第29話 ノヴィアとアレックス ②
「当時、彼は自身が所属していた班のメンバーと少数のチームを組んで、測層を終えたばかりの地下魔構に潜っている最中に……《パニック・ルーム》に遭遇してしまったんです」
ノヴィアの口から飛び出たのは、冒険者たちにとって忌むべき罠の名だった。
《パニック・ルーム》――通常のモンストルの生産よりも、数倍の速度で大量のモンストルが湧き出てくる地獄の仕掛け。ぼくは幸運なことに遭遇したことがないから話に聞いているだけだけど、おそらく、ポータル・モンストルの輸送速度よりも早く、数もずっと多いはずだ。
「潜っていた地下魔構のレベルは3。決して、実力不足じゃなかったはずなんです。アレックスを含めて五人。みんなそれぞれに実績があった。それでも……あの恐ろしい仕掛けを前にしたら……どうしようもなかった」
この国の統計によれば、《パニック・ルーム》に遭遇する確率は低いとされているが、その殲滅力の凄まじさゆえに、五人チームで遭遇した時の平均帰還人数は0.7人と言われている。つまり、五人でチームを組んだとしても、そのうちのひとりを無事に地上へ還せるかどうかも怪しいということだ。
火力で押す以外の手段は有効打になりえず、チーム全員で、超広範囲・超高火力の魔導効果を大量のモンストルたち目掛けて継続的に放ち、生産が停止するのを待つしかない。それが、現状における《パニック・ルーム》の有効的な突破方法。冒険者に求められる要求レベルが、非常に高いことでも知られている。
また、仕掛けの罠は壁や岩に周到に擬態していることが多く、熟練の冒険者や測層部隊でも、展開前の《パニック・ルーム》を発見するのは、相当に難しいとも聞いている。
「アレックスはみんなを先に逃がして、自分ひとりだけ《パニック・ルーム》に残ったと……帰還してきた人たちから、そう聞きました」
「ひとりだけって……それじゃあ、他の人たちは全員無事に帰還できたんですか?」
ぼくの問いかけに、ノヴィアは黙って頷いた。
絶句した。
嘘だろう? そんなことが可能なのか?
いや、ノヴィアがこうして話してくれているということは、帰還者から事の次第を聞いたということだから……本当の話なんだろう。
それでも、信じられないという気持ちだった。
アレックスという人は、どれだけすごい冒険者だったんだ。
「事態を把握したギルドの手で、すぐに救助隊が組まれました。キレートとエディさんも参加してくれて……あたしは、ただ二人の背中を見送ることしかできなかった……それが、いまでもすごく悔しい……」
俯くノヴィア。その頬を熱い雫が流れているであろうことは、わざわざ顔を覗き込まずともわかった。
そして、救助隊が潜行した結果を彼女が口にしないということは、つまり、そうだ。
そういうことなんだ。
「あのときのあたし、心がぐちゃぐちゃになってて……はじめは帰還してきた同僚たちを激しく問い詰めました。誰が《パニック・ルーム》の罠に引っかかったの!?って……でも、怯えながらも言い淀む彼らを見て、さすがのあたしも気づきました」
「まさか、それって……」
「……あの人らしいです。本当に」
ノヴィアが、哀しみをこらえるように、力なく笑った。
「責任感の強い人だったから。誰かに頼るのが苦手な人だったから。自分がやってしまったことの落とし前を、自分でつけようとしたんだなって。でも、でもね、トムさん。あたしは、こうも思ったんです」
どうして、彼のそばにいてやれなかったのかって――
「あたしが、あの時そばにいても、なにもしてあげられなかったのはわかってるんです。文献調査員だから、命を張る冒険者の力にはなれない。《パニック・ルーム》を切り抜ける力なんて、あたしには備わっちゃいない……そんなことはわかってる。当然わかってる。でも、そういうことじゃないんですよ。あたしが言いたいのは、そういうことじゃなくて……」
「大丈夫ですよ」
ぼくは、自分でも驚くほど、落ち着き払った声を出した。
「大丈夫。ちゃんと、聞いていますから」
「……ありがとう」
ぼくは頷き、左手を伸ばして、近くの紙箱を手繰り寄せようとした。
ノヴィアはその手を止めると、ポケットからハンカチを取り出して、目尻を拭った。
自分でできることは、自分でやりたいとでも言うように。
それは、アレックスからの影響なんだろうか。
「……アレックスの一件があってからのあたしは、ギルドを長期休業して、一か月後に退所しました」
ある程度の落ち着きを取り戻したところで、ノヴィアがふたたび口を開いた。
ぼくは彼女の話に、黙って耳を傾けた。
「それからしばらくして、キレートとエディが家を訪ねてきたんです。ふたりとも、普段とあまり変わらない調子でした。あたしに、気を遣わせまいとしたんでしょうね。あんまり覚えてないですけど、最初はお互いの近況報告というか、他愛のない話をしていたと思います。でも、帰りがけにキレートが言ったんです。『新しく立ち上げるギルドのことなんだけど、看板の名前、お前が改めて考えてくれよ』って」
キレートらしいなと思った。相手を選ぶやり方だけど、きっと、彼なりの励まし方なんだろう。
「てっきり、ギルド立ち上げの件は白紙になったものとばかり思っていたんで、彼がそれを口に出してきたことに驚いたし、ちょっと不快感も覚えたんです。アレックスが亡くなって、こっちはまだ気持ちを切り替えられていないのに、なに言ってるんだろうって……だから『少し待ってほしい』って言って……そうしたら今度はエディさんが『お前の好きなように名付けてくれていい』って言うんです。まるでそうなることが自然かのような口ぶりでした」
おそらく、彼らなりにアレックスを悼もうとしているんだと、その時のノヴィアは感じたらしい。
苦楽を共にした同僚を救助できなかったことに対する後悔を抱えたまま後ろを向くのではなく、生き残ってしまった事実に向かい合い、いなくなった者に対してどう責任を取るべきなのか。キレートもエディも、きっとそのことを考えていたのだろう。あの二人なら、それぐらい深く考えるはずだ。
「話を受けてから一か月くらい、来る日も来る日も、ずっと考えました。アレックスもいなくなって、ギルドも辞めて、キレートたちとなにをすればいいんだろう。あたしはなにがしたいんだろうって。考えて考えて、考え抜いて……」
そこで、ノヴィアはひとつの目標を導き出したという。
「目に見える存在の叫びを聞くことの意味を、知らなくちゃいけないと思ったんです」
清潔の行き届いた白い病室には似つかわしくない、昏い地の底を這うような声でノヴィアは言った。
「あたしが、目に見えない存在の声を聴こうとしていたとき、彼は、目に見える存在の叫びを耳にしていた。それって、どういう感覚なんだろう。どういう気分なんだろう。それを、知らなきゃいけないと思うようになったんです。彼が見ていた世界を、あたしも見るべきだった。生き残ってしまった者としての責任を、果たさないといけないと感じた。《放浪の三つ首》って看板名で、新たにギルドを立ち上げて、冒険者の道を歩もうと決めたのには、そういう背景があったんです」
それと同時に、彼女は文献調査員を辞めた。
目に見えない存在の声を聴くことから、遠ざかる道を選択した。
それは他でもない。ノヴィアの覚悟が、そうさせたのだ。
「ギルドを立ち上げたばかりの頃は、アレックスがしていたように、モンストルの叫びを聞くことを己の義務にしていたんです。
でも、次第に考えるようになった。このままで本当に自分は大丈夫なんだろうかって。いまのままでいいはずがないって思うようになりました。なぜかって、自分が地下魔構に潜ることの理由に、アレックスを使っているように感じたから。
だから、確かめなくちゃいけなかった。自分に冒険者としての自覚や責任感が本当にあるのかどうか。それを確かめなかったら、キレートやエディさんにも申し訳が立たない。
実は、トムさんと出会ったあの日は、三年前にアレックスに誘われた日だったんです。新しくギルドを立ち上げようって……そう声をかけられた日。忘れもしません。あたしにとっては、人生の分岐点になるはずだった記念日なんです。そういう日だからこそ、地下魔構に潜ってみる意義があった。素材集めのために潜ったというのは、嘘。本当は、自分の気持ちを確かめたかっただけなんです」
自分の気持ちを確かめたかった――そこに至るまでの過程は違えども、彼女もぼくと同じだったということか。
「アレックスのことと、これからのこと。そのすべてに自分の中で結論を出すためにも、あたしはひとりで《レボリューショナリー・ロード》に潜る予定だった。
詳しい事情は伝えず『どうしても、ひとりで素材集めをしたい』って適当に理由をでっちあげたら、ギルドの大部分のメンバーは快く受け入れてくれました。でも、キレートとエディさんだけは、なにがなんでも一緒についていくって聞かなくて……もうその時点で、こっちが何を考えているのか、見抜かれていたんでしょうね。
彼らの親切心を振り切れなかったのは、きっとあたしの弱さのせい。だって実際、地下魔構に潜ってからのあたしは、ずっと弱いままだったから。だから、幻影なんかに惑わされるんです。あの人の……アレックスの幻影に」
前のギルドでお世話になった人の姿を見かけて、必死になって追いかけていたら《隠し階層》に落ちてしまった――そう、彼女が言っていたのを思い出した。
前のギルドでお世話になった人。
それは、アレックスのことを指していたんだ。
「彼がいるはずなんか、ないのにね」
ノヴィアは自嘲気味に笑った。それでもこらえきれないものがあったのだろう。
彼女の声が、再び震えた。
「いるはずなんてないのに、信じたかった」
「ノヴィアさん……」
「アレックスの遺体は、まだ発見されていない。もしかしたら、あたしの知らないところで帰還して、理由はわからないけど、どこか別の地下魔構で生きているのかもしれない。そういうことが、あってもいいんじゃないかって思ってしまったの。
だから、声をかけた。声をかけたら、あのいつもと変わりない、ちょっと不器用な笑顔を、あたしに向けてくれるんじゃないか。そして彼は言うの。『ノヴィア、こんなところでなにしてるんだ? 危ないじゃないか』って……そんな、ありもしない、馬鹿みたいな妄想に縋り付いて。でも、その結果として、みんなを危険な目に遭わせてしまった」
そこで言葉をいったん区切ると、ノヴィアは、心を絞り出すように口にした。
「本当に情けない……あたしは、冒険者失格です。それに、《魔王の遺産》を目にしたときに、なぜだかアレックスへの気持ちが溢れてしまって……こうしている今も、どうしようもないんです」
目元をハンカチで拭いながら、しゃくりあげるように心を暴露した。
「伝えたい言葉があった。聞きたいことだってたくさん。もっともっと、彼のことを知りたかった。たくさんお話がしたかったし、いっしょにいろいろなところに出かけたかった。
地下魔構に一緒に潜ることよりも、もっと楽しいことをたくさんやりたかった。いっしょに旅行にも行きたかったし、いっしょに美味しいスイーツのお店にだってたくさん行きたかった。アレックスは本を読むのが大好きだったから、彼が買いたがっていた本をたくさん買ってあげたかった。
でも、もう全部できない。それを考えると、もう、あたし、どうしたらいんだろうってなって、それで――」
そこまで話し終えたところで、ついに我慢がきかなくなったのだろう。
ノヴィアは濡れたハンカチで顔を覆うと、ぼくの目も気にせず、さめざめと涙をこぼし続けた。
ぼくは、残された左手で、彼女の肩にやさしく手を置いた。
冒険者装束でもなんでもない、ごくごく普通の村娘が着ているような白いシャツ越しに、彼女の体温を感じた。彼女が生きている確かな証を。
触れていると、彼女の言葉にならない想いが掌に伝わってくるようだった。
だから、彼女が泣き止むまで、ぼくはしばらくのあいだ、そうしたのだ。




