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一章⑤ 無法魔術師は抗えない

「ついにこのときがきてしまったのね……いつかは歯どめが効かずに人を殺めてしまうこともあるかもしれないと、覚悟はしていたけれど……」

「……あれ?」


 しかし、僕の期待はあっさりと裏切られてしまった。


 残念ながらサーシャさんは僕のことをいつか人殺しくらいはするだろうという認識でいたらしい。


 はらりと涙を溢しながらそう告げる彼女の姿に、僕はゲッソリと溜息を吐く。


 確かに僕はあまり品行方正と言えるタイプではないが、だからといって勢い余って人を殺めるほどブレーキの壊れた人間でもないつもりだ。


 だというのに、どうしてそれを誰も理解してくれないのだろう。


「そうかしら? アテナくん、いつも覚えていないみたいだけど、酔っ払っているときのあなたの言動って、ときどき本気で引いちゃうくらい酷いものよ?」


 一方、不貞腐れる僕に対して、やけに冷静な口調でサーシャさんが言う。


 基本的には茶目っ気があって優しい女性なのだが、反面、歯に衣を着せないストレートな物言いをすることもサーシャさんの美徳であり、同時に辛辣なところでもあった。


「今朝だって、最初は大人しくされるがままだったのに、最後のほうは何度も何度も無理やりわたしの中に……」

「……は? う、嘘だ! それは絶対に嘘! というか、今の話と関係ないし!」

「別に信じなくてもいいわ。もしもあの子に弟か妹ができたとしても、父親はすでに死んだことにしておくから……自分の父親が殺人鬼だなんて、あまりにかわいそう……」


 サーシャさんはそのままエプロンの裾を掴んで目頭に当てると、シクシクと泣き出してしまう。


 さすがにここまでくると露骨な演技臭が鼻につくが、だからといってぞんざいにあつかうのもそれはそれで顰蹙を買いそうではあった。


 とりあえず僕はサーシャさんの傍らまで歩み寄ると、そっとその肩を抱きながら優しく語りかける。


「信じてください。僕は殺人事件とは無関係ですよ」

「……本当に?」


 そもそもなんで疑うんだ。普通は疑わしくても身内を犯人あつかいしたりせんだろ。


「……分かった。アテナくんのこと、信じるわ」


 何にせよ、わりとあっさりサーシャさんは納得してくれたようだ。


 そして、そのまま訥々と心境を語りはじめる。


「わたし、本当はこのままお店をたたんでみんなで一緒にザルインの街を離れようかとも考えてたの。でも、今年からセシルも市民学校に通いはじめたところだし、お友達もたくさんできたみたいだから、いきなり引っ越しなんてことになったらかわいそうでしょう? だからといって、このままあなたが自治警察に捕まって離れ離れになるのも辛いし……」


 マジでそこまで真剣に葛藤していたのか。僕の人望たるや……。


「でも、あなたが関係ないと言うなら、何も心配することはないわね。もちろん、自治警察の方に無実を証明するのは大変かもしれないけれど……」

「まあ、それは追々なんとかします」


 というか、それよりも気にすべきは先ほどのサーシャさんの発言のほうだろう。


 もし本当に僕が無理やりサーシャさんにアレがソレなことをしてしまっていたのだとしたら、もはや酒の勢いでは済まされないレベルの大失態である。


 身から出た錆とはいえ、いよいよ僕にも責任を取るべきときがきてしまったか……。


「あっ。ええと、それについては、その……」


 ――と、売り場に戻ろうと歩き出していたサーシャさんが、少し罰が悪そうな調子で呟きながらこちらを振り返る。


「……もしかして、テキトーなこと言ってました?」


 不審なその様子に僕が半眼で見やると、サーシャさんは眉を潜めながら茶目っ気たっぷりにチロリと舌を出してみせた。


「本当はね、わたしのほうから訊いたの」

「訊いた……って、何を?」

「その……『子どもが欲しくない?』って……」

「えぇ?」

「だって、そういう気分だったんだもの。でも、そうしたらアテナくん『別にいらないかなぁ』って暢気に言うでしょう? なんだか腹が立ってきちゃって……」


 サーシャさんが年甲斐もなく唇を尖らせるが、その表情はどう見ても完全無欠に可愛らしくて、彼女の前では実年齢などまったく意味を為さないのだと改めて痛感させられる。


「だからね、無理やり中で出させたの。アテナくん、必死に抵抗するくせに、最後はしっかりぜんぶ出しちゃうんだもの。可愛らしかったわ」

「えぇ……?」

「もちろん、今日は安全な日だから心配はしないでね。ちょっとカマをかけてみたかっただけなの」


 そう言ってクスッと蠱惑的な笑みを浮かべると、あとはもう何も言わずに売り場のほうへと消えていってしまった。


 厨房に一人残された僕はその場で作業台に腰を下ろしながら、ぐったりと溜息を吐く。


 サーシャさんが何処まで本気なのかは分からないが、このまま関係を続けていれば、いつかは遊びで済まないことになってしまう危険性を孕んでいるような気がした。


 まあ、それでも彼女の持つ魔性的な魅力から逃れられるとは思えないが……。


(しかし、自治警察が本気で僕を捕まえようとしてるとなったら、こっちも本気で身を隠す必要があるな……)


 ともあれ、思ったより面倒なことになってきていることだけは事実のようだった。


 身を潜める場所にあてがないわけではないが、とはいえ、まったく先の見えない今の状況の中で隠遁生活を送るというのも、それはそれでストレスが溜まることだろう。


 僕が本当に殺人を犯したのであればまだ追われることにもまだ納得は行くのだが、そもそも僕は脱獄をしただけであって殺人事件とはまったくの無関係だ。せいぜいが第一発見者というくらいのものである。


(……いや、待てよ)


 そこでふと思いつくことがあった。


 そもそもあのとき僕が脱獄せずにちゃんと取調を受けていたらどうなっていただろう。


 意外と第一発見者として簡単な事情聴取をされるだけで、そのまま無罪放免ということになっていたという可能性もあったのではなかろうか。


(いやでも、いきなり犯人あつかいされてたしな……)


 しかし、僕は首を振って頭に浮かんだ一抹の希望を霧散させる。


 実際、昨晩だってろくな対話もなく問答無用で捕縛されてしまったわけだし、さすがにその可能性は低そうだ。


 とはいえ、自治警察がここまで真剣に僕を捕まえようとするなんてことも初めての経験だし、警察側が僕をどうしようとしているのかを一度ちゃんと見極めてみるのはいいかもしれない。


 どうせ捕まったところで、また脱獄すればいいだけの話でもある。


(意外と本当に話を聞きたいだけかもしれないし……)


 考えがまとまってきたせいか、再び腹の虫が空腹を訴えはじめてきた。


 僕は作業台から腰を上げると、遅ればせながら厨房を出て売り場のほうへと戻る。


 店内は相変わらず大勢の客で賑わっており、カウンターではサーシャさんがショーケースに陳列された商品を買い求める客の注文を手際よく捌いていた。


 本当なら何か手伝いをしてやりたいところだが、今の僕がこの店のためにできることといえば、できるだけ速やかにこの場所を離れることくらいだろう。


 何か適当に朝食のパンだけ買って退散するか……。


「あっ!」


 ――と、カウンターを回り込んで売り場のほうに出ようとしたとき、何者かが急に大きな声を上げた。

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