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第19話 幸災楽禍の《囀り》

 それは、大きく、黒く、そして洞窟の奥に佇んでいるだけでも、獰猛な雰囲気があった。ぼくがみんなの輪を離れてあっけに取られた様子でいると、キレート、ノヴィア、エディも吸い寄せられるようにぼくの隣に立ち、その黒く、大きな像を見た。


「なんだこりゃ……」


 老練の魔撃士(ソーサリー)ですら、長い冒険者人生において、はじめて目撃した光景だったのだろう。ぽかんと口を開けて、天蓋の縁にまで届く勢いの巨像の全景を、首が取れそうなくらいの角度で見上げていた。


「これが、手記に書かれていた《魔王の遺産》だってのか? ただの馬鹿でかい像じゃねぇか」


「まさか、動き出したりしないよな?」


「その心配はないだろう」


 ノヴィアがいつの間にか取り出していた瘴気濃度計(マナカウンター)の針を見つめて、キレートの問いに対して簡潔に応じた。


瘴気(マナ)の数値は安定している。この巨像からも、とくにおかしな気配は感じ取れない」


「でも」と、ぼくはさっきまで自分たちがいた場所を振り返りながら口にした。「あの冒険者たちは、この像を見ておかしくなってしまったんですよね?」


「手記によるとな。もしかしたら、なにかしらの魔導効果を宿しているのかもしれねぇぞ」


 エディが言った。言外に「油断するな」という意味が込められていた。

 それから彼は沈黙した。仕方なく、ぼくは再び像の全景を観察することにした。


 巨像――ぼくらの暮らす世界に存在する言葉を使って、どうにか頑張って表現しようとするなら、やっぱりそれは巨像と呼称するほかない代物に思えて仕方なかった。


「巨像ねぇ……たしかにそう見えなくもないが、俺としては象徴(シンボル)って言った方がしっくりくるな」


 キレートがそう口にするのも、少し納得がいった。というのも、人間だったり、あるいはぼくらの良く知るモンストルとは、似ても似つかない造形(デザイン)を、その巨像はしていたからだ。 

 

 古の時代の、頑強さとは別に異様な霊汽(オーラ)を纏う鉱物で造られたそれは、一切の光を取り込んで逃がさないと言わんばかりの、深い黒に染まっていた。地面に向かって台形を描くように落ちている、とんでもなく幅広い脚部も。横に向かって大きく翼のように広がる腕らしき部分も。そして、あまりにも巨大なために、ぼくらがどれだけ見上げても目視できない、謎に包まれた頭頂部の造形(デザイン)も、なにもかもが黒に覆われていた。


 その特異な外見の中で、ひときわ異質な箇所があるのだとすれば、それは、巨像の胸の中心部に穿たれた、円形の空洞部に浮かんでいる釣鐘だった。なぜそれが釣鐘であるとすぐにわかったかというと、全てが黒に包まれた中で、その釣鐘だけが石灰石で造られたかのような白色に覆われていたせいだ。


「しっかし、《魔王の遺産》ってのはなんだ?」


 キレートの独り言にも近い問いかけ。けれど、その場にいる誰ひとりとして、明確な返事を寄こすことができなかった。《魔王の遺産》なんて呼称の素材や建造物が地下魔構(ダンジョン)にあるなんて話、ぼくの知識にはもちろんないし、ベル・ラックベルからも聞いたことがない。


「わからねぇが、ここに来てとんでもない事態にぶつかったことだけは、たしかだな」


 エディが困惑混じりの所感を口にしたその直後、ノヴィアが、何かに気付いたように声を上げた。


「あの釣鐘、なにか表面がでこぼこしてない?」


「え?」


 慌てて、首から下げた層眼鏡(スコープ)を目に当てた。光の届かない地下魔構(ダンジョン)でも遠くにあるものを視認することができる、その特殊な道具の眼鏡(レンズ)越しに見ると、たしかに彼女の言う通りだった。


「本当だ。楔みたいな紋様が細かく刻まれていますね」


「楔? 紋様?」


「ええ」


「ちょっと、それ貸してもらえますか?」


「どうぞ」


「ありがとう」


 ノヴィアはぼくから受け取った層眼鏡(スコープ)を目に当てると、じっと釣鐘の表面を観察し出した。しばらくして、彼女の褐色の喉が、ごくりという音と共に上下に揺れた。


「トムさん。これ、ただの刻印じゃない。神代の古代文字で刻まれた碑文です」


「神代? それ、まさか……」


「お察しの通り、古の大魔王が人間界に侵攻を開始した時代に使われていた文字です。しかも、人間界のものじゃない。魔族の間に伝わっていたとされている禁忌文字である可能性が高い」


「おい、冗談だろ」


 信じられない、といった顔つきで、キレートが続けた。


「魔王直筆ってことか?」


「さぁそこまでは。でも、解読してみる価値はある」


「え? できるんですか?」


「いちおうは」


 あっさりとノヴィアがそう口にするものだから、ぼくはあっけに取られた。神代文字が読めるなんて、養成学校でちょっと古代文献を習っていたどころの話じゃない。文献調査の才能がある冒険者なんて、相当珍しい。もしかして彼女、元々は冒険者志望じゃなかったんだろうか……


 そんなことを考えている間に、ノヴィアは層眼鏡(スコープ)越しにじっと釣鐘を視界に収めながら、ぶつぶつと何事かを早口で呟いていた。そうして、ある程度時間が経った。


「ありがとうございます。もう大丈夫」


 考えがまとまったのだろうか。彼女は層眼鏡(スコープ)をぼくに返すと、


「手記に書かれていたことの意味がわかった」


 と、はっきりと口にした。


「本当か? なんて刻まれていたんだ?」


 横から入ってきたキレートの催促に、彼女は耳元にかかる深紅の髪を軽くかきあげて、ひとつひとつを噛み締めるように口にした。







 (あめ)裂け、(つち)鳴りし、古き永久の時代。

 魔血の淵より顕れし、大禍(おおまがつ)の血脈、此処に宿りたり。

 時巡り、星の歩みの定まりし(とき)に、余は現世に姿顕(しけん)し、

 天祝(あまのほぎ)に笑みし者へ、地祟(つちのたたり)に嘆く運命(さだめ)を与えん。

 此は幸災楽禍の(ことわり)、世を律する大いなる廻環(めぐり)の力なり。

 心に(とよ)む者あらば、()の者、深き眠りを破りて覚醒(さむ)るべし。

 (なれ)、余が(さえず)りを聴き、

 (たま)に刻み、(みこと)を知れ。







 ノヴィアが、ふぅと大きく息を吐いた。

 また、あの哀しい歌声にも似た風の音が、ぼくの耳を掠めた。


「つまり、こういうことが書かれてある」


 ノヴィアが何事かを口にした。でも、よく聞き取れない。それよりも、この耳鳴りのように響く風の音をどうにか消したかった。


「この巨像は、魔血の淵より顕れし、大禍(おおまがつ)の血脈……つまり、古の大魔王、懼れる貌のデルスウザーラが創り出したもので間違いない」


「歴史的な発見じゃねぇか。まさかレベル3の地下魔構(ダンジョン)になぁ」


「星の歩みの定まりし(とき)に、余は現世に姿顕(しけん)するとあるが、これは、おそらくこの巨像が、何かしらの事に反応して覚醒するタイプの兵器であることを意味していると思う」


「その何かしらの事っていうのが……幸災楽禍の(ことわり)ってことか? どういう意味だ」


 天祝(あまのほぎ)に笑みし者へ、地祟(つちのたたり)に嘆く運命(さだめ)を与えん……つまり、誰かの幸せを嘲笑い、地獄の底に叩き落とす理ってことだよ、キレート――心の内でそう返した。なぜこうもすらすらと碑文を理解できたのか。風の音が教えてくれるからだ。この、さっきから耳元に響く風の音が、そう言っているんだ。


「風の音?」


 キレートが怪訝な表情になって、ぼくの顔を見た。


「お前、なにか言ったか?」


 なにが? ぼくはなにも言ってない。でも、なぜキレートには聞こえる?


「おい、どうなってやがる」


 エディが不可解なものでも見たかのように、ぼくの顔を見た。


「お前さんの声だろ? これは……口を動かしてねぇのに、なんでだ? 聞こえるぞ。トム、どうなってやがんだ!?」


「幸災楽禍の(ことわり)は、世を律する大いなる廻環(めぐり)の力……大魔王は、あたしたち人間の、心の奥底にある醜い願望を利用しようとしている。心に(とよ)む者あらば……つまり、この理に共鳴する者の声を糧に、目覚めようとしている。これまでずっと、この像はそうしてきた。蓄えだ、これは。幸福の絶頂に至った者の心や、絶頂に至った者への妬み。そういったものを何十年にも渡って取り込んで……」


 ノヴィアの独り言のような語り口調に、ぼくは失笑した。


 幸福の絶頂に至った人の心を、取り込むだって?


 それじゃあ、今日という日は《魔王の遺産》にとって、うってつけじゃないか。


 いま、ズィータでは、結婚式が執り行われているんだから。


「結婚式だぁ? おい、トム……これは、これはいったいなんなんだ……」


 ベル・ラックベルの結婚式だ。


 彼女は、いま、幸せの絶頂に至っている。


「ベル・ラックベルの結婚式!? そりゃマジなのか若造!?」


「ってか、なんでさっきから……この頭に響いてくるような声はなんだ!? トム、やっぱりこれお前の声だろ!? お前がなにかやってんのか!? なにか言えよ!」


「星の歩みの定まりし(とき)……(なれ)、余が(さえず)りを聴き、(たま)に刻み、(みこと)を知れ……」


 ノヴィアが、喉の奥からかすれた声を漏らした。笑っているような、泣いているような。そんな声だった。それは、ぼくの耳元に響いている、どこか哀しげな歌声によく似ていた。世界の中心に開けられた、暗くて深い地の底から響いてくるような、虚無の声だ。


「ごめん、キレート、エディさん。それに、バードウッドさん」


 ノヴィアが、ほっそりとした褐色肌の喉を震わせ、唐突に謝罪の言葉を口にした。見えない糸で操られているかのように、その薄い手が腰に下げた銃へ伸びた。


「あたしたちは、ここに来るべきじゃなかった。バードウッドさん、あなたはあたし以上に、来るべきじゃなかった。ポータル・モンストルは、あなたをここに誘導させるために、あなたの目の前に顕れた。あなたの、心の奥底に潜む傷を抉り出して、喰い散らかすために……! そう言ってるの。この風の音が……」


 ベル・ラックベル。


 ぼくの尊敬する人。ぼくの部下になるはずだった人。ぼくが隣に立ちたかった人。


 そして、ぼくが傷つけてしまった人。


 幸せの絶頂を、ぼくではない、別の誰かの隣で噛み締めている美しい人。


 幸福の光の中心にいる彼女の笑みを、心の底から祝福すべきだ。


 わかっている。わかっているはずなのに。


 この、抑えきれない、どす黒い感情はなんだろう。


 巨像を見つめれば見つめるほど、光を祝福したいという感情とは、まったく正反対の暗黒の感情が、ぼくの中で強まっていった。


 それは理性の蓋をものすごい勢いで突き破り、どろどろとした汚水のように溢れ出て、ぼくのすべてを根こそぎ塗り潰そうとしてくる。


 止められなかった。どう頑張っても。


 ぼくは真人間じゃないらしい。誠実さとは無縁の男。優しさの欠片もないのだろう。


 ベル・ラックベル。ぼくはきみの隣に立ちたかった。この無様な運命を呪ってしまいたくなるくらい。でも、それは無理なんだ。だって、だって、ぼくはこんなにも――


 ぼくと結ばれなかった君の不幸を、こんなにも願ってしまっているんだから。


 キレートがなにかを叫んでいる。それを掻き消すかのように、響く銃声。


 ノヴィアの握る、その偉大な鉄の虚無が、白い息を吐いていた。


「おい、ノヴィア!」


 エディが信じられないといった声を上げた。


「誰に向けて撃ってんだよ、お前……!」


 足元に穿たれた弾痕を見て、キレートが苛立ち混じりに声を荒げた。


 でも、すぐにその目が驚きに見開かれた。


「ごめん。ごめん……キレート……!」


 ノヴィアが、銃口をキレートに向けて、苦しそうに首を左右に振って泣いていた。瞳からこぼれる大粒の涙が、軽鋼鎧メイルを伝って地面を濡らした。自分でもコントロールできない感情の波に、全身が翻弄されてしまっているのが目に見えてわかった。


「違う、違うの……! 心が止められない……! ぐちゃぐちゃに掻き乱される! この風の音が、あたしの心をズタズタに引き裂いてくる……!」


 その姿を見ても、ぼくの心は、ぼく自身でもおどろくほど冷え切っていた。蟻の群れが、大きな虫の死骸を巣まで運び込んでいるところを観察しているような。そんな感情。いや、これはぼくの感情じゃない。それとも、本当にこれがぼくなのか?


「あたし……あたしも、バードウッドさんと同じよ! やっぱり、まだアイツの……アレックスのことを……」

「まだ言ってやがんのか!」


 近づいてどうこうするのではなく、キレートが言葉の鎖で、どうにかノヴィアを繋ぎ止めようと躍起になった。いろいろなことを口にしていたけど、ぼくには一切聞こえなかった。ただ、哀しげな風の音がするばかりで。


 でも、キレートの説得が失敗に終わったのは、日の目を見るより明らかだった。ノヴィアはさめざめと涙をこぼすばかりで、銃を下ろそうとはしなかった。いや、いまにして思えば……この時はどんな言葉を投げかけても、無力だったに違いない。


 それをわかっていたのか、エディはなにも発さず、ただ事の成り行きを見守り続けていた。事態を無理に止めようとするんじゃなく、流れに身を任せて、その中で解決策を見出そうとしているのか。


 歴戦の魔撃士(ソーサリー)の視線が背中に突き刺さる。


 ぼくは臆することなく、滑るように岩面の上を歩いて、ついに巨像の脚に触れた。


 人生における決定的な挫折。その象徴である、ぼくのものではないぼくの右手で、ついに触れたのだ。


 瞬間、耳元に流れ込んでくる哀しい歌声が、騒々しい哄笑に変わった。《囀り》というには、それはあまりにも悪辣に過ぎて、あまりにも暴力的過ぎた。


 そのおぞましい叫び声にも似た響きは、目に見える現象となって、ぼくの周囲を凄まじい勢いで取り囲んだ。


 暴風――そう形容して良いだけの、それは記憶の嵐だった。まるで巨大な感光膜(フィルム)が何重にも渦を巻いているように、ぼくの視界を目まぐるしく旋回する記憶という記憶。


 そのすべてに、ベル・ラックベルが映り込んでいた。


 挨拶するベル・ラックベル。訓練所で汗水を垂らしているベル・ラックベル。打ち合わせの場で溌剌と意見を口にするベル・ラックベル。写画機(キャメラ)を前にして、はにかむベル・ラックベル。いろいろなポーズを取りながら、ぼくに笑いかけるベル・ラックベル……


 いくつもの彼女。いくつもの夢。いくつもの光。すぐ足元を地割れにも似た振動が襲い掛かってきた拍子、それらを映し出す感光膜(フィルム)の縞模様から、黒々とした煙が上がった。


 情念の炎が感光膜(フィルム)を端から焼き焦がしていく。笑顔の断片が燃え盛り、上昇気流に乗って、地下魔構(ダンジョン)の崩落を縫うように、ひらひらと周囲に舞っていった。大きな破片が小さな破片へと別れていく。


 そうして、記憶の最後の端――妄想の世界で、最上級の笑みを浮かべる花嫁姿のベル・ラックベルに到達した炎は、ひと際蒼く燃え盛り、全てを呑み込んで消えた。


 煙の最後の雲が、粉塵であふれかえる地下に薄く広がり往くところを、消えかかるぼくの最後の意識が、たしかに目撃した。


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