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暁の墓標  作者: 摩莉花
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 やがて次の休養日、大月と西田が寺にいくと、正嗣氏が出迎えてくれた。

「今日は学校があるので、岡崎先生と校長先生がみえるのは夕方近くになります。あ、岡崎先生の叔父さんというのは、校長の三島さんなのですが」

「そうだったのですか」

「どうぞ、入ってください。なんとかヴィオラを手に入れたんですけど、状態が良くなくて……。見ていただけませんか」

 うながされて離れに行き、西田は正嗣氏と古ぼけたヴィオラを手にして話し込んでいる。正嗣氏は八方手を尽くしてそれを探し、檀家の親戚から借り受けたのだった。

 一方、話に加われない大月は窓際に立ち、ぼうっと外を見ていた。そこへ住職がやってきて、彼を将棋に誘った。

 居間で嬉しそうに将棋盤に向かった大月だが、相手が強すぎてすぐに勝負がついてしまった。

「次は『角落ち』でいきましょか?」

 勝って住職は上機嫌だ。

「お願いしますッ」

 少しむきになった大月は真剣な顔で、再び駒を並べ始めた。

 そのうちに昼となり、奥さん手作りのうどんをごちそうになった。そして三局めを打ち始めた頃、離れから弦楽器の音が聞こえた。

「ほほう、やり出しましたな」

 住職が音のするほうへ、顔を向けた。

「具合が良くないといっとりましたが、音が出たようです」

「そうみたいですね。次、和尚さんですよ」

「あ、これはどうも」

 そして四局めが終わったとき、玄関で岡崎先生の声がした。

「やっとみえたようですなあ」

 住職が、出迎えのためにその場を立つ。対局は、三勝一敗で住職の勝ちだった。

 大月も部屋を出て離れにいくと、そこへ岡崎先生と、国防服を着てぶ厚い眼鏡をかけ、鼻の下にブラシのような胡麻塩の髭を生やした五十歳くらいの男の人が入ってきた。

「大月さん、西田さん。こちらが校長の三島先生です」

「このたびは無理をいいまして」

 改めて紹介され、大月が頭を下げた。西田も後ろで同じようにしている。

「いやあ、姪から話を聞いたときは驚きましたが、久方ぶりに合奏するのもええんじゃないかと、思いましてなあ」

 のんびりした口調で答えて、校長先生は人の良い笑顔を彼等に向けた。

 それから四人は、西田の書いてきた楽譜を前に、音楽談義を始めた。知識のない大月はさっぱり話が分からず、窓際に座っている。

「……それで、写譜は僕がやりますから」

 正嗣氏がいう。

「じゃ、お願いしますわ」

「練習は、いつするのかな? 本番の目標は何日頃?」

「うーん……」

 結局、四人そろって練習できるのは、西田の休養日だけで、それも休日と重なった日は午前から、学校の授業がある普段の日は、夕方から基地の帰営時間までしかできなかった。

 段取りが決まって、各自楽器を手に取る。

 そのとき手持ちぶさたな大月を気づかって、岡崎先生が話しかけてきた。

「あの、大月さん。ヴァイオリン、持ってみます?」

「あ? ええ……」

「こうやって構えますのよ」

 先生が、手を添えて弾くときの形を教えてくれる。

「ははあ、これはずいぶんと首と肩に負担がかかる姿勢ですね」

「力が入りすぎてますわ」

 先生が、くすくす笑う。

 大月はヴァイオリンを下ろして、頭をかいた。

「岡崎先生、ちょっと……」

 西田が彼女を呼ぶ。

 校長先生と正嗣氏は、自分の楽器のパートをそれぞれのペースで弾き、練習している。

 ふたりとも慣れないのか動作がぎこちなく、部屋の中はすごい不協和音だ。

 飛行機のエンジン音の方が、まだましだな……。

 大月は、耳を押さえた。

 そのあとも、岡崎先生は何かと話しかけてくれたが、西田がたびたび先生を呼ぶので、大月は居心地が悪かった。それに西田も練習を見られるのは嫌な様子なので、彼は次回から寺に来るのはよそうと思った。




 そうしているうちにも、季節は確実に巡って来る。基地周辺の桜が花を咲かせ、やがて散り、月が変わった頃、大月は隊長の阿部大尉に呼び止められた。

「大月、飯が終わったら、俺の部屋へ来てくれないか」

 その日の訓練が終わって、大月が愛機の点検をしていたときだった。

「はっ」

 操縦席に座ったまま、彼は敬礼した。そして、面倒が起ったな、と直感した。

 夕刻、彼は大尉の部屋を訪ねた。

「来たか……。入れ」

 ベッドと机と椅子があるだけの、簡素なひとり部屋だった。しかし、玉露のよい匂いがする。

「失礼いたします」

 大月は招かれるまま、後ろ手で戸を閉め、大尉の向かいに座った。

「軍に入ってすぐ、実家から送ってもらった茶だ。こんなところでは、作法もないがな」

 阿部大尉の生家は常滑で、煎茶のさる流派の家元だと、大月は聞いたことがある。

「菓子は、煎り豆だが」

「恐縮です」

 大月は、湯のみ茶碗を両手でもって押し頂いた。

「家業に反発したこともあったが……血だな。良い茶の香りを嗅ぐと、心が落ち着く」

 大尉は、玉露をひと口含んでから服んだ。

「はあ……。それで、話とは」

「ふむ」

 大尉が静かに湯のみを置く。

「西田一飛曹のことだ」

「やつについて、何か」

「近頃、やたら外出しているな」

「あれは、楽器の演奏をしにいっているのです。やつは音大のセロ弾きだったそうですから」

「おまえが、けしかけたのか」

「未練を残すな、といいました」

「なるほど……だが、村で良家の子女と芳しからぬ噂が立っているようでな、上の方で問題になっている」

「ああ、岡崎先生ですか。ふたりの間には、何もやましいことなど、ありませんよ」

「しかし……」

「大尉どの。休養日に外出して、村の後家さんや街のお女郎さんとよろしくやってるやつは、他にも大勢います。なのに、どうして西田だけが問題になるのです」

 大月がいきり立って、目つきが険しくなる。

「睨むな」

 阿部大尉が、困ったように微笑んだ。

「俺もいわれたときに、そう弁明したんだがな。相手が校長の姪だから、いかんそうだ」

「なんですか、それは」

「素人娘相手では、公序良俗に反するそうだ」

「馬鹿にしてら。事実をよく知りもしないで、噂話を鵜呑みにするんだな」

「おい、大月。おまえ、筆おろしは、いつ済ませた」

「入営する前、大学の友人たちと吉原で……うっ、何いわせるんですか」

「はっはっ」

 顔を赤らめた大月を見て、阿部大尉はおかしそうに笑った。

「おまえらしいな。俺には故郷にふたつ年下の婚約者がいてな、一昨年、正月に一日だけ休暇をもらって帰ったとき、仮祝言を済ませてきた」

 大尉が少し前かがみになり、机の上で両手の指を組んで、静かに話し出す。

「親同士の決めた相手で、妹みたいなものだったが……両親は安心したかったのだろう。まさか特攻に志願するとは思ってなかったろうし」

「はあ」

 なにか突然、深刻そうな話になったので、大月も相槌を打ちかねている。

「俺には腹違いの兄がひとりいる。生まれつき目が不自由でな、だが、まるっきり見えないわけでもないんだ。弱視というやつで……もちろん、そんな身体では徴兵検査には合格しなかった。検査に受からなかった男は、一人前じゃないというような世間の風潮に、ひねくれもせず、周囲の冷たい視線を恨みもしないで、人のことばかり心配する、いい兄貴なんだ。俺が死んだら、あいつを嫁に貰ってくれるだろう。ふたりにとっても、それが一番なんだ。あいつは、昔から兄が好きだったから……」

 そして、細い目をますますほそめて笑った。

「これで、あいこだ」

「はい……」

 大月は返事のしようがなく、湯のみの茶をちびちび飲んでいる。

 そういえば、阿部さんは去年の秋、フィリピン上空で初めて特攻散華した敷島隊の隊長、関行男大尉と戦友だったとかいう、話を聞いたが……。

 彼は、ふと思った。

「それで、西田のことなんだが……」

「そうです」

 茶碗を勢い良く置いた大月は、大声を出した。

「唐突なやつだな」

「……すいません」

「高井中佐がことに強硬でな。俺は劣等生だったが、あの人は兵学校を俺より三期前に首席卒業した優秀な人で、大先輩なんだが……、昔から潔癖な方でなあ。噂が立てられただけでもけしからん、ということで、西田をしばらく外出禁止にして、二、三日謹慎させろ、と主張しておられる」

「高井参謀どのですか……」

 大月は、腕組みをして考え込んだ。彼が一番苦手な相手だ。

「高井さんの意見に、他の方も同調されそうな雰囲気でな。まあ、決定するのは次の会議のときなんだが、このこと、西田には……」

「だめです。西田が知ったら、引っ込み思案なやつのことだ、あっさりあきらめますよ」

 大月が勢い込んでいう。

「それで一件落着だが?」

 大尉は身体を後ろに引き、椅子に背をもたせかけた。

「上にとっちゃ、丸く収まっていいかもしれませんが、内に籠る性格のあいつは……死んだら、化けてでますよ」

「へえ……」

 阿部大尉が、おもしろそうに大月を見る。

「やけに肩を持つな」

「一生懸命練習してますからね。それに、俺に『カノン』を聞かせてくれるっていう約束なんです」

「なんだ、おまえも当事者のひとりか」

 ふふん、と大尉が笑う。

「なら大月、おまえ、直訴しろ」

「へ?」

「俺の見るところ、中将閣下はおまえのようなおとこに甘そうだ」

「中将閣下って……うちの基地の長官の……」

 大月は訓示のときにしか、その顔を見たことがない。

「実は三月下旬、南西諸島に敵の機動部隊が来襲した」

「えっ」

 軍の機密に属する情報を、上官が部下に漏らすことは、めったにない。

「……それを迎え撃った我が方の第五航空艦隊は、壊滅寸前にされてしまったそうだ。そして四月に入ってからは、米軍が沖縄に上陸を始めたとの情報で、昨日、参謀長どのたちが現地での作戦指導に任じられて、鹿屋基地にいかれた。現在、上では陸海総力を挙げての航空攻撃が計画されていてな、一兵士の問題になぞ関わっていられない状況なのだ」

「では、出撃が近いと……」

「そうだ」

 大月は、顔を引き締めた。鹿児島の鹿屋基地には、山本少尉がいる。

「だがな……こんなときだから、俺も西田にやらせてやりたい。手筈は俺が整える。おまえは、閣下を説得しろよ。高井さんを押さえられるには、稲垣中将しかいないんだ」

「はい」

 大月が、深くうなずいた。

 そして話が終わり、部屋を辞去して廊下に出た大月は、戸を閉めてから、つぶやいた。

「……存外、あの人、狸かもしれん……」

 そこへいきなり、ドアが開いた。

「わあっ」

「いい忘れたがな、大月」

「はいっ」

 彼は姿勢を正した。

「西田に、俺も『カノン』を聞きにいってもいいか、きいといてくれ」

「わかりましたッ」

「……ま、俺はどーせ、狸親父だがね」

 と、大尉が静かに扉を閉める。

 あとに残った大月は、ひとり大きく息を吐いた。





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