二章⑥ 無法魔術師と脅迫事件
「や、やめろ、こんなところで……」
「大丈夫。鍵はかけてるから」
「で、でも、音が……」
「聞こえないよ。そういう魔術は得意なんだ」
「だ、ダメ、これ以上は……」
「なんだ、もう準備できてるじゃん。ほら、力を抜いて」
「ま、待って……あぁ……アテナっ……!」
※
「ケダモノか、おまえは! 場所を考えろ、場所を!」
カチャカチャとズボンの前を閉める僕に、顔を真っ赤にしながらライラが激昂した。
そんなライラ自身は、何処からか取り出したタオルで必死に内腿のあたりを拭っている。
ここは自治警察署内にある資料管理室である。
あれから捜査資料の確認のために自治警察署を訪れた僕たちだが、真面目に資料を漁っていたのも束の間、密室に二人きりというシチュエーションに我慢ならず、うっかりことに及んでしまった次第である。
というか、ライラのほうにも多少の責任はある。
自治警察署に着くなり自分の姿を見て『これではペアルックのようで恥ずかしいな』などと言いながら着替えに行ったのだが、戻ってきた彼女は事務員用のノースリーブジャケットにタイト目のスカートという格好だったのだ。
本人は他に借りられるものがなかったと言っていたが、男物のシャツとズボンという格好からいきなりこんな華やかな姿に転じられたら、さすがに僕も心がときめいてしまう。
「だいたい、一回目は確かに不可抗力だけど、二回目は君のほうからだし」
「ち、ちがっ……そ、それを言うなら二回目も不可抗力だ!」
ライラが耳まで真っ赤にしながら資料の束を投げつけてきた。
僕の周りの女性はすぐにものを投げる傾向にある。
バサッと宙で飛散しかけた資料の束を魔術で受けとめると、僕はそれをフワリと自分の手許に落とす。
「そもそも捜査資料を確認するって言っても、一昨日起こったばかりの事件でまだ目ぼしい資料なんてないんじゃないの」
「そんなことはない。その資料を読んで見ろ」
言われて手許の資料に目を落とすと、どうやらそれはかなり古い新聞記事のスクラップであるようだった。
というか、今から確認しようって資料を投げるんじゃないよ……。
(『ハワード・ジョンソン、証拠不十分につき釈放』……何の記事だ?)
スクラップされた記事の概要をまとめると、どうやら以下のようなことらしい。
あるとき、エリザ・ジョンソンという人物が服毒による不審死を遂げる。
捜査は当初、自殺と他殺の両面から行われていたが、容疑者として一人息子であるハワード・ジョンソンの名が挙がり、実際に逮捕されるところまで捜査は進んだ。
しかし、結果的にハワード・ジョンソンは証拠不十分で釈放され、エリザ・ジョンソンの不審死は自殺として処理される――。
「これがなんなの?」
僕が訊くと、ライラは腕組みをしながら難しい顔をして答える。
「このハワード・ジョンソンという男が今回の被害者なのだ」
「なんだって?」
マジか。でも、この記事だと親を殺した疑いが持たれてるってことだよな。
「関連資料としてこんなものもあったぞ」
そう言って差し出されたのは、今度はゴシップ雑誌のスクラップである。
(『セオドール・ボルジアに隠し子か』……いや、誰だよ)
またしても新しい名前が出てきた。概略としては以下のような内容である。
セオドール・ボルジアという人物は、どうやら魔術犯罪による被害者救済と魔術犯罪の撲滅を掲げる市民団体《地上の人々》の代表をしている人物なのだそうだ。
ゴシップはそのセオドール・ボルジア氏が脅迫を受けているというもので、どうやら隠し子の存在を世間に公表されたくなければ所定の金額を払えと脅されているとのこと。
これも記事自体は相当古いもので、記載日を見るに先ほどのエリザ・ジョンソンが不審死を遂げたときとほとんど同じタイミングのものであるらしいが……。
(《地上の人々》……?)
何処かで聞いた覚えのあるワードだ。はて、何処だったかな。
「これの何が関係あるの?」
ひとまず、先に手許の資料についてライラに訊いてみることにした。
もともと物覚えがあまりよいほうではないのに、こんなに次々と新しい人物の名前が出てきたら僕のキャパシティなんて簡単に超えてしまう。
「添付されたメモによると、当時はこのセオドール・ボルジアという男を脅迫をしていたのがエリザ・ジョンソンだったのではないかと目されていたらしい。ただ、エリザが不審死を遂げたことで脅迫事件については未解明のまま迷宮入り、エリザの不審死についても、報告書を見るかぎりでは自殺という形で捜査が打ち切られているようだな」
「それで、今回はそのハワードが殺されたと」
「うむ。わたしも調べてみるまで気づかなかったが、この事件、ひょっとしたら思っていた以上に根深いものかもしれん……」
口許に手を当てて難しい顔をしたまま、ライラが床を睨みつける。
僕としてはサクッと調べてスパッと解決、明日はきっと晴れ的なスピード展開を期待したいところだが、どうにもそういう感じではなさそうだ。
「ただの偶然じゃないかなぁ」
「そういうことにして、楽をしたいだけだろう」
半眼で睨まれた。ライラめ、どうやら僕という人間を理解しつつあるようだな。
「けっきょく、例の教師さんには話を聞きに行くの?」
「うむ……これら資料を見るかぎり、ますます彼女が今回の事件に関わっているとは思い難いのだが、すでにアポイントを取ってしまっているからな」
そういえばそんなことを言っていたか。まあ、僕としてはどちらでもいいが、すでに先方と約束を取りつけてしまっているなら、それを違えるわけにもいかない。
とはいえ、市民学校の授業が終わるまでまだ今しばらく時間がある。
それまでの時間をこんな紙とインクと埃の匂いにまみれた空間で大人しく時間つぶしをしながら過ごすなんて、はたして僕に耐えきれるだろのだろうか……。
※
「……おい、アテナ」
「あはは、不倫相手のアソコを切っちゃったんだって。凄い事件もあるんだね」
「……むぅ」
「意外と変な事件が多くて飽きないね。ほら、これとかさ……」
「……なぁ、アテナよ」
「あれ、なんか近くない? 一緒に見たいの?」
「…………」
「ん? どうかした? 疲れたなら、そこのソファで寝てれば?」
「……ええいっ!」
「うぇ!? ちょっ、なんでぇ!? お、重いって!」
「重くない! ぜんぶおまえのせいだからな!」




