表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/34

第31話 おめでとう

 リザ先輩、ノヴィアに続き、最後のひとりが病室を訪れたのは、警邏隊の聴き取り調査が終わった翌日の昼過ぎのことだった。


「ごめん」


 挨拶よりも先に、その言葉が零れた。茶色のセミロングヘアを後ろでひとつに束ねた彼女の、透き通った鳶色の瞳。そこから目を逸らしてしまえば、ぼくは一生、自分を許せない気がした。《囀り》を倒し、霧が晴れるように記憶が戻ったとき、もし彼女がここに来てくれたなら、真っ先に謝ろうと心に決めていた。


「ダエラさんから聞いたよ。あのニャラームの広告のせいで、君が追跡行為ストーカー被害に遭ったって」


 彼女は最初、こちらの謝罪の意図を測りかねているようだった。だが「追跡行為ストーカー」という単語を口にした瞬間、その瞳がわずかに揺れ、所在なげに泳いだ。


「すべて、企画したぼくの責任だ。君と仕事ができるのが嬉しくて、ぼくは……浮ついていたんだ。君をどれほど危険な目に遭わせるかなんて想像もしてなかった。人を起用して仕事をするという責任の重さを、何もわかっていなかった」


「先輩、何を言ってるんですか。謝らないでください」


 彼女は遮るように言い、困ったように眉を下げた。


追跡行為ストーカーの話……あれ、嘘なんです」


 耳に届いた言葉の意味が、すぐには像を結ばなかった。


「どういうこと?」


 問い返すと、彼女はまるで悪戯を見つけられた子供のように、両手を後ろに回してベッドの上を凝視した。


「わたしがダエラさんに相談したんです。そうしたら、一芝居打とうって話になって」


「つまり、実際には被害に遭っていなかった、ということ?」


「はい」


 ばつの悪そうな表情で、彼女は白状するように続けた。「ついでに言うと、引っ越しというのも嘘です。ダエラさん、先輩にかなり強く釘を刺したんですよね。あとで聞いて、申し訳なくて」


 記憶が蘇る。あの時のダエラさんは、獲物を射抜くような眼光で『二度と彼女に近づくな』と拒絶してきた。その気圧されるような迫力に、ぼくも、同席していたリーランド上長も竦み上がった。

 結果としてぼくは彼女との接触を断ち、彼女もまた、こちらを避けるようになった。


 あれから、もう一年が経ったのか。


 今さらながらに流れた月日の重さを自覚し、改めて彼女を見た。袖口から覗く白い肌、凛とした佇まい。新たな門出を迎えた彼女は、以前よりもずっと、手の届かない場所で輝いているように見えた。


「よかった……」


 心から、安堵の息が漏れた。


「君が本当に怖い思いをしたわけじゃないと分かって、救われた気分だよ」


「すみません」


 彼女は律儀に頭を下げた。


「先輩を騙したかったわけじゃないんです。でも、あの時のわたしには、他にどうすればいいか分からなくて。心がいっぱいいっぱいで、毎日悩んで……。それしか、方法が思いつかなかったんです」


「心がいっぱいいっぱい、って……」


 聞くな、と内なる自分が叫んだ。けど、その問いを止めることはできなかった。言葉にした瞬間、舌の上に苦い後悔が広がる。

 彼女が嘘を吐いてまでぼくを遠ざけた理由。それに心当たりがないと言えば、それこそ自分への欺瞞だ。

 けれど、その真実に自分から触れに行きたかった。自分自身が正しく傷つくために。そして、彼女ならぼくを「正しく傷つけてくれる」と信じていた。


「ずっと、気づいていました」


 予感通りの答えが、静かに降ってきた。


「バードウッド先輩が、わたしに特別な感情を向けてくださっていること」


「……そうか」


 だからこその、あの一芝居だったのだ。ぼくを傷つけきらずに、けれど決定的に引き剥がすための、彼女なりの、そしてダエラさんなりの「慈悲」だった。


 はっきりと口にしてくれる彼女は、やはり残酷なまでに優しい。問題は、やはりぼくの側にあるのだ。望まれない愛を抱き、それが無価値だと分かってからも、惨めに執着し続けたぼくの心の弱さに。


「そんなに分かりやすかったかな?」


 完璧に隠し通していたつもりの手品を、一瞬で見破られていた観客に尋ねるような心地だった。


「はい。それはもう」


 彼女は少しだけ、茶目っ気のある苦笑いを浮かべた。


「カメラのシャッターを切る手に、熱がこもっているのが伝わってくるようでした」


 カッと顔が熱くなり、思わず視線を逸らした。情けなくて、消えてしまいたかった。自然な振る舞いを装いながら、下卑た欲望がだだ漏れになっていたなんて。


「ごめん。本当に、ごめんなさい」


 項垂れ、喉の奥から絞り出す。その謝罪に込められた重すぎる自責を感じ取ったのか、彼女は慌てたように手を振った。


「やめてください、先輩! わたし、先輩に聞かれなければずっと隠しておくつもりだったんです。気持ち悪いなんて、一度も思ったことはありません。本当です。地下魔構ダンジョンに潜ってばかりだったあの頃、先輩とお仕事ができて、本当に楽しかったんですから」


 彼女は一度言葉を切ると、意を決したように背筋を伸ばした。


「……それで、今日はそのお礼と、ご報告に来たんです。わたし、来月いっぱいで《星の金貨(スターチップ)》を辞めることにしました」


「え?」


「先輩のせいじゃありませんよ? 理由があって、行かなきゃいけなくなったんです」


「行くって、どこに?」


「リッツ大陸です」


 海を隔てた新天地の名前が飛び出してきて、目を丸くした。聞くところによると、彼女の夫、クレイ・オーガストの超長期遠征が理由だという。

 半年前、海を隔てたリッツ大陸で未踏の巨大な地下魔構ダンジョンが発見された。人材不足に悩む現地政府の要請を受け、シュワルティア共和国に話が流れたという。そこからギルド協会を通して白羽の矢が立ったうちのひとりが、《陽だまりの大樹(サンセット・グローブ)》に所属するSS級冒険者の彼だった、ということらしい。


「何年かかるか分からない遠征に、夫を一人で行かせるわけにはいきませんから」


 向こうで愛人でも作られたりしたら困りますし、と彼女は屈託なく笑う。その冗談が言えること自体が、二人の間に築かれた揺るぎない信頼の証だった。


「一緒についていくのが、結婚の条件でもあったんです」


「そうか……」


 寂しくなるな、という言葉を飲み込んだ。ぼくにはそれを言う資格も、権利もない。


「急だね。お見送り会も、慌ただしくなりそうだ」


「そんなに盛大にやらなくてもいいのに。ギルドのみんなには申し訳ないくらいです」


「みんな、君のことが心配で、同時に信頼しているからだよ。だからこそ、最高の形で送り出したいのさ」


「心配なのに、信頼している……?」


「矛盾して聞こえるかい? でも、人間の心なんて矛盾だらけなのが当たり前なんだ」


「ふふ、相変わらずですね、先輩。深いことを言っているようで、よく分からない。わかったような言い回しで、煙に巻いてしまうところ」


「はは、煙に巻くか……」


 乾いた笑いが漏れた。「そうでもしないと、前を向けるか不安だったんだよ。今までのぼくは……意味、わかるかな?」


「さあ、あんまり」


 お互いに小さく笑い合う。不思議と、肩の力が抜けていくのがわかった。


 彼女が遠くへ行ってしまう。その事実に打ちのめされるかと思ったが、意外にも心は静かだった。執着という名の重石が、ようやく外れたのかもしれない。

 今のぼくは、自分の幸せよりも、ただ彼女の幸せを願って止まなかった。


「ぼくはたぶん、お見送り会には出られない。だから、今ここで言わせてほしい」


 彼女が黙ってこちらを見つめる。その瞳に、逃げ出したくなるほどの緊張と、受け止める覚悟が宿る。


「ぼくは、君のことが大好きだった」


 澱みなく、その言葉を置いた。


 病室を静寂が満たす。それは拒絶の沈黙ではなかった。一つの関係が終わり、新しい何かが始まる瞬間の、清冽な静けさだった。


「叶わないと分かっていても、ありもしない可能性を夢見て、結果的に君を追い詰めてしまった。ぼくはわがままで、臆病で、自分を守るために言い訳ばかりしてきた男だ。それがトム・バードウッドの本質なんだろう。でも、今日だけは逃げたくない。嫌われても、罵倒されてもいい。これだけは、伝えたかった」


 肺いっぱいに空気を吸い込む。この鳶色の瞳を、何十年先も、死の床につく瞬間でも思い出せるように、魂に刻みつける。


「結婚、おめでとう。ベル・オーガスト」


 その瞬間、心臓を鷲掴みにされたような痛みが走った。けれど、彼女に悟られないよう、ぼくは精いっぱいの微笑みを浮かべた。


「ありがとうございます、トム・バードウッドさん」


 彼女の声は震えていた。けれど、そこには一人の自立した女性としての、揺るぎない力強さがあった。


「本当に、ありがとうございます」


「お礼を言うのはぼくの方だ。良い人に、巡り合えたんだね」


「はい。それはもう」


 彼女はそこで言葉を区切り、太陽のような、眩いばかりの笑みを浮かべた。


「でも、わたしばかりが祝福されるのは、ちょっと気が引けます。だから先輩、約束してください」


「約束?」


「そうです」


 彼女はこちらの目を真っ直ぐに見つめ、告げた。


「わたしより、必ず幸せになってください」


 その言葉は残酷なほど美しく、そして救いに満ちていた。


「わかった」


 応えなければならない。この先、どれほど凍えるような孤独な道を歩むことになっても。


「約束するよ。ベル・ラックベルさん」


 彼女との思い出を消えない灯火にして、ぼくはぼくの人生を証明しなければならないのだ。










___________


 さて、ずいぶんと長くなってしまったけど、これでトム・バードウッドの物語はおしまいだ。明日から、塀の向こう側で、罪を償わなくてはならない毎日がはじまる。


 二年近くに渡る裁判の結果、ぼくには有罪判決が下った。ノヴィアさんはじめ、みんなの協力があったにも関わらず、司法はぼくに決定的な一撃を振り下ろした。


 でも、裁判官らに対する恨みはまったくない。遺族の方たちの心情を思えば、そんな負の感情を持つなんて間違っている。


 そもそも、ぼくはもう、そういうことはやめたんだ。思い通りにいかない現実を前に、言い訳をしたり、憐れみを誘ったり、自己嫌悪に陥ることは。


 なにより、ベル・ラックベルとの約束がある。それを胸に、これからの人生を生きなくては、いまも海を隔てた遠くの土地で夫を支えている彼女に、会わせる顔がないじゃないか。


 それにしても、この冊子ノートはどうしよう。このまま捨てるのはなんだか惜しいし、かといって、ずっと手元に置いておくことはできない。


 リドル君あたりにでもお願いして、古市場に流してもらおうかな。あそこでは、素人の日記帳が売買されることもあるって聞くし、そうしよう。


――じゃあ、将来これを手にしているかもしれない、稀有な読者の方へ。


 ここまで読んでくれて、本当にありがとう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ