第16話 強襲のレヴナント②
偶然を生きる――
【編集】の魔導効果で、《聖なるかな》と位置を変えられたキレートが、ぼくの姿を見上げ、驚きに声を上げた。
「お前……どうして……」
それから、ハッとして腕に抱えるノヴィアへ目を向けた。さっきから呼吸が荒い。キレートは急いで鎧の内側に手をやると、青く透明な万能薬の小瓶を取り出した。蓋を外して、ノヴィアの小さな口に小瓶を押し当てる。
「あ、ありがとう……キレート……」
「いいから。早く飲め。よくわからないが、最悪の事態だけは免れたみたいだぞ」
ノヴィアの褐色の喉が、わずかに、しかし確かなリズムを刻んで上下に動くのを見て安心したぼくは、エディに向かって言った。
「冒険者じゃないけど、ぼくも戦います」
最初になんと口にすべきか迷った結果、口にしたのがそれだった。
「助かったぞ若造。さすがのオレっちでも、今回はちょっとヤベぇって感じだったからな。それにしても……」
言って、エディは振り返る。さきほどまで自分たちが戦闘していた空間には、爆弾が落とされたかのような大きな窪みが出来ていた。白光の直撃が生んだ爆心地だ。あの眩い光に宿る聖なる一撃を受けた生ける屍たちは、その身を粉微塵にして、すがたかたちもない。エディから教えてもらった詠唱で、《聖なるかな》に込められた魔導効果が発現したせいだった。
偶然にも、使用回数制限の天井だったのだろう。すでに魔導具の首飾りは、その役目を終えて灰に帰した。それでも、突然の出来事を前に、残り数十匹のレヴナントたちは警戒強度を上げたのか。牙を剥き出しに威嚇はしているが、むやみやたらに迫ってくることはなかった。
「なにをやったんだ? まるで胎魔人の使う瞬間移動のように見えたが……」
「置換です」
呪文刻印針を浪費しないよう、いったん右手の銀光を消して、ぼくは言った。
「影響紡ぎが扱う《夜のはじまり》に秘められた魔導効果のひとつ、【編集】が起こした力です」
「広場で話していた、任意の対象の位置を入れ替える魔導効果か……なかなか使えるじゃねぇか。前言を撤回するぜ、若造。防御一辺倒の魔導具じゃないってわけだな、そいつは」
エディが心から感嘆するように言った。歴戦の冒険者からかけられた賛辞に気持ち良さを感じなかったといえば嘘になるけど、この時のぼくは、離れてこちらの様子を伺い続けている、生ける屍の群れから視線を外せなかった。少しの油断も見せてはならないと直感したためだ。
「どういう立ち回りをするつもりだったんです?」
「態勢を立て直すために、一旦退却するつもりだったんだが……」
エディが言い淀んだ。理由は聞かずともわかった。
「あたしのことなら、気にしないでください」
ノヴィアが場の空気を察知したように言った。まだ薬が身体に浸透しきってないというのに、頑張って体を起こしかける。キレートが慌てて支えようとしたが、遠慮するように彼の手を軽く払いのけると、震える足で立ち上がり、壁にからだを預けた。
「ありがとう。バードウッドさん。おかげで命拾いしました」
気丈さを湛えた目つきで、ぼくの顔をまっすぐに見て言った。
「間に合って良かった。あのモンストルたちは一体……」
「レヴナントだ」と、ノヴィアの身を気遣ってか、代わりにキレートが口を開いた。「種族は屍人類。レベル3の地下魔構の定番。だが普通じゃない。お前の言ってたポータル・モンストルが、おそらくは関係している」
「低レベル帯からこっちに輸送されてきたってことですか」
「おかげさまで、ヤツら気分が高揚になってやがらぁ。オレっちの第六の魔導効果でも、一発じゃ仕留めきれなかった。再生能力を攻略しようにも、瘴気が濃すぎるんだ」
たしかに、腰に吊るした瘴気濃度計へちらりと目をやると、針は左の目盛りに大きく振り切っていた。
「戦域を変えねぇことには――」
続く言葉は、しかし生ける屍たちの音で遮られた。岩面を駆ける音。唸り声。それらが混然一体となって、一か所に固まっていたぼくたちへと殺到する。
凶爪が眼前に迫った。
詠唱――異なる力の波動が勢いよく衝突し、空間がたわんだ。
正六角形を組み合わせた防護壁。すでに展開済み。ぼくらを背に庇うかたちで、キレートがレヴナントの群れの前に立ちふさがった。
「逃がしちゃくれないってことか」
ノヴィアが慌てたように弾薬を装填する。
「けっ! 量も質も厄介なこったな!」
舌打ちをして、エディが詠唱に入る。
そうした中で、ぼくはただひとり、この状況をどう処理するべきか考えた。古い記憶のどこかに、そのための手掛かりが隠されているという確信があった。
「勝てるかもしれない」
何気なく発したその一言は、結果的に波紋をもたらした。エディは詠唱を中断すると、胡乱な目をぼくへ向けてきた。撃鉄を起こそうとしていたノヴィアも、まさか正面切って戦うなんて選択をぼくがするとは思っていなかったのか、ぽかんと口を開けていた。
でも、歯を食いしばってレヴナントの猛攻を凌いでいるキレートだけは、異なる反応を見せた。
「ベル・ラックベルか!」
ぼくは黙って頷いた。キレートが少し呆れたような、それでいて、少しだけの期待を込めた声で尋ねてきた。
「こういう時、ベル・ラックベルはどうするべきだって言ってたんだ!?」
『屍人類を相手に有効なのは第六の魔導効果に限定されるっていうのが、一般的な考えです』
『だからと言って、バードウッドさんが勝てないってわけじゃないですよ。立ち回りに若干の工夫が必要になりますが』
数瞬のうちに、記憶の水底から引きずり出す。
『ひとりでは、おそらく勝てないでしょう』
『複数人で――協力――する必要が――』
『屍人類――死に最も近い――人を喰う――』
『――断絶空間の特徴を応用すれば――』
過去を追想しながら、右腕を振り、銀光を纏う。
業務を通じてベル・ラックベルと交わしてきた何気ない雑談を回想することくらい、ぼくには朝飯前のことだった。
彼女との想い出に、暗闇を切り裂く光のつむじ風の痕跡を見て取ることだって、きっと。




