第15話 強襲のレヴナント
おそらく想像するに、ぼくがミラーシェードと惨めな格闘をしているあいだ、あの三人の冒険者は、きっと次のようなやり取りをしていたに違いない。
「おい、いい加減に機嫌を直せよ」
キレートの呼びかけに、ノヴィアは黙りこくったまま、大股で先を急いだ。ここにきて、どんどん歩く調子を上げている。だが、そのことをノヴィア自身、別になんとも思っちゃいない。己について来いと語る、彼女の無言の背中を見つめながら、キレートは小さく鼻を鳴らし、隣を歩くエディに耳打ちする。
「エディさんからも、なにか言ってやってくださいよ」
「声をかけたところで、なにも返ってきやしねぇよ。お前、対応マズったな、キレート」
「いや、だって……」
なにかを口にしかけたところで、キレートが深々と溜息をついた。
「出口を見つけるまで、ずっとこの空気に耐えなきゃいけないってわけか……」
「おまえ、出口見つかったらアイツの機嫌が直ると思ってんのか?」
「可能性はありますよ。前に、女の機嫌は山の天気より変わりやすい……って言ってたの、エディさんですよ?」
「たしかに言ったけどよ。この場合はちょっと違うだろ。それに、ノヴィアがそんなにわかりやすい性格してたら、お前もそこまで苦労しねぇだろうしな」
「む……どういう意味です?」
「言ったろうが。女心ってのは地下魔構の探索よりも難しいもんだってな」と、エディが低く笑って言った。
「ま、あいつらしいっちゃあいつらしいな。変に気落ちしているより、まだマシだ」
エディの反応が期待していたものではなかったのか。キレートは不服そうに言った。
「俺、自分の意見を覆すつもりはありませんよ。トム・バードウッドを招き入れたところで、あんな弱腰じゃ早々にモンストルにやられるだけだ」
「……なぁ、あのよ」
「なんです?」
「さっきからすこーしばかり考えていたんだがよ。あの若造がオレっちたちの誘いを断ったのは、なぜだと思う?」
「なぜって……」
キレートは少し考えてから、それしかないという風に答えた。
「ベル・ラックベルの助言がなければ戦えない臆病者だからですよ。影響紡ぎ風情が冒険者の真似事をしたところで、たかが知れてるんだ」
「じゃあよ。冒険者の真似事をしているだけのヤツが、ブラウ・ブラウニーを倒せたのはなぜだと思う? E級相当がレベル3の《隠し階層》に落っこちたら、普通は瞬殺されておしまいだ」
「……本人の弁を借りるなら、それもまた、ベル・ラックベルの助言のおかげでしょうね」
「そうだ。何につけてもベル・ラックベルだ。オレっちたちの耳にも届く、かの天才若手冒険者の想い出だけで、あの若造は《隠し階層》を潜り抜けようとしているって風には見えねぇか?」
「……あぁ、なるほど」
エディの言わんとしていることを先回りするように、キレートが口にした。
「色恋、ですか」
「……お前、他人のことはよく見えているのに、自分のことに関しては本当に疎いんだな」
「は? え、なんの話ですか?」
「……まぁいいさ……そう、お前さんの推察通り。あの若造は色恋に悩んでいると、オレっちは見たね。あの様子じゃ、ベル・ラックベルにフラれたんだろ。でも、嫌いになれずにいるんだろうなぁ」
「素材を集めにきたというのは……」
「ありゃあ方便だ。ピンときたぜ。フラれて落ち込んでむしゃくしゃする気持ちを落ち着けたくて、地下魔構に潜ったんだろうよ。そう考えると、ひとりにしてくれって意味で、オレっちたちの誘いを断ったのかもしれねぇな……」
「……失恋を忘れたくて探索する……ですか」
「ん?……おい、どうした」
「いや、なんか……」
先を歩く深紅の髪色の女の背中を見ながら、キレートがばつの悪そうな顔で呟いた。
「もしもエディさんの言う通りなら、ちょっと俺、彼に対して言い過ぎたかもしれないなって……」
苦虫を嚙み潰したような表情で己を責める若者の背を、最年長者の細く、しかし頼りになる手が、ポンポンと励ますように叩いた。
「二人とも、止まってくれ」
と、やおらにノヴィアが足を止めて手を後ろにかざし、ふたりに警告を発した。
それだけで、キレートとエディの目つきと姿勢が、危険を察知した冒険者のそれへと瞬時に変わった。気持ちの切り替えの素早さを体現するかの如く、大盾を背中から外して大剣と共に構え、袖の内側から短杖を手際よく引き抜いて辺りに目を凝らし、上長の言葉を待つ二人。
目の前は行き止まり。あるのは、ただの大きな壁。だが、ノヴィアの冒険者の勘が、たしかな違和感を捉えて離さなかった。
「なにか来るぞ」
岩壁に張り付くように密集する青紫色の鉱石が、空気に打たれたかのように静かに震えた。
破片がパラパラと音を立てて降った。
振動。それはノヴィアの眼前で起こった。
あたりの温度が急激に低下し、目の前の岩壁が突如として崩落。そこから雪崩れ込むように三人の冒険者へ襲い掛かってきたのは、全身が青白い、ぼろぼろの衣服を身に付ける、顔の溶けかかった二足歩行の人型モンストルたちだった。
「よりにもよって、レヴナントとはな!」
剥き出しの腐った犬歯。血のような色合いの眼。獲物を求めるように前へと突き出された、この世ならざる怪物たちの手という手。残虐を好み、人を生きたまま喰らうことから、人類から最も忌み嫌われる屍人類に属するそのモンストルたちは、みすぼらしい風体からは想像もつかぬほどの脚力で走り出し、跳びかかってきた。
すかさず、キレートがノヴィアたちを背後に庇うかたちで前に出て大盾をかざし、高速詠唱。たちまちのうちに正六角形を組み合わせた光の防壁が展開し、仲間たちをモンストルの凶手からすんでのところで守り切る。
それでも、レヴナントたちは気後れすることなく、光の防壁へからだごと突進してきては、腐食の魔力が込められた、鋭く伸びる凶爪をガリガリと引っ立てる。そのたびに、光の防壁が叫ぶように明滅を繰り返した。
「ちっ! にゃろう!」
キレートが足腰に力を溜め、防壁強化のために追加の詠唱をしているあいだ、ノヴィアが動いた。銃を引き抜くと同時、革帯小鞄に手を突っ込んで別の銃身へと素早く換装。カチッと噛み合う音。撃鉄を起こして、防壁の隙間を銃眼代わりに銃爪を引く。
銃声が詠唱。銃身内部にらせん状に刻印された呪文が弾丸をなぞり、ただの弾丸を《衰速》の魔導効果が付与された魔弾へと生まれ変わらせる。
命中。命中。命中――魔弾に撃ち抜かれるたびに、レヴナントたちの動きが、網に囚われた魚たちのように鈍くなる。だが、総弾数が六発の回転弾倉式拳銃では、一度でどうこうできる数ではなかった。再装填している間にも、崩落で出来た巨大な穴からは、一匹、二匹、三匹と、次々に同類系統のモンストルたちが襲来してくる。
「数が多すぎる! まさか《パニック・ルーム》にぶち当たったのか!?」
「あとで考えようぜノヴィア! エディさん!」
「まかせとけ!」
エディが気を吐いて、防壁越しにレヴナントの大群に向けて短杖を突き出し、静かに目を瞑って唇を小さく動かす。
《――威なりし導き。宵の彼方へ。光果つる先。陰なりしは夢のあとさき――》
魔撃士の手にする魔導具には、セットされているひとつの魔石に対し、さまざまな魔導効果を引き出す多種多様な呪文刻印針が搭載されている。この時にエディが詠唱で操作したそれは、素早く魔石を引っ搔いて、大魔王の呪息で生まれた忌まわしき敵を撃ち滅ぼすための、最良の魔導効果を生み出した。
《――聖浄》
魔導の紋章が杖の周囲に浮かび上がり、黄金に輝く光の線が杖の先から幾重にも迸った。光は爆発音と共に驟雨のごとくレヴナントたちへ襲い掛かり、阿鼻叫喚を引き起こす。長年にわたる魔石と呪文刻印針の改良により生み出された、第六の魔導効果に体の至る所を貫かれて、忌まわしき屍の鬼たちは即死に至る。そんな絵図を、三人は描いていたことだろう。
「なんだってぇぇええ?」
エディが引き攣った笑みをこぼした。防壁展開を維持するキレートも、エディの一撃を辛くも避けた残りのモンストル達へ銃を向けながら厳しい視線を投げかけていたノヴィアも、目の前の光景を前に、ごくりと唾を飲み込んだ。
それもそのはずだった。
三人の目の前で、地に倒れ伏したはずのレヴナントたちが、むくりと起き上がり、凄まじい哄笑を上げたのだ。見ると、聖なる光の雨に灼かれたはずの傷が、あっさりと治っている。
「ほう。再生能力がまだ使えるのか?」
顎に手をやり、訝し気にエディが言った。
屍人類や悪霊類に属するモンストルには、火や風などの魔導効果は、あまり有効的ではないと言われている。というのも、彼らは地下魔構内に漂う瘴気を使って、傷ついた肉体を修復するという、特殊な体内機構を有しているためである。この体内機構に宿る特性を無力化しないことには、どれだけの火炎で焼き尽くそうが、どれだけの風の刃で斬り刻もうが、直接的な死を与えることは難しい。
第六の魔導効果は、これを現実のものとするために生み出された。屍人類や悪霊類の再生能力を無力化し、即死に至らせるのだ。
だが、A級冒険者であるエディの一撃を食らっても、まだ体内機構が機能不全に至ってないところを見て、ノヴィアがなにかに気付いたように呟いた。
「ポータル・モンストル……」
「まさか」と、キレート。「こいつら、別の地下魔構から輸送されてきたってのか!?」
「レベル1、あるいはレベル2にいた奴らか。それともレベル3かもしれねぇな。ここが《隠し階層》であることを考慮するなら、それくらいは見積もっていた方がいいだろうよ」
「エディさんの推察にあたしも乗る。体内機構が強化されていると仮定するなら、それしか考えられない」
「高レベル帯の新鮮な瘴気を食らってご満悦ってところかねぇ! やり甲斐のある相手でなによりだ!」
エディが言葉とは裏腹に厳しい眼差しを向けて詠唱。《聖浄》の雨が、二度、三度とレヴナントを穿った。そのたびに爆発が起こり、大気が震え、地下が揺れた。だが、それで倒せたのはせいぜい数匹程度。モンストルの供給に対して、殲滅速度が追いついていない。
「くそ! キリがねぇ! 上長、指示をくれ!」
「いったん退却にします! さっきの広場まで戻りましょう! キレート! こいつらを吹き飛ばせ!」
「おう!」
ノヴィアの指示の下、キレートが詠唱。
《――構え、開け、烈土の塵――守り手の息吹!》
防壁を展開させたままの大盾から、どっと猛烈な風が湧いて、前方に密集する生ける屍たちを後方へと大きく転倒させた。彼我の距離が開いたところで、エディ、キレートの順にその場から退却。あとにノヴィアが続こうとした。
そのとき――偶然が牙を剥いた。
「ぐっ!?」
駆け出そうとした拍子に、足元を薬莢にすくわれて、ノヴィアが転倒。
起き上がろうとしたところで、苦悶混じりの叫び声が轟いた。
ノヴィアの右足首に深々と突き刺さる、レヴナントの凶爪。
《腐食》の魔力攻撃。
皮膚が溶かされ、筋繊維が崩れ、骨の一部が露出した。
女のものとは思えない、低い呻きにも似た絶叫が、周囲に木霊した。
「ノヴィァァアアアアアアアアア!!!」
「おいキレート!」
キレートがたまらず叫んだ。エディの止める声も無視して、ただちに踵を返して駆け寄る。
「来るな……キレート…… 来るんじゃ……ない!」
ノヴィアは渾身の力で叫ぶと、気丈にも、冒険者としての意地を示すかの如く、己の右足を引きちぎろうとする生ける屍に向けて鋭く銃口を構え、撃った。青白い額に直撃した魔弾が、その腐った肉体を静止に近い世界へと誘った直後、風が屍の首元を掠め、頭部を吹き飛ばした。キレートの怒りの横薙ぎだ。
「ノヴィア! おい、嘘だろ!? しっかりしろ!」
肩を抱きかかえ、泣きそうな声でキレートが呼びかける。だが、チームを率いるはずの軽業士は、額に脂汗を浮かべて、弱々しく「たぶん、毒が入ってきている……」と答えるので精一杯だった。
「大丈夫だ。万能薬なら持ってきているから――!?」
ノヴィアを担ごうとしたところで、キレートの動きが止まった。吹き飛ばしたはずのレヴナントたちに、周りを取り囲まれていた。高レベル帯の瘴気を取り込んで、基礎能力が向上しているぶん、立ち直りも早かった。
じりじりと、もったいつけるように、腐臭を放つモンストルたちが距離を詰める。キレートはノヴィアを抱きかかえたまま、大盾を構え、焦慮に下唇を噛んでいる。
「ノヴィア! キレート!」
エディがすかさず短杖を構え、詠唱を始める。
だが、血走る目の奥で、彼はきっと、こう直感したはずだ。
――ダメだ。間に合わねぇ――
と、その時だった。
偶然が、レヴナントの餌食になりかけていた二人の周囲に異変をもたらした。
偶然は、光の線となって二人を瞬時に囲んでやると、断絶空間に押し留めた。
直後、二人の姿がエディの視界から消えた。
入れ替わるようにして、生ける屍たちの目の前に現れたのは。
「《聖なるかな》……おい、こいつは……!」
その時、エディは耳にしたはずだ。
臆病者で、執着心を捨てられない、冒険者でもない惨めな男の詠唱を。
スワンプマンを灼いた時と同じ、眩い白光が輝く。
生ける屍たちの血のような色の瞳がカッと見開き、絶叫が上がる。
エディは振り返った。そして見た。何が起こったのか未だわからずにいるキレートと、傷ついて意識が昏倒しかけているノヴィアの傍に立つ、ぼくの姿を。
「若造!」
名うての冒険者が、喜色に顔を染めて、そう叫んだ。




