プロローグ
この世に起こるすべての出来事は、偶然という名の必然によってもたらされる――その昔、地上に数々の厄災を招いた大魔王を崩身させた、さる偉大な勇者様がそんなことを口にしたらしい。
未熟な人間であることを承知で言うけど、勇者様、それは正確じゃない。
すべての出来事が偶然ではなく必然によってもたらされるというのなら、初級者向けの地下魔構で落命していった名うての冒険者や、魔道具の開発実験で事故死した著名な魔術家たちはどうなるのか。
彼らが悲惨な最期を遂げてしまったのも、偶然という名の必然の下でそうなったというのか。それは『偶然』という名の皮に覆われていただけの、逃れられない結果だったのだろうか。その人の運命に記述されていた約束事だったというのか。
きっと違うだろう。
ぼくの意見を言わせていただくなら、それらはすべて、事前準備と確認を怠ったがゆえに本人が招いてしまった「ただの悲劇」にすぎない。
熟練の冒険者でも、装備の点検や測層調査の確認を怠ってしまえば、初級者ダンジョンで命を落とすことは決して珍しくない。宮廷に仕える高名な魔術家でも、魔道具の開発実験に必要な素材の量や種類を間違えてしまえば、大惨事を招くことだってある。
決めつけに過ぎるだろうか。でも、事実そのように報道されている事件や事故は多くあるし、なによりも、このぼく、つまりトム・バードウッドは、いまでもそう考えているのだ。あんな出来事に遭った後で言っても、説得力に欠けるかもしれないけれど。
ぼくの所属するギルド《星の金貨》の運営を統括するM・Mに言わせれば、冒険者の手による地下魔構完全踏破、その鍵を握るのは事前の準備と確認が八割を占めるとのことだ。M・Mの振る舞いについては思うところあるぼくだけど、この件については本当にそうだと感じる。
まぁ、ぼくはギルドに所属しているけれど冒険者じゃないし、それこそ上級者向け地下魔構の完全踏破なんて一度も成し遂げたことはないのだけど。
それでも、探索経験に乏しいぼくが、今日までどうにか生き永らえてきたのは、事前準備の徹底によるところが大きかったと自負している。
必要な魔道具はぜんぶ揃えられたぞ、今日の探索時間はこのくらいを目安に、あの階層まで行くことにしよう……そうやって地下魔構へ潜る前に、ひとりで何度もシミュレーションを繰り返しておけば、不測の事態が起こってもどうにか対処できる。
偶然という名の必然……そんなの嘘だ。
『偶然』という名の皮に覆われているだけの、逃れられない結果なんてあるわけない。その人の運命に記述されていた約束事というのも、誰に約束されたというのか。神か? あいにくと神はとっくに消えたし、精霊の呼び声だって過去のものだ。
じゃあ、必然の代わりに、この世に存在する『理』があるのだとしたら、それはいったいなんなのだろうか。
そのことを、ぼくは二年前の今日、イヤというほど思い知らされた。
偶然という名の偶然。
それを運命と気安く呼べるほど、ぼくの頭は楽観的じゃない。
偶然という名の偶然。
それこそこの世の『理』であり、人生における最大の敵だ。それはいきなり、なんの前触れもなく目の前に現れては、せっかくの事前準備を台無しにしてしまう。
あの日もそうだった。目に見えるかたち、あるいは目に見えないかたちで『偶然』はぼくに襲い掛かり、ぼくの心をずたずたに引き裂いて、目線を過去へと縫い留めた。
だけれども。
偶然は人生における最大の敵であるのと同時に、最良の友でもある。
だから、偶然というのは厄介なのだ。
ノヴィア、キレート、エディ。
そして、ベル・ラックベル……ぼくの誇りであり、ぼくの尊敬する人。
いま、この胸の中で渦巻く想いを、かたちに残しておかなくてはならない。
だから、ぼくはいまから、このまっさらな冊子に彼女のことについて記そうと思う。《星の金貨》の冒険局第五班に所属していたA級冒険者の、ベル・ラックベルについて、語ろうと思う。
彼女との偶然の出会いが、ぼくの心を脆弱なものにさせ。
彼女との偶然の出逢いが、ぼくの心を強くしてくれたのだから。
この冊子の内容は、誰かに読んでもらうために書くわけじゃない。でも、ぼくが亡くなった後。誰かが偶然にも、この冊子を手にすることがあるかもしれない。
それは、ぼくのことを知っているどこかの冒険者か、あるいは、ぼくはおろか《星の金貨》のことも知らない、どこかの町娘かもしれない。もっと言ってしまえば、最近こっちに流れてきているっていう、地下魔構のこともろくに知らない異世界転移者が読むことになるかもしれない。
もしその時がきたら、できるだけ楽しんで読んでほしい。だから、ここから先は物語調で記そうと思う。
書店屋に足繁く通った身だけど、文章力がどこまで身についているかは定かじゃない。なにせ、これが人生ではじめての執筆になるのだ。
そういえば、大切なことを忘れていた。
物語調で記すなら、やっぱりタイトルはつけるべきだな。
何にしよう。
……『ベル・ラックベルの結婚』
これでいこう。これしかない。
だって、あの二年前の出来事のすべては、そこから始まっていたのだから。