第2話 《夜のはじまり》
駅舎周辺の魔導具店に軽く顔を出し、薬草液、照命石など、探索中に不足が懸念されるものに絞って気持ち多めに購入。
背負鞄に格納されているのは他に、測層器、携帯式の瘴気濃度計、予備の呪文刻印針、救命呼笛、層眼鏡、魔導具に使う携行充填式の魔石。爆火筒、ダルメダス製の鋼刃、固形保存食、経口補水液、万が一のため、消姿草と、簡易宿泊のできる折り畳み式の三角広敷も入れてある。あとは収拾物の一時保存に適した容器も。
重さは占めて約十キロ。鞄自体に搭載されている装飾型の重力軽減効果を持つ魔導具のおかげで、今年で三十歳になるぼくの体でも、背負って歩くのに苦労しなかった。
最寄りの詰め所に行って、入構証を提出した。守衛のお兄さんは、ギルド支給の探索者装束に身を包んだぼくを見て、ちょっと不思議そうな顔を浮かべていた。そりゃあそうだ。休業日に地下魔構に潜る奴なんて、変な奴だと思われても仕方ない。それも、わざわざ人気の少ない街の地下魔構を選ぶなんて、変人以外ありえない。
どこの地下魔構もそうだけど、《ロングレッグス》の入口付近にも、相変わらず魔光掲示板が立てられていた。右から左へスライドされていく情報を眺めた。どこかのギルドの測層局が、測層調査の一環で各階層に設置した瘴気濃度計の数値は、地下全十二層のすべてで基準値以下を示していた。
(よし。オーケー)
瘴気濃度計を革帯にセット。履き慣れた跳舞靴で地下魔構の第一層の土をしっかりと踏みしめ、探索開始。
まずは背中に左手を回し、背負鞄のサイドポケットから照命石をひとつ取り出し、龍魚に餌をやるような感じで投げた。白い石は地面に落ちることなく、ぼくの胸の辺りで浮遊。中心から淡く光ってあたりを照らした。
瘴気濃度計が、わずかに反応音を出した。直後、湿り気を帯びた岩肌に複雑な陰影が刻まれ、大小さまざまな岩の陰から、子供の頭部ほどのサイズを持つ粘塊状のモンストルたちが姿を見せた。
(はいはい、順調に出てきたな)
予想通り、青白いプラーグたちはキィキィキィ――――とカンに障る鳴き声を上げながら、もぞもぞと土を這ってこちらに向かってきた。ぼくは耳栓したい気持ちになりながらも、腰の革帯に差した黒い短杖型の魔道具を取り出した。
プラーグたちが溶解液を放出するより先に、杖の先端を集団の一匹へ向けて、魔導具取説に記載されている呪文を詠唱――杖先で閃光が迸り、拳大に燃え盛る火球が奔った。
標的に定めたプラーグに火球が直撃。奇妙な叫び声をあげて蒸発した。一発だ。元E級冒険者のぼくでも一発。べつにぼくがすごいんじゃなくて、魔導具のおかげだ。
地下魔構が世界のあちこちに出現したばかりの頃、つまりモンストルへの対策に後れを取っていた時代は、プラーグ相手にも手こずったと、養成学校時代に学んだ。そういった歴史的背景を考えると、先人様々だ。やっぱり人類を成長させてきた、その根源にあるのは知的探求心なんだ。
(こいつら、からだがほとんど魔核晶みたいなもんだから、やっぱりめっちゃ狩りやすいな)
一匹のプラーグが駆除されたとき、残りがどういう行動に出るか。すでに知識と経験でこちらは把握済みだ。実際、同胞の死を目撃(いや、感覚と言った方が適切か。こいつらに光学受容体はあっても視覚器官はない)したプラーグたちは、大きくその形状を凹型にへこませはじめた。勢いをつけて跳び跳ね、四方八方に点在する岩陰へ退避しようというのだ。
(逃げても無駄なのに)
すかさず右腕を振り下ろした。十年前の事故で失われた右肘から先の部位が、眩く銀に光った。魔導移植手術により埋め込まれた、ぼくが扱えるもうひとつの義手型魔導具。
影響紡ぎの専用魔導具。
その名は《夜のはじまり》。
搭載されている魔石と呪文のおかげで、こいつは一風変わった魔導効果を備えている。
詠唱。そして、モンストルたちへ向けて右手を伸ばし、指弾――銀色の人差し指と中指の腹を勢いよく擦り合わせた。
《夜のはじまり》に秘められた魔導効果が粛々と発動。プラーグたちの周囲を、立方体を描くように光の線が奔り、そして消えた。
直後、跳躍したはずのプラーグたちが、見えない壁に阻まれたかのように呆気なくはじき返された。行き場をなくして一か所にかたまり、右往左往している姿を見ると、ちょっと可哀そうになってくるけど、仕方がない。
見えない壁に囲まれているんじゃなくて、そこだけ空間が周囲から断絶されているんだから。
これが《夜のはじまり》の力。魔導効果は【ディレクション】。単純攻撃効果や強化/減衰効果のような、目に見えてわかりやすいものじゃない。
任意の空間を【切取】して【編纂】する
それが【ディレクション】だ。
プラーグたちは、もはや透明な檻に囚われたも同じだった。
短杖を振り、詠唱――拳大ほどの大きさの火球がいくつも連なって、断絶された空間の中へ押し込まれたプラーグたちへ直撃した。奇怪な叫び声が幾重にも重なって、層内の壁に反響した。
《ロングレッグス》最弱のモンストルたちが黒焦げになっていく。と同時に、対象を空間ごと切り離していた【ディレクション】の魔導効果も消え、右腕が放つ光も消失した。
耐熱の魔導効果を持つ黒い手革袋に覆われた両手で、余熱に気をつけながら、ぼくはこの不気味な粘塊モンストルの死骸を漁った。
(えっと……)
頭の中で仕事に必要な素材リストを諳んじながら。煤けてパリパリに乾燥したプラーグたちの表皮を、一匹ずつ丁寧に剥いていった。
中から現れたのは、小指の第一関節部分ほどの大きさに砕けた、赤、緑、紫、それに、白の魔核晶たち。モンストルの核だ。
摘まんで鼻先に近づけると、わずかに刺激臭を感じた。手革袋越しに若干の粘り気を感じたが、層内の空気にしばらく晒していると、熱が引いて硬質化していった。
(計十三個か。今日の入手確率はけっこう良さげだな)
これを魔石局の連中が見たら、魔石抽出・精製の材料にするんだろうが、広報宣伝局に在籍するぼくの場合は違う。
(リドル君には申し訳ないけど、こいつらはぜーんぶ、いただいちゃうもんねー)
魔石製造過程とは異なる手法に魔核晶をかければ、それは魔導具カタログや会誌の製作時に使う絵色具になり、写画機の感光膜にだってなる。魔石局の奴らだけじゃない。魔核晶は広報宣伝局に勤めるぼくの仕事においても、必要な素材なのだ。
(いや……全部持って行くのはやめとくか。厳選しよう。たくさん持ち帰ったところで保管場所に困るし……へぇ。なかなか良い透明度のものが揃ってるじゃないか)
ひとつひとつ魔核晶を手に取り、照命石で照らして色味を吟味した。向こう側が透けて見えるものだけを選んで背負鞄に収納。
(……やっぱり、リドル君にもいくつか持っていってやろう。いつも話し相手になってくれてるもんな)
前言撤回。土面にちらばる残りの魔核晶も回収した。
▲▲▲
ここでひとつ、言っておこうか。
空間を断絶することのできる魔導効果を持つ、影響紡ぎ専用の魔導具。『断絶』なんて強い表現をカッコつけて使ったから、そんなものを持っているのなら、最強じゃないかって思う人もいるだろう。
はっきり言って、それは誤解だ。《夜のはじまり》がそんな高性能だったなら、あのプラーグたちに止めを刺すのに、わざわざ短杖なんて使わない。
ぼくをはじめとした影響紡ぎたちが保有する専用魔導具である《夜のはじまり》。それが備える魔導効果【ディレクション】は、厳密にはふたつの魔導効果によって成立している。
それが、空間の【切取】と【編纂】だ。どちらも、その直接効果対象はモンストルではなく、あくまで空間そのものだ。だから【ディレクション】は単純攻撃効果には該当しない。
【切取】は文字通りそのままの効果。任意の空間を切り取るってことだ。切り取られた空間面に触れることはできるけど、空間内に存在するものへの物理的な干渉は不可能。それは外からも中からも同じ。ただし、干渉できないのは、あくまで物理的なものに限定される。魔導効果はその限りじゃない。
そして【編纂】だけど、これはあんまり実戦向きじゃない。いわゆる、魔石の持ち腐れという奴だ。地下魔構でそれを使ったことなんて、一度もなかった。前にルイ先輩たちに聞いたことがあったけど、やる必要がないことをなんでやらなきゃいけない?って言ってた。
そもそも、《夜のはじまり》が影響紡ぎのみに使用許可が出されている魔導具って時点で、冒険者が扱うそれより実戦向きではないってことが証明されているようなもんだ。冒険者らの扱う魔導具のほうが、よっぽどイカれているし、実戦的だし、魔導効果の威力も絶大だ。灼熱の大玉を出してモンストル達を一網打尽に焼き尽くしたり、層内を氷雪地帯に変えるなんてのは、まだ可愛いほうだ。
魔族と違い、生まれつき魔力を持たない人間に人造の魔力発生器官を埋め込んで、脳や心臓に魔導具の代理をさせる。そんな特殊な魔導移植手術も、いまでは冒険者の間で普通になっている。ぼくの《夜のはじまり》は、本来なら裁鋏の形状を取っているんだけど、ぼくの体を憐れんだ専属医の温情とリーランド上長の意見もあって、魔導移植手術を経て右腕に移植したのだ。
魔導移植手術を受けた影響紡ぎなんて、かなりレアかもしれない。そういう意味では冒険者に勝っているけれど、地力が違うんだから話にならない。それに、魔導移植手術を受けた冒険者たちのなかには、古の大魔王の配下にいた魔人たちに匹敵する力を持つ奴もいるって話だ。
ぼくにそこまでの力があるわけがない。人間でありながら、人間ではない力を身に付ける。そこに恐怖を感じてしまう、ぼくのようなザコメンタル野郎では、冒険者たちと背比べしようにもできない。
それに、移植手術の経験あるなしに関係なく、第一線で活躍している冒険者たちに共通しているのは、肝が据わっているってところだ。良い意味で神経が図太くなければ、陽が差さない暗い層に、何十時間も毎日のように潜入して、平気な顔していられるわけがないんだから。
冒険局で活躍するには、それぐらいの強いメンタルをしていなければならないのだ。