第10話 三人の冒険者
丸焦げになったブラウ・ブラウニー。その焦げ茶色の皮膚は火炎の魔導効果を浴びたことで、黒ずんで硬くなっていた。おかげで、背負鞄から取り出した鋼刃で遺骸を捌くのにも、それなりの体力と時間を浪費した。
汗に濡れた額を手革袋に覆われた手で拭いながら、骨や筋膜を裂くように断ちまくり、心臓部に位置している大きい魔核晶を、両手で慎重に引きずり出した。照命石で緑血に濡れ光るそれは、鼻先を近づけなくとも吐き気を催すような、獰猛な臭気を放っていた。
回収容器へ格納するために、その場にしゃがみこんで、魔核晶を叩き割るように細かく鋼刃で砕いているときだった。
(……帰りてぇ)
ぼくの中の意気地の虫がざわめいた。
無我夢中だった。無我夢中でブラウ・ブラウニーに立ち向かい、どうにか討伐できた。間一髪だった。あと少し、避けるタイミングがずれていたら……魔核晶を砕きながらそんなことを考えていると、どっと疲労が全身に押し寄せてきた。
ベル・ラックベルのアドバイスを事前に聞いていたおかげで、なんとか勝つことができた。けれど、それはただの偶然の助けにすぎない。そう、偶然だ。その事実がかえって、自分の基礎的な冒険力の低さを痛感させた。
もし、彼女からブラウ・ブラウニーの話を聞いていなかったら、魔石の持ち腐れだった【編集】を使う閃きも思いつかず、観察力の足りない新人冒険者のような最期を迎えていたに違いなかった。それを想像すると、全身が総毛立った。
心は、状況そのものだった。つまりは、暗い洞窟に閉じ込められたような気分だったということだ。《隠し階層》の測層調査を貫徹させてやるという意気込みは、すでに失われつつあった。
素材を回収して立ち上がろうとした時、ふらふらと立ち眩みに襲われて、青紫色に輝く岩壁に手をついた。空中から攻撃なんていうガラにもないことを思いつきでやったせいで、全身の骨や筋肉が悲鳴を上げていた。
(ああ、帰りたい)
薬草液の小瓶を口に運びながら、つい数分前の幸先の悪い遭遇をまたも振り返り、がっくりと心の膝をつきそうになった。モンストルと対峙しているときは、心の支えになってくれたベル・ラックベルの言葉も、このときばかりは無力だった。次またブラウ・ブラウニーや、それに比肩するレベル3、もしくはレベル4の地下魔構相当のモンストルに出くわしたら、同じやり方で切り抜けられる自信がなかった。
自信がない……つまるところ、ぼくの拭いきれない弱点はそれなのだ。
(……仕方がないか)
溜息をついて、背負鞄から救命呼笛を取り出した。ちょうど掌に収まる大きさの、魔石を加工して作られた強制帰還のための笛。それを使うのは臆病者のすることだと、冒険者時代にダエラさんから詰られたことを思い出しながら、少しのあいだ掌の上で転がし、意を決して吹き鳴らした。
モンストルの可聴域にはない音の連なりが、長大な天井を瞬時に駆け抜け、層という層を貫き、地下魔構の入り口を管理する守衛へ救助連絡を届ける。要請を受けた守衛が魔導モニターで救命呼笛の位置情報を捉え、救助専門の冒険者チームを派遣する。そういう流れだ。
ところが、通常ならものの数秒で通知を知らせる赤い光が、救命呼笛に灯ることはなかった。
(おかしい)
見たところ、壊れているわけではなさそうだった。それで、二度、三度と救命呼笛を吹いた。だが、それでも通知は来なかった。
四度目に救命呼笛を吹いたとき、ある事に思い至って、愕然としてその場にへたり込みそうになった。
(まさか、《隠し階層》にいるからか……!?)
この時のぼくには、そうとしか考えられなかった。測層調査情報未登録層からの連絡は、そこが文字通り隠れた層であるから、魔導モニターによる位置探査が出来ないんじゃないのか。だとしたら……
ぼくは激しく頭を抱え、地団太を踏み鳴らしそうになった。なんてバカなことをしたんだと、自暴自棄になりかけた。目先の欲と好奇心に囚われた結果、助けを呼ぶこともままならない状況に陥ったのだ。しかも、まだ脱出口すら見つかっていない。それに、この暗く大きな洞窟の先には、当初のぼくの想定を超えた強力なモンストルが、うじゃうじゃ潜んでいるかもしれないのだ。
危機管理の欠如。ぼくが冒険者としていかに才能がないか、これでわかっただろう?
(こうなったらもう、ヤケクソだ!)
いや、待て――自らの犯した失態から目を逸らして開き直ろうとした自分を、もうひとりの自分がたしなめた。
もしここで闇雲に探索を続けて死を迎えたら、ベル・ラックベルはどう思う?
自分の晴れ舞台の日に、自分と何度も仕事をした相手が地下魔構の《隠し階層》で、たったひとり、誰にも看取られることなく死んだなんてことを後になって知ったら、心優しい彼女はどう感じる?
その考えに至らなくなるほどの疲労じゃない。
まだやれる。まだ頑張れる。
落ち着け。冷静になれ。トム・バードウッド。
深呼吸を繰り返した。
ぼくは、もういちど歩き出した。
▲▲▲
消姿草を用意していて助かった。舌の上にピリピリと広がる苦みに顔をしかめながら、ぼくは先を歩いた。時間制限付きだけど、こいつの葉を口に含めば、姿かたちや身に付けている道具はモンストルたちから視認できなくなり、足音も感知されにくくなる。
そもそも、《隠し階層》に落ちた時にまず真っ先にこれを使っておけば、ブラウ・ブラウニーと余計な戦闘をせずに済んだのだ。自分の立っている場所に興奮するばかりで、足元の暗がりに気付けなかった。つくづく考えの甘さに嫌気が差すけど、自らを苛んで事態が好転するほど、状況は楽観的じゃなかった。
モンストルが強力であればあるほど、消姿草による欺瞞は見破られやすい。だから、相変わらず油断はできなかった。それでも、薬草液で気力と体力を気持ち恢復できたせいか、ブラウ・ブラウニーとの戦闘を終えた直後と比較すると、気分はやや盛り返していた。
…………
いまごろズィータでは、ベル・ラックベルの結婚式が執り行われている。どこまで進んだのだろうか。聖教士の前で、誓いの言葉を述べて、指輪の交換をしているんだろうか。
だとしたら、式に参列している冒険局第五班のみんなが、彼女のあまりにも美しい花嫁姿に感嘆の声を漏らしつつ、静かに賛美歌を歌い上げている頃合いだろうことは、想像に難くなかった。
それを思うと、自業自得はいえ、自分の置かれた状況があまりにも惨めに感じられた。そのことを意識したくなくて、迷宮のように入り組んだ洞窟内を手探りで探索しているあいだ、腕時計はあえて確認しなかった。
だから、探索にどれほどの時間がかかっていたかはわからない。あとで思い返してみると、おそらく三十分かそこらだったんじゃないだろうか。
そのタイミングだった。なにかが立て続けに炸裂するような音が、遠くの方から耳に響いてきたのは。
ぼくは警戒心を高めて、一歩一歩、岩壁に手をつきながら慎重に進んでいった。
洞窟内に反響する炸裂音は次第に大きくなっていた。そのうちに、人の声と思しき音と、言語不明瞭な、くぐもった音も聞こえてきた。
(なんだ?)
警戒心を臨界点まで高めた。短杖を腰の革帯から抜いて、靴底で岩面を舐めるように足を運んだ。
と、道の先に、小さな光を見た。近づいていくと、光はだんだんと大きくなっていった。それが、壁に順序よく埋め込まれた燭台の火であると判別がつくや否や、ぼくは驚き混じりに岩陰へと身を隠した。
というのも、目の前の開けた空間で、三人の冒険者が背をこちらに向けるかたちで、モンストルたちとの戦闘に及んでいたからだ。
消姿草を使っているから、岩陰に隠れるという行為に意味がないのはわかっていた。冒険慣れしていない人間の、それは反射的な行動だった。
「(おいおい。先客がいたのかよ)」
ブラウ・ブラウニーに続いて、またもや予想外のことが起こっていた。てっきり手つかずの《隠し階層》だと確信していたから、ほんの少しがっかりはしたけれど、でもそれ以上に、この真っ暗でじめじめしたモンストルだらけの地底で人を見かけたという安心感の方が強かった。
「キレート! 残り五体、一気にやるよ!」
傍らに立つ金髪の男へそう威勢よく声をかけたのは、燃えるような深紅のショートヘアが特徴の女だった。冒険者装束に軽鋼鎧を装着してはいるが、動きやすさを重視してなのか、腰や太腿、二の腕部分は露出しており、日に焼けた肌をモンストルたちの前に晒していた。ざっと見たところ、身長はぼくより少し高かった。百八十センチくらいだろうか。
「言われなくとも。さっきのやり方でいいな?」
「いちいち確認を取らなくていい! やれ!」
「やれって……ったく、しょうがねぇな!」
分厚い重鋼鎧を着こんだ、キレートと呼ばれた大柄の金髪男が、右手に携えた幅広の長剣ではなく、左手に持つ菱形の大盾をモンストル――五本の太い触手を頭部から生やした二足歩行獣類の「ファイブスター」へ向けて、どっしりと構えた。
男が高速詠唱を繰り出した。応用詠唱術。もはや言語にすら聞こえない音の連なり。空間を不可視の波動が流れて、モンストルたちの視線が、男の構えている大盾に釘付けになった。
その隙を見逃さまいと、女は腰に巻いた革帯に右手を差し込み、なにかを抜き放った。壁に埋め込まれた燭台の火に照らされたそれは、一瞬、爆火筒のような形状に見えたけど、すぐにそうではないとわかった。
金細工で過剰に装飾された、鋼鉄製の飛び魔導具――銃だ。手の平に収まっているのが信じられないくらい、それはバカでかい銃身をしていた。そして、その大きさには不釣り合いなほどの、細く小さな銃爪を、女は躊躇なく引き絞った。銃声が岩壁に反響した。さっきぼくが耳にした炸裂音の正体は、これだった。
女は銃爪を引き続け、弾丸をひとつも無駄にすることなく、ファイブスターたちの触手へ正確に命中させていった。モンストルたちの動きが途端に鈍り、十字型に大きく開かれた口腔の奥から、緑色の泡をごぼごぼと溢れさせて、イボの広がる首を掻きむしりはじめた。毒に侵されたのだ。
ここまでくると、ぼくにもなんとなく、このチーム編成の意図が見えてきた。
金髪の男は、防御に徹したその重厚な装備から察するに、チーム内で与えられた役職は守備士。仲間に及ぶ危害を進んでその身に引き受ける、肉体的頑強さと精神的なタフネスさが要求される、戦域の前線を張る役回りだ。さっき男が詠唱して発動したのは、モンストルたちの注意を惹きつける【挑発】か【魅了】の魔導効果だろう。
そして女の役職は、おそらく軽業士だろうと、ぼくは当たりをつけた。単純攻撃効果ではなく、モンストルの行動を一時的に制限する状態異常の魔導効果を持つ魔導具の扱いに特化しており、中遠距離からの戦域支援を得意とするのが、この役職の特徴だ。
女がファイブスターたちへ見舞ったのは、【毒】の状態異常効果が付与された魔弾に違いなかった。魔導具に銃を選択しているのは、おそらく詠唱を短縮するためだ。短弓や甲弩と異なり、銃型の飛び魔導具の場合、内部で炸裂する火薬音そのものが詠唱の役割を肩代わりする。
とすると、残り一人の冒険者に与えられた役回りについても、自ずと見当がついた。
「エディさん! 頼みます!」
「あいよ。貸し、イチな。キレート」
なびく灰混じりの白髪。年配の冒険者なのか。エディ、と呼ばれたその小柄な男性は、しゃがれた声で静かに応じると、黄土色の魔導衣の袖を翻して、錆色の短杖を取り出した。ぼくの持つそれと大きさはほとんど変わらないが、その魔導具は男のチーム内における立場を暗黙のうちに主張していた。
魔撃士――役職の花形のひとつ。中遠距離を主軸にした攻撃専門の役職。数々の魔道具の扱いに秀でて、魔石や呪文刻印針の多彩な組み合わせで以て、戦域に応じた攻撃手段を取ることが求められる役回り。
《――駆けるは百響》
こちらに背を向けたまま、魔撃士が短杖を手に峻厳な詠唱を口にした。その拍子に、耳元をつんざくような轟音があたりを襲った。反射的に耳を手で塞いだところで、ぼくは瞠目した。
気づけば、ファイブスターが一匹残らず、その場に倒れ伏していた。どいつもこいつも、閉ざされた天に助けを求めるように、触手を宙へピンと伸ばした姿勢のまま、微動だにしない。
瞬きすら許さない、それは寸毫の内の絶命だった。
いったい何が起こったのか。ぼくは混乱しつつも、つい数瞬前に魔撃士の短杖から迸り出た魔導効果を思い出し、ようやく理解した。
稲妻の魔導効果だ。短杖の先端から千々に放射された稲妻の鋭い鞭が、的確にファイブスターたちの心臓部を貫いたのだ。高速詠唱でもないのに、この出の迅さ、この威力。ぼくの持っている短杖が、おもちゃに見えてくるほどの衝撃だった。
あっという間の出来事だった。誰ひとりとして、無駄な行動をしていない。
守備士が引きつけ、軽業士が弱体化させ、魔撃士が止めを刺す。ぼくが言うのもなんだが、見事な連携だった。きっと、長きに渡って、お互いに切磋琢磨してきた冒険者たちなのだろう。
「っつぅ~~~~! ちょっとお! エディさん!」
見ると、守備士が、ぼくと同じように耳の辺りを抑えて、魔撃士に非難の声を飛ばしていた。
「《雷煌鞭》やるんなら、予告しといてくださいよお! まだ耳がキンキンいってますよ!」
「かっかっかっ。守備士と言っても、ここまで守備はできねぇってか」
先ほどまでとは打って変わって、豪快でざっくばらんな口調になった小柄の魔撃士が、守備士の耳たぶを短杖でちょんちょん突いて笑っていた。声の調子だけ聞いていると、なんだかダエラさんに近いところがあった。年配の冒険者というのは、やっぱり自然とこういう性格になるものなんだろうか。
「まぁでも、お前さんの言う通り、ちとやりすぎなところはあったかもな。《隠し階層》だからってんで、肩に力が入り過ぎたかもしれねぇ」
「相変わらず元気なことで」
「なぁに。若けぇ冒険者にはまだまだ負けるつもりはねぇよ。それに引き換え、キレート。お前さん、ちょっと今日イマイチだな」
「そうすか?」
「ああ。魔導のキレがな。詠唱に力が入ってねぇ! もっとこう、肚から声出せ肚から!」
「いや、呪文刻印針を動かすだけなんすから、気合もなにもないでしょ」
「かーっ! これだからイマドキの若ェ奴は! すーぐそうやって楽しようとすんだからよぉ」
いるいる、こういう年配の冒険者。
ぼくは姿を隠しながら、いまだ顔の見えない守備士に同情した。
「おめぇも、ちったぁノヴィアを見習え。見ろ。オレっちの雷音を耳にしても、びくともしてねぇ。鍛え方が違うんだ鍛え方が」
こんこんと守備士を説教しながら、年配の魔撃士は女の軽業士を指差して言った。ノヴィアという名のその長身の女性は、銃を片手にひとり離れたところに立って、次の襲撃が来ないかどうか、周囲を警戒しているようだった。
「それによ。今日のアイツはいつもより気迫があんだよ。なんつーか、鬼気迫るって感じだ」
「いや、それは……そうっすよ。わかるでしょ、エディさんも」
「ん。んん……」
魔撃士が不意に押し黙って腕を組み、真っ白な眉をしかめた。
「まぁ、女心ってのは地下魔構の探索よりも難しいもんだ。オレっちも結婚して三十年経つが、いまだにカミさんの機嫌の取り方がわからねぇ」
「女心は探索よりも難しいか……でもこの状況だと、どっちも似たようなもんじゃないすか?」
「キレート、エディさん」
女が銃を腰に戻しつつ、二人の方を振り返って呼びかけた。ぼくの位置からも、はっきりと彼女の顔が見えた。細い眉。切れ長の勝気な瞳。ややエラの張った頬。薄い唇。ベル・ラックベルとは、またタイプの異なる褐色肌の美人だった。
「モンストルの気配はないみたい」
女性にしてはやや低い声でそう言うと、軽業士は近くの岩に腰を下ろした。
「とりあえず、休憩しましょうか」
「休憩も大事だけどよ、ノヴィア。まだ続ける気なのか?」
軽業士は返事をすることなく、銃の手入れをはじめた。
守備士が近づいて、腰に手をやりながら、言いにくそうに続けた。
「俺はべつに構わないんだ。お前が満足するまで探索をやりたいってんなら、付き合うよ。けどエディさんに悪いだろ。お前のことが心配で、ここまでついてきてやってるんだから」
「いや、オレっちは別に――」
「エディさん。気遣いは無用だ。さっさと救命呼笛を使おう。お前もそれでいいな? ノヴィア」
「……キレート」
「なんだ」
「お前、いつからそんな臆病者になった」
銃に視線を落としながら、軽業士が手厳しい一言を口にした。よく通る声だったから、まるで自分が怒られたような気分になって、ぼくはちょっと背筋を直した。
「なんだと?」
守備士が食ってかかった。そこで軽業士は銃から視線を外し、挑むような目つきを守備士へ向けた。
「《隠し階層》だぞ。不幸中の幸いって言葉を知らないわけじゃないだろ」
「……なるほどな。『危険を冒す』と書いて冒険者だ……と言いたいわけか。たしかにお前の言う通りだ――本心からの言葉ならな」
「なにが言いたいんだ」
「お前がどうしても素材回収や測層調査をやりたいってんなら、俺は喜んで協力するさ。でも……そうじゃないよな」
図星だったのか。軽業士が、気まずそうに顔を逸らして、再び銃に目線を落とした。だけれども、それに構わず守備士が続けた。
「俺もエディさんも、とっくに気付いているんだ。あんまり見くびってくれるなよ」
「別に見くびってなんか――」
「してるさ。お前がなにを考えて、せっかくのギルド休業日に地下魔構に潜るなんて言い出したか、俺やエディさんが気づいてないとでも思ったか?」
ギルド休業日に探索? なんだ、ぼくと同じじゃないか。
でも、ぼくに事情があるように、どうやら彼らにも複雑な事情があるようだった。
「なぁ、ノヴィア」
守備士がしゃがんで、諭すように続けた。
「アレックスのことなら、もう――」
「キレート。そこまでだ」
恐ろしく低い声になって、魔撃士が嗜めた。
「気遣いを免罪符に、女心にずかずか入り込むのは、野暮だぜ」
年配者の指摘が効いたらしかった。守備士は項垂れながら立ち上がると、申し訳なさそうに魔撃士へ頭を下げた。
「……すいません。エディさん」
「謝る相手は、オレっちじゃねぇだろ?」
「……すまなかった。ノヴィア」
「いや……」
頭を下げる守備士を前に、軽業士はなにかを口にしたそうに、その薄い唇をもごもごさせていた。
さっきまで見事な連係プレーを見せていたのに、急にぎくしゃくした雰囲気になったなと観察していると、魔撃士が場の空気を変えようとしたのか、「かっかっかっ」と大きく笑った。
「ま! いいじゃねぇか! なにを考えて探索するかは本人の自由だ。ノヴィアが満足するまで探索を続けようや。同じギルドの仲間として、とことん協力するぜ? オレッちもキレートも。そうだよな? キレート」
「え? あ、ああ……そ、そうっすね」
「ありがとう。二人とも……申し訳ない。あたしのわがままに付き合ってくれて……」
「なぁに。良いってことよ。しかしそれにしても……」
魔撃士は、あらためて開けた空間の全容を確認するかのように、あっちこっちに視線をやりながら、まるでその場にいない誰かに気付いてほしいかのような口調で言った。
「冒険者人生で初めての《隠し階層》体験だが、想定していた以上だ。こいつはなかなか、楽しませてくれるじゃねぇか――二人とも、気づかねぇか?」
「え?」
「なにがです?」
「ったく。お喋りに気を取られ過ぎだ」
やれやれと頭を振ると、魔撃士の枯れ木のように細い腕が、なにかを確信したような力強さで動いた。
「――あっちの道の向こうに、なにかいるぜ」
魔撃士の錆色の短杖。その先端がたしかに指していた。
ぼくの隠れている岩壁の、すぐ近くを。
気づかれた――慌てて釈明しようと消姿草の効果を解きかけた時だった。魔撃士の握る短杖から光弾が奔って、どーん! と凄まじい音を立てて岩壁に直撃した。
「(え!? い、いや!? ちょちょちょちょっ!?)」
がらがらと音を立てて崩れる岩盤。青紫色の破片が轟音と共にキラキラと舞って、土煙で視界がめちゃくちゃになった。
煙の向こうで、またもや光の片鱗が見えた。
ぼくは、慌てて叫んだ。
「ま、まって! 待ってください!」
「え? ひ、人の声!?」
「俺たち以外にも冒険者が!? ちょ、マズいですよエディさん!」
「いやいやいやいや!? え!? オレっち!? オレっちのせい!?」
「得意顔でやっちゃったのアンタだろ!」
「ええええええええ!? いやいやいやいやだってだってだって!」
「ごほっ……! こ、攻撃……! ごほっごほっ! 攻撃しないで! 違う! 違うんです!」
次第に粒子が拡散していき、土煙が薄くなる。
岩盤の崩落が収まり、静寂が場を支配した。
土煙の薄い膜は、その濃度をすっかり低下させていた。
命からがら逃げだして、地面を這いつくばった姿勢のまま、ぼくは居並ぶ三人の冒険者の「やってしまった感の顔」を見上げた。
「あ、え、えーっと……」
とりあえず、愛想笑いを投げかけた。
三人は、驚きに目を見開いていた。
キレート・ロックヤード。
ノヴィア・ピルグリフ。
エディ・アンダー。
これが、ぼくたちの初邂逅だった。




