけです。だけど魔石局は魔石局で、新しい魔石を開発するって言う年間目標があるから、冒険局の動きと噛み合ってないんですよ。魔導開発局も、一般市場向けの新型製品の開発をしたいのに、既存の魔石ばかり送ってくるな、もっと新しい魔石を送ってくれって、冒険局じゃなくてこっちに文句を言ってくる始末です。いや、困っているのはこちらもなんですよって、何度言ってもぷんすか文句言ってくるし』
『魔石の組成はモンストル依存なところがあるからな。今年の年間目標計画に新種開拓が含まれてない以上、冒険局も積極的に新しい素材を送ってくることはしないだろう』
『その新種開拓ですけど、二年前まで目標に組み込まれていたのに、なんでなくなったんですかね』
『グレンダさんが言ってたけど、助成金の更新申請が通らなかったらしいよ』
『え?……あぁ。うちは中小ギルドだからですか』
『そそ。新種開拓もそうだけど、未踏な地下魔構の調査権にしても、いまウチのギルドが出来るのは測層調査ぐらいだ』
『美味しいところは、ぜんぶ大手ギルドの冒険局が持っていくってわけですね。おかげさまで、こっちは振り回されっぱなしなんですわ。魔導開発局も含めて足並み揃えないといけないってのに……功績評価にしてもそうですけど、なんで冒険者ばっかり特別扱いなんですか』
『リドル君の不満もよくわかるよ。元・冒険者としてはいろいろと思うところもある。でも、仕方がないよ。《星の金貨》はM・Mをはじめ、運営統括委員会のメンバーは全員が元・冒険者だ。身内びいきしたくなるものなんだよ。ウチだけじゃない。いまはどこのギルドもそんなもんさ』
ギルド黄金時代とは言っても、その実態は冒険者たちの一強時代だ。言うなれば、彼らは陽の者たちだ。それを支えている陰の者たちに目が向くことはほとんどない。
『それに、冒険者への福利厚生は手厚くして当たり前だよ。彼らはそれぐらい、危険なことをやっているんだから。明日にも、今朝に顔を会わせた冒険者が、命を失うかもしれないんだ』
『それは、先輩も同じじゃないですか』
『ぼくは無理しない性格だからね。せいぜいレベル1で満足するように心がけるよ』
『えぇ? ホントかなぁ?』
『ホントホント。ところで……』
ぼくは声を潜めてリドル君に尋ねた。
『ちょっと向こうさん、撮られるの迷惑そうにしているだろ?』
『ランドルフ上長ですか?』
『うん』
『まぁ、そうですね』
リドル君が肉片を噛み締めながら、苦笑いを浮かべた。つられてぼくも笑った。伝えるべき事実はちゃんと口にするってところが、この三つ年下の後輩研究者の良いところだ。
『心配するなって言っといて。別に魔石精製の機密情報を外部に漏らすわけじゃないんだ。研究員採用募集のために、あかるーく、たのしーく、仕事しているところを撮ろうってだけなんだから』
『明るく楽しく?』
『うん』
『それ、嫌味で言ってます?』
『違う違う』
『いや、絶対嫌味ですよね?』
『だから違うって』
お互いひとしきり笑い合った。するとリドル君が『ああ、なるほどな』と、ひとり納得したように頷いてから口にした。
『映像広告かぁ……』
『どうしたよ、改まって』
『いや、ちょっと考えたんですけど』
『うん?』
『この時期に出る会誌って、新入冒険者特集ですよね。実地研修開始2ヶ月目の感想も兼ねての』
『そうだけど……え、リドル君、まさか会誌読んでくれてるの?』
『あったり前じゃないですか。とくに先輩が作ってる号は必ずチェックするようにしてます。めっちゃ楽しみにしてるんですよ』
リドル君はにこにこ笑いながら、さも当然であるかのように告白してきた。こういうことを男女関係なくサラッと言ってのけるから、人形愛好家なんてちょっと世間受けしにくい趣味を持っているのに、モテるんだろうな。
『で、その会誌なんですけど、当然ラックベルさんも掲載されますよね』
『新人冒険者特集だからね。ま、でも今回の担当はぼくじゃなくて、ガルフ先輩なんだよ』
『えー、マジですかぁ……なぁんだ』
『楽しみにしていたところ、申し訳ないけどね』
しばしの沈黙が流れた。
『……あ、でも、だったら』
なにかを思い出したように、リドル君が口火をきった。
『作るのは会誌だけじゃなくて、それにプラスして、先輩が新入冒険者たちの映像も製作するってのはどうですか。で、みんなを紹介していくなかで、どーんと、ラックベルさんを特大で、ウチの試写室で映幻鏡に出すんです。こりゃあいい。絶対そのほうがいいですよ』
『なんで?』
『え?』
『なんで映像?』
『だって映像の方が文字や絵よりインパクトあるじゃないですか。それに、あとで広告チックに編集すれば採用募集にもきっと使えますよ。ラックベルさんは広告塔になり得る才能があると、俺は思うんですよね』
『広告塔になり得る才能か……』
『どうかしました?』
『いや、ガルフ先輩と同じことを言うなぁと思ってさ』
『お、やっぱり広報宣伝局でもそんな話が?』
『絶賛持ち上がり中だよ。ガルフ先輩もルイ先輩も、それにリザ先輩もね……ついでに言えば、リーランド上長も乗り気だ』
実際、彼らの言っていることは、あながち的外れでもなかった。ベル・ラックベルは小柄でモデル体型ではないけれど、目鼻立ちがしっかり整っていた。容姿がとにかく綺麗だったのだ。低身長なのは少しネックだけど、そこは工夫次第でどうにでも補えるとぼくは判断したし、なにより宣伝素材として、彼女に人目を惹く力があるのは否めなかった。
『でも、ぼくは反対しているんだ』
『そうなんですか? 意外ですね』
『客寄せ黒熊餅になるんじゃないか……そんな気がしてさ。まだ実地研修だって終わってないんだ。そんな状態で宣伝素材に使われたら、今後の冒険者としての仕事に支障も出るし、彼女のプライドを傷つけるみたいで申し訳ないだろ』
それに、あの娘は自分ひとりだけ目立てれば良いとか、そんな欲深い性格はしていないはずだ。リドル君の案をもし彼女が聞いたら、きっと、あの細くて美しい眉をひそめるに違いないと、ぼくは直感した。
『客寄せ黒熊餅かぁ』
『あくまで、可能性の話だけどね』
『心配しすぎじゃないですか? 噂によると、王立養成学校をけっこういい成績で卒業したって話ですよ。研修期間が終わって実戦に入ったら、ばりばり活躍するんじゃないかなぁ』
『王立って……どこの』
『デル・ストラス王立養成学校ですよ。そこの探索科出身みたいです』
とんでもない一流冒険者養成学校の名前が出て、ぼくは口に運びかけた琥珀茶をうっかり床に落としそうになった。地方の養成学校をまぁまぁの成績で卒業した自分とは、まるで比較にならない。それでも、ぼくはこの時、頑なな態度を崩さずリドル君に言った。
『すごい学校を出ているのはわかったけど。学生時代の成績なんて、なんの意味もないよ』
『まぁ確かに。学歴証なんて、ギルドに入ったら紙切れになりますからね』
『せめて一年様子見だな。この一年で、冒険者としてどこまで成長できるか、しっかり見定める必要がある。ぼくの中ではD級になれば及第点ってところだ』
『D級……? 下から数えて二番目ですけど。あっという間に昇格試験突破しそうじゃないですか?』
『わからないぞ。人生なにが起こるかなんてのは』
『それ、先輩が言うとシャレになんないですって』
『いや、まぁ……ともかくさ。これはリーランド上長にも言ったんだけど、この一年で地下魔構に潜って、どれだけの成果が挙げられるかってところを見ていかなくちゃいけないよ。最低でもD級にランクアップしないと話にならない。宣伝素材として使っても良いかどうかの交渉を始めるのは、そこからだ』
『なんか――んぐ…………いや、なんでもないです』
続く言葉を、慌てた様子でリドル君は呑み込んだ。このトム・バードウッドを前に、そのひとことは禁句だと判断したんだ。彼なりの気遣いだ。
ぼくは彼に対して申し訳ない気持ちになった。だから、話の流れを変えたくて『それにしてもさ』と、わざと声のトーンを高めにして言った。
『リドル君がそこまでラックベルさんに興味を持つなんて、意外だな』
『だってめっちゃ美人じゃないですか』
『きみの集めている魔動人形よりも?』
『魔動人形じゃなくて、美少女魔動人形ですよ……うん、まぁ、比肩すると思いますよ。お世辞抜きで』
『へぇ。ますます意外だ』
『髪はさらさらだし、眉毛のかたちも綺麗だし、目はクリッとしているし、唇もつやつやだし。おまけに性格も良いって話ですよ。魔石局のオールド・レディたちが、わざわざ食事会に誘ったらしいんですが、すごーくいい娘だって、メロメロでした』
『マーガレット女史たちが? そりゃ、さらに輪をかけて意外だな』
琥珀茶を啜っていると、リドル君がちょっと前のめりになって、ひそひそ声で言ってきた。
『ウチの独身研究者たちも、あの新人お披露目会で、みんなラックベルさんに心奪われましたよ』
『ランドルフ上長も?』
『あの人は奥さんいますから。でも、気持ちの優しそうな娘だねって、好印象でした』
『まぁ悪い印象を受けるヤツはいないだろう』
『先輩もですか?』
『え?』
『いや、え? じゃなくて。ぶっちゃけどうなんですか?』
やめろ。にやにや顔で聞いてくるな。リドル君。君の悪いところが出てるぞ。
『……うーん』
間を持たせようと、腕を組んでしばし考えてから、ぼくは自嘲するように笑った。
『難しいな』
『なにが難しいんですか。ぜんぜん難しくないですよ。彼女のことが好きか嫌いか。それだけの話じゃないですか』
はやく答えを教えてくれとせがむリドル君に対して、鼻梁のあたりを指で擦りながら、ぼくは思考を回転させて言葉を選んだ。
『【好き】って気持ちが、ぼくにはよくわからないんだ』
『へ? どういうことです?』
『つまりだな……ぼくはベル・ラックベルのことが、たしかに好きだよ』
『おお。言いましたね』
リドル君のにやにや顔の強度が上がった。
だからやめろ。
そういうのじゃないんだって。
『しかしだよ、リドル君』
『なんですか先輩』
『好きって感情にも、いろいろ種類があるとは思わないかね?』
あえて演技臭い口調で、ぼくは続けてこう言った。
『たとえば、人としてめっちゃ尊敬できるな、とか。この人は信頼に値するな、とか。おなじギルドに勤めている仲間として頼りになるな、とか。そういう部分での好きって感情。これってさ、恋愛感情とは別物だと思うんだよ』
『はぁ』
『恋愛ってのは、もっとこう、激しい感情だろ? 燃え上がる恋がうんたら~~♪とか言うだろ?』
『あ、はい』
『言語化することができない、非言語領域。それが恋愛感情だとぼくは思うんだ。でも、僕は彼女に対する感情を、完全に言語化できてしまっているんだよ』
『え? う、うん。はい?』
『結論。ぼくはベル・ラックベルが好きだが、それは、世間一般が言うところの恋愛感情に由来する【好き】じゃない。ぼくが彼女に抱いている印象は【健気で頑張り屋の新人冒険者】だ。それ以上でもそれ以下でもないよ。言語化完了。ゆえに、これは恋愛感情ではない』
『……あのう……』
『どうした?』
『……前々から思っていたんですけど……』
リドル君が、冷めきった鉄板にナイフとフォークを置いて、言いにくそうな表情で口にした。
『先輩って、めっちゃ面倒くさい性格してますよね』
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