第11話 《ロングレッグス》
「ほんっとうに、申し訳ございませんでした!」
平べったい岩に腰かけ、散らばるファイブスターたちの遺骸をぼーっと眺めながら、固形保存食と経口補水液をもぐもぐごくごく口にしていると、ノヴィアが進み出てきて平謝りしてきた。彼女の後ろに居並ぶキレートとエディも、モンストルと交戦していたときの迫力や威厳はすっかりと鳴りを潜めて、否は百パーセント自分たちにあるとばかりに、面目なさそうに腰を低くしていた。
「知らなかったとはいえ、冒険者相手にあんなことを……ギルド《放浪の三つ首》の冒険者を代表して、謝罪させてください! 本当にすみませんでした! ほらぁ! 二人もちゃんと謝る! キレート! エディさん!」
「す、すみませんでした!」
「ホンと、ごめんちゃい」
「エディさん! ちゃんと謝る!」
「あ、あの、ちょっとちょっと……」
燃えるような深紅のショートヘアが、怒りの感情を燃料に文字通り燃えてしまうんではないか。そんな、あまりの剣幕でノヴィアが怒り散らすものだから、ぼくは慌てて固形保存食を経口補水液で流し込んでから、落ち着かせるように言った。
「い、いいですよ。気にしないでください……その、ぼくも悪かったというか……」
「でも……」
「そ、それに」
両手を軽く叩いて指先についた固形保存食のカスを払いながら、ぼくは遠慮がちに言った。
「ぼく、冒険者でもなんでもないから」
「え?」
「うむ、たしかに言われてみると……」
ノヴィアの後ろに立つエディが、剃刀のように刻まれた顔の皴には不釣り合いなほどのつるつるの顎に手をやりながら、探索者衣装に身を包んだぼくをしげしげと眺めて、ひとりごとを呟くように口にした。
「冒険者衣装……にしては、ちと身軽すぎるというか……」
「斥候士っぽい格好だけど、違うのか?……って、そうだ、自己紹介がまだだったな。俺はキレート。キレート・ロックヤードだ。役職は守備士。冒険者ランクはB級だ」
よろしく、と言って、キレートが重鋼鎧と同系色の手甲に覆われた手を差し出してきた。歳はぼくと同じくらいだろうか。端正な顔立ちと、右耳の下にある泣きぼくろが印象的な男だった。
「よ、よろしくお願いします」と、生来の人見知りぶりを堪えながら、ぼくは愛想笑いを浮かべてキレートの手を握り返した。役職を体現するように、彼の手は分厚く、硬く、自信に満ち溢れた感触をしていた。
「オレっちはエディ・アンダーだ。さっき見ていたんならお察しだろうが、役職は魔撃士。しがねぇA級冒険者さ。よろしくな」
「え、A級……すごい」
ベル・ラックベルと同じランク。ということは、彼女もアレと同じくらいのすごい戦いぶりを地下魔構で披露していたんだろうか――
「ということは、痣名持ちってことですよね」
「いちおうな。《豪生》のエディってんだ。つっても、痣名とは真逆で、この通り、ほれ、枯れ木のようにほっそい腕してんだけどな!」
魔導衣の裾を捲って、たしかに細い腕を見せつけながら、エディ・アンダーは「かっかっかっ!」と愉快そうに笑った。一緒に笑ってあげないとノリが悪いと思われるかなと感じたので、がんばって頬と目元に力を入れてみたけれど、たぶん上手く笑えていなかったと思う。
失礼な話、エディ・アンダーの腕は本人も言う通り、枯れ木のような色と細さなのに、差し出された彼の手を握ってみると、ダエラさんの手と似たような感触をしていて驚いた。鍛え抜かれた鋼のような剛さを持ちながら、ふわふわと柔らかで、しなやかだった。つまり、プロ中のプロの手ってことだ。
「あたしは、ノヴィア・ピルグリム。キレートと同じB級冒険者で、チームでは上長兼、軽業士を任されています」
ノヴィアの、その控えめに差し出された手を、ぼくは緊張気味に握り返した。あんなバカでかい銃の銃爪を絞っているとは思えないくらい、彼女の褐色の手は薄かった。それでも、肌を伝わってきた感触には、たしかに冒険者らしい力強さがひしひしとあった。
「よろしく、ノヴィアさん。ぼくはトム・バードウッド。所属しているギルドは《星の金貨》です」
「うん? 《星の金貨》?」
エディが片眉を上げた。それから、なにかに思い当たったかのように口を開きかけた。
「あ! ベル・ラックベルか!」
と、エディが口にするより先に、キレートが割って入ってきた。
「すごいな。《星の金貨》って、あのベル・ラックベルがいるところだろ?」
「おいキレート。オレっちの気づきを奪うなよ」
「その人、有名なのか?」
「なんだノヴィア、初耳か?」
「あたしがよそのギルドの冒険者とあんまり関わりたがらない性格なの、知ってるだろ?」
「それにしたって、知っておくべきだぜ。《泰若》のベル・ラックベルと言えば、新人の時に王認冒険者にも選ばれたことのある天才だぞ」
「なんでも、入会して三年足らずでA級に昇格したって話だ。オレっちでも十五年はかかったってのになぁ」
「三年と待たずにA級……そんな人と同じギルドにいるんですか、バードウッドさんは。すごいですね」
「あ、いやいや。そんな」
自分が直接褒められたわけでもないのに、なんだか嬉しくなって、照れ隠しに頭の後ろをポリポリ掻いた。他人の口から改めてベル・ラックベルの名声を聞くと、彼女と少しだけとはいえ仕事をしてきたことが、とても誇らしかった。
そのベル・ラックベルが、いま、この時間、ズィータで結婚式を挙げていると知ったら、三人はどんな反応をするだろうか。きっと相手の冒険者が誰なのか、ぼくと同じように気になって仕方がないことだろう。そんなことを、ふと考えた。
「あれ、でも……」
ノヴィアが、ぼくの身なりへ再び視線を向けてから、遠慮がちに訊いてきた。
「バードウッドさんは冒険者ではない……んですよね? なのに、どうして地下魔構に潜っているんですか?」
「ああ、うん……えっと」
ややあって、重い口を開いた。愛想笑いを浮かべながら。
「ぼくは影響紡ぎなんだ」
「え、えふぇくたー? あー……なーるほどなー……」
「なーるほどなって、キレート、おまえ知ってんのか?」
「え? い、いや、まぁ、その……そ、そういうエディさんはどうなんですか」
「んー……なんだっけか、前にちょろっと聞いたことがあったんだよなー……」
「あたしも。でも……うーん……そんな役職、あったかな……」
曖昧に目線を泳がす三人の冒険者。
どこかで見た。誰かから聞いた。
自分たちの住む世界に、それが在ることは、なんとなく知っている。
でも、それがなんであるかは、具体的によく思い出せない。
それが、この国における影響紡ぎの仕事の実態だ。
その実態に見合った通りの、三人の反応だった。
ま、そうなるよな――凪のように穏やかな心の内で、深く溜息をついた。
「誤解を招いちゃったようで申し訳ないんですけど、その、影響紡ぎは役職じゃないんです。自分は《星の金貨》の広報宣伝局ってところに在籍しているんですが――」
ぼくはかいつまんで説明した。広報宣伝局のこと。ぼくの仕事のこと。元は冒険者だったこと。腕の怪我が原因で冒険者を辞めて、いまの仕事に就いたこと。
そして、ギルドの休業日にも関わらず、地下魔構にやってきた理由に話が及んだところで、三人が揃いも揃って怪訝な表情を浮かべた。
「素材集め、ですか?」
「はい」
「この地下魔構で?」
「そうです。そしたら《隠し階層》に落ちてしまって。まぁ落ちてしまってというか、自分から落ちたって表現の方が正しいんですが」
三人が顔を見合わせた。なにかおかしなことを口にしてしまっただろうか。ぼくは不安になって、「あの……」と口を開いた。
「どうかされたんですか?」
「ああ、いえ……ちなみに、ちょっとお伺いしてもいいですか? 答えづらかったら、無理にとは言いません」
「どうぞ。ぼくに答えられる範囲でなら」
「冒険者時代のランクは? C級? それともB級ですか?」
「な……そ、そんなわけないですよ」
躊躇いがちに、ぼくは続けて言った。
「その……E級です」
「え」
「事実ですよ。昇格試験を一度も受けられないまま、冒険者を辞めたんです」
てっきりバカにされるかと思っていたけど、ノヴィアの反応は違った。困惑気味に他の二人へ目線を送っている。エディはというと、ぼくが元E級冒険者であることを知ると、じっと腕を組んで、こちらを品定めするように見つめてきていた。
「ちょっと尋ねたいんだが」
そのとき、キレートが手を挙げて訊いてきた。
「影響紡ぎは、国が指定している冒険者ランクには区分けされない立場なんだろう?」
「は、はい」
「とすると、もしかして君の扱っている魔導具だけが、とりわけ強力な特別仕様になっているってことか?」
「きょ、強力?」
質問の意図がわからなかった。というか、この時のぼくは三人の反応に、なにか重大な食い違いが発生しているとおぼろげに感じていた。それでも、問われるがまま、ぼくはぼくの右腕を見せながら、これの効果について簡単に説明した。
キレートは見た目のごつさとは裏腹に、頭が回るタイプなのか。ぼくの決して上手くはない説明を耳にしても、疑問を挟むことなく適度に相槌を打ちながら、すんなりと理解してくれたようだった。
「なるほど。空間の物理的な断絶と、空間配置を主とする魔導効果か……エディさん、どう思います?」
「うーむ」
つるつる顎に手をやりながら、老練の魔撃士は、若い守備士から水を向けられて、おもむろに口を開いた。
「一般的に言って、空間操作系の魔導具はA級の手にも余るほどのたいそうな代物だ。使いこなすにはそれ相応の戦闘感度と技量、なにより空間認識能力が必要になる。だが、いまの話を聞いている限りじゃ、この若造が扱う魔導具は限定的な働きしかできねぇようだし……若造の言う通り、その広報宣伝局とやらに所属する人間の特性に偏った仕様になっているとみて良いだろうな」
「つまり、冒険者が扱うには役不足の魔導具であり、彼のそれが特別強力な魔導効果を持っているわけでもない、ということですね?」
「そうなるな。だいたいな、キレート。考えてもみろ。物理的な攻撃にだけ効果のある防御系の魔導具なんて、使い勝手が悪いにもほどがあるじゃねぇか。よほどの好き者でもねぇ限り、そんなのを装備して地下魔構に潜る奴なんていねぇよ」
「ちょっと、エディさん」
ノヴィアが嗜めるも、エディはどこ吹く風という具合だった。彼の発言に思うところはあったけど、そんなことに気を取られている場合ではないと本能が察知した。さっきから、どこか噛み合ってない認識の違いを埋める必要があった。
「たしかに、ぼくは冒険者じゃない。でも、だからといって、影響紡ぎのぼくがレベル1の地下魔構に潜るのが、そんなにおかしなことに見えるんですか?」
「おい待て、若造」
エディが、ずいと身を乗り出してきた。
「いまなんつった?」
怒らせただろうか。でも、言うべきときはしっかり言うべきだ。人見知りな性格よりも、見下されることに我慢のならない性格のほうが、この時のぼくのなかでは上回っていた。
「若造じゃない。今年で三十です」
「キレートよりひとつ歳下じゃねぇか。若造であることに変わりはねぇよ。それよりも、さっきなんて言ったか聞かせろ」
「で、ですから、冒険者でもないぼくが――」
「そこじゃねぇ。その先だ。レベル1の地下魔構って言ったか?」
「そうですよ。なにがおかしいんです」
「おかしいもなにも……」
エディだけじゃなかった。気づけば、キレートもノヴィアも、揃いも揃って、認知不協和の病気に苛まれている患者を見るような態度で、ぼくを見下ろしていた。
「なにを勘違いしているのか知らねぇが、若造」
エディが、聞き分けの悪い子供をなだめるような口調で、決定的な一言を放った。
「ここは、レベル3だ」
「……は?」
「おいおい。お前さんも俺の魔導効果で耳がイカれちまったか? レベル3だっつってんだ」
言っていることが理解できなかった。
「……この《隠し階層》に出てくるモンストルの強さについて言ってるんですか? だとしたら納得がいきますが……」
「違います。バードウッドさん」
見かねた様子で、ノヴィアが割って入ってきた。
「派生元の地下魔構が、そうだと言っているんです。ここはレベル3の地下魔構。通称――《レボリューショナリー・ロード》」
「だから、この《隠し階層》に出てくるモンストルの強さは、主にレベル4、もしくはレベル5ってことになる。B級冒険者にしては歯応えがややあって、A級にしては丁度良いか、やや格下に位置する相手ってことだ」
キレートが添えた言葉の意味の半分も、この時のぼくには理解できなかった。
「ま、待ってくれ。いや、ちょっと待ってください」
尻を乗せている岩の感覚すら、わからなくなってきた。
呼吸が次第に浅くなって、目の前がぐらぐらした。
いったい、なにを言っているんだ、この人たちは。
「ぼ、ぼくはたしかに、たしかにサンカーヴの《ロングレッグス》に潜っていたんだ……ど、どういうことなんだ。こんなの、こんな――」
項垂れながら呆然と整理のつかない気持ちを吐き出している時だった。
「嘘じゃないんです。バードウッドさん」
声に反応して顔を上げる。ノヴィアが、腰の革帯小鞄から、ぼくの良く知る道具を掌の上に取り出していた。
「測層器の非破壊走査で読み取り済の層情報に記されている通り、ここはズィータにある《レボリューショナリー・ロード》です」
「……なんだって?」
認識の食い違い。それによって生じた歪が会話を通じて修正されていくなかで、特大の衝撃がぼくを襲った。
「ズィータ……だって?」
「ええ、そうです」
ノヴィアが、確固たる態度で告げる。
「ここは、ズィータの駅舎から一キロ南に下ったところに位置する、レベル3の地下魔構。《レボリューショナリー・ロード》。その《隠し階層》なんです」




