第24話 ズィータ戦域 ⑤
守護士や塵闘士、魔撃士など、戦域の前線に立つ冒険者たちの身体面を支援する――それが強奏士の務めだ。役職のなかでは、結構歴史が古かったりする。彼らの扱う魔導具および対応する呪文刻印針には、任意対象者の膂力の底上げをはじめとした、物理支援型の魔導効果が付与されている。
でも支援型と言っても、軽業士のように重宝される役職じゃない。そもそも地下魔構に潜る冒険者たちなど、普段から己の肉体を鍛えているのがほとんどだ。わざわざ肉体的な支援を必要とするまでもない。
冒険者業務の制度化が確立されておらず、個々の身体面における熟練度に見過ごせない格差のあった大昔なら話は別だろうけど、現代の冒険者界隈では強奏士など無用の長物。自ら進んでそれを志す者などいない。要するに、ハズレの役職なのだ。そこに稀代の王認冒険者が就いているだけでも驚きなのに、ぼくの知識の中にある強奏士とは大きくかけ離れた振る舞いをしているから、なおさら困惑してしまう。魔導具の強化だけじゃなく、魔導効果の強化も出来るなんて、そんなの聞いたこともない。
可能なのか? いやまぁ、実際にやっているから可能なんだろうけど……だとしても、脚力を強化すれば空中を闊歩できるなんて、そんなの本や超画の世界じゃないか。あの質量を持つ大量の分身――それは増殖に近いって表現した方が正しいけど――にしたって、とにかく強化の上限が常軌を逸しているんだ。
「あの子の扱っている魔導具は魔導開発局の特注製でねぇー。《強化》の定義や選択範囲を広げているんだぁー。誰にでも扱える代物じゃなくてねぇー。空間把握能力に長けた才能がないとぉー、《強化》の選択範囲をミスったりするからねぇー」
ぼくの心中を見透かすように、ミナリさんが解説を加える。
「使っている魔石や呪文刻印針にしたってぇー、かなりの高品質なんだってよぉー」
「でも《触観走査》を使ってましたよ。あれは救護士の専用魔導具でしか扱えない魔導効果なんじゃ……」
「厳密には技能模倣みたいなもんだねぇー。【観察行為】を《強化》してるってわけぇー」
「無茶苦茶だ。そんなのなんでもありじゃないですか。ウチの魔導開発局ってそんなに凄かったんですか?」
「同感ですね」初対面にも関わらず、ロッカくんが人懐っこそうな声音で言った。「私も知りませんでした。てっきり当ギルドの魔導開発技術は、良いとこで中の下だと思っていましたから」
「ありゃりゃー? ロッカくん知らんのかいぃー? あれは新郎が所属してるギルドの魔石開発局が造ったんだよぉー。婚約して、ベルちゃんあそこの友好協力者になっただろぉー? その契約履行の際に新郎からいただいたんだとぉー」
「さすが、大手ギルドは違いますね。さしずめ、婚約指輪ならぬ婚約魔導具ですか」
将来を誓い合った大切な人から贈られた魔導具を両手に備え、ベル・ラックベルは勇猛果敢に《魔王の遺産》へと挑みかかっている。純白のドレスの裾を翻して魔導障壁をぶっ叩き、高い伸靴をものともせず蹴り技を浴びせるその姿は、重力すらも味方につけているように思えてくる。黄昏に燃える宙は、彼女の戦舞台そのものだ。こうした戦闘技術もまた、優れた空間把握能力を宿すと言われている彼女だからこそ身に付けることができたのだろう。
たったひとりの冒険者に、ここまで猛攻を仕掛けられるとは想定していなかったのか。《囀り》に人間や竜のような知性があるかどうかは定かじゃない。けど、危機感は覚えたはずだ。その証拠に、浮遊する巨大人型兵器は、有効強度の限界点を迎えそうになっている魔導障壁の上書きに着手しようとしていた。象徴じみた黄金鐘を、まるで大弓のように後方へ強く大きく引き絞り、重力に任せて前方へと振り下ろそうとした。ぼくの眼にも、それはたしかにそう映った。
だが、
「きます! ダエラさん!」
あの忌まわしい不協和音が世界を満たす直前に、ベル・ラックベルが叫んだ。
その拍子に《ワイズ》が、ここに来て一番の大咆哮を《囀り》に向けて浴びせかかる。 戦域一帯に衝撃波にも似た振動が、波のように襲い掛かってきた。腕の産毛が痺れるように震えるのがわかった。ベル・ラックベルの魔導効果で膂力を底上げ、聴力制御がされていなければ、とっくに鼓膜を破壊されている規模の咆哮だった。
「あん……?」エディがまず気付いた。
「幻覚が……こない!?」キレートが驚きに声を上げる。
「そうか。そういうことか」ロッカくんが納得いったように頷いた。「黄金鐘の音そのものが幻覚攻撃になっているんじゃないんだ」
「音は、あくまでも媒介物質でしかない。魔導効果とは別なんだ」さすがのぼくも、ここに来てようやく理解できた。「幻覚の魔導効果を乗せている『音』そのものを、同じ波長の音をぶつけて干渉作用を起こせば……」
『ベル! どうだ!? いけそうか!?』
『はい!』
ベルのしなやかさが加速する。両手を翼のように優美に広げ、爪の先で宙を弾く。
「――拍連環」
高速圧縮詠唱、のち魔導効果。まるで音を刻むように。律動的に。鼓笛のような力強さを指先に乗せて、彼女と彼女の実体幻影たちは足元に光の尾を引いて、魔導障壁の表面をなぞるように泳いだ。
再び爪の先で宙を弾く。魔導効果が発現。自身の膂力を極限まで、段階的に成長させる力の戦合図。敏捷性を武器に俊敏に宙を駆けながら拳打を浴びせかかり、応じるように白熱光が飛んでくる。物理的および魔導的損傷を交互に受け、白閃の明滅を繰り返す魔導障壁。空間の揺らぎが大きくなってきた。脆弱の兆しが見えてきたのだ。
『みなさん! 次の一撃で破れますから、構えてください!』
呼々石から威勢の良い声。それだけで、どうするべきかわかった。懐から短杖を取り出そうとした左手を、しかし止めて切り替える。《夜のはじまり》。これがなにかの役に立つかもしれないと思った。
黄金鐘が、再び前後へ大きく揺れようとした。
「学習能力のねぇ奴だ!」
ダエラさんや他の獣匠士たちの調教する竜種たちが、一斉に大咆哮を放つ。大気が激しく脈打ち、《強化》された鼓膜に空気の圧がかかる。
そして――大量の硝子細工が一斉に空から地面に落下したかのような、そんな激しい音が轟いた。
「やった!」「よっしゃ!」「この機を逃すな!」「さすが《泰若》だ!」「圧せ圧せ圧せッ!」「冒険局第五班! いくぞ!」
竜種や鳥禽種の背に跨る者。背に飛行の魔導効果を生やした者。足場に重力制御の魔導効果を宿した者。雲絨毯に乗る者――市民の避難誘導を完了させて続々と集まってきていた冒険者たちが快哉を上げ、いの一番とばかりに、各々の魔道具を振りかざす。
それより僅かに先んじた影があった。
ベル・ラックベルだった。
ぼくが《夜のはじまり》を起動させる時と同じように、彼女は爪を擦り合わせて、耳に残る音を鳴らした。弓を弦で力強く弾いたような音だ。その刹那、三十の実体幻影が、ざぁっと円を描くように集合し、古の巨大兵器を取り囲んだ。
数の上では有利。しかし、規模感だけでいえば、とてもじゃないが勝ち目はない。
それでも、そんなことは全く気にもしないというのか。
ベル・ラックベルが、その麗しい目元を神妙に伏せた。
右の拳に静かに左手を添え、胸の前で構える。
あとで聞いた話だけど――それは別名・《極限の強化》とも呼称される、彼女にしか扱えない強奏士の秘奥武術らしかった。
「――拍慟魔拳ッッッッッ!!」
静から動へ。身を投げ出すのは、一の花嫁と三十の実体幻影。人知を超えた《強化》の魔導効果を宿した拳が、全方向から凄まじい速度で襲い掛かる。
寸毫の後。黒い閃光と、四肢がばらばらに吹き飛びそうなほどの超弩級の爆発音が辺り一面を埋め尽くした。雲絨毯が悲鳴を上げる。破壊と衝動の嵐が渦巻いて、莫大な熱量を宿した拳が、周辺の大気を焦熱空間へと化していく。土汚れた探索者装束の裾や袖が熱に灼かれそうな感覚のなか、細めた両目でぼくは見た。いや、あの場にいたすべての冒険者たちが、息を呑んで、驚きと高揚に胸を昂らせて、しかと目撃したはずだった。いくつもの透明な多面体の破片が、拍慟魔拳の生み出した魔導のエネルギーを反射して、きらきらと虹色に光る姿を――
それが、黄金鐘の美しい残骸であると気づいた瞬間、誰かが叫んだ。
反撃だ――男も女も、自らを鼓舞させるように勇んだ。ある者は宙を駆け、ある者は瓦礫の山の頂上に立ち、ある者は崩れた家屋の物陰から、それぞれがそれぞれに培った技術を駆使した。数多の魔導効果が色を引き連れ、弧を描いて《囀り》を灰塵に帰そうと迫る。
――全身に悪寒にも似た違和感が奔ったのと、ベル・ラックベルが悲鳴にも近い声を上げたのは、ほとんど同じだった。
冒険者たちの攻撃が直撃する寸前。《囀り》の背面部が不気味にも盛り上がった。蠕動している。魔導排気筒の位置するところが。大型のモンストルに特有の、余剰魔力の排熱器官だと、ぼくを含め多くの冒険者がそう認識したに違いない。でも《囀り》のそれは、ただの体内機構制御器官じゃなかった。
魔導排気筒から、甲高い警報音。光の届かない地下魔構の底から響いてくるような、それは本能的に『死』を連想させる怪音だった。と同時に、なにか目に見えない、巨大で透明な膜が《嘲り》の全身を包み込んだのを、ぼくは直感した。
「魔導障壁――!?」
もっと早くに気づくべきだった。ダエラさんが魔導排気筒目掛けて攻撃を入れたのと連動するかたちで、黄金鐘が鳴ったときに。
ふたつは連動する関係にあったのだ。お互いに保険を掛け合っていたのだ。一方の機構が制御不能に陥った時の、予備機構として作動するような仕掛けが施されていたに違いない。
魔導効果たちが、再び現れた不可視の障壁に遮られる。
次に何が起こるか、考えるまでもなかった。周囲の状況を観察している場合じゃなかった。
(ベル――ッ!?)
反射した魔導効果が、破壊の渦となって最前線の花嫁に迫ろうとした。




