続、創作論・エッセイをラノベに活かす(承認欲求編)
ラノベ主人公への読者の共感や没入感を高めるには、ヨイショ係が主人公を『ヨイショ』するときにその人の『帰属』を意識するといい、ということを前回書いた。
帰属とは、読者の『日常生活』において常に意識される、『比較や序列』を想起させる鍵だから、『主人公とヨイショ者周辺』の帰属を強めることにより、『読者の日常』と『物語』との間に接点ができ、間接的に読者の承認欲求が刺激される。
要は、一般的に想定される読者である『集団主義者』(かならずどこかに帰属している)のもつマウント意識と汎化とよばれる脳の認知システムを組み合わせて錯誤を起こさせるわけだ。
そうなると、主人公への称賛が読者への称賛と錯覚されて、主人公への共感や物語の没入感が高まるという理屈だ。
うまいこと説明できてるだろうか?
だから、もとより高く共感されるタイプの主人公、例えば能力値が平凡で年相応に悩みを抱えているとか、そういう場合には、そもそも本稿の内容は必要ない。
要するに、なろうに多い『俺TUEEE系主人公』を念頭に置いた方法論なのだ。
ちなみに、拙作『いたもん』は職業モノだけど、基本みんな社会人なだけに『帰属が弱い』。
リンゾーは本来、俺TUEEE系の主人公であり、読者から共感されにくいタイプの主人公なのだが、そうであるがゆえに、今にして思うともっと『帰属』を意識した作りにするべきだったと反省している。
多分、ここを変えないとバズらないだろう。
『いたもん』の組織が『秘密結社感がある』とか『鉄の掟がある』ような結束力のあるガチの異端審問組織ならば、帰属が強く働いて読者の共感が高まり没入感がでたろうが、残念なことに『いたもん』という組織は結束がゆるく、帰属が弱い。
ぶっちゃけ、『いたもん』という組織よりも、階級制度のある『冒険者』のほうがむしろ帰属が強いのだ。
それゆえに、いたもんを読んで、『『後半のほうが面白い』と思われるありがたーい読者の方』がいらっしゃったとしたら、(そんなあたたかい声を頂いたことがある)、それは『冒険者編』で帰属が強まり、主人公への共感が高まった結果だろうと、ぼくは推察する。
気になる方は拙作『いたもん』を読んでみてね! 求む感想! 乞うブクマ&ご評価!
……閑話休題。
さて、これまで述べてきた『帰属』と『承認欲求』と『共感』は、それぞれが密接に関係しているものだ。
この関係性は応用が効く。
例えば、視点を変えて反対側から見ると『共感が強いもの(共感される主人公等)を称賛して、聞き手(読者等)の承認欲求を刺激し、『帰属』を強める』なんて芸当も可能である。
『宗教の布教』を考えたとき、海外旅行に行こうとしている人に対して、『信者全員を飛行機事故から守った神』を称賛し、その宗教への帰属欲を強める、とかね。
「〇〇教の信徒は全員、前日夢の中で啓示を受けて、あの大惨事となった飛行機事故を回避したんですよ。信徒を一人残らず守ってくださる我らの〇〇神様は素晴らしい! あなたもどうです、飛行機に乗る前に〇〇神さまに祈りを捧げては」とかさ。
内容は、ぼくが今テキトーにでっちあげただけだから、そんな奇跡があるかは知らんぞ。
宗教よりもマーケティングの例のほうが興味を惹けるかな?
例えば、運動会のシーズンに子供を持つ親御さんや子供に向けて広告を作るとする。
内容は、
『アスリート(なりたい自分・育てたい姿)たちを称賛する内容だ。そうして、そこで出てくるアスリートたちはみんなナ○キの靴を履いている。つまり、ナイ○のブランドに帰属しているのだ』
そんな広告をぶちあげる。
そうすると、共感するもの(なりたい自分・アスリート)が称賛されることで、間接的に子供や親御さんの承認欲求が刺激されて、ナイ○というブランドへの帰属欲が強まるんだよ。
(ぼくも称賛されているあの人達のようになりたい! あの靴を履けば、あの人達に近づける気がするんだー!)とかね。
つまり、○イキは、こういう広告をうつと、購買意欲とブランド力を強めることができるのだ。
今回はそんなお話。




