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姫金魚の廻る夢


 リナリアは困っていた。

 「ちょっとアンタ! こんな簡単な魔法も扱えないわけ!? 竜族と契約しておきながらそのへなちょこ魔法しか打てないって魔女として終わってんじゃないの!?」

 甲高い声で捲し立てる女は同業者である魔女だ。リナリアの目の前には空中に浮いた魔法陣からチロチロと水が細く流れ出していた。本来ならば勢い良く水が溢れ出て、渦を巻き、標的を呑み込む……のだが、リナリアの作り出す魔法は全て最低限の魔力しか出ずに終わっている。故に彼女に対する周りの評価は出来損ないの魔女、或いは恥晒しと酷い物だった。

 私だってなりなくて、こんなに魔力が少なくなっているわけじゃない!

 女の罵倒を受けつつ、リナリアは内心荒れ狂っていた。


 ここは、前世の地球での暮らしを覚えているリナリアから言わせると、魔法という非科学的なものが存在する異世界だ。この世界には人でない者が存在する。それはリナリアの様な魔法を扱う魔女だったり、人と竜の二つの姿を持つ竜族だったり、全身が毛で覆われた犬族だったり、それらは皆、この世界の管理者である女神の身体の一部から生まれたと言われている。故に高い身体能力や魔力を持ち、女神からの祝福とされている。

 その祝福を持つ異種族同士が契約を結ぶと、より多くの魔力を保持する事が出来て、より強力な魔法を放つ事が出来る。その為、特に魔力に貪欲な魔女達は自分達に有利な契約を甘言で以て結ばせて、契約相手の魔力を奪っていく行為が流行った。

 当然、そんな事をすれば他種族からの反感を買う。だが、魔女達はやめなかった。契約を拒むのであれば、魔女の恐ろしさを知らぬ異種族の子供を標的に、抗う力のない年寄りを標的に、のらりくらりと契約を結んでいった。しかしそれも少し前までの事。

 生まれたばかりの赤子にまで手を出された竜族の王はついに魔女達に宣戦布告した。この戦いは魔女が滅ぶまで止まぬだろうと王は言った。楽観視していた魔女達だったが次々と殺されていく同族を見て、一致団結して対抗する。しかし、元々個人主義の多い魔女達には難しい話で、仲間割れが多々起こった。

 今のリナリアの状況はそれに少し似ている。竜族との戦争をこれから始めようという時に、実力を見せろと同胞に言われたのだが、リナリアの少量の魔力では話にならない。彼女の実力を知っている者達からは密かな嗤い声と共に罵る言葉が聞こえてくる。

 嗤いがさざめきとなってリナリアを呑み込んだ。リナリアの隣には彼女と契約を交わした竜族の少年がいるが、彼は顔色一つ変えずに黙ってリナリアを見ていた。

 リナリアを罵倒していた魔女の一人が言った。

 「アンタにその竜族の魔力はもったいないよ。今すぐ契約を切りな。あたしが代わりに使ってやる! その竜族の魔力でいけすかない愚王を殺してやろう!」

 「おいおい、灼熱の魔女。一人だけずるいんじゃないかい? その竜族の餓鬼は皆が狙ってるんだよ」

 もう一人の魔女が腕組みしながら少年を見る。その眼は獲物を狙う獰猛さを隠さずにいる。

 魔女は再びリナリアに視線を向けた。

 「ほら、静寂の魔女。契約を切りな」

 リナリアは答えた。

 「いやよ」

 抑揚のない、小さな声は不思議とよく通った。

 「この契約は対等の結びとなる。私一人の意思で破棄は出来ない」

 リナリアがそう答えると、灼熱の魔女は舌打ちした。

 「なら、そこの竜族に聞けってかい? ハッ、そんな面倒な事するぐらいなら、アンタを殺して無理矢理に切った方が早いね!」

 灼熱の魔女が抱えていた杖をリナリアに向ける。周囲の魔女達からは歓声と野次が上がった。

 「死にな! 静寂の!」

 瞬間、杖の先から龍の形を模した焔がリナリアを襲う。リナリアは咄嗟に杖を構えるが、杖の先から出てきたのは僅かな水流のみだった。抵抗すら出来ず龍に噛まれ、うねる龍の尾が彼女の身体を囲った。

 「うっ……ぎゃぁあああああ!!」

 焔が熱を放ち、触れた箇所から焼かれていく。衣服や髪、皮膚の焼ける匂いが辺りに漂う。熱気を吸い込んで、肺を焼かれながら、リナリアはそばにいる少年を見た。

 相方がこんな大惨事になっているのに自分は何もしないのね。

 少年はリナリアが焼かれているのに眉一つ動かさずに見ているだけだった。

 対等な関係を望んだのは私だけれど、これは酷いんじゃない。そう、カインはいつもそう。魔力を渡す事はあっても、助ける事はない。いつも見守るだけ。私一人だけが苦しんでいる。

 ……まぁ、別にいいのだけれど。

 ついに倒れ伏したリナリアは息もままならず、なんとか視線を動かして魔女達を見た。リナリアの視線に気付いた魔女はにんまりと弧を描いて嗤う。

 「早く死ね」

 その言葉はリナリアの心臓を抉った。これまでもチクチクと突かれる事はあれど、これ程までのストレートな悪意は久しぶりだ。しかも魔女達全員がリナリアの死を願っている。

 同族だから切り捨てる事はしないと思っていたけど、そんな事考えていたのは私だけだった様ね。強欲、貪欲の魔女に仲間意識など無い。そして私はそんな魔女の血を引いている。なんて忌々しい。

 絶望と苦痛を味わって、リナリアの息はやがて止まった。

 「あっはっは! ざまぁないね!」

 リナリアが死んで魔女達はわらわらと集まった。靴の先で彼女の身体を突き、動かないことを確認すると傍にいた竜族の少年を見た。

 「さぁ! 契約は破棄された! そこの竜族の、あたしと契約を結びな……と、言っても既に契約の陣は敷いてあるからアンタの意思なんて関係ないけどね」

 灼熱の魔女の言葉に他の魔女達は非難の声を上げた。

 「ずるいぞ、灼熱の!」

 「ワタシも狙ってたのに〜!」

 「ハンッ! ボケっとしている方が悪いんだよ!」

 鼻でせせら笑う魔女は、少年の足元を見た。そこには青白い円陣が少年を中心に広がっている。

 この陣は魔女が有利に働くように組み込まれている。相手の真名、或いは血で以って強制的に契約が結ばれる仕組みとなっているのだ。今の所、竜族の少年が抵抗する素振りはないが暴れた時用の為の不動の陣も一緒に展開している。魔女に抜かりは無かった。

 後はこの竜族を斬って血を陣に垂らせば完成される……!

 灼熱の魔女は笑いを堪えられなかった。竜族の魔力は他の異種族の中でも極上だ。質も良いし量もある。おまけに相手の竜族はまだ若い。色々と使い道はあるだろう。

 まずは抵抗出来ぬよう魔力を枯渇寸前まで奪い、魔女の魅了を使って真名を握る。そして服従させる為に一度この竜族の自尊心を粉々に砕いてやるのだ。ああ、どう甚振ってやろうか。頑丈と言われる竜の鱗を一枚一枚剥いでいくのもいいし、男としての屈辱を味合わせるのもいい。

 さぁ、これからが楽しみだ……灼熱の魔女がうっとりと空想を広げていた時だった。

 「……その契約は無効よ」

 静かな声が辺りに響いた。それは少年の傍に横たわっていたリナリアから発せられた。

 突然のことの魔女達の間に騒めきが広がる。真っ先に我に返ったのは灼熱の魔女だった。

 「……確かに息の根を止めたはずだ。何故生きている!」

 リナリアはフラつきながも立ち上がった。その手足や顔、髪の毛は燃えたことなど無かったように綺麗だった。元気なリナリアの姿を見て灼熱の魔女は舌打ちした。

 「契約による治癒か……? いや、確かに死んでいた。幾ら魔を司る者といえど理を覆すことは出来ない。何をした、静寂の」

 「何も……私はただ選択しただけ」

 「選択だと? ふざけたことを吐かすな!」

 灼熱の魔女が再び焔の龍を出してリナリアを襲う。しかし、今度は大量の水が焔を呑み込んだ。

 「何ッ!?」

 想定していなかった反撃に灼熱の魔女は怯んだ。

 「……もういいか。お前達の遊びに付き合っている暇はないんだ」

 少年にしてはやや低い声が重りとなって魔女達を地面に縫い付ける。突然、動けない身体に魔女達は驚きを隠せなかった。

 竜族は魔女と同じように魔法を扱えるが、それは大人となり魔力が安定してからだ。それがまだ大人になっていない少年が無詠唱魔法を使って、大勢の魔女達を押さえつけた。魔法に長けた魔女でさえ無詠唱の場合には杖という媒体を使用しなければ扱えないのに。

 彼は感情の乏しい顔で魔女達を眺めた。

 「……俺の契約者、行こう。ここにいても無意味だ」

 呼ばれたリナリアは長い髪を払って翻した。

 「そうね、ここは私の居るべき場所ではなかった」

 いつの間にか少年の足元にあった陣はズタズタに裂かれ新たな陣が浮かび上がっている。陣は少年とリナリアの立つ場所まで広がると眩い光を放つ。視界を焼く程の強烈な光に魔女達は思わず目を瞑った。徐々に弱まる光に慣れて眼を開けると、そこに静寂の魔女と竜族の少年の姿はなかった。


 転移と目眩しの陣により、魔女達から離れた場所に来たリナリアとカインは一先ず休むことにした。辺りは小高い丘になっていて、少し離れた場所に民家の屋根が並んでいるのが見える。

 リナリアは大きな石の上に腰掛けると、止めていた息を吐き出した。




 灼熱の魔女に身体を焼かれ死んだ時、死んだ私の頭上に文字が浮かんだ。

 『コンティニューしますか?』という文章が明滅しながらくるくると周り、その下に『はい  いいえ』と出ている。自分の死体を俯瞰しながら、私はこの光景を見る度にまるでゲームだなと冷めた気持ちで『はい』を選択した。

 そう、自分だけ死んでもやり直せるゲームのように選択肢が現れる。

 強くてニューゲームは無理だけど、『はい』を選択すれば何度でも蘇る。そうして世界の理を無視して、私は何度も蘇った。しかし、その度に死んだ際の苦痛や恐怖、憤りや絶望は記憶に残ったまま、今も積もっていっている。

 これが本当のゲームなら、何も思わない。しかし、これは現実の、命のある世界で行われている。しかも状況を見る限りこんなことになっているのは私だけだ。

 何度も死に、殺され、その度に生き返る。命を軽く見られているとしか思えない状況に、私は意思表示を出すことは出来なかった。

 それは幾ら痛くても、苦しくても、死んだその先を思うと怖くて仕方がないのだ。まるで先の見えない暗闇に連れていかれて、私という存在が跡形もなく消えてしまう。そんなことを想像すると、考えるより先に逃げようと『はい』を押していた。

 そして今回もまた私は死にたくないと『はい』を選択した。すると苦痛が無くなり、呼吸が出来るようになって酸素が肺に取り込まれるのを感じる。焼け爛れた肌は再生され、傷一つない白い肌へと戻る。

 明るくなる視界、さざめく音の波、焦げた匂いや土の濡れた匂いが混じって肺を満たす。そうして私は生きていると実感することが出来た。

 何度も死んで、何度も生をやり直して、果たしてこれは意味のあることなのだろうか。私は疑問に思う。しかし、答えは探そうにも探せるものでなかった。

 この現象は自分のみで、コンティニューしますか、なんてゲームでしか見ない文言、この世界の誰一人知る訳がないのだ。

 ……世界の管理者である女神を除いて。


 「カイン」

 私は休んでいたカインを呼んだ。彼は視線だけを寄越して続きを促す。腰掛けていた石から降りて、私は彼に告げた。

 「星灰の森へ行こうと思う。契約を解こう」

 星灰の森は、全ての生き物が生まれたと言われる始まりの地であり、そこに女神がいると言われている。しかし、辿り着くまでにはあまりにも道が険しく、森の入口へ到達しても、その中へ入った者は誰一人帰ってきていない未知の森でもある。

 私はいい加減この繰り返す生と死にケリをつけたかった。恐らく、『いいえ』を押せば死ねるのだろうが、せめてそれを押す前に何故私だけこんなことになっているのかを知りたい。だから女神のいる星灰の森を目指すことにした。

 このままここに居ても私に居場所は無いし、魔女達には秘密を知られてしまった。好奇心旺盛な彼女等はきっと私を捕まえて実験台にするだろう。

 契約を結んでいるカインが、態々私の都合に合わせる必要もない。一人になれば死ぬことが増えるだろうが、また何度でも『はい』を押せばいい。

 そう思ってカインを見ると、彼は相変わらず能面のような表情でいた。

 「俺も一緒に行く」

 いつも私の言うことを聞き、意見することがないカインが初めて自分の意思を告げてきた。私はそのことに驚きつつ、本当にいいのかと尋ねた。

 「幾らカインでも星灰まで辿り着けるかわからないよ」

 「いい。リナリアについて行く」

 「……私と契約を切っても、今のカインなら魔女に負けないよ」

 「俺はリナリアについて行く」

 「……わかった」

 カインの変わらぬ意思に私は頷いた。話が纏まったところで私達は出発した。町には下りない。行っても魔女の私は受け入れてもらえないからだ。残りの食料を気にしつつ、私は北を目指した。




 出発してから一週間以上経っただろうか。旅の道中は驚く程平和だったが、北へ行けば行く程、気温は低くなり、天候も荒れて足止めされることが多くなった。凍るような風を顔面に受けつつ、私はローブを手繰り寄せて吐いた息で暖をとった。カインはと言えば寒さなど感じていないようで淡々と進んでいた。

 「……もうそろそろ星灰の森に入る。気を付けて」

 「わかった」

 相変わらず抑揚の無い声が返ってくる。私はそっとカインを一瞥した。

 彼の歳は私より少し上で、やや幼さの残る顔立ちだが、すでにパーツの形や配置は完璧である。誰がどう見ても美形と呼ばれる部類だろう。

 但し表情や感情が死んでいる。

 会った時からそうなので、今では気にしていないが、出会った当時はその無表情さが怖くて近寄り難かった。今じゃ、もう少し愛想をよくしてくれれば店のお姉様方から値引きやおまけをしてくれるので、もっと笑えと心の中で言えるようにまで成長した……のかもしれない。

 私は寒さで鈍る足を懸命に動かしながら当時のことを思い出す。

 魔力の少ない私と膨大すぎて魔力をコントロール出来ないカインは互いを補う為に平等の契約を結んだ。正しく利害一致の関係である。

 魔女としての私は薬草の知識を活かしてポーションを作り売ったり、時折カインの力を借りながら獣を狩ったりして生計を立てていた。けれども、狩りにおいて運動能力の低い私は何度も死にかけ……死んだ。時に盗賊に襲われ死に、汚されそうになった時は自らの命を断つ事もあった。その度に私の頭上にはコンティニューしますかという文字が回った。

 カインはといえば、初めて私が死んだ時に驚いていたものの、二回目以降は無表情のまま、私が生き返るのをじっと待つだけだった。

 心配も、何もない。ただ当たり前のように私が立ち上がるのを見詰めているだけ。

 そのことに対して何も思わないわけではない。しかし、普段から己の意思を示さない彼に、私はやがて期待するのをやめた。

 そこからは淡々と生と死を繰り返した。私だって好きで死んでいるわけではない。死ぬのは嫌だ。けれども、対等な契約故にカインの魔力を私の魔力として使うことが出来ないのだ。いや、厳密に言えば使えるのだが、勝手に使おうとすればするほど、私に制約がかかる。故に、私は彼に『お願い』しなければいけないのである。

 しかし、私のちっぽけなプライドがそれをすることを許さなかった。

 無感情に私の死を眺めるカインに、頭を下げて次からは死なないように助けてくださいなんて、意地でも言いたくない。死ぬことの恐怖を、終わる命の絶望を、誰よりも間近で見て知っているのに、寄り添う事なく他人事として毎度やり過ごす此奴に頭を下げるなんて、それこそ死んだ方がマシだ。

 狩りや護衛の依頼でカインの魔力を借りることはあっても、私自身の為に彼奴の魔力を借りることは絶対しない。契約も、星灰の森を理由に切ってしまって一人気楽に行こうと思っていたのだが……まさか、ついてくるとは思わなかった。

 カインを一瞥する。相変わらず何を考えているのかわからない。

 もしかしたらこれが最後かもしれないと、私は疑問を口にした。

 「何故、死ぬかもしれないのに一緒に星灰の森へ行こうと思ったの」

 私の問い掛けにカインは間を置いて答えた。

 「リナリアなら森の奥へ辿り着けると思ったからだ」

 歩いていたカインは止まる。前を見ると、そこには寒いのに鬱蒼と生い茂る木々があった。

 ついに星灰の森の入口に来たのだ。私は立ち止まるカインの横に立って、前を見据えた。

 「それは私が死んでも生き返れるからでしょう。貴方が死んで生き返るわけじゃないのよ」

 「わかっている。この目で女神とリナリアが会うまで死なないつもりだ」

 「……どういうこと?」

 カインにとって何もメリットの無い回答に私は首を傾げつつ横目で彼を見た。カインは私に視線を遣ることなく、ただ森を凝視している。

 「女神に会い、真の祝福を得れば、理不尽に死を迎えることもなくなる」

 「なんですって?」

 聞き逃せない単語に私は思わず彼に詰め寄った。しかし、カインは臆する事なく、抑揚のない声で言葉を紡いだ。

 「リナリアの『それ』は、女神を騙った邪神の呪いだ。何度も死を与え、死に怯える生者を嘲笑う。忌々しい、奴等の遊び」

 その瞬間、まるで地面に穴が開いてそこから落ちるような感覚だった。

 感覚なんてない。自分が本当に立っているのかもわからない。ただ、身体中の熱が奪われていくように、自分自身が無くなるのをぼんやりと俯瞰する。

 私の心と、身体が、苦痛を訴えて、やがてとまった。



 呆然と私は私の身体を見下ろす。

 地面に倒れた私の胸には長剣が突き刺さっていた。頭上にはお馴染みの『コンティニューしますか?』という文章が明滅しながら回っている。それを見て、ああ、また殺されたのだなと納得した。

 度々あるのだ。何もしていないのに理不尽に殺されることが。相手はカインではない。黒いローブで顔を隠した、邪の匂いのする者だ。

 初めは私が魔女だから狙われたのだ思ったが、カインの先程の話を聞くに、奴はその邪神の手下みたいな者で、邪神の楽しみの為に私を殺したのだろう。その証拠にカインが追おうとしてもすぐに気配を絶って消える。

 ……なんだ、そういうことか。私は、私の命は、文字通り遊ばれていたのか。

 ゲームと一緒、操作キャラが死ねば続きを促してまた遊ぶ。そしてまた、操作キャラを甚振って、殺して楽しむ。死の恐怖を知った操作キャラは決して『いいえ』を選ぶことはない。私が『はい』を選ぶ度、邪神は嗤っているのだろう。

 全く以って忌々しい! 腹立たしい! 私がお前を殺してやりたい!!

 空を漂いながら、怒りに顔を歪める。ふとそばに立つカインが視界に入った。

 彼は何故、こんなことを知っていたのだろう。知っていたのならもっと早く教えてくれても良かったのではないのか。

 本当は彼もまた苦しむ私を陰で嘲笑っていたのではないのか。だからいつも労る言葉をかける事なく、手を差し伸べる事なく、眺めるだけでいたのではないのか! 

 そう考えると怒りの矛先はカインにも向かった。

 憎い、憎い、全てが憎い! 何がコンティニューしますかだ! 人の命を軽く見やがって! 遊びだと? 遊びで殺していいのか! お前はそれを知っていて、今まで傍観していたのか!

 許せない、カインも邪神も、人の命を軽く見て……私と同じように苦しめばいい。これが遊びによる呪いなら、私もお前等を呪ってやる。

 魔女の最も得意とするのは呪いなんだ。呪いは魔力が無くても成せるものがある。

 舐めるなよ、私の命を弄んだこと、後悔させてやる!

 くるくる回る『コンティニューしますか?』の文字の下、私は叩くように選択肢を選んだ。



******


 復讐してやる……! 復讐してやるッ!!

 ……と、思っていた時期が私にもありました。

 星灰の森に入る直前で刺され死んだ私は、怒りに狂いながらも最後は『いいえ』を選んで自らの生を終えた。邪神の思い通りに動くのが気に食わなかったというのもあるが、一番の理由は生きることに疲れたからである。何度も生と死を繰り返して、私の魂は摩耗した。

 そうして擦り減って、擦り減って、導かれた先は女神のお膝元である。ただ、その時の私はすでに視力を失って、手足もなくなり、周囲の状況確認は魂による感覚でしていた。故に、女神そのものを見ることは出来ないが、そこにいるという認識は出来る。

 私の魂は女神に掬い取られて、ゆっくりと何度も撫でられては、微睡んでいた。

 女神の吐息がかかる度に魂は浄化され、欠けていた魂の輪郭も満ちてくる。

 今でも覚えている。

 邪神の呪いは女神が食べたことによって消滅した。呪いを食べるの!? と、慄く私に女神はうっそりと微笑んで私に口付けを一つ送ると、手を離して私を放り投げたのだ。

 投げ出される感覚に、ああ、これからまた生を歩むのだなと悟る。

 女神は艶やかな表情で唇を舐めつつ、手を振って見送ってくれた。

 これが私、リナリアの覚えている、本当の最期である。



 そして、私は何故かまた前世の記憶を持って生まれた。

 そう、リナリアの前世を覚えたまま、今生もまた魔女として生きている。新しくなった名はリーリア。前世、リナリアと名が似通っているが、偶然だと思いたい。そして、嘘だろと思いたいことがある。

 「リーリア、ほら、口を開けろ」

 美青年が私の口元に野菜の入ったスプーンを押し付けてきている。

 私は横目で彼を一瞥すると、溜息を吐いた。

 「……カイン、やめて。何度も言ったはずよ。自分のご飯ぐらい自分で食べる」

 「駄目だ。毒が入っているかもしれないだろう。俺の作った料理を俺が食べさせなければ、目を離した隙に混入されるかもしれない」

 格好良い顔して残念なことを言うのは、成長したカインである。

 そう、私は、私が死んだ時から何百年か経ってから転生したのだが、何故か生まれて暫くしてカインが私の家を訪ねてきたのだ。

 最初は私も誰かわからなかった。しかし、彼のリナリアという呟きを聞いて、少年だった時の彼の面影と重なってわかったのだ。

 突然、押しかけてきたのだから両親は困惑した。お引き取りくださいと何度も断ったが、カインは諦めなかった。諦めるどころか強行突破で私を誘拐したのだ。当然、両親は慌てて追いかけるも竜族には勝てない。

 私は誘拐されることに関しては別段何も思わなかった。寧ろ、ラッキーぐらいの気持ちである。

 何せ、今の両親は私が魔女とわかった時に闇市に売ろうと話していたからである。人間の間では魔女の臓物は薬の原料になると信じられているらしい。そんなことないのに。

 まだ幼く言語を理解出来ていないと思ったのだろうが、生憎と人生三周目の私にとってはばっちり理解出来る内容だったのだな、これが。だから、カインに連れ去ってもらった時はラッキーだった。

 しかし、そこからがある意味地獄だった。

 カインの住処らしき家に着くとバッと服を脱がされてお風呂に入れられた。幼女とは言え、男性に身体を洗われるのは不快だったが、幾ら不満を訴えても聞いてくれやしない。おまけにどこのお嬢様だって突っ込みたくなるくらいのヒラヒラのワンピースを着せられ、カイン手作りだというスープをあーんしてきたのだ。

 ご飯は文句なしの美味しさだが、ご飯くらい自分一人で食べられる。何度も拒否するが、これもまた聞き入れてもらえなかった。

 ならば外に出て自由を得ようにも、気付けばすぐに家の中に戻される。

 そんなことを繰り返して五、六年ほど経ち、初潮が来ると私は一人前の魔女となった。今生は師匠を持たなかったが、前世の魔女の記憶があるから問題ないだろう。魔力も安定し、人並みの魔法も扱える。

 これでカインとおさらばしようと、意気揚々と転移の陣を展開したら、ふらっとカインがやってきて陣を一瞬でズタボロにされてしまった。

 「……カイン、何故こんなことをするの。私はもう一人前の魔女になった。魔女は識る者、求める者。一ヶ所に留まることはない」

 「駄目だ、リーリア。外の世界は危険だ。俺の目の届く場所に居なければ」

 そう言って、カインは何か呟くと陣を展開する。幾重にも広がるそれは色鮮やかに輝き、私とカインを囲う。

 その光景に私は見覚えがあった。

 「これは……契約の」

 「そう、契約だ。リーリア。もう二度と離れられないように、今度は対等ではなく己が欲の契約を結ぼう」

 「なんですって」

 どういう事だと訊く暇なく、陣は回りだし、契約が勝手に結ばれていく。

 「ちょっとカイン!」

 「無駄だ、リーリア。いや、リナリア。もう離さないから」

 「!」

 「我、カイン・フォン・ユ・シュバルツの名を魔女リーリアに捧ぐ。この身に流れる血の一滴まで、魂の欠片すら、全てはこの契約のもと、死後も共に在らんことを約束し、女神の口付けに誓い、貴女に還そう」

 あまりの内容に私は慌てた。

 「まっ、待て待て!! 待って! 無効よこんなの!」

 思わずカインに掴み掛かるが、いとも簡単に解かれて、逆に私が捕まってしまった。

 「竜の祖を受け継ぐ者の名と鱗珠で以てこの契約は……!」

 カインと私の間に淡い光を放つ、小さな珠が浮かび上がった。その珠は陣に描かれている文字を纏ってじんわりと私の心臓のあたりへと吸い込まれていく。

 「待って、カイン……だめっ」

 珠が完全に私の中に入る。

 「……成された」

 展開されていた陣が消え、掴まれていた腕を離される。私はカインから距離をとって、睨みつけた。

 「貴方、自分がどんな内容で契約したかわかっているの」

 「無論だ。その為にリーリアが大人になるのを待っていた」

 カインのした契約は私が有利、カインが不利となる契約だ。おまけに竜族にとって命の次に大事な鱗珠を私に捧げたのだ。

 もし、今から私がカインに死ねと命令すれば、カインは契約の為自らの命を躊躇いなく断つし、私が死ねば鱗珠と繋がったカインも死ぬことになる。

 どちらにしてもカインにとって旨味のない契約だ。

 「何故、こんな契約をしたの。私が……リナリアが死んだことを悔いているのなら無用のものよ」

 そういうとカインは悲しそうに眉を下げた。

 「わかっている。リナリアが望まないことは。これは俺の、俺の為の契約だ。人の機微に疎く、己が大事なものすらわかっていなかった故の代償だ」

 コツ、コツと靴音を鳴らしてカインが近付いてくる。こちらを見る彼の表情は歪な笑みを微かに浮かべて、今にも泣きそうになっていた。

 あの無表情だったカインが、感情を露わにしている。その成長に喜べば良いのか、驚けば良いのか迷っていると、そっとカインが抱き締めてきた。

 大きくなったカインの身体は私をすっぽりと覆い隠す。

 「ごめん、俺はもう手放すことは出来ない」

 そっと耳打ちされた言葉に私は目を瞑る。


 ああ、これは続きだ。リナリアの続きであり、リーリアの始まり。今度は決して途切れることのない、生者の道。

 これを希望と呼ぶのか、悪夢と呼ぶのかは『私』次第。

 閉じていた瞼を開け、カインの瞳を覗き込む。

 近付く吐息に、私はそっと言葉を紡ぐのだった。


【終】

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