記憶は存在しない(記憶≒感情)
今回は記憶のお話。
記憶とは、例えば、
・物を覚えるときの誤解
・物を思い出すときの誤った情報の補完
・新しい情報に触れた際の上書き
このような不可知の錯誤的な側面と、
・そのときの神経伝達物質の多寡
・脳神経細胞のネットワーク
このような化学的な側面の影響下、刻々と変容を続けるものである。
『1+1=2』を思い出すとして、
5秒前に思い出した『1+1=2』が、ホワイトボードに書いた図だったのに対し、1秒前に思い出した『1+1=2』は、誰かの音声ということも普通にありえる。
思い出しているものが常に同じものであるという保証はないのだ。
『1+1=2』の場合、核心が同じであればいいだけで。
つまり記憶とは、確固たる状態として存在しているわけではなく、こんなモノたちの影響を受け、常に変化を続けているものなのだ。
そして、信じがたいことだがここまでの内容は、『感情』にもまるっと当てはまる。
秋の写真を見て、もの悲しくなることはありませんか?
怒った時の『記憶』を思い出し、怒りが湧いてくることはありませんか?
ある人が怒るとき、別の機会に同じことをされればたいてい怒るよね。
つまり記憶とは、より振幅の少ない『感情』に過ぎない。
興味を引くために「記憶は存在しない」などとセンセーショナルな書き方をしたが、厳密には語弊があるね。
記憶≒感情であり、これらは常に変容し瞬間的に想起されるものなのだ。
ちなみに拙作いたもんで、ヒロインの子が地球で得た与太話として披露している「記憶は存在しない説」はこれ。
はい。はい。ステマステマ。いたもんの新話の進捗は現在30%ぐらいです。
書いてはいるのです。m(_ _)m
ぼくも借りてくるか? 『続きはよボタン』。




