一章⑨ 無法魔術師はムキになる
「この調子だと、いよいよ天下の『酔いどれ暴風』も年貢の納めどきかねぇ」
さらにそう言ってケラケラと笑うトーマスは、何故か少し得意げな様子だった。
どうやら彼は僕がすっかり無力化されたものと思い込んでいるらしく、それもあってか僕を見るその目つきもいつもより調子づいているような気がする。
別にこんなところで優劣を競うつもりはないが、とはいえ、下に見られるのは何だか癪に触るし、いちおう勘違いされている点については訂正しておくべきか。
「別にこれくらい、大したことないけど」
とりあえず、まだまだ余裕があることだけは宣言しておく。
そもそも僕がこうやってトーマスに拘束された手を見せたのは、決してこの腕をどうにかしてほしいからではなく、この腕をどうにかしてもかまわないかと確認するためだ。
甘んじて拘束魔術を受け入れたのは事実だが、別に無力化されたつもりはない。
こうして大人しく拘束され続けているのも、人目につくところで拘束を解くような真似をしたらトーマスの立場に影響が出るかもしれないという僕なりの涙ぐましい配慮があってのことである。
「まあ、もう遠慮する必要もないか」
「……どういうことだ?」
ポツリと呟く僕の顔を、トーマスが訝しむようにを見つめてくる。
もういろいろと面倒くさくなってきたので、僕はもう彼のことなど無視してこの拘束を解いてしまうことにした。
どのみちここなら他の人間に見られる心配もないし、何の問題もないはずだ。
僕は目を伏せて意識を集中し、両の手首のあたりをめぐりながら荒縄のように両手を縛りつけている魔力の流れに感覚を研ぎ澄ませる。
そして、あとはそれを引きちぎるようにイメージすれば――。
(……ん?)
その瞬間、不思議な感覚に襲われた。
魔術による拘束を引き千切ろうと強くイメージするほどに、まるで体の奥底から力が失われていくような不愉快な感覚がするのだ。
それに、肝心の拘束魔術は消滅しないどころか、ますますその堅牢さを増しているようにすら感じられる。
思い返してみれば、ライラはこの拘束魔術が僕自身の魔力を吸い上げながらより強い効力を発揮するというようなことを言っていたが……。
(なんだコレ。めんどくさ……)
予想外に強固な拘束魔術の術式に、僕は苛立ちを覚えはじめていた。
もっと簡単に解けるものだと思っていたのだ。
実際、過去には自治警察と守衛隊による混成部隊の大規模な集団魔術によって無理やり拘束されかけたこともあったが、それだって僕からすれば大したものではなかった。
だというのに、今の僕は単独の魔術師にチョチョイッと仕掛けられた程度の拘束魔術にこの手を煩わされようとしているのだ。
いいだろう。それなら徹底的に相手をしてやろうじゃないか。
気持ちを切りかえるように呼吸を整えると、僕はより強く拘束魔術に意識を集中する。
瞬間、拘束された僕の両手を中心にブワッと突風が巻き起こり、机の上に広げられた捜査資料が勢いよく四方八方へと飛散した。
「うおっ!? お、おい、何してるんだっ!?」
異常を察したトーマスが慌てたようにパイプ椅子から立ち上がり、壁際に逃げていく。
懸命な判断だろう。ちょっと本気で挑んでみて分かったが、ライラの施した拘束魔術の術式は僕の想像をはるかに超える堅牢さを誇っているようだ。
それでも僕の全力をもってすれば破壊できないはずはないと思うのだが、おそらく相応の余波の発生も避けられないだろう。
ドンッ――!
さらに拘束魔術に対する力を強めた瞬間、鈍い音とともに目の前の空間が抉り取られた。
うっかり机に巨大な穴が空いてしまったが、これくらいは必要経費だろう。
それと同時に周辺の空気が渦を巻きはじめ、小規模の竜巻でも発生したかのように飛散した捜査資料がぐるぐると宙を舞う。
しかし、それでもなお僕の両手を拘束するその術式は効力を保持しているようで、この強度にはさすがに感服せざるを得なかった。とはいえ、まだ僕にだって余裕はある。
「お、おいおい、マジでヤバいんじゃないのか……!?」
部屋の隅ではトーマスが声を震わせているが、そちらは無視してさらに力を込める。
すると、今度は僕の手を中心とした空間が黒い膜のようなもので覆われ、その内側の象形が中心部に引きよせられるかのようにググッと圧縮されていった。
どうやら魔力の過集中によって空間そのものが歪みはじめているらしい。
いよいよのっぴきならないことになってきたが、ここまで来た以上は僕だってもうあとには引けなかった。
ミシッ……。
――と、不意にガラスにヒビが入るような音が響き、それと同時に拘束魔術がその効力を消失させる。
ついに術式が崩壊しようだ。思った以上の激戦だった。
そして、同時にマズいことにもなった。拘束魔術の術式が崩壊したことで、それまで空間を歪ませるほど過集中させていた僕の魔力が一気に行き場をなくしてしまったのだ。
この溢れんばかりの魔力をそのまま解き放とうものなら、この取調室はおろか自治警察署の建物を丸ごとを爆散させてしまう危険性すらある。
僕は大慌てで周囲一体を魔術による障壁で包み込むが――。
ドッ……ゴーンッッッッ!!!!!!!!
溢れ出した閃光と音だけはどうすることもできず、室内は真っ白に染め上げあられ、肌をビリビリと震わせるほどの轟音が部屋の壁と床を激しく鳴動させた。
せめて荒れ狂う力の奔流とそれに伴う衝撃波だけはなんとか受けとめようと、僕は部屋の中心に展開した障壁の維持に全力で意識を集中する。
やがて、光と音が収束したとき、そこには穴が空いてボロボロになった机とグシャグシャに折れ曲がったパイプ椅子、そして細切れになって飛散した捜査資料と気を失ったトーマスの姿があった。
ジリリリリリ……!
取調室の外で警報が鳴っている。まあ、そりゃそうなるか。
気絶したトーマスには申し訳ないが、このままここに残っていたら面倒ごとに巻き
込まれるのは避けられないだろう。
僕は奥側の壁のほうに手をかざすと、魔術による指向性の衝撃波を放ってモルタルの壁をぶち抜いた。
ほとんど当て勘だったが、幸いにも壁の先は外に繋がっていたようだ。
僕はそのまま部屋の外に飛び出すと、念のために衝撃波で空けた穴を魔術でもとの状態に修復してから大急ぎでその場を遁走する。
またしても脱走劇となってしまうが、こればっかりは仕方がない。
だいたい、これほどまでに強固な拘束魔術を施しておきながら何の説明もなくトーマスに僕を引き渡しをしたライラにだって一定の責任がある。
まったく、最初からこうなると分かっていれば、せめてもう少し場所を選ぶくらいの配慮はできたというのに……。