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一章⑥ 無法魔術師はお縄になる

「あっ!」


 ――と、カウンターを回り込んで売り場のほうに出ようとしたとき、何者かが急に大きな声を上げた。


 誰かが床の上にパンでも落としたのかと思いながら見やると、そこには何かとんでもないものでも発見したかのような顔つきでじっとこちらを見つめている女性がポツネンと立ち尽くしていた。


 はて、知り合いだろうか。うなじのあたりで雑に括られた髪は明るい金髪で、見開かれた目は翠玉を思わせる鮮やかな緑色。気が強そうでありながらも何処かあどけなさを残したその顔立ちには見覚えがあるような気もするが……。


「あっ……」


 そのとき、何故かカウンターの中でサーシャさんも声を上げた。


 彼女もやはり驚いたように目を見開きながら、僕と金髪の女性の顔を交互に見ている。


 いったい何事だろう。僕ではなくサーシャさんの知人なのだろうか。


「おまえ……」


 次の瞬間、金髪の女性は急に目尻を釣り上げると、手に持った木製のトレーをプルプルと震わせながら、反対の手に握ったトングを僕のほうに突きつけてきた。


「見つけたぞ、脱獄犯!」


 そう言われて、僕も急に気がついた。


 この金髪の女性、昨夜、僕を殺人犯に誤認した女性警官ではないか。


 いや、間違いない。僕はどうでもいいことはすぐ忘れてしまうほうだが、一方で好みのタイプの女性は一目見ただけでも記憶の底に深く刻み込んで忘れないことにしているのだ。


 サーシャさんの様子から鑑みるに、おそらく今朝方この店を訪れた警官というのも彼女なのだろう。


 それがいったいなんでまたこの店を再訪しているのかは不明だが、あるいは僕が戻ってくることを想定してヤマを張っていたという可能性もあるか。


 だとしたら、なかなか大した洞察力である。


「アテナくん……!」


 ——と、サーシャさんが奥の扉を使うよう僕に目配せをしてきた。


 そこはアルコニィ家の私室に繋がる扉で、もちろんその先は裏口にも繋がっている。


 僕はサーシャさんに心の中で感謝を述べながら、踵を返して扉のほうへと駆け出した。


「行かせるものか!」


 しかし、そんな僕の様子に気づいてか、背後で女性が声を上げる。


 その瞬間、予想だにしないことが起こった。


 アルコニィ家の私室に繋がる扉の前に突如として光の壁のようなものが現れ、僕の行く手を阻んできたのだ。


(魔術……!? ということは……)


 僕は思わず女性のほうを振り返る。


 こちらを睨みつける女性は、トングを握った手を突き出したままニヤリと得意げに口の端を歪めていた。


 この女警官、どうやら魔術師でもあるようだ。


 昨夜の時点ではまったく気づかなかったが、そもそも魔術師と一般人の判別なんて見た目だけでできるものではないから、こればっかりは仕方ないか。


 どうでもいいが、この後に及んでもしっかりとその手にトングとパンの乗ったトレーを携えたままというのはいかがな状況なのだろうか。


 まあ、パンを買うふりをするところまでは潜入捜査の一貫だろうし、そのおかげもあってか周りの客もすっかり呆気に取られた様子で僕たちを見つめてはいるもののパニックにまでは至っていないようだが、いささかその様相は緊迫感にかけている。


「お前がこの店を懇意にしていることはすでに調査済みだぞ、脱獄犯。店に迷惑をかけたくくなければ、大人しくお縄につくんだな」


 そんな僕の胸中をよそに、雰囲気にそぐわない勇ましい口調で女性が告げてきた。


 なるほど。逃げ場を封じただけでなく、この店そのものを人質に取るとは考えたな。


 この場で力任せに魔術をブッ放して逃走を試みること自体は容易だが、かといってそれでお店に迷惑をかけてしまうのは僕の望むところではない。


 むしろ、ここは彼女の言うとおり大人しくお縄について、その上で改めて逃走のチャンスを待ったほうがまだ面倒も少ないだろう。


「分かった。降参だ。手錠でもなんでも、好きにするといい」

「ふっ……殊勝なことだ。よし、両手を前に出せ」


 言われたとおりに両手を前に差し出すと、次の瞬間、不可視の力が手首のあたりに絡みついてきて、そのまま完全に僕の手から自由を奪い取った。


 拘束魔術だ。きっと以前に僕が鈴音さんにやったものと同じ系統の術式だろう。


 ただ、何となく違和感のようなものがあった。


 まず先に見えない手枷をはめられているような感覚があるのだが、それと同時に全身から力が抜けていくような奇妙な脱力感も感じるのだ。


「どうやら気づいたようだな」


 女性がフフッと得意げに口の端をつり上げる。


 その口ぶりから察するに、どうやらただの拘束魔術というわけではないらしい。


「この魔術はおまえ自身の魔力を吸い上げながらより強力な拘束力を発揮する。大人しくしていれば問題ないが、抵抗しようものならその力自体を吸い上げ、より強固におまえの身を拘束することだろう」


 なるほど、よく分からん。


 要はこの魔術の術式自体に僕の魔力を吸い取る力が備わっているということだろうか。


 魔術は基本的にイメージの具現化であるため、その術式もまた人の数ほど存在する。


 他人の魔力を吸い上げて魔術そのものを強化する術式なんてものがどんな理屈のもとに成立しているのかは想像もつかないが、広い世界だし、世の中にはそういうヘンテコな魔術を使う者もいるだろう。


「よし。では、少しそのまま大人しくしていろ。さて、店主よ」


 ――と、僕が大人しくお縄についたことに満足したのか、今度は女性がサーシャさんのほうに向き直って声をかけた。


 ひょっとしたら、僕を店の外に逃がそうとしていたことを見咎めて、何かイチャモンでもつけようというつもりなのかもしれない。


(大人しくしているつもりだったが、サーシャさんに余計なことをするってんなら……)


 場合によっては少し手荒な真似をする必要もあるかもしれないな――と、密かに僕が覚悟を決める一方で、女性は先ほどからずっと力強く握りしめていたトングを木製のトレーの上に載せると、今度はそれをサーシャさんのいるカウンターのほうへと持っていく。


「すまないが、この三種のチーズブレッドと特性カレーパンをテイクアウトで頼む」


 そして、そのままトレーをカウンターの上に差し出すと、女性はこれまでの流れを完全に無視してサーシャさんにパンの精算を所望した。


 てっきり潜入捜査の一環だと思い込んでいたが、どうやら彼女がこの店を再訪したのは本当に朝食のパンを買うためだったらしい。


 呆気にとられる僕やサーシャさん、そして、周りの客の視線にもまったく気づいた様子はなく、パンの入った紙袋を受けとる女性の表情は実にご満悦と言った様子だ。


 この女警官、ひょっとしたらちょっと変なヤツなのかもしれんな……。


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