第一話 「すべての兵士の背嚢に元帥杖が隠されている」前編
自由暦8年12月2日の夜。コルスカ共和国のツイルリー宮殿の廊下。伯爵令嬢カロリーナ・ド・ソワンは絨毯にくるまれて、簀巻きになって担がれていた。
「なんだこの絨毯。嫌に重くないか。変な膨らみもあるし。豚でも入ってるのかよ」
「全く。贅沢する貴族共が居なくなったってのに、宮殿には豪華な家具、派手な絨毯ときた。俺たち平民の暮らしはなんにもよくならないじゃないか」
「こ、この私がこんな格好でなんたる屈辱……なんたる恥辱……しかし我慢、我慢の時ですわ」
二人の男が肩に担ぐ絨毯の上でカロリーナは屈辱に唇を噛みしめる。
五年前、このツイルリー宮殿を自分は大勢の取り巻きを連れて歩いていたのだ。こんな不潔な連中は宮殿の門をくぐることさえ許されない身分だった。それなのに、今や自分はこうやって絨毯に隠れて忍び込まなければならない。
全てはあのコルスカ大革命と呼ばれる忌々しい出来事のせいである。
大勢の野蛮な民衆が武器を携えて宮殿に押し入り、いとも貴き国王陛下夫妻と貴族たちから権力と財産を取り上げてしまったあの革命!
カロリーナは握りこぶしに力を込める。
王国の成立から代々続く名門のソワン伯爵家も例外なく、豪華な屋敷も、広大な森も、召使も、愛犬のカールも何もかもを没収され、僅かな宝石とドレスを売り払い、ツテのある平民に、頭を下げて、匿ってもらう日々だった。
「しかし、そんな日々も今日までですわ」
カロリーナはほくそ笑む。時代は変わった。平民を扇動して騒ぎたてていた革命家たちは相打ちのような恰好で次々と倒れ、平民たちは革命への熱狂を失った。そこへきてコルスカの大英雄ナブリオーネの活躍だ。
貧乏な平民に生まれて苦学して軍に入り、革命戦争を連戦連勝して祖国を救ったあの戦争の天才! 向かうところ敵なしの戦争の天才。美術館に展示された絵画にはすらりとした長身に黒髪に碧眼、若々しく活気に満ちた表情で白馬に跨る姿があった。まさに英雄!
そんな彼は平民たちの圧倒的な支持を受けてクーデターを起こし、国の実権を握る執政官になったと言う。
この若き天才、英雄の元へ駆けつけて、伯爵家の復活を請願する。没落した貴族の身では面会など受け付けてもらえないが、どのような手段を使っても、会ってしまえばこっちのもの。だからこそ絨毯などにくるまれているのだ。
自慢のこの長い金髪と輝く大粒のルビーとサロンで賞賛された瞳で哀願すれば、あの英雄はきっと私の願いを聞き届けてくれるに違いない。なにせ彼は物事の道理の分かる天才なのだから!
◆
「ナブリオーネ様! この絨毯はどこに置けばよろしいですか」
カロリーナがまだ見ぬ天才に心をときめかせた頃、男たちはようやく絨毯を部屋に運び込んだ。
「ああ。適当に置いて置いてくれ。後は私がやる」
声がする! あれがナブリオーネ様のお声。なんと凛々しく、溌剌とした声なのでしょう。カロリーナは高鳴る心臓の鼓動を必死に抑えこみ、その時を待つ。
扉が閉まる音がする。足音が近づく。いよいよ、対面の時だ。
ぶつりと絨毯を縛っていた縄が解かれるとカトリーナは勢いよく絨毯を広げながら転がり、立ち上がった。
真珠の耳飾りが揺れ、長い金髪がふわりと舞う。
「お初にお目にかかりますナブリオーネ・ディ・ラパイオーネ様……」
「なんだお前は!」
優雅な挨拶はヒステリックな叫びに遮られた。
「わ、わたくしはソワン伯カロリーナと申しまして、このような形で無礼は承知しておりますが、どうしても閣下に直接お会いしたく……」
「衛兵! この訳の分からん女をつまみ出せ! 二度と私の視界に入らないようにしろ!」
「ちょ、ちょ、ちょっとお待ちくださいませ!!」
カロリーナはナブリオーネにつかみかかった。身長はナブリオーネのほうが頭一つ高い。もう二つか三つ高いだろうと思っていたカロリーナは少しアテが外れたような気がした。どうも絵画で見たよりも頬には肉がついているし、眼光は鋭いというより険しい。細身……のはずだが、身体にぴったり仕立てられている軍服の腹は出ている。
「聞いて、聞いてくださいまし!」
ここでつまみ出されれば二度と復活の見込みはない。なんとしても聞いてもらうのだとカロリーナはナブリオーネの襟首を両手でがっしりと捕まえる。
「貴様どこの暗殺者だ。国王支持者の残党か、マーキア王国の回し者か!バーベンリア帝国の暗殺者か!」
マーキア王国は海を越えた先にあるコルスカ共和国の宿敵ともいえる国である。バーベンリア帝国はコルスカの東に位置する仇敵と言える国である。
「違いますわ!私はソワン伯のカロリーナです! 閣下に我が家の復興をお願いに上がりました! どうかこのか弱い伯爵令嬢にお慈悲をくださいまし!!」
カロリーナはナブリオーネの首を前後左右に振り回しながら陳情する。
「ぐえっ離せッ、分かった。分かったから、首が絞まる! バカ者! お前のようなか弱い伯爵令嬢があるか!」
「し、失礼いたしましたわ。平民暮らしが長かったものですから……」
解放されたナブリオーネはぜえ、ぜえ、と荒い呼吸を整えてようやくカロリーナに向き合った。
「……ソワン伯か。北方のほうの貴族だな」
「はい。革命騒ぎで没収された財産をぜひ閣下のお力で取り返していただきたく存じます。そうしていただいたあかつきには、我が家は閣下に忠誠をつくしますわ」
カロリーナは跪いてナブリオーネの服の裾を掴んだ。しかし大きな輝くルビーのような瞳を目いっぱい潤ませて哀願するその様にナブリオーネは文字通り取りつく島もない。
「ダメだな」
「な、なぜですの?」
「民衆は貴族の復活を望んでなどいない。お前の家だけではない、既にほとんどの貴族の財産は売り払われ、平民たちの手にある。屋敷も、土地も、狩場の森もだ。平民たちは私が彼らの権利を守ることを期待している。彼らの支持を失うわけにはいかん」
「人の財産を勝手に!」
「元はと言えばお前たち貴族が平民を搾取してため込んだ不正な財産だな。話は終わりだ。衛兵! この元貴族の令嬢を牢獄に案内してさしあげろ」
「嫌! 嫌です!」
「まあ、まあ。そう邪検にすることもないでしょう」
カロリーナが入って来た衛兵に引きずりだされるのに必死に抵抗しているところに割って入った人物がいた。
「なんだペリゴーヌ。言いたい事があるのか」
この部屋にはもう一人いたのだ。カロリーナはナブリオーネに夢中で全く気が付かなかったが。
カロリーナは記憶の引き出しを漁る。
あれは確か、シャルル・デ・ペリゴーヌ伯爵。大がつくほどの貴族だったのに、革命に賛成して自ら進んで財産を差し出した変人。今はナブリオーネの元で外務大臣をしていると聞いた。
「コルスカ革命の『自由・平等・財産』の『平等』は機会の平等です。誰しも、血筋ではなく実力によって運命を切り開けるという意味です。このお嬢さんにもその機会を与えてあげてはいかがでしょうか」
「なぜそんなことをしてやる必要がある」
ペリゴーヌは杖をつきながらナブリオーネに近づいて耳打ちする。
「権力を固めたいのなら、旧貴族たちは利用するべきです。古い貴族たちと新しい平民たち。その両方を調和させてこそ、閣下の新しい体制も安泰というものです。それにさらなる高みを目指す際にも役立つでしょう」
「それで?」
「何の働きもなく、財産を返すのでは誰も納得しません。そこで、彼女に役職を与えて、出世の機会を作ってやるのです。彼女が功績を立てたら、その褒美として財産を返してやるのです。それを見た旧貴族たちは、閣下を倒そうとするより、こぞって閣下の元で働こうという気を起すでしょう」
「なるほどな。なんの役職を与える?」
「そうですな……わが軍の連隊、そう、ちょうど元ソワン伯爵の連隊長が不在です。いかがですか」
「軍人にするのか? 女をか? しかも連隊長だと?笑いものになるぞ」
「笑わせておけばいいのです。実力を示すのに軍人ほど明確なものはありません」
「ふむ……」
なるほど。ペリゴーヌの言うことに一理ある。この女に役職を与えてやらせてみるのだ。上手く行けば革命で弾圧された旧貴族たちの支持を得られるかもしれない。失敗したらしたで、貴族の連中はやっぱりダメだ、という事で弾圧することができる。どちらにせよ損はない。
ナブリオーネは衛兵にカロリーナを解放するように合図した。
「よし。カロリーナ嬢とやら。お前に機会を与えてやろう。軍人になれ。そして自分が有能であることを証明してみせろ。そうしたら、伯爵家を復活させることに誰も文句は言うまい。まあ、無理だろう。そうとも、お嬢さんには無理な話だな」
ナブリオーネは意地の悪い笑みを見せた。拒否されると踏んでのことだ。
カロリーナの目に閃光が走る。ソワン伯爵令嬢カロリーナに軍事は分からぬ。カロリーナは伯爵令嬢である。笛を吹き、サロンでお喋りをして暮らしてきた。しかし貴族は侮辱に関して人一倍敏感である。
「よろしいですわ! 我が貴き青い血にかけて!」
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