二章③ 無法魔術師は逃避する
「つまり、また酒の勢いで罪のない女の子を毒牙にかけちゃったってコト?」
「またって何だよ。さすがにこんなパターンは初めてだと思うけど」
「ウソだぁ。アタシのときだってお酒入ってたじゃん」
「いやでも、君は慣れてそうだったし」
「慣れてるっても、アタシは奴隷上がりだし、無理やりされたことしかないもん。愛ある営みはアテナさんだけだよ?」
「やめてよ、そういう責任の発生しそうな言いかた」
「うわ、サイテー。ふーんだ。どうせアタシは子どももできない体だし、アテナさんにとっては都合のいい女だもんねぇ?」
仮眠室の狭いベッドで降り重なったまま、その女性は細い指先で僕の頬を思いっきり抓り上げてきた。
癖のある赤毛のツーサイドアップに勝ちきそうな琥珀色の瞳をしたその女性の名はレイチェル・ガス。鈴音さんと同じくこの森の門番をしている守衛の一人である。
もともとは剣奴とかいう賭け闘技のための奴隷だったそうだが、それがどういった経緯かこの街のお偉いさんの目に留まり、この街の守衛隊にくらがえすることになったらしい。
鈴音さんと比べればまだつきあいは短いほうだが、それでも顔を合わせれば『添い寝』をする程度には仲良くさせてもらっている。
「だいたいさ、アタシを抱いてから五分もしないうちに他の女の話しはじめるとか、正気の沙汰じゃないよ。アタシ、まだ服すら着てないんだけどな」
僕の上で形のいい胸を潰しながら、レイチェルが半眼で睨みつけてくる。
「少しでも早く悩みを共有したくてさ」
「先に話せばよかったじゃん」
「だって、それで話が長引いたら、迎えがくる時間になっちゃうかもしれないし」
「そんなにアタシのこと抱きたかったの?」
「あれ? 誘ってきたの、そっちじゃなかったっけ」
「あっ……だって、久しぶりだったんだもん」
レイチェルは誤魔化すように僕の鼻の頭にキスをすると、そのままベッドを降りて床の上に脱ぎ散らかされた制服を拾い上げる。
彼女の体にはところどころに剣奴時代の傷痕があり、それを隠すためと思われる刺青が体中のいたるところに彫られている。
人によっては痛ましく思えてしまうかもしれない様相だがが、不思議と僕の目にはそれらが美しい芸術作品のように見えてならかった。
彼女の引き締まった体つきも相まって、いつも見惚れてしまう。
「いい機会だし、アテナさんも女の子とのつきあいかたを真面目に考えてみたら?」
そんな僕の視線に気づいた様子もなく、制服に腕を通しながらレイチェルが言った。
「うーん。でも、僕みたいなロクデナシと真面目ににつきあっても、逆に相手のほうが辛い思いをするんじゃないかな」
「それは確かにそう」
「フォローとかないんだ」
「あるわけないじゃん。アタシだって悪い男に誑かされたってずーっと後悔してるんだから」
「そのわりには、いつもノリノリだけど」
「そりゃだって、そういうことしてるときだけは、アテナさんって最高にいい男だもん」
ふーむ。誉められているのか貶されてるのかいまいち分からんな。
「アタシはいいけど、鈴音さんなんてけっこう真剣に将来のこととか考えてるみたいだし、アテナさんもそろそろ落ち着いたほうがいいと思うけどな」
「え、そうなの?」
「だって、鈴音さんって確か二五とかでしょ? 商都連邦の結婚平均年齢って知ってる?」
「しらない」
「だよねぇ。女性は二二歳、男性は二五歳だよ」
思ってたよりずっと若いな。
とはいえ、商都連邦の中にはザルインの街などよりはるかに小さな町村も無数に存在するし、片田舎になるほど婚姻年齢が下がる傾向があるのは何となく理解もできる。
「思うに、鈴音さん的にはそろそろ焦りを感じる年齢だと思うんだよね」
「僕に結婚とかまず無理だと思うけど」
「アタシもそう思う。けどさ、鈴音さんには先輩として幸せになってほしいんだよ。アテナさんがほんのちょっとでも人並みに常識的な生活を心がけてくれるだけで、一人の女性を幸せにすることができるんだけどなぁ」
「でも、僕が誰かのものになると悲しむ人もいるよ」
「うわぁ。もうその発想がマジでサイテー。何で鈴音さんはこんな男にお熱なんだろ」
制服のズボンをたくしあげながら、レイチェルが半眼で僕を睨む。
鈴音さんがそこまで僕に執心しているだなんてまるで実感はないが、つきあい自体はサーシャさんに次ぐ長さではあるし、僕としてもまったく思うところがないわけではない。
それに、タイムリーと言っていいのかは分からないが、鈴音さんにはあのヘンテコ警官と共通点があった。
「やっぱり鈴音さんも初めてだったからかなぁ」
「えっ……ちょ、そうだったの!?」
「ちゃんと段階は踏んだよ。まあ最後はわりと勢いもあったけど」
「ホントにサイテー。いつか刺されて死ねばいいのに」
レイチェルの僕を見る目が、いよいよゴミでも見るかのような蔑んだものになる。
もっとも、そんな目をされること自体は珍しいことでもないので、僕は気にせずベッドから降りると、遅ればせながら着替えをはじめた。
仮に鈴音さんがあの態度の裏で実は真剣に僕のことを想っていたのだとしても、本当の意味で彼女の幸福を考えるなら、気づかないふりをしていたほうがよさそうな気はする。
どうせ僕みたい人間と今よりも深い関係になったところで、得られるものなんて何もない。
そんなことよりも、刺すだの死ぬだの言われて思いだすことがあった。
先日の殺人事件に関してのことだ。確か、守衛隊と自治警察が協調して街の警邏活動を強化するという話があったはずだが、それについてレイチェルは何か知らないだろうか。
「ああ、そんな話もあったね。でも、アタシたちは基本的にこの森と上級市民街の門しか担当してないから、あんまり関係ないんだよねぇ」
「それもそうか」
壁にもたれて僕の着替えるさまをジッと眺めがら、レイチェルが言う。
この街の守衛隊の業務は多岐にわたるが、鈴音さんやレイチェルが主に担当しているのは彼女が言うとおりこの森の門と『上級市民街』への通用門の門番のみである。
僕は『上級市民街』が何であるかについてあまり詳しく知らないが、この街の有力者たちが生活をしている特別な区画であろうということくらいは想像がつく。
そんな御大層な区画とこんな街外れの公共林がどうして同水準で扱われているかについては少し疑問もあったが、深入りするのも面倒なのであまり考えないようにしていた。
「でも、同僚から話を聞く分には別にそこまで守衛隊から人員を割く必要はないって話になってるみたいだよ」
「そうなの?」
「うん。昨夜の犯行はおそらく怨恨によるものだろうから、二次被害が出る可能性は極めて低いだろうって」
「えっ……?」
なんだと。昨日の時点ではそんな話は出ていなかったように思うが、僕たちの知らないところで捜査に進展でもあったのだろうか。
少なくとも昨日の時点では、ライラの口から怨恨の話なんて一言も出ていなかったように思うが……。
「その話って、いつ聞いたの?」
「昨日の夜だけど」
むう。夜となれば、タイミングによっては僕たちが飲み屋をハシゴしていた裏でそういった流れになっていた可能性もあるか。
「守衛隊と自治警察じゃ指示系統が違うから、伝達に齟齬が出てるんじゃないの?」
確かに、その可能性はある。
どちらもこの街の平穏を守るための組織ではあるが、自治警察が司法機関であるのに対して、守衛隊は外敵からこの街を守るための軍隊という側面も持っている。
今回のように治安維持活動の一環として協調し合うこと自体は珍しくないが、そもそもの管轄はまったく異なるのだ。
とはいえ——。
「それなら、自治警察のほうが先に状況を知ってないとおかしくないかな。守衛隊は事件の捜査とかしないでしょ?」
「それはそうだけど、そんなことアタシに言われても知らないよ」
面倒くさそうに嘆息しながら、レイチェルがジト目で僕の顔を睨んでくる。
まあ、それもそうか。でも、この違和感はなんだろう。
レイチェルが適当なことを言っているとも思えないが、まるで服のボタンを掛け違っているかのような気持ち悪さがある。
ライラにしてみたって、あそこまで完璧に僕のことを信じきっている様子からして今さら捜査状況を隠すような真似はしないだろう。
どうにも嫌な予感がする。面倒くさいことにならなければよいが……。