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二章⑧ 無法魔術師と《異界の門》

 それから僕はライラに引きずられ続け、学生や職員の奇異の目に晒されながら敷地の片隅にポツンと建てられた魔術教練実習室というところに連れてこられた。


「この間取り……何だか懐かしいな」


 室内に入るなり、ライラがその顔に郷愁を浮かべながらポツリと呟く。


 不思議なことに僕も同じ感想で、座学を行うための机の配置や実技演習のためのものと思われる広めのスペースといった間取りには何処かに懐かしさのようなものを感じていた。


 あるいは失われた僕の記憶と何か関係があるのかもしれないが……。


(《異界の門》……魔術師養成の最高峰……)


 何故かそんな事柄が頭の奥底から浮かんでくる。


 四方の壁には特殊な加工が施されているようで、これはおそらく何らかの事故があっても魔術の余波が外に漏れないようにするためのものだろう。


 自治警察の独居房に施されていたものと系統的には同じものだと思うが、こちらのほうがさらに強固なもののように感じられた。


 あるいはこの間取りや堅牢そうな造りと《異界の門》との間に何かしら関連性があるのかもしれないが、どうしてそこに懐かしさを感じるのかまでは分からない。


 部屋のさらに奥には教員用の準備室があるようで、件の教師とはそこで待ち合わせの約束を取りつけているとのことだった。


「失礼する」


 あまり広くないその室内には所狭しと書棚が並べられ、そんな無数の書棚に囲まれるように設えられたデスクの奥に一人の女性が座していた。


 絹糸のごとき銀髪は短く切り揃えられたショートヘアで、何処か物憂げな瞳は水底を思わせるような深い碧。雪のように白い肌に精巧な人形を彷彿させる整った顔立ちという、僕の短い記憶の中でもおそらく最も見目麗しいであろう女性がそこにいた。


 ――だというのに、何故だろう。まったくと言っていいほど心が動かない。


 あまりに美しすぎる人物を前にそういった感情も消し飛んだのかもしれないが、それでもあわよくばといった願望レベルの情欲すら感じないのはいかがなものだろうか。


 一方、女性のほうは女性のほうで何か感じ入るものがあったのか、目が合ってからしばらくは放心したように僕の顔を見つめ続けていた。


 まあ、自分で言うのもなんだが、僕も見てくれだけは超絶にイケメンである。うっかり見惚れてしまう気持ちも分からなくはないが……。


「こんにちは。あなたたちが自治警察の方かしら」


 しかし、そのままスイっと僕から視線を外すと、あとはとくに何を言うでもなく、ライラに向かって話しはじめる。


「自治警察のライラ・プラウナス准尉だ。あなたがアレス・R・フランチェスカ氏で間違いないだろうか」

「はい。わたしがアレスです」


 アレス……?


 まるで男性の名前のようだが、まさかここまで麗しい容貌をしていながら生物学上の性別は男性だったりするのだろうか。


 あるいは僕も実は本能的にそのことを察していていて、だからこそ一切の性的な情動を感じなかったという可能性も考えられるが、でも、けっこう胸も大きいしなぁ……。


「すでにご存知のことと思うが、先日の事件について話を聞かせてもらいたい」

「ジョンソンさんが亡くなられた事件についてですよね」

「うむ。彼もこの学校の教師だったそうだな」


 なんと。そうだったのか。


 思い返してみれば、僕は今回の事件の被害者についてほとんど何も知らなかった。


 まあ、そもそも興味関心がないのだから当然ではあるが……。


「差し支えなければ、ハワード・ジョンソン氏とあなたの関係をお聞かせいただきたい」

「そこまで親しい間柄だったわけではありません。その、何度か誘われて食事に行ったことくらいはありましたけど」

「こちらの情報では、ジョンソン氏とあなたは交際関係にあったという話だが」


 マジかよ。こんな美人とつき合えるだなんて、なかなかの果報者だな。


 しかし、アレスと名乗った女性は困ったように笑うと、そっと小さな溜息を吐く。


「そういった噂が流れていることは存じ上げています。でも、ただの噂ですよ。わたし、今はまだここの環境に慣れることに手一杯で、恋愛だなんてとても……」

「なるほど。逆にそういった噂が流されていることで、彼のことを疎ましく感じていたりはしていなかっただろうか」

「……どうしてそんなことを訊くんです?」

「参考のために、お聞かせ願えればと」


 訝しむように見据えてくるアレスの視線をまっすぐに受けとめながら、ライラが言った。


 なるほど。痴情のもつれと一口に言ってもいろいろだな。


 最初からこの流れを想定して話を運んでいたのだとしたら、ライラの手腕にも侮れないものがある。


「……確かに、煩わしく思っていたところがあるのは事実です。彼がわたしをしつこく誘うようになったのもそういった噂が出てきてからですし……その、実際に交際を申し込まれたこともあるんです。もちろん、お断りしましたけど」

「なるほど。少なくとも、ジョンソン氏はあなたに恋心を抱いていたと」

「そう……なるんでしょうか。でも、彼だってあまり本気ではなかったと思います。ジョンソンさんの人柄というか、交友関係については何処までご存知なんですか?」

「彼が女性関係について少しだらしのない男性であるという件については承知している」


 そう言いながら、何故かライラが横目で僕の顔を睨みつけてきた。


 いや、今はそういうタイミングではないですのでェ……。


「ジョンソンさんは、すでにちゃんと交際している女性がいたはずです。それに、この学校にも彼と関係を持っていた女性がいらっしゃるみたいですし……」

「その話は、例えばこの学校の者であれば誰でも知っているようなことだろうか?」

「わたしですら耳にするくらいですから、有名な話なのではないかと」


 むう。急にハワード・ジョンソンが他人には見えなくなってきたな。


「なるほど、参考になった。ところで、これは個人的な興味で訊くのだが、もしジョンソン氏がもう少し誠実な男性だったとしたら、交際について前向きに考えただろうか?」


 何の意図でそんなことを訊くのかは分からないが、ライラの問いにアレスは困ったように眉を潜めると、とくに思い悩む様子もなくすぐに首を横に振った。


「わたし、今は恋愛のことを考えている余裕なんてありませので……」

「分かった。情報提供に感謝する。アテナ、行こう」


 む、こんなものでいいのか。


 僕みたいな素人には何が有力な情報なのかさっぱり分からないが、まあ、ライラがこれで十分だと判断するならその判断に従うとしよう。


「アテナ……」


 ——と、そのときである。


 ライラの背を追う形で部屋を出ようとしたとき、僕の名を呼ぶ声が聞こえてきた。


 最初は空耳かと思ったが、もしやと思って振り返ると、アレスがまるで何かを訴えかけるようにジッとこちらを見つめている。


「えっと……僕に何か?」


 いったい何事かと思いながら僕が訊くと、アレスは震える声で言った。


「そう……これがわたしへの報いなのね……」

「……え?」


 まったく意味のわからないその言葉に呆気にとられる僕だが、アレスはハッとしたように目を見開くと、何やら自嘲気味な笑みを浮かべながら力なく首を振った。


「ううん、なんでもないの。気にしないで……」


 そう言ってくるりと椅子を回してこちらに背を向けると、あとはもう何も言わずにじっと窓の外を眺めていた。


 だいぶ意味が分からないのだが、誰か説明してくれる親切な人はいませんかね……。


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