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トルフィレディウス様もマカリオス殿下もおふたりとも、大国と名高い隣国の王族とそれに準ずる立場の方だ。こんな弱小国の公爵令嬢と比べれば、天と地ほども差がある。
つまり、おふたりが通される休憩場所は、夜会会場となったこの屋敷でも指折りの良い部屋、応接間となる。
しかも、私は未だかつて通されたことの無いような大変良い部屋で、部屋中煌びやかな装飾が施されている。
そんなきらきらしい部屋でも見劣りしないほど輝かしい笑顔で、目の前に座るトルフィレディウス様は言った。
「まず、呼び名を何とかしようか」
「な、なんとか…ですか?」
「そう!トルフィレディウスもルキアディスも長ったらしいし噛みそうでしょ?だから簡単に、ルカって呼んでよ」
「い、いえ!それはさすがに出来ません…!」
トルフィレディウス様が呼べと要求する呼び名は、彼の愛称。
そんな物を婚約者でもない弱小国の公爵令嬢が軽々しく呼べるはずがない。
首を横に降っていると、トルフィレディウス様はそんなに大きな問題で無いはずだという。
「君は僕の運命なんだから、そういえば僕の周りは納得するはずだよ?」
「う、運命…ですか?」
「そう、運命。俗に言う運命の番、的な?」
「運命の…ツガイ…?」
初めて耳にする単語に思わず首を傾げる。
ツガイとは一体なんだろう?
運命というが大袈裟すぎやしないか。
そう思っていると、マカリオス殿下が少し慌てたように聞いてきた。
「えーっと、もしかして、番ってご存知ない?」
「はい…お恥ずかしながら…」
「まじかーそっからか…」
自分の世間知らずを露呈させてる用で恥ずかしくなりながら頷くと、殿下が頭を抱えた。
見るとトルフィレディウス様も困ったように笑っていて、私と目が合うと少し考えて話し始めた。
「ええっとね、僕らの国が獣人と人間が混在してる国ってのは知ってる?」
「それは、もちろん」
公爵令嬢としての教育の中で教わった。
私たちの住む国には居ないが、この世界には獣人と呼ばれる種族があり、彼らはみな人間よりもずっと優れた身体能力と彼らの元になった動物の特徴を持っている。
そして、私たちの住む国の隣の国ではそんな獣人たちと人間が手を取り合って暮らしていて、この国では考えられないほど発展している、らしい。
「じゃあ、獣人の特性についてはある程度教わってるかな?」
「身体能力の面ではある程度…」
「僕らの体が強いのと、元になった動物の特徴をもってるってくらい?」
「そんな感じです」
「なるほどね…」
「案外獣人の特性は広まっていないんだな」
納得したように頷くトルフィレディウス様の隣で、殿下が意外と言ったように続けた。
さすがに失礼がすぎたかもしれない。
自分は知らないが、知識人と呼ばれる人なら正しく学んでいる者もいるはずだと続けると、トルフィレディウス様は優しく微笑んだ。
「別に責めてるわけじゃないんだ。知らないことは悪いことじゃない。これから知る機会は沢山あるんだから」
彼の瞳の緑柱石は暖かい光を帯びていて、とても嘘を言っているようには見えなかった。
その温かさに少し安心して、頷く。
彼はまた、笑みを深めた。
「知らないなら教える必要があるね、何しろ君にも無関係の話じゃない」
無関係じゃないという殿下の言葉に首を傾げつつ、一つ頷く。
殿下は笑い、続きをトルフィレディウス様が引き取った。
「番っていうのは、獣人のもつ特性のひとつでね」
彼が言うには、番というのは獣人たちにとって大切な繋がりの一つらしい。獣人たちは生涯の中で一人だけ最愛を決め、死ぬまでその人一人を愛し抜くらしい。私たちのような人間には伝わりにくいが、番というのは大切なもので、それがいるのといないのでは、持つ能力に大きな違いが出るらしい。
「その中でも運命の番ってのがあってね」
「運命…」
「そう、僕ら獣人が一度は憧れるもの」
聞けば、運命の番というものは番の中でも一際繋がりが強く、運命と出会うことでその者の能力は飛躍的に上がるらしい。
「出逢えば分かるって言われてるけど、正直俺にはわからん」
と呆れたように首を振る殿下。
運命の番に出会える確率はとても低く、多くの獣人は巡り会える事無くその生涯を終えることも多いそうだ。
「僕も君に会うまで分からなかったからね」
トルフィレディウス様もそう続ける。
運命だと分かるきっかけは本当に人それぞれで、かく言うトルフィレディウス様もなんと表現していいか分からないと言う。
「まあ、簡単に言うと僕が君に一目惚れしたってこと」
「ひとっ?!」
あまりに自分に縁のない言葉に驚いて、言葉が続かない。
確かに分かりやすいし簡単ではあるが、ちょっと身も蓋もなさすぎる気がする。
あと、貴族社会的にも色々とアウトなのでは無いだろうか。
「僕が一方的に君に惚れてるだけだし、君に何かを無理強いしたりは流石にしないよ」
と彼は優しく微笑んで続ける。
軽く優しいその言葉は、たくさんの気遣いを含んでいるように聞こえた。
「ただ、君のいる環境があんまり君にとって良くなさそうだったからね、つい」
彼の言葉に反論ができなかった。
私の家庭内での立場は、傍から見ても良くない。
それは薄々気がついていたから。
イエリィスピネ様改めクリアディス様はストロクォーツと婚約し、家自体は兄が継ぐ。
ならば、私の役目は一体何があるのだろう。
元婚約者には捨てられ嫁の貰い手も期待できない上に、女としての教育しか受けていない私には家を助けることなどできない。そんな私は家のお荷物にしかなり得ないのかもしれない。
母はきっと私に興味などないから、縁談を持ってくるなんてことはしないだろう。そうなれば、父に家のパイプ造りのためにどこか適当な所へ嫁がされるか。
だとしても、国内に年の釣り合うほかの相手などいないから、どこかの貴族の後妻かもしくは修道院か…
「顔を上げて、アメシスト嬢」
浮かぶ考えに暗く沈み思わず下を向いていた顔が、トルフィレディウス様の声で引き戻される。
視界に飛び込んだ優しい緑は、やはり暖かかった。
「ごめんね、そんな顔をさせるつもりじゃなかったんだ」
踏み込んだ事を聞いて悪かったねと、眉尻を下げて謝られる。
そんな、滅相もない。アクアポリーネ家の醜聞は十分噂になっているし、自分の立場など言われずとも分かっていたからと首を振ると、少し悲しそうな顔をされた。
「そんなふうに言わないで」
そう言ったトルフィレディウス様の表情は落ち込む私よりも苦しそうで、思わず思考が逸れる。
トルフィレディウス様はそのまま手を伸ばし、私の頬に触れ…
「おい、ルキアディスいい加減にしろ」
「チッ良いとこだったのに」
冷静な殿下の声に我に返ると同時に、恥ずかしさに体温が上がる。
すっかり殿下の存在を忘れていた上に、婚約もしていない相手に触れられるだなんて淑女失格だ。
赤くなって焦る私とは反対に、トルフィレディウス様は舌打ちをして元々座っていた位置に戻る。
「さて、長く時間を取っちゃってごめんね」
殿下が改めて座りなおしておっしゃった。
気がつけばかなりの時間がたっていて、始めに入れてもらった紅茶はカップの中で温度を失っていた。
「パーティー会場に戻ろうかと思ってたけど…」
と、殿下は右隣をちらっと見る。
トルフィレディウス様が殿下ににっこりと微笑んだ。
なんでだろう、笑っているのにいない気がする。
「こいつがこんな調子だし、責任もって御屋敷まで送らせてもらうね」
「え、それは申し訳ないです。我が家の馬車もありますし…」
流石にそこまではと固辞すると、それ以上食い下がられなかった。
代わりに馬車の乗り場近くまで送らせて、とトルフィレディウス様がそっと手を差し出したので、その手を取る。
彼はにっこり笑ってそっと私の手を引く。
「じゃ、送ってくるね」
「はいはい」
殿下は、冷めきってしまった紅茶を手に早く行けと手を振った。
そうして休憩室を後にすると、隣を歩くトルフィレディウス様が思い出したように言った。
「そういえば、結局呼び名変わってないね」
「えっ?!」
なかったことになったものだと思っていたので、思わず変な声が出る。
彼は面白そうに笑う。
「す、すみません。てっきりもういいのかと…」
「んー良くはないかなぁ」
「で、ですよね…」
「確認だけど、僕のことルカって呼ぶのは嫌なのか」
「嫌…というか…」
嫌というより、自分の身分的に軽々しく呼べないというのが正解だ。
ただでさえ立場に違いがあるうえに、婚約者でもない状態で愛称呼びは流石にハードルが高い。
そう言うと、トルフィレディウス様は突然頷いた。
「なるほど、そういうこと?」
「え、そういうことって…」
「つまり、婚約すればいいわけだ」
「え、」
「ごめんね、僕ら獣人的には番って分かった時点でほぼ婚約状態になるから気が付かなかった」
突然進んでいく話についていけず、唖然としていると彼がふわっと微笑んだ。
「婚約しよ?」
「はい…あ」
思わず頷くと、花が咲くような笑顔に変わる。
「ほんと?いい??」
身分差的にも断れないし、嬉しいが溢れる笑顔にもう断る気も起きない。
会った時と同じように持ち上げられて、こくりと首を縦に振る。
彼は私を抱き上げたまま、微笑む。
「約束ね?」
「はい」
答えると、彼はそのまま私の腰を抱いて歩く。
「明日、いや今すぐにでも婚約のおねがいしに行くね?」
至近距離で優しい笑顔と共に言われると、破壊力が高くて頬が赤くなる。
とくとくと心臓の音が大きく早く感じられる頃には馬車の乗り場に着いていた。
「婚約するまでは…そうだな、ルキアディスとでも呼んで」
噛みそうな名前でごめんね、とウィンクと共に告げられると馬車へ送り届けようとして、あれ?と声をあげた。
「さっき呼んでおいた馬車がないね…」
「す、すみません、アクアポリーネ家の馬車をとの事でしたが…」
キョロキョロと我が家の馬車を探していると、使用人らしき人が申し訳なさそうに話しかけてきた。
「どうやら、先程出てしまっていたようで」
「え、出てたの?」
思わず聞き返すと、使用人は体を小さくして頷き頭を下げた。
聞けば、パーティーが始まって挨拶回りが終わると母と父は帰ってしまったらしい。兄は今日は執務があると参加を見送っていたので、残るは体の弱いストロクォーツだが…
クリディアス様の馬車で共に帰るのだろうか。
「んーまあ無いなら無いでしょうがないね」
そうトルフィレディウス様…いいえ、ルキアディス様が言うと、使用人の方は少し頭をあげ、どうするのかと尋ねてきた。
ルキアディス様はにこっと笑って続ける。
「アメシスト嬢さえ良ければ、うちの馬車で送ろうか?」
「よろしいんですか?」
「もちろん。元々そのつもりだったしね」
にこっと笑ってそっと私の頭を撫でる。
彼の優しい笑顔につられて、こちらも思わず笑顔になる。
にこにこと笑いあっていると、使用人が違う申し訳なさにいっぱいになりながら声をかけてきた。
「あ、あのぅ…馬車のご用意が出来ました…」
「あ、ほんと?ありがとう」
「ありがとうございます」
少し頭を下げると、彼が手を差し伸べてきたのでそっと手を取る。
彼にエスコートを受けながら馬車に乗ろうとして、このままだと彼が帰れないのではと慌てて尋ねる。
「大丈夫。カルディアに乗せてってもらうから」
軽くさらっと言うので、そういうものなのかと納得する。
会話の様子から仲がいいのだと思っていたが、やはりそうなのだろう。
「それとも、一緒に乗って帰る?」
婚約関係にない2人が同じ場所は良くないと慌てて横に首を振ると、ルキアディス様は楽しそうに笑って手を離した。
そして耳元でそっと囁く。
「じゃあね。おやすみ、アメシィ」
子供のようなキスを頬に落として、彼は馬車から離れた。
何故か少し名残惜しく感じて、慌てておやすみなさいと返す。
そのまま扉が閉じて、馬車が出立してもしばらく彼の優しくて甘い声が頭に残って、頬の火照りが冷ませなかった。
それにしても、今日初めてあった相手なのにこんなにドキドキするとは、我ながらチョロすぎるのでは無いか。
などと、ぐるぐると考えていたせいで、私はとんでもない事実を忘れてしまっていたのだった。
宜しければ、評価などしていただけると幸いです。