1話:ただ、それだけの話
ただ、それだけの話。
全ては外の世界を知ろうともしなかった結果。
全てを知るには遅すぎた。ただ、それだけの結果だった。
シュタインブルグ家は先祖が幾度なく国を救った、いわば英雄の子孫だ。そのおかげで国王様から褒美として爵位と共に広大な領地を与えられた。その恩義に報いるべく、国の為に更に邁進したと言われている。
しかしそれは過去の話。
現在のシュタインブルグ家は「税金」と称して多大な税を領民に課した。領主に逆らう者は不敬罪として次々処刑されていく。誰もが恐れる恐怖政治。その所為で元々豊かだった土地はやせ細り、領民は当然の様に疲弊していく。
当然そんなことを繰り返していれば領民の不満も貯まっていく。だが領主に進言しようと思っても歯向かえば不敬罪として処刑が待っている。深く刻まれた恐怖は領民を沈黙させるには十分だった。領民は何も言えず、ただ従うしかなかった。そうするしか術がなかったともいえる。
全ては先祖から与えられたものに胡坐をかき、領民を苦しめ続けた領主の怠慢。
だから、これは起こるべき結果だった。
****
「エドワード様! エドワード様がおっしゃっていた場所に領主の娘らしき女を見つけたので連れてきました!」
夜遅く、1人の兵士が興奮した様に叫んだ。兵士は同士が集まる場所に連れてきた女を乱暴にエドワードの前に放った。領主の娘、アリシア・ディ・シュタインブルグだ。アリシアは寝間着着のまま連れてこられ困惑していたが、目の前に祖父と両親が居るのを見て少しだけ安心した。
その様子に、ある1人の男が笑みを浮かべる。
「ありがとう。よくやってくれた」
「いえ、敵陣に単独で乗り込んだエドワード様に比べましたらこんなこと……」
「そんなこと言ってくれるな。君たちの活躍あってこそのことだ」
「もったいないお言葉です」
男の名前はエドワード。しかしアリシアはエドワードを見て目を丸くした。
「使用人はほとんど逃げたようですが、これで家族全員でしょうか?」
「いや、1人足りないが奴は他国へ留学中だ」
「留学…。俺達の金で良いご身分ですね」
「……そうだな」
目の前で繰り広げられている会話が、アリシアにはにわかには信じ難かった。
領主の子供は2人。優秀で健康なレイモンドと、魔力過多に身体がついていけずベッドでほとんどを過ごす妹のアリシア。2人は双子としてこの世に生を受けた。しかし祖父と両親は魔力過多による病弱な妹のアリシアを忌み嫌い、視界に入れるのさえ疎んだ。そうして優秀な兄だけを溺愛した。住む場所も本宅ではなく、まるで隠す様に建てられた離れの小さな家。すぐに体調を崩しベッドでほとんどを過ごすアリシアに使用人は冷たく、嫌味や文句を言われるのは日常茶飯事。小さな部屋と窓から見える景色がアリシアの全てだった。
しかしレイモンドだけは違った。レイモンドだけはアリシアを心配し、多くの習い事を早く終わらせてアリシアと過ごす時間を作っていた。碌に見舞いすら来ない家族の中では唯一アリシアと過ごした家族。
そんな生活が続いた日、目の前にいる「オスカー」が現れた。
オスカーはアリシアに年齢が近いからといって両親が用意した13歳の少年。聡明で頭が良く気立ても良い。その為アリシアは自分の傍にいるよりはと思い、両親のいる本宅へと紹介した。その後エドワードは持ち前の要領で両親が気に入って傍に置いたという話がアリシアの耳にも入っていた。そのことにどれだけ喜び、本宅にいるオスカーを心配していたかなんて彼は知る由もないのだろう。
そう、両親に紹介したのはアリシア。だが誰がこんなことをすると思っただろう。オスカーは優しく、身体が弱くベッドから起きられないアリシアの話をいつも笑顔で聞いていた。本宅へ異動してもアリシアへ季節の花を届け、碌に見舞いすらこない両親の話を聞かせてくれた。
だが、それは全て嘘だった。
誰が見ても分かる。オスカーは偽名であり、今回の首謀者だと。
「無礼者! 私たちが良くしてやっというのに、この仕打ちは何です⁉ 身の程を弁えなさい! そこの兵士! 貴方達でもいいわ、早く私たちを放して!」
「彼女の言う通りだ! 我々の恩を仇で返しおって! 育ちの悪さが物語っておるわ! 揃いも揃って脳無しが! ぼさっとしてないで早く解かないか!」
「全く、私たちを誰だと思ってる! 領主にこの様な扱いをするとは、振不敬罪にも程がある! 即刻処刑しろ! この愚か者どもが、誰が今までお前達を支えてきたと思ってる! 早く放せ!」
アリシアの母が、父が、祖父がしきりに「放せ」「開放しろ」と声を荒げ彼らに命令する。が、エドワードを含めた兵士たちは爪痛い視線を向けるだけ。領主と言っても、もはや彼らに決定権はない。
だから一言、エドワードは兵士たちに命じる。
「やれ」
その一言で、さっきまで騒いでいた両親たちの頭が胴体からズルリと離れる。目の前でゴロンっと転がる頭。飛び散る血しぶきが、アリシアの顔や服にべっとりとこびりつく。
目の前が、赤く染まる。真っ赤に、染まっていく。
「おじい様?」
ドシャッと地面に身体が崩れた。
「お父様?」
赤に染まる両親たちを見て、アリシアの瞳に涙が溜まっていく
「お母様?」
ゴロゴロと転がる頭がアリシアの前で止まった時、咳を切って感情が溢れる。
「あ、あぁ…! 何で⁉ どうして⁉ おじい様! お父様! お母様!」
現状なんて受け入れられなかった。
両親から貴族の教育を教育されたことはないが、それでも今の自分の振る舞いが貴族として相応しくないのは教わっていたから分かる。でもそれどころじゃなかった。どんなに祈っても、どんなに願っても、頭と首を繋げたとしても蘇ることは無い。死者は蘇らない。
万全の体調ではなく、重い身体を引きずって無残な姿になった家族に縋りついて泣き叫ぶアリシアに、兵士たちは拘束具を付けようと近寄る。が、その瞬間バチンッと音を立てて弾かれる。その場にいた兵士全員がすぐに臨戦態勢をとり、いつでもアリシアを殺せるように身構える。
そんな彼らを他所に、エドワードはアリシアを見て笑う。
「そんなに取り乱さないでくださいよ、お嬢様」
「……オスカー。いえ、エドワードと言うべきですね」
「どっちも俺ですよ、お嬢様」
「馬鹿げた態度は止めてください。この状況で、よくもそんなことが言えますね」
「事実ですから」
エドワードの態度にアリシアはキッと睨み、拳を握る。
「私を騙したのはこの際どうでもいいです。そんなことより私の家族を返してください。返してください、私のおじい様を、お父様を、お母さまを返してください…! 返して! 返して‼」
「……お嬢様は、彼らが何をしていたかお分かりですか?」
「え? 何の、話し?」
「ですから、お嬢様の家族が何をしていたかですよ」
「今はそんなこと聞いてません。私の———」
「その所為でこんなことになったんですよ」
「どういう、こと?」
「あぁ、お嬢様は知らないですよね。あの部屋が、お嬢様の全てだったんですから」
「だから何の話ですか? 私が何を知らないというんですか?」
「彼らは領民から「税金」と称して金を巻き上げていたんです。で、その金で何をしていたと思います? こんな奴らの所為で俺ら日々の生活さえ苦しいっていうのに、彼らは自分於ことばっか。贅沢し放題ですよ。笑えますよね」
アリシアは頭を鈍器で殴られた気分だった。
「大旦那様は高い絵画を湯水のごとく買いあさり、旦那様は賭け事に大金をかけて遊び、奥様はご自身のドレスやアクセサリーで身を飾ることしか考えず毎日変えてましたよ。俺らがひ必死で納めた金は、彼らの娯楽に全て消えたんで。全て!」
「そんな……! 嘘よ、嘘よ…。そんなことが———」
「嘘じゃない! その所為で俺らがどんな目に遭ってきたか、アンタに分かるのか!? その日食べるものどころか水さえ満足に無いんだぞ! 空腹に空腹に喘いで、それでも金を搾り取ったじゃねーか! お前等の所為で俺の子供は死んだんだ!」
「俺の親父はお前等に「苦しい」と嘆願しただけで、不敬罪だのなんだのと難癖付けられて処刑された! 親父だけじゃない! そんな奴他にもたくさんいるさ!」
「そうだそうだ! 返せというなら私の妻を返せ! 子供を身ごもったまま死んだ、私の妻を返してくれ! やっと授かった、大切な子供だったんだぞ! それなのにお前等の所為で死んだんだ!」
声を上げる兵士たちに嘘はない。全て真実だ。
アリシアは何も言えず頭を抱える。いつもの頭痛が、ガンガンと鳴り響く鐘がいつもより強く響いた。苦痛に歪むアリシアだったが、それ以上に兵士たちのことを思うと心が痛んだ。
死者蘇らない。精霊が存在する世界で、精霊に祝福されたとしても、どれほど医療が発達したとしても死者が蘇ることはない。それがこの世界の事実だ。
でもだからといって、殺していい理由なんて1つもない。
「……確かに私は何も知らなかったかもしれません。無知だったと言えばそれまででしょう。ですが、だからといって殺しを正当化していい理由にはなりません。そんなことをしてなんになるんですか? 死者は、蘇らないんですよ」
綺麗事だと兵士の誰もが思った。
人を殺していい理由にならないのは分かっている。
でも誰がこの圧政を止められた?
いつか平和になる日がくる。いつか大丈夫になる。そんな日を何度夢見た?
何をしたわけでもない。いつの間にか声さえ封じられるようになった。
我慢の限界だった。もう大切な意図を失いたくなかった。
ただ、それだけだった。
アリシアは視線を家族へと移す。
愛されていると思ったことは無い。忌み嫌われているのは知っていた。
「おい、何をする気だ⁉」
警戒するエドワードや兵士たちを他所に、アリシアは手を組んで祈りを捧げる。
死体となった家族の下に魔法陣が現れ、強い光を放った。その様子に動揺の波紋が広がる。それでもアリシアは祈る。亡くなった彼らの為に、アリシアだけが祈りを捧げる。
「慈愛と献身の精霊よ、どうか彼らの魂が天に…、女神の元にいけますように。どうか迷うことなく黄泉路を渡れますように。彼らの魂が安らかに、穏やかに、眠ることができますように。どうか、どうか……」
アリシアの家族はそれ相応のことをした。殺されても「自業自得だ」と領民は言うだろう。飢えで亡くなる子供を、親を、大切な人を生み出してしまった。その代償がコレなら、エドワードや兵士たちの行いは確かに「正義」と呼ぶべき好意だろう。
だがそれでもアリシアにとっては大切な家族。愛しい家族。決して「殺されても仕方がない」なんて簡単に言えるわけがない。精霊に祈らずにはいられない。願わずになんていられない。例えほとんど顔を見せなかった家族だとしても、人々を追い詰めた悪逆非道な人達でも愛さずにはいられない。憎むことなんてできない。
『アリア、大丈夫。大丈夫よアリア』
澄んだ声だった。フワッと姿を現した精霊が、アリシアの祈りを捧げる手にそっと触れる。
アリシアが顔を上げると、そこには慈愛と献身の精霊がいた。
『私が必ず天へ届けてあげるわ。だから心配しないで、泣かないで。彼らの魂は貴方のおかげで安らかに、穏やかに眠ることができるのだから』
「本当、ですか…?」
『もちろんよ。誰よりもアリアが祈っているのよ。だから大丈夫、心配しないで』
「ありがとう、ござい…ます……」
慈愛と献身の精霊に励まされ、アリシアは安心した様に微笑んだ。
だけどソレが気に入らなかったのか、エドワードは顔を顰めて兵士たちに命令する。
「屋敷を燃やせ。アレはもう必要ない」
「かしこまりました」
エドワードの命令で兵士たちは臨戦態勢を解き、剣を鞘に納める。そして精霊の祝福を受けた能力で本宅を燃やし始めた。熱さによる熱気がここまで感じるほど燃え盛る炎。アリシアの目の前が炎で紅く染まる。無残にも燃やされる屋敷の姿に涙が溢れて止まらなかった。そんな悲痛な姿に精霊たちがアリシアに寄り添う。
『アリア、泣かないで』
『泣かないでよ、アリア』
優しい声をかけられても、アリシアの涙が止まることはない。
家族を目の前で殺され、先祖から続いた家は目の前で燃やされている。それなのに何もできない。無力が、無知がアリシアを貫く。全ては何も知らなかったせい、外の世界を知ろうとしなかったせい、エドワードを家族に紹介したアリシアのせい。全ては起こるべくして起きた結果だ。
だけど異を唱える者がもう1人いた。
『我のアリアを泣かしているのは誰だ?』
場が静まり返る。
圧倒的な魔力と、息をするのも躊躇うほどの威圧感がその場を支配する。
「精霊王、様?」
アリシアが顔を上げると、そこには精霊の王である精霊王がいた。
さきほどまで恐ろしい顔をしていた精霊王だったが、アリシアを見るとすぐに優しく微笑んだ。そうして精霊王がアリシアの頬に触れると、あっという間に血に染まった服や顔が綺麗になった。その優しさにアリシアはまたも涙が溢れてくる。
精霊王は困ったように笑みを浮かべるが、ふとアリシアの傍にある死体が視界に入った。その死体がアリシアの家族だということに気付くのはそう時間がかからなかった。ソレが原因だと、その犯人が彼らであるということも分かった。アリシアの流れる涙を指で拭い「すぐ終わる」と一言告げて庇うようにアリシアの前に立つ。先ほどまでアリシアに向けていた様な笑みではなく、今にも殺しそうな視線を向けている。
『人間諸君、我は精霊の王であるぞ。図が高い、立場を弁えよ』
精霊王の言葉に、意識を取り戻したエドワードと兵士たちはすぐに跪く。
『はて、それで? 誰がアリアを泣かせた? 誰がアリアをこのような目に遭わせた? 我はアリアを泣かせていいと言った覚えはない。一体、誰の許しを得てアリアを泣かせた?』
「お、恐れながら精霊王様。我々は領主の行いに———」
『お主、一体誰の許しを得てその口を開いた?』
「え?」
『我は精霊王。その精霊の王たる我と対等に話せると思ったのか? 愚か者が。我と対等に話せる人間は我が祝福を与えた者だけだ。部を弁えろ。我のアリアを泣かせるどころか我と対等に話せるなど、思い上がりも甚だしい』
「⁉」
『理不尽と思うたか? ならば良かった。再認識できたであろう? この世界が理不尽であふれていると。そうであろう? そして、アリアの気持ちが少しは理解できたであろう? 理不尽にも家族を殺され、家を燃やされているアリアの気持ちが』
言葉を発することができない兵士たちを他所に、精霊たちが精霊王の前に跪く。
『我らが偉大な王、精霊王様』
『慈愛と献身の精霊よ、アリアの家族である御霊を無事送り届けたか?』
『もちろんですわ。アリアの願い通り、彼らの御霊を送り届けました。彼らが安らかに、穏やかに眠ることができる様に……』
『……そうか、それならばいい。いや…、いいということは無いな。だが出来ることはその程度だからな。いくら我でも死者を蘇らすことは出来ぬ。不甲斐ないばかりだ…。だがアリア、我でもこのくらいのことは出来るのだぞ』
アリシアが困惑する中、精霊王は燃え盛る屋敷に手を向ける。すると屋敷の高さほどの魔法陣が現れ水色の光を放つ。次の瞬間現れた水は屋敷全体を覆い、みるみるうちに炎が消えていく。水が炎を消すまでそう時間はかからなかった。燃え盛る炎が消えると水は役割を果たしたかのように魔法陣と共に消えた。
その様子にふーっと息を吐き、精霊王はアリシアに向き直り跪く。
『アリア、今更だが遅くなったことを詫びよう。本当に申し訳ない』
深々と頭を下げる精霊王と共に、他の精霊たちも跪いて頭を下げる。
「…いいえ、いいえ。来てくださった。それだけで、それだけで私は……!」
『感謝する。アリアは本当に優しい子だ…』
「精霊王様……」
アリシアの言葉に精霊王は頭を上げ、優しい笑みを浮かべる。他の精霊も安心した様に頭を上げ、その様子を見ていた。そうして精霊王はアリシアの前に手を差し出す。
『だからもうよいであろう? 我らと共に行こう、アリア』
アリシアは手を伸ばすことなく代わりに首を横に振った。
『アリア?』
「…でき、ません」
『なぜ、だ? アリアが慕う家族は死に、心配していた従者にも裏切られた。もうここにいる理由はないはずだ。なのになぜ我を拒む? なぜこのような場所にいることを望むのだ?』
「……います。大切な私の家族がいるんです。だからこの手を取るわけには参りません」
『兄、か?』
「はい」
精霊王の言葉が一瞬詰まる。
家族の中でたった1人優しくしてくれた双子の兄、レイモンド。
エドワードが来るまで、アリシアの話し相手になってくれるのはレイモンドだけだった。エドワードがアリシアと楽しそうに話しているのを見て、レイモンドがどれほど安心したか分からないだろう。エドワードの優秀さを見込んで遅らせていた留学を決めたほどだ。本当にエドワードを信頼していた。だから家を出る時「アリアを頼む」と告げ、ほんの少し後ろ髪を引かれる思いで留学先へ旅立った。
この場にレイモンドがいないことはアリシアにとって唯一の救いであり、今となっては彼だけが唯一の心残りだった。だからアリシアは逃げる訳にはいかなかった。
エドワードや兵士たちの様子を見ればどうしたいのかは想像がつく。正義が成されたと領民に証明する必要がある。既に祖父も両親もなくなっているから、残りはアリシアとレイモンドしかいない。だがレイモンドが処刑されるなんてアリシアには耐えられない。何より自分に唯一優しく接してくれた家族、大切な片割れだ。これがせめてもの恩返しだと、アリシアは決意した。
「レイは此度のことを知りません。彼はこのことに関わってすらいません。それなのに処刑されるなんておかしいじゃありませんか。だから処刑されるのは私でなければならないんです」
『っ! お主の家族を殺すだけでは飽き足らず、お主を殺そうとしている奴らだぞ。レイモンドだって生かしておく保証なんてどこにもない』
「分かっております」
『なら———』
「それでも私は、この手を取るわけには参りません。今この場でレイを守れるのは私だけなんです。何も知らないレイを巻き込むわけにはいきません。レイはとても優秀な人です。きっとこの国の為に尽力してくださるでしょう」
『アリア!』
「……それに、私は罪を犯しました」
『世迷言を申すな。お主のことは誰よりも我らが見てきた。無実なら我らが証明する』
「…いいえ。私は、貴族としての責務を果たしておりません」
『貴族としての責務? ……まさか』
真っ直ぐに精霊王を見つめるアリシア。
嫌でも分かってしまう。アリシアは貴族としての教育を受けてこなかった。その代わりに精霊たちが教えた。だから分かる。「貴族としての責務」とは「noblesse oblige」とはなんなのか、外ならぬ精霊王が教えたのだから。
だからアリシアは逃げない。逃げる訳にはいかない。道は一つなのだから。
『アリア……』
「…精霊王様の御心を無下にしてしまい、申し訳ございません。不出来な生徒をお許しくださいませ」
『不出来なものか……。お主は我が教えた自慢の生徒ぞ』
「…ありがとうございます。そのお言葉だけで、十分です」
アリシアは呼吸を落ち着かせてその場に立ち上がる。不意にフラッとよろけるが体勢を立て直し、涙で濡れた顔を拭いた。そして精霊王に深く頭を下げ、エドワードへ向き直る。
「領主の子供を処刑したいのなら、どうぞ私をくれて言ってくださいまし」
「良いのですか? お嬢様」
「えぇ。その代わり双子の兄であるレイモンドには手を出さないと約束してください」
「ふざけんな! お前の兄も同罪に決まってんだろ!」
「私が代わりに刑を受けるとお約束します。ですからどうかレイだけは、レイモンドだけはお許しください。彼はずっと留学しているので此度のことは知りません。ですからもう、私で終わらせてください。お願いいたします」
兵士たちに深々と頭を下げるアリシアに、エドワードは鼻で笑った。
「良いですよ、お嬢様」
「エドワード様!」
「お前達、拘束具が壊れたのを見ただろう? 本気で逃げ出す気があるなら、この人達は俺達を殺してでもとっくに逃げ出してるよ。精霊王様の態度もそうだ。そうしないのは、俺らへの温情ですか? それとも脅迫ですか?」
「どちらに捉えていただいても構いません。どうせ、私のことなど信じないでしょう?」
「……分かってるじゃないですか」
「えぇ…。ですから死にゆく私の願いを、優しい貴方方なら叶えてくださるでしょう? 私の家族とは違うと言うことを、どうか証明してくださいませ」
「彼を殺したら、俺達も悪逆領主と同じって意味ですか?」
アリシアは答えない代わりに笑みを浮かべた。それが答えだった。
エドワードはチッと舌打ちをした後、取り繕うようにコホンッと咳払いを1つした。
「それではお嬢様、そろそろ行きましょうか。くれぐれも、変な気は起こさぬように」
「かしこまりました」
エドワードの後ろにアリシア、その後ろに数名の兵士たちが付いて歩き出す。
『アリア!』
『行かないでアリア!』
『行っちゃヤダよ!』
精霊たちの言葉に、アリシアは後ろ髪惹かれる様に足を止めて向き直る。
「こんなことになってごめんなさい。短い間だけど、それまでよろしくね」
いつもの様に笑みを向け、精霊たちに深々と頭を下げた。
そうしてアリシアはエドワードと共に歩き出す。今にも逃げたい気持ちを必死にこらえ、アリシアは前だけを見て足を進めた。
その後、精霊たちが何度呼んでもアリシアが振り返ることはなかった。
こうして、アリシア・ディ・シュタインブルグは罪人として連行された。