第23話 ズィータ戦域 ④
白熱の閃光が螺旋軌道を描きながら吹き荒れる最中、高位竜種たる相棒の背に乗るダエラさんが、手綱を鞭のようにしならせ、喉を引き絞るように調声をかける。怪鳥のつんざきにも似た騎手の呼び声に応じて、長年に渡り苦楽を共にしてきた竜は、両肩の翼筋を全力駆動しながら態勢変化。鮮やかな胴回し機動で、幾条もの光線を縫うように避けながら背後を取る。
高位竜種の中でも比較的小型で知られる《ワイズ》の小回りの良さと、ダエラさんの尋常ならざる体幹力と平衡感覚があるからこそ可能な芸当だった。
「老いさばらえた人生にゃ、似つかわしくないくらいの彩りを添えてくれたってのに」
浅黄色のロングドレスの裾をはためかせながら、ダエラさんの右手が唸りを上げた。
「今日は、おれにとっても最高の一日になるはずだったのさ」
恐るべき地下の魔窟で長年に渡り鍛え上げられた老兵の細腕が振るうは、仕手の身の丈を優に超える十字槍の【ガングーニル】。
「かわいい後輩の結婚式にお呼ばれして、美味い酒をたらふくご馳走になったってのに。ったく――」
高速圧縮詠唱。
柄の呪文刻印針が明滅。
【ガングーニル】の穂先が紫闇の輝きを帯びた。
「酔いが覚めちまったじゃねぇかよ」
これまで幾千ものモンストルを奈落の底へ突き落してきた、その偉大な合金の矛先が、《囀り》の背面部へ――何本もの巨大な魔導排気筒が生えるそこ目掛けて、大きく横薙ぎに振るわれた。黒と紫の激しい閃光と爆煙の後、分厚い金属を万力で引き裂くような怪音が轟く。
この位置からでも感じるほどの魔導効果の圧。肌が痺れるほどの衝撃を感じた。齢七十に差し掛かってなお、その力は老いてますます健在と言ったところだろうか。
だけれども、《囀り》にダメージが通っているようには見えない。
すると反撃とばかりに、黄金鐘が鳴動。重力ごと空間を歪ませるかのような不協和音が戦域一帯に轟いた。
視界が眩む。吐き気を催すような幻覚に襲われながら、二条の光が切り裂くように襲い掛かる。残り少ない建物の窓や家屋が吹き飛び、爆炎が広がる。
「ダエラさん!」
エディの力で再び生成され、ベル・ラックベルの魔導効果で強度を底上げされた雲絨毯を繰って宙をでたらめに飛ぶぼくらは、ギルド最高戦力の安否を気にせずにはいられなかった。
『ちぃ。だいぶ硬いな――』
ベル・ラックベルからもらった呼々石から声。爆煙を引きずるようにダエラさんが姿を見せた。せっかくのドレスの裾が焦げ付いてしまっている。
『先にこっちをやるべきだったか』
薄紫の口紅が引かれた唇が、高速で震える。翻竜語の調声。《ワイズ》の喉奥が呼応して、低い唸りから高い倍音へ、きりきりと音階を駆けあがった。
「威嚇?」と、キレート。
「いや、違うよ」と、雲絨毯の端を力いっぱいに掴みながら、ぼくは言う。「音を使って、《囀り》の構造を解析しているんだ」
神代の頃より人類種と同じ歴史の表舞台で活躍してきた竜種。その存在は、古の大魔王が彼らを参考に竜蛇類なんてモンストルを生み出したと言われているぐらい、驚異的とされている。
彼ら竜種が獲物を狩るときに共通しているのは、音を用いた対象構造の詳細分析だ。体のあちこちに持つ爬嚢と呼ばれる空気袋を自在に震わせて放つ咆哮。その反射音を頭部に備わった角基部で受信し、分析することで、構造の仔細を把握する。俗に言うところの音響共鳴。それで得た情報を波形ではなく、竜種共通の言語に変換して仲間に伝達することができる。
事実、《ワイズ》の金色の眼が瞬き、岩が転がるような音を喉奥で鳴らした。それを理解できるのは、乗り手であるダエラさんだけだ。
『謹聴!』
呼々石を通じて、ダエラさんが全戦域の冒険者たちへ、相棒から受け取った解析結果を告げる。
『デカブツの魔導障壁には同期性がある。あの黄金鐘がその鍵だ。鐘を打ち鳴らすことで魔導障壁の調律をしてやがる』
「調律?」
『簡単に言えば、魔導障壁の上書きだな。しかも相棒の知見からするに、黄金鐘の周波と位相は毎回微妙に変化してやがる。おそらくだが、可逆変環性の魔導回路を備えてんだろう』
「周波と位相を解析されっと面倒だから、鐘を鳴らすのと同時に幻惑を見せて攪乱してくるってわけか」
『そういうことだ。おいそこの。老いぼれのわりには察しがいいな』
「ただ年を食うだけじゃもったいねぇだろ? エディだ」
『おれはダエラ。へっ、エディ。あんた、なかなかいい年の取り方してるじゃねぇか』
高揚したダエラさんの声に、エディの深く皴を刻んだ笑みが重なる。最初にエディに抱いた印象からなんとなく予想がついたけど、やっぱり、この二人は馬が合う。
「上書きが意味するのは、魔導障壁には有効性の強度限界があるということですよね。つまり、時間経過と共に強度が弱まる」
『狙いはお見通しだぜ、ベル。結婚しても無茶は変わんねぇなぁ。【拍慟魔拳】を使う気だろ?』
「一発で仕留めるには、それしかありません」
『力技じゃ突破できねーぞ』
と、そこで視界の端に、種々多様な竜の背に乗ってこちらへ接近する人たちの姿があった。ダエラさんと同じ獣匠士を役職に持つ、《星の金貨》の面々。知っている者もいれば、知らない者もいる。
「ダエラの姉御! 俺たちも加勢しますぜ!」
「一気呵成だ! 堕ちろデカブツ!」
「晴れの舞台に相応しくねぇんだよ! ガラクタは引っ込んでな!」
恐れ知らずの冒険者らしい声色。彼らの声を耳にする。ぼくの胸中にさまざまな想いが去来した。それらをまとめて吹き飛ばすように、ダエラさんの怒号が響く。
『バカ! 迂闊に――』
言葉は白熱の残響にかき消された。《囀り》の砲塔内部が妖しく光る。魔導の刻印が刻まれた溝が勢いよく回転しながら、何十発もの光弾を怒涛の勢いで浴びせかかった。
予断は許されず、ぼくらはぼくらのことで精いっぱいで、他の誰かがどうなったかを気にしている暇もなかった。空気を引き裂く力の波動に混じり、阿鼻叫喚じみた音が耳を聾した。
それらすべてが、死を連想させる音だった。冒険者時代、何度か耳にし、ぼくの薄い胸板の奥に臆病風を吹かせた音。直面することを心底恐れた音。千切れる音。潰れる音。ひしゃげる音――果ての見えない騒乱を掻い潜るように、耳朶がそれらをひとまとめに捉える。
そのたびに、心臓が激しい鼓動を打つ。喉が急速に乾いていく。それでも淀みなく手は動く。雲絨毯の舵を取る手だけは、じつに滑らかに動き続ける。本能がそうさせているのだ。《囀り》の制空権から離脱しなければ、という本能が。
でも理性は怒鳴りつける。なにを逃げている。お前がきっかけで生まれた死だ。なぜ目を背ける。なぜ――
「先輩! 前を見て!」
内なる声に脅迫されるがまま、そう為すがまま、爆炎に呑み込まれた援軍の姿をこの目に焼き付けようとしたとき、彼女の声がぼくの脳を叱咤した。宙に投げ出されたぼくらを助けた時と同様に、空を踏みしめてこちらの手を引くベル・ラックベルの姿が、視界に飛び込んできた。
「あ――」
「集中です!」
ばちん、と殴るようにぼくの両手を手で挟む。指甲飾を模した魔導具。その爪が、ぼくの皮膚に強く食い込む。痛みが、喘ぐ心に覚めるような刺激を与えた。
「教科書通りにはいかないけど、だからこそ考えなくちゃ!」
そうだ。考えろ、考えろ、トム・バードウッド。
これが、偶然を生きるってことの本質だ。
だから、考えなくちゃいけないんだ。
必死に考えを巡らせていると、ぼくの繰る雲絨毯のそばに、同じく雲絨毯に乗るキレートが接近して、なにかを叫んだ。
「なんだって?! 風が激しくて聞こえない!」
額にかかる前髪を払いのけ、キレートの顔と絨毯に交互に目をやる。端の部分が、火にかけられた綿菓子のように焦げている。その程度で済んでいるのは、ベル・ラックベルが施してくれた魔導効果のおかげだ。強奏士。だが、ぼくの知る強奏士が操る魔導効果より、ずっと強力。
「だ・か・ら! なんであんなヤバイ攻撃してくんのに! 魔導障壁に孔が空いたりヒビが生じないんだっていう疑問! 向こうに都合が良すぎるだろ!」
「そうかなぁー。敵も影響は受けているはずだけどねぇー」
喚くキレートを、この場に似合わない、実にのんびりとした声が制した。聞き覚えのある声だった。
「ミナリさん!?」
「よぉーベルちゃん。結婚式、よかったよぉー」
爽やかな印象を与える蒼のロングドレスが、ふわりと視界に飛び込んできた。服装からして、彼女も式場から駆け付けてきたばかりなのだろう。空飛ぶ携帯箒型の魔導具・黒杖彗星に跨る、丸眼鏡をかけた三つ編み姿の女性。《星の金貨》の冒険局第五班の一人、A級冒険者にして斥候士のミナリ・キルトベルトだ。ぼくが入局した当時の先輩のひとり。
「どこに行ってたんですか!」
心配していたと言外に告げるベル・ラックベル。でも、ミナリさんは飄々とした態度を崩さない。
「どこってぇー、あのデカブツの懐」
「はえ?」
「ダエラさんに引っ付いてねぇー。ギリギリまで接近してたぁー。ちょい死にかけたけどぉー、おかげさまで解析完了ぉー」
手短に告げると、くいっと丸眼鏡のつるに触れる。途端に眼鏡の表面に情報が重表示された。
「あの肩に背負っている大砲がぶっ放す魔導効果のせいでぇー、魔導障壁の強度が一時的に不安定になってるみたいぃー。そんなの全然感じさせねーって勢いだけどねぇー」
「攻撃と防御の魔導効果が反発し合ってるということですか?」
「そういうことぉー。これは推測だけどぉー、魔導障壁と砲塔に使われているそれぞれの魔導回路がぁー、干渉しあっているんじゃないかなぁー。威力は絶大だけどぉー、文字通り完璧じゃないぃー。だから長いこと地下で眠っていたってのもあるかもしれないよねぇー。この干渉による脆弱性はぁー、さしずめ、《揺らぎの閾》って言ったところだねぇー」
特性を分析し、仮の名をつけるあたり、性格は変わってないらしい。
「《揺らぎの閾》を重ね続けて綻びの頻度が増えるとぉー、魔導障壁の強度が下がってぇー、やばいとなったところで鐘を鳴らしてぇー、魔導障壁を上書きするぅー……そういう基本戦術ってわけだぁー」
「肝心の魔核晶の位置を特定するのは、その戦術を覆してからですね」
「そうだねぇー。すぐみんなに共有するよぉー。こいつは重要な要素だからねぇー」
ぼんやりした語尾だが、ミナリさんの口調に淀みはない。
「なら、こちらの方針は決まりです」
きっぱりとそう口にしたベル・ラックベルの瞳が、火のように燃えていた。己の祝福の門出を台無しにされたことの怒りではなく、純粋に義憤に燃えているのだとわかった。
「向こうの手数をできる限り引き出して、好機を捻り出す。手数が増えれば、魔導障壁に綻びが生じる回数も増える」
「ち、力で押し切るってこと?」麗しい見た目にそぐわない豪快な戦術の提案に驚く。
「はい」でも、当のベル・ラックベルはどこ吹く風といった反応だ。
「攻撃をさせるだけさせて、障壁が脆くなってきたタイミングを狙うんです」
「でも、そのたびに黄金鐘が鳴って、障壁の強度は上書きされる。そ、それに、これ以上被害状況が悪化するのだけは避けたい。ただでさえ、他のみんなが避難誘導に協力してくれているのに」
「ご心配なく、バードウッド先輩」ベル・ラックベルが、頼もしさを感じさせる口調で続けた。
「敵の攻撃は、すべて私に集中させます」
「なに言ってるんだよ! 守護士でもないのにどうやって――」
『いいねぇ! その意気だぜ、ベル。おれがサポートに入るから、思いっきりやってこい』
呼々石から声。ほっと胸を撫で下ろす。ダエラさんのサポートがあれば、なんとかなるかもしれない。
討つべき敵を見定める、彼女の横顔。星に瞬く金貨のような高潔さに、はっとした。阿鼻叫喚の地獄と化したシュワルティア第三の都市には、似つかわしくないほどの美しさに、意識が囚われる。
「勝機はあります」
ベル・ラックベルは耳飾りに触れ、何事かをダエラさん相手に手短に呟くと、水面を駆ける銀麗鹿のように宙を飛び、駆けた。
「お手並み拝見と行きますかねぇー」
ミナリさんの、この場に似合わない他人事な台詞。こちらに話しかけているようにも、間を繋げるための適当な言い草にも聞こえた。援護に回らないんですか? そう尋ねようとしたけど、雲絨毯の端を掴む手が震えているのに気付いて、どの口が言えたものかと苦笑する。
「下手に助太刀に入らないほうがいいねぇー。あんたは当然としてえぇー、A級のウチでもぉー、あの子のレベルには到底ついていけないからねぇー」
ぼくの心を見透かすような口ぶりに、言葉にならない呻きが漏れた。でも、ミナリさんの言う通りだった。
ベル・ラックベルの機動力は圧巻の一言に尽きた。襲い来る光弾という光弾のわずかな隙間を縫うように駆け跳び、常に最小限の動きを意識して関節を動かし、滑るように腰を捻り、それでいて視線は《囀り》の黄金鐘から外さない。
平穏を壊滅に導く力に決着をつけようとする彼女の意志が、悪意との距離を詰めるのに、そう時間はかからなかった。
「――拍慟・千影幻 」
細くしなやかな十の指先。彩られた指甲飾型の魔導具――《非線形を弾く夢》が輝きの牙を放つ。直視を続ければ目が灼けるほどの魔導効果の奔流に、咄嗟に手で庇をつくった。
「高速圧縮詠唱。いつの間に習得したん?」
語尾が緩んでない、本気で驚いたときのミナリさんだ。
高速詠唱は通常の詠唱より魔導効果の出が早い分、威力が心許ない。弱いモンストルを相手取る時や様子見をする場合ならそれでもいいけど、戦略的撤退の難しい実力以上の強敵を相手にしたときは、その限りじゃない。そこで重視されるのは、速度と威力。数瞬のうちに命のやり取りをする戦域において、自身の魔導具からどれだけの魔導効果を引き出せるかという点だ。
出は素早く、しかし威力は詠唱を口にした時と同等でなければならない――高レベル帯に潜る冒険者たちは、この矛盾する二つの命題に対し、ある特殊な発話法を採用することで解決を試みた。
こうして生み出されたのが、詠唱を圧縮しつつも威力は落とさない、高速圧縮詠唱と呼ばれる呪文詠唱技術だ。
「ちなみに彼女ね」
ミナリさんがこっちに顔を寄せて、囁くように言った。
「入局したばかりの頃に使っていたイゼルタ五十七型、まだ家に置いてあるんだと」
言葉の意味は掴み損ねた。喪われた記憶が関係しているのだろうと直感で理解しつつ、ぼくは場を濁すような曖昧な返事を寄こすに留まった。
こちらの煮え切らない態度を目にして、ミナリさんは少し驚いたように目を見開いたけど、そのまま戦況を注視するのに戻った。
ぼくと言えば、霧のように胸中に立ち込めるもどかしさにどうにかなりそうだったけど、それすらも吹き飛ばすような光が前方で奔った。
その光は瞬く間に人の姿を象り、黄昏の空の下に降臨した。
ベル・ラックベルが、ざっと数えて三十人以上に分裂――いや、増殖した。
呆気に取られていると、ミナリさんの隣にもう一人、若い男の冒険者が黒杖彗星に跨り、姿を見せて言った。
「出ましたね。ラックベル先輩の十八番が」
長杖を背負った燕尾服姿から、彼もまた結婚式の出席者だというのはすぐにわかった。顔立ちの幼さから察するに、たぶん新人。でも、元E級の自分と違って、この異常事態を前にしても、冷静さを崩さないでいるのは、素直に尊敬に値する。
「うぃぃー、ロッカくんー」
「お疲れ様です。ミナリ先輩」
「避難誘導はぁどったのぉー?」
「ひと通り完了しました。スコルピさんたちも応援に来ると思いますが……」ロッカと呼ばれた新人冒険者が、どこか安心したような声で呟いた。「その必要はないかもしれませんね」
彼の言わんとしていることは理解できた。
増殖した光輝くベル・ラックベルたちが、旋毛風の如き勢いで、不可視の魔導障壁に攻撃を仕掛ける。
手数はすべて、徒手空拳。五十を越える可憐な拳で殴りつけ、三十を越える華奢な太腿が鋭く弧を描く。そのたびに空気が震え、透明な波紋がいくつも波立ち、拳打のエネルギーが光や音といった物理現象へ変換され、黄昏の空の下で明滅しては戦慄いた。
《囀り》はありったけの光弾や白熱のレーザーをベル・ラックベルへ向けて浴びせにかかるが、なんと彼女の拳や蹴りは、その熱雷攻撃すらもボールのように明後日の方向へはじき返した。
これが、強奏士?
驚きのあまり声も出なかった。ベル・ラックベルの一挙手一投足が、ぼくの知る強奏士?の戦域スタイルからは、なにもかもがかけ離れていたからだ。
「きます! ダエラさん!」
死線を掻い潜るかのように光の猛攻を凌いでいると、ふと揺れる何かがあった。
黄金鐘。
その強大な魔を秘めた古代の遺物が、悠久の時を越えた魔音を響かせようとしたとき。
ダエラさんの操る竜が、すさまじい咆哮を轟かせた。




