第9話『涙色』
「あ、あのっ、彼女は何を?」
突然走り出したリオン。
その行動が理解できず、俺は訊ねる。
「大丈夫です。心配はありません」
ギャリソンさんは、通路を見つめたまま口を開いた。
「罪は裁かれるべきなのです」
「それって、まさか……」
目を細める老執事。
俺は全てを理解した。
リオンは、刀傷の後を追ったのだ。
俺と母様の仇を取るために!
そんなの無茶だ!
細腕の女の子が、大の男に勝てるわけがない!
「彼女を連れ戻さないと!」
「いいえ、問題ありません」
「で、でも! あんな華奢で可愛らしい少女じゃ……」
――殺されてしまう!
そう言おうとした俺の唇を、ギャリソンさんの人差し指がそっと押さえた。
「その言葉は彼女に言ってあげてください。きっと喜びますよ」
「トゥンク!」
ぐはっ、なんて紳士的!
思わず、変な声が漏れちゃったじゃないか。
ギャリソンさんが息を吐くと、筋肉が元の大きさに戻ってゆく。
おそらくスキルを解除したんだろう。
今、目の前にいるのは、ガタイのいい半裸のオジサマ。
うーん……。
言葉にすると変態待ったなしなのに、実物はとてもダンディに見えるから不思議!
そんな彼が『心配ない』と言うなら、本当に大丈夫なのかもしれない。
ちょっと、母様の記憶の中の彼女を思い出してみよう。
え~と……。
間延びした口調のリオン。
何もないところで転ぶリオン。
半開きの扉には必ずぶつかるリオン。
お茶を淹れたら茶葉を入れ忘れるリオン……。
俺は頭を抱えた。
いやいやいや、これは絶対ダメなやつでしょ!
無理ゲー過ぎる!
こんなにドジっ子なのに、心配ないなんて言われても――。
「――信じられない、そうお思いですな?」
「えっ!?」
思わず顔を上げると、ギャリソンさんが俺をじっと見つめていた。
「大丈夫です、今の彼女の瞳は“涙色”ですから」
涙色の瞳……。
よくわからないけど、あの潤んだように光ってた瞳のことだろうか?
「リオンは5分で戻ると言いました。どうか、それを信じて待ってはいただけないでしょうか」
うぐ……。
彼にここまで言われては、もう頷くしかない。
……まぁ、部下を信じるのも上司の役目って言うしね。
リオンは、ギャリソンさんに巡り会えて良かったね。
それに比べ、生前の俺の上司と来たらもう……。
とにかく、ここは素直に待ってみよう。
彼女を信じるギャリソンさんを信じて。
* * *
石造りの通路を旋風が抜ける。
メイドのリオンだ。
極端なまでの前傾姿勢で走る彼女は、床を蹴るたびに加速してゆく。
だが、特筆すべきはその音だろう。
何も聞こえないのだ。
突風のように走る足音も、息遣いも、服が擦れる音すらも聞こえない。
全てが無音だった。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっ!!!」
通路の先から情けない悲鳴が聞こえてくる。
刀傷の男の声だ。
ギャリソンの迫力に怯え、仲間を置いて逃げ出した男。
フローラとセナの仇。
「……逃がしません」
呟くようなリオンの声は、闇の中に消えていった。
* * *
「ひゃあああああああああっっっ!!!」
なんとも無様な声を上げて、刀傷の男は走る。
石造りの通路を抜け、階段を駆け上がり、赤い絨毯が敷かれた廊下を転げるように走った。
先程まで聞こえていた仲間の悲鳴も、今はもう聞こえない。
耳に届くのは、不甲斐ない自分の声と足音のみ。
「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょうっっっ!!!」
焦りと苛立ちが口から飛び出したとき――。
「うおっ!?」
足がもつれて派手に転がってしまった。
だが、すぐさま体を起こして身構える。
目を凝らし、耳を澄ますが、月明かりの廊下には誰の気配も感じない。
……逃げ切った。
彼は壁に背を預けると、短く息を吐いた。
「ちくしょう、何なんだアイツは!」
恨みの矛先は筋肉執事のギャリソンである。
今となってみれば、セナを人質に取れば事を優位に進めることができたかもしれない。
だが、あのときはそんなことを考える余裕はなかった。
あの圧倒的な威圧感を前に、逃げることしか考えられなかった。
刀傷は二度三度と頭を振る。
今、ここにあるのは窓から見える夜空の月と、寄せては返す波の音だけ。
それ以外は何もない。
彼はもう一度、今度はゆっくりと息を吐いた。
「仕方ねぇ、一度ボスに報告を……」
「させません」
不意に耳元で囁く声。
刀傷は驚き、反射的に飛びのいた。
誰もいなかったはず、確かに誰もいなかったはずの場所。
だが、そこにはメイドの少女の姿があった。
彼女は月明かりを浴びて静かに佇んでいる。
「て、テメェ、いつの間に!」
腰の小剣に手を伸ばす。
刹那、少女の姿がゆらりと揺れた。
影が、まとわりつく!?
そう感じた次の瞬間――。
「がっ!?」
後頭部に激しい痛みが走った。
それと共に、赤い絨毯がこちらに迫ってくる。
――違う。
自分がうつ伏せに倒れたのだと知ったのは、少女に馬乗りになられてからのことだった。
無音の高速移動。
これがリオンの天恵【隠密】である。
「終わりです」
背中のリオンが静かに言う。
必死に抜け出そうとするが、両腕は完全に極められていて脱出は不可能だ。
「ち、畜生! テメェもスキル持ちかよっ!!」
もがく男を見据え、少女は太ももから短剣を引き抜いた。
黒曜石のように黒い刃。
首筋に当たる冷たい感触に、刀傷の血の気が引いてゆく。
彼女が気まぐれに力を込めるだけで、辺りに血の花が咲くだろう。
「ま、待ってくれ! 後生だ、話を聞いてくれぇ!!」
「……話?」
「ああ、そうだ! アンタ、俺たちのボスが誰かも知らねぇだろ? なぁ!」
「興味ありません」
「は、早まるなって! ボスの名を聞いたら、きっと考えも変わるはずだぜ!」
なりふり構わず叫ぶ刀傷。
しばしの沈黙の後……。
「……わかりました。ただ、あなたの命は私の手の上ということを忘れないでください」
そう言って、リオンは男を解放した。
極められていた手首をさすりながら、刀傷は起き上がる。
体格のいい自分を完璧なまでに押さえ込んでいたのは、それより遥かに小柄な少女だ。
ふと目を向けた彼女の青い髪。
それを掻き分けるようにして、長い耳が突き出ている。
「その耳はエルフ……いや、ハーフエルフか?」
長い耳を持つ種族にエルフという妖精がいる。
森を司る彼らは、美しい見た目と長い寿命、高い魔力を有しており、人々の羨望の的となっている。
人間と近い種であるエルフは、互いの子を宿すことができた。
2人の間に生まれた子は半妖精と呼ばれ、見た目も能力も両者の中間的な存在となる。
「なるほど。この技、道理で……」
「何が言いたいのです?」
輝く瞳が鋭さを増した。
「い、いや、別に何も!」
刀傷は、慌てて手を振って取り繕う。
ハーフエルフは中間的、言い方を変えれば中途半端な存在から迫害を受けることも珍しくはなかった。
人間界にもエルフ界にも居場所を作れなかった者は、裏の世界に逃げ込むことも多い。
裏の世界は実力主義。
そこで生きるために、様々な力を身に付けるのだ。
「……って、ん!? 青髪のハーフエルフ……輝く瞳……。ま、まさか……」
ハッとした刀傷は、思わず叫んでいた。
「アンタ、“涙色”か!?」
その言葉に、リオンはため息をつく。
「私の二つ名を知る人ですか」
「ハーフエルフの暗殺者“涙色”、裏の世界の者で知らねぇ奴はいねぇよ。その由来は、潤んだように光る眼を持っているからだってこともな」
刀傷は真っ直ぐに指差す。
その先には、瑞々しく輝く紺色の瞳がある。
「突然失踪したと聞いてたが……まさか、こんなところでガキのお守りなんかやってるとはな」
「セナ様の悪口は許しませんよ!」
リオンは、キッと刀傷を睨んだ。
「セナ様ほど可愛くて、優しくて、素敵な方はいないんですぅ! この前だって、私のために花の冠を作ってくれてぇ。ああ、あと10年もしたら背だって高くなって、更にカッコよくなって、そしたら私……キャッ!」
赤らめた頬に手を当てて、モジモジと体をくねらせた。
口調が、いつものリオンに戻っている。
そんな少女に刀傷は恐る恐る口を開いた。
「お、お前……まさか、恋してんのか!?」
「ば、ば、ば、バカなこと言わないでください!! セナ様はまだ5歳ですよぅ!? 理想のカップルとか言わないでくださいよぅ~」
「言ってねーよっ!!!」
嬉しそうに否定する彼女に、思わずツッコミの声が飛んだ。
「……って、私のことはいいんですぅ! それより、話というのを聞かせてください。私は5分で戻らないといけないんです」
顔の前で構える黒い短剣。
静かに輝く刃に、刀傷は慌てて口を開いた。
「わ、わかったって! ……アンタも勇者の伝説は知ってんだろ? 300年前、世界を救った勇者ギルガメッシュのことを」
勇者ギルガメッシュ。
荒ぶる精霊王から世界を解放した男。
彼の偉業は伝説となり、伝記、歴史書、御伽噺として今の世に伝わっている。
「俺たちのボスは、その系譜だ。勇者ギルガメッシュの子孫、その名もオイルギッシュ・ベタベトー様よ!」
「……それが何か?」
「ボスはな、ゆくゆくは勇者の再来として世界に名を馳せる予定だ! そうなりゃ俺も、金や名誉がガッポガッポよ!」
いやらしい笑みが目の前にある。
リオンは大きくため息をついた。
「アブラギッシュだか何だか知りませんが、ただの七光りじゃないですかぁ」
「まあ、そう言うなって。使えるもんは何でも利用する、お前もそうやって生きてきたんだろ?」
そう言うと、刀傷は左手を差し出す。
「俺と一緒に来い、涙色。お前はそんなとこにいる人間じゃねぇ。こっちに来りゃ何だって望みのままだぜ!」
刀傷の提案。
だが、リオンはくるりと背を向けた。
「お断りですぅ。今の私はブレイブリー家のメイドでセナ様の刃、そんなことに興味はないですぅ」
「そうか……それは残念だ」
その言葉とは裏腹に、刀傷の口がニヤリと歪んだ。
腰の小剣が音もなく引き抜かれる。
(馬鹿め、油断しやがって! ここで涙色を殺りゃ、俺の名も轟くってもんよ!)
残虐に歪んだ笑みと共にそれを振り上げた。
少女はまだ背中を見せている。
(ハッハーッ! 死ねやー!!)
無慈悲な刃が振り下ろされる。
真っ赤な血の花が辺りに咲いた。
「ヒャハ、ヒャハハ、ヒャハハハハー!!」
響く狂気の笑い声。
刀傷がめちゃくちゃに腕を振る度に、鮮血が飛び散ってゆく。
「ヒャハハハハ、思い知ったか!!」
「何をですか?」
「ヒャハッ!?」
平然と振り返る少女に刀傷は愕然とした。
あんなにも斬り付けたのに。
こんなにも血が飛び散っているというのに。
しかし、目の前の少女はまるで気にすることもない。
「て、テメエ、なんで……」
震えながらも小剣を突き出そうとして、そこで初めて気が付いた。
右手に持っていたはずの小剣がない。
――否。
彼の右手首から先がなかったのだ。
飛び散る血液は全て自分のものだったと知ったのは、絨毯の上に転がる右手を見たときだった。
「言いましたよね、あなたの命は私の手の上ですって」
鋭く冷たい声。
一歩一歩と少女が近付いてくる。
その眼の輝きが深みを増す。
「私は怒ってるんです。お二人を傷つけたことを」
肌を通して伝わる絶望的な恐怖感。
刀傷は口を開くが、強張った喉からは何も出てこない。
人は、本当に怖いときは何も言えなくなる。
さっき、仲間の誰かが言っていたのはこのことかと痛感していた。
「私は、あなたが嫌いです」
リオンがそう告げたとき、人の形をしていたモノは肉片と化して崩れ落ちるのだった。
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