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桜散る時

作者: 白川雪道

 

 入学式の日。

 桜は、既に散っていた。

 でもそれだけで、白黒の景色は何も変わらない。

 ただ、何か物足りない。

 制服はちゃんと着てきた。

 可笑しな所は一つも無いのに。

 数時間前までは楽しみだった筈なのに、今はそれを上回る不安が心を覆っていく。

「一、組……」

 合計百人前後の名前が書かれたクラス割りの中から自分の名前を見つけ出す。

 胸のざわめきを紛らわすように大きく深呼吸をした後、向かって左にある一年生の靴箱に、汚れ一つ無い真新しい靴を押し込んだ。

 その後、これまた真っ白な上履きの中に、爪先を強引に押し込む。

 踵を庇うようにして屈むと、膝まである長いスカートの裾が床に沈んだ。

 玄関ホールを抜け、今日の為に丁寧に切り揃えた髪を耳に掛け、知っている人を探しながら階段を登る。

 だが、他の人よりも遅く来てしまったせいで、誰とも会わない。

 この時間が、ただただ苦しかった。


 やっとの事で階段の踊り場を抜けて、長い廊下。

 もう少しで教室だというのに、足が動かない。

 教室の扉の隙間から、姿勢を正して静かに座っている人たちの姿が見える。

 もう少しで、自分も彼処に並ぶ。

 そう考えただけで、胸が苦しくなった。

 今すぐにでも、逃げたい。

 帰りたい。

 でも、駄目だ。

 震える足を前に踏み出して、教室の扉に手を掛ける。

「失礼……します」

 皆の視線が此方に集まるのが分かった。

 自分の席であろう場所へ急いで足を進める。

 近くに知っている友達が居たということが、唯一の救いだった。


 それから、担任だという教師が入学式での動きについて説明してくれた。その他にもプリントなどが配られたが、息苦しさで全く集中できなかった。

 これから数分後に始まるというのに、まるでそれが他人事のように思えてくる。

 ──本当に、入学したのだ。

 その事実が遠くに思えて、いや、そう思いたくて、俯く。

 突然喉まで吐き気が込み上げてきて、掌で口を覆った。


 それからは、あまり覚えていない。

 永遠に続くと思った程には長かった入学式はあっという間に終わりを迎え、皆が靴音を鳴らして教室へと戻る。

 未だに苦しい胸は、更に痛みを増していた。

 


 果たして、これからここでやっていけるのだろうか──




 



 

 


 

 


 入学してから、一週間が経とうとしていた。

 学校から帰宅、気怠い気持ちで部屋の扉を押す。

 鞄を降ろし、腰を閉めるスカートを緩め、体を自由にする。

 そうしていつものように携帯を手に持ち、ニュース等から情報を漁っていた時だった。

「クラス、ライン……」

 いつの間に。

 通知が五月蝿いと思ったら、やはりこれだった。

 対して仲良くもない人達と話しても、何も楽しくないのに。

 五月蝿いだけで、勉強の邪魔だ。

 何で、こんなもの。

 皆が楽しく会話する姿を脳裏に思い浮かべ、また胸が苦しくなった。

 「何で、私だけ──」

 泣きそうな程、苦しくて痛い。

 目を伏せて、携帯の画面を閉じる。

 問題は、その後だった。


『こんばんは』

 夜の九時半頃。

 携帯の画面を開くと、新しいクラスメイト……だと思われる人物からのメッセージ。

「はぁ……」

 勝手に追加したようで、その名前に心当たりは無かった。

『同じクラスの加西省吾かさいしょうごです』

 ぼーっと眺めていると、それが知っている名前だということに気が付く。

『よろしく』

 確か、そんな人もいたなと思いながらも、面倒だったのでそれだけ打って可愛らしい猫のスタンプを送る。

「省吾……」

 加西省吾。

 確か、とても整った顔立ちをしていて、運動神経抜群。しかも話し上手で、こういう人は、クラスの中心にいるタイプだ。

 自分とは違い、上手くやれている彼が羨ましくて、また胸が苦しくなる。


 先程のメッセージに既読は付いたが、それ以上の返事は全く返ってこなかった。

 暫くして、猫のスタンプなんかを送った自分が恥ずかしくなる。気付いてしまったら、かぁ、と顔が熱くなった。

 その事実に、また胸が苦しくなって、息がしずらい。

 直接の会話も、ネット上のメッセージも、何もかも合わない。


 取り残される。

 卒業する前の、あの頃のまま。

 どう接すれば正解なのか、何が普通なのか──考えただけで吐き気がする。


「何で、何で上手くやれないの……」


 ──返事なんか、返ってこなくて当然だ。

 彼は、あっち側の人間なんだから。

 

 

  


 

 


 

 


 

 ずっと、そう思っていた。


 そんな、ある日のこと。

『なあ、課題終わった?』

 省吾君からのメッセージが目に映る。

 でも、その日は返さなかった。

 すると翌日、省吾君が机の前までやって来て、私の顔を覗き込む。

「具合、悪い?」

 何で、そんなことを思ったのだろうか。

 それよりも、私は省吾君が怖かった。

 あっち側の人が、今、この世界に踏み込んでくる。

 同じ人間の筈なのに、それが酷く恐ろしかった。

「元気、だけど…………」

 情けない程に裏返った声。

 恥ずかしくなって、口を閉じる。

 すると、省吾君はほっとしたように明るい笑顔を見せた。

「いや、既読付いたのに返事は来ないし、朝から何となく怠そうだなって。でも、良かった。あ、具合、悪かったらいつでも言えよ」

 優しい声だった。

「あ、ありがとう……」


 それがきっかけで、省吾君とはよく話すようになった。


 あれからほぼ毎日、初日のあれが嘘だったかのように、省吾君からメッセージが来るようになったし、変わらず学校でも上手くやれている、省吾君と話していると、学校が嘘のように楽しくなった。


 あっち側の人間、と思っていた自分が恥ずかしい程に、彼とは話が合った。


 


 


 今日もいつものように携帯の画面を開く。

 夜の十二時。布団の中だったので、それがまた眩しく感じた。

 その時、目に入ったのは、省吾君からのメッセージ。

『ねえ、好きな人っている?』

 本当に、突然だった。

 何の前触れもなく。

「はっ?」

 一瞬、間抜けな声を出してしまう。

 これは、どう反応するべきなのか。

 正直言って──いないこともない。

 一緒にいて楽しい、人。

 加西省吾。その名前を見ただけで、顔が熱くなった。

『え、省吾君はいないの?』

 そう打とうとして、手を止める。

「っ、これじゃ、まるで」


 自分が、省吾君の事を好き、みたいな……


 結局、迷いに迷って

『同じクラスの、伊藤君……かな』

 好きでもない人の、名前を送った。


 それから、省吾君からのメッセージが嘘のようにぱたりと止んで、来なくなった。すれ違ってもたまに話す程度で、でも、当たり前の事しか話せなかった。


 ──もしも、あの時

『省吾君』

 と送れていたら。

 そんなことを考えてしまって、夜は眠れない。

 元々楽しくなかった学校も、更に色褪せて見えた。


 



 



 



 

 ──省吾君とぎこちなくなってから、長くも半年。


 私は、とうとう決めた。

 省吾君に、伝える。


 好きなんだ、と。


 いつも痛む筈の胸は、今日に限って心音を全身に共鳴させる。

 耳元まで聞こえる程に大きく、それ程強い想いで。


 この桜が散る前に、と省吾君の元へ走り出した。


ほぼ私の世界に落とし込んじゃってますが、友人の実体験を元に執筆致しました。

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