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貴女を許せるその日まで  作者: 華月彩音
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読んでいただきありがとうございます。

まただ。

また始まった。


美しい金の髪をその背に流し、桜色のドレスを身につけ、誰よりも華奢な体で、零れそうなほど大きな瞳を揺らし、妹がいつも通りの言葉を言った時、私は心の底からそう思った。


私、アメシスト・リア・アクアポリーネの妹はとても体が弱かった。

産まれた時から、体重がとても軽く、あと一年生きられるだけでも奇跡だと言われたらしい。

何とか生き延びて、2歳になって3歳になって、6歳を迎えても彼女の体はとても弱く、何かがあると直ぐに熱を出し、良く寝込んでいた。

哀れで可哀想な彼女は、貴族が通えるはずの学院にすら満足に通えず、教育は専ら専属の家庭教師と母が担っていた。

少し無理をしただけですぐに咳き込み、動けなくなる彼女を哀れんだ母は、その子よりひとつだけ歳が上の姉にいつも言った。


「あの子は可哀想な子なんだから、お姉ちゃんの貴女は我慢しなさい」


私には5つ離れたとても優秀な兄がいる。

父譲りの冷静沈着さとその頭脳、母譲りの甘く優しいルックスは兄を社交界の華にした。

兄は産まれた時から一族から跡継ぎとして期待を寄せられ、それにずっと応えてきた。

兄はとても優しく、完璧な人で父や母からの期待を裏切った事はなかったし、年の離れた2人の妹を分け隔てなく愛してくれた。

彼は、私の家族の中で1番公平な人で、1番優しく1番常識的な人だった。彼は、妹の元に父も母も行ってしまい、寂しいと泣きじゃくる幼い私の頭を撫でた。自分だってまだ幼く、父や母に構って欲しかっただろうに。

そんな完璧な彼に大きな期待と確かな信頼を寄せていた父は、いつも彼の1番目の妹に言った。


「あの子は跡継ぎなんだから、完璧に育てなくてはならない。だから、お前はけっしてあの子の邪魔をしては行けないよ」


そう、父に、母に言われる度に、彼女はー私はいつもひとつ頷いた。

そうするより他に意思表示は許されなかったから。

もし母の提案に首を横に振れば、たちまち体の弱い妹を虐げる冷酷な姉ができあがる。

もし、父の願いを拒絶すれば、優秀な兄を阻害する出来の悪い妹の完成だ。

私は、兄や妹を盾にされれば、頷く以外のことが出来なくなってしまう。

そんな私に兄は言った。


「お前はもう少し、自我をもってもいいんだぞ?」


そう言われる度に私はちょっと首を横に振った。

兄は私が否を申し入れても怒らない唯一の人だったから。

兄は、そんな私をみてやっぱりちょっと困った顔をした。


今だって。


「ねぇ、お姉さま。ダメですか?」


こてん、と少し首を傾げて尋ねた私の妹、ストロクォーツは、私の婚約者であるはずの男、イェリイスピネの隣に立っている。

どうしたものかと、返事も出来ずに居る私から、まるで庇うようにして、イェリイスピネはストロクォーツの前に出て言う。


「私は、彼女を愛してしまった。だから、例え私と結婚しても君を愛することは出来ない」


あんまりな言葉に、何を言おうとしていたかを忘れてしまった。

言葉が紡げず、唖然とする私の目の前で母が言った。


「アメシィ、スティは体が弱くて、満足に社交も出来ないのよ?今回は譲ってあげなさいな。お姉ちゃんなんだから」


婚約者に譲るも譲られるもないだろう。

心の冷静な所はそう告げてくるが、半ば諦めの強い理性がそれを押しとどめる。母がこう言い始めたら私に太刀打ちする術はないと。


それでも、なかなか口を開かない私は、渋っているように見えたのだろうか。とうとう父も口を出した。


「アメシィ、2人はもう愛し合ってしまったんだ。諦めてスティに譲りなさい」


言外に男女の関係にあることを示唆されてしまった。

貴族令嬢として、そして全ての令嬢の模範になるべき公爵令嬢としてあってはならない事に軽く目眩を覚える。

父も、実際はそう思っているのだろう。

だから、身内だけで終わらせようとしているのだ。

もともと、私とイェリイスピネはただの政略結婚同士。家同士の約束事でしかない。姉と妹が入れ替わったところで、書類上や利益上では大した違いが無いのだ。そう珍しい事では無いので父もそれで終わりにしてしまいたいのだろう。


まあ、珍しくないとは言えど、頻繁なことでは無い。そんな事がまかり通った家をどう思うかは、さすがに誰も制御出来ない。

もう、頷くしか無いのかと口を開きかけたとき、困り眉のまま兄は小さく呟いた。


「アメシィの好きなようにしたらいいさ」


それで、心は決まった。

一つ息を飲み込んで、姿勢を整える。

できるだけ真っ直ぐ。迷いは捨てて。

凛として言う。


「分かりました。イェリイスピネ様。今までありがとうございました。妹をお願いします」


軽く頭を下げると、視界の端でイェリイスピネが満足そうに微笑んでいるのが見えた。

その腕に絡んでいるストロクォーツは、幸せそうに佇んでいた。


「その結果が…これ、ねぇ」


バルコニーの手すりに寄りかかり、夜会会場へ視線を向ける。

奥では、イェリイスピネがストロクォーツを連れ、にこやかに挨拶をしている。

対する私の隣には父は愚か誰もいない。


いくら婚約を白紙撤回したといえども、エスコートすら付けないとは一体どう言う了見なのだろうか。

身に纏う少し古いデザインのドレスの裾を、惨めさに思わず握る。

婚約解消自体が、この夜会の2日前という急すぎるものだった。

お陰で用意していた、イェリイスピネに合わせたドレスは着れず、家にあった他のものでの対応を余儀なくされた。

…ちなみに、ストロクォーツの物は、胸とか腰とか色々な部位のサイズが合わず、着れなかった。

そのせいなのか、今日の夜会では表面は新しい婚約を祝うような態度であるが、瞳の奥に探るような憐れむような色を浮かべた人が多かった。

多くの人に囲まれて、輪の中で幸せそうに笑みを浮かべるストロクォーツは、それに気がついているのだろうか。

まあ、気がついていなかったとしても、私に出来ることは何もないと、小さくため息を吐く。同時に、冷たい夜風がそっと吹いた。

私は、体を反転させバルコニーの外を見る。

空は雲に覆われて、星はひとつも見えなかった。

それが、なんだか悲しくて、思わず言葉が1つ零れる。


「もうどぉにでもなあれ」


その言葉が涙に濡れていて、それで私は悲しかったのかと気がついて、それすらも馬鹿らしくて小さく笑う。

それもこれも全部、誰も聞いていないはずで。

もう少しして、気持ちに整理がついたら、この瞳の揺らぎが治まったら、広間に戻って、また公爵令嬢らしく微笑みを浮かべられるはずで。

だから、まさか。

誰かが、貴方が聞いてるなんて思ってもいなかった。


「じゃあ、僕が貰ってもいい?」


不意に耳に入り込んできた声に思わず振り向いた。

振り向いた先にいた貴方は、とても美しく優しく微笑んでいた。

それがとても綺麗で、私はとっさに何も答えられなかった。


困惑する私に彼はさらに優しく、楽しそうに続ける。


「こんばんは。僕はルキアディスって言います。ルカって呼んでね!」


華やかな笑顔を顔に浮かべた彼は、とても受け入れられない言葉を告げた。

私は、慌てて首を横に振る。


「そ、そんな失礼な事はできません!」


「なんで?」


こてん、と。彼は不思議そうに首を傾けた。

きょとんと丸くなった瞳は、彼の顔が美麗でなければ許されなかったであろう表情を浮かべている。

不覚にも可愛いと思ってしまって、一瞬動きが固まる。

彼はそれを見逃してはくれなかった。


1歩、私に近づき耳の横で言う。


「僕が、君に、そう呼んで欲しいと言っているのに?」


一言何かを言う度に彼の吐息が耳に当たる。

それが恥ずかしくて、若干キャパシティーを超えつつ何とか言葉を連ねる。


「あ、貴方様はトルフィレディウス公爵子息ですから…この国の公爵令嬢でしかない私に、その名で呼ぶ資格はありません」


「ルカ、ね?」


「ですから」


「ルカ。そう呼ぶまで離れないから」


明るく無邪気に、でもそれが決して嘘では無いとわかる瞳でこちらを覗いてくる。

ただでさえ、国力では遠く及ばない大国の公爵子息と言葉を交わす事になって緊張しているというのに、こんな近くで、それもまるで恋人のように愛称で呼ぶことを求めてくるから。だから、もう私の心臓は激しく鼓動し正常な働きをしてくれなかった。


全身真っ赤になっているんじゃないかと思うくらい血が巡って、上手く言葉が発せられず口をパクパクしていると、後ろから声がかかった。


「おいそこの馬鹿。他国のご令嬢になにしてんだ」


「チッ今いいとこだったのに……」


軽く舌打ちして彼は体を離してくれた。

その視線の先にいるのは、予想に違えず彼の出身国の王太子、カルディア・レンギィ・マカリオス殿下だった。

慌てて、頭を下げ最上位の相手に対する礼を取る。


すると、トルフィレディウス様がどこか不満げに言葉をかけてきた。


「いーよ、こんな奴に最上位の礼なんか取らなくて。こいつには最低限敬語だけ使ってりゃいいから」


「その敬語すら使わないやつに言われなくはないな。あと、今のはいい所ではなく、彼女が追い詰められる寸前というのが正しい表現だ」


私の頭上で軽口を交わし合うおふたりは、噂に聞く以上に仲が良いようだ。

頭を下げていて顔が見えなかったからいいものを、その時の私の顔は鳩が豆鉄砲をくらったような間抜けなものだっただろう。


続けて、殿下が私に言う。


「あー、でもほんとにそんな礼取らなくていいよ。えっと…アクアポリーネ嬢?面を上げて楽にして」


その言葉に甘え顔を上げる。

この国とかの国との関係性上遠くからしか見たことがなかったその容姿は、絵姿に違えず輝かんばかりの美しさだった。

思わず見とれていると、殿下が苦笑いを浮かべながら私に言った。


「あー、ごめん、あんまり見られすぎると困るなぁ」


「す、すいません!失礼いたしました!!」


身分の高い方だと言うのに、つい不躾に眺めすぎてしまった。

やらかしたと思って、慌てて頭を下げると殿下が困ったように続けるのが聞こえた。


「あ、いやーそーじゃなくてね?さすがの僕も友人に切り殺される趣味は持ってないからなーって」


気の所為でなければ今、殿下がなにか物騒なことを言った気がする。


「誰もそうするとは言っていないよ?」


「いやそうだけどね、明らかにほら、君の目がね、キマっちゃってるからね?」


「キマってないし据わってもないってば、やだなぁ…」


「据わってる自覚はあるんじゃねーか……」


また、軽い調子で会話が飛び交う。

私の知っている王太子とその部下との会話としてはあまりにも軽いそれが、まるで漫談か何かのようで私は少し笑ってしまった。


と、同時にトルフィレディウス様がぐるっと向きを変え、私の顔を覗き込んだ。


「え?今笑った?」


急だったので少し戸惑いながら頷いたら、トルフィレディウス様は輝かんばかりの笑顔を浮かべて私を抱き上げた。


「可愛いっ!すっごく可愛い!そのままずっと笑ってて!!」


幼い子供に高い高いとあやすかのように持ち上げられ、そのままクルクルと回られる。

貴族令嬢としてあるまじき姿を、他でもない隣国の王太子に見られているこの状況が信じられなくて、真っ直ぐな褒め言葉が思いの外嬉しくて、恥ずかしくて穴があったら入りたいくらいだ。


恐らく真っ赤に染め上がっているだろう私の顔を見て、見かねた殿下がトルフィレディウス様を宥めて下さった。


「落ち着けルキアディス。そろそろ本当にアクアポリーネ嬢が可哀想だ」


「え〜」


不満げな声をあげながらもトルフィレディウス様は、すとんとその場に私を下ろしてくれた。

私の腰に手を添えたままではあるが。


今のところ運良く誰もこちらにやって来ていないからまだ良いが、このままでは流石に何か問題が生じてしまう。

そう思って、少し勇気を出してみることにした。


「あ、あの…」


「ん?なあに?」


「あまり会場にいない時間が長いと社交にも影響が出かねない様に思いますので、私、1度会場に戻ってもよろしいでしょうか…」


「ああ、たしか」


「駄目」


私の言葉に少し思案顔になった殿下が口を開こうとすると、それを遮るようにトルフィレディウス様が言った。

理由が分からず、首を傾げると彼は続けた。


「まだ話してない事あるし、何より僕が嫌だ」


「え」


噛み殺しきれなかった呟きが漏れると、トルフィレディウス様はまた続ける。


「君をこれ以上不特定多数の視線に晒したくないんだ」


何かの冗談かと想って彼の瞳を覗いたが、その目に浮かぶ色は至って真剣で今の発言が嘘にはとても思えなかった。

だからこそ彼の意図が掴めず、瞳になにか浮かんで居ないかとさらに見つめる。

だけど、分かったことは、彼の緑柱石色の瞳が引き込まれそうなほど綺麗だという事だけだった。


「え、っと、急にどうしたの?あんまり見られると恥ずかしい、かな」


「あっ、す、すみません、失礼を…」


「いや、別に僕を見てくれる分には良いんだけどね?急にじっと見てくるからどうしたのかなーって」


気になっただけだし、僕は嬉しいし、大丈夫だよーっと軽く流して下さったけど、それを鵜呑みにする訳にはいかない。

綺麗だと思ったから、なんて伝えるのは少し、いやかなり恥ずかしいがここで嘘を着くのも変な話だ。


頬に血が巡っているのを感じながら、素直に理由を伝えた。


「いや、あの、瞳の色が綺麗だなって思ったんです。綺麗な緑柱石色だなって…で、でも、まじまじと見るのは失礼でしたね。すみません」


「いや、だから見てくれる分には嬉しいよ?大丈夫」


そういってトルフィレディウス様はふわりと微笑んだ。

その表情があまりにも優しくて、優しくて、私は頬の暑さを上手く逃がすことが出来なかった。


「僕の目の色そんなに珍しいものでもないんだけどなぁ…まあ、君が綺麗だと思える色なら良かった」


そこで彼は言葉を切って、私のきっと林檎のようになっているであろう顔をそっと上げる。

俯きがちになっていた視界は、彼の美しい緑柱石に満たされた。


「でも、僕は君の瞳の優しい紫水晶の方がずっと魅力的に見えるよ」


彼の口からは、まるで恋人か何かのような言葉が次々と出てくる。

少し私には甘すぎる言葉たちに、勘違いしないようにと高鳴る胸を抑える。

彼は、身分ある人だ。

婚約者の噂はないが、恋人の1人や2人いるに違いない。


目の前の綺麗なエメラルドグリーンの中には、困ったように揺れる紫が映っている。


「あのー君たち?二人の世界に入るのはいいけど僕がいるってのも忘れないでね?」


と、ふいに殿下の声が耳に届いた。

そんなつもりはなかったのだけれど、二人の世界に入っているように見えていたとは思ってもいなくて、恥ずかしくて殿下の顔もトルフィレディウス様の顔もまともに見られない。


「だから、いい所で邪魔しないでくれない?」


存外近くてトルフィレディウス様の不服そうな声が聞こえる。

余計に距離の近さが思われて、やっぱり頬が熱くなってしまう。


「あんまりいい雰囲気になられるとやっぱりちょっと良くないからね。1貴族として普通に止めに入るよ」


と、殿下は肩をすくめる。

ああやはりそうかと慌てる私の反面、トルフィレディウス様は納得いかない様子でいる。


貴族の代表といえるはずのこの人がなぜと、さすがに不思議に思っていると、殿下が小さくため息をついていった。


「なにも君から彼女を引き剥がそうって思ってるわけじゃないよ、ルキアディス。なんにしろ、話が必要だろう?少し休憩しようか」

宜しければ評価などして頂けると、幸いです。

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