こだわりよりも定番を
こだわりは、『偏見』と『執着』でできている。
ときに、身に湧いた『ありあまる熱情』を注ぐために、ときに心を守り目を背けるためにひとは『こだわる』。
こだわることは、脳の自然な働きなのだけれど、こだわりが視野を狭め、選択の機会を減らし、思考をループさせることは頭の片隅に置いておかなければならないだろう。
さもないと詐欺とかカルトとか、悪意的なものに引っかかる。
こだわりを捨て去るとどんな状態になるか。
簡単に言えば、考える拠り所を、あるいは、心の芯をなくした状態といえばわかりやすいかな?
一言で言うならば、情動の閾値があがる。
ちょっとのことでは心が動かなくなる。イライラもクヨクヨもしにくくなるんだ。
ところが、これも『良し悪し』でさ。
こだわりがないとこだわりを起点にした激情が湧きあがらないから、小説を書くときには特別な工夫が必要になる。最近ようやくその事が実感としてわかった。
感情が動かなくなること以外の変化といえば、増える選択肢と増加した情報。どこでも打ち切ることができる思考。自由。
とくに知性の面ではいいことも多いのだけれど、選択肢が増えることはかえって思考の無駄につながることもあるんだよね。
この『こだわりを捨てたことによる』思考の無駄を打破するには、『定番』を持つことが有効だ。
つまりは、『これを選ぶことは悪くない』と思えるようなものを、例えば大量にまとめ買いすることによって選択する機会を減らす。
選択の機会を減らす、というと本末転倒のようだけど、選択の機会の増大は脳のリソースを無駄に食うので、ありがたくないものなのだ。
なにしろ大変なストレスになるからね。
そう言う意味で、『こだわり』にも幾ばくかのメリットはあった。
ところで、定番とこだわりと、どう違うのか?
『こだわり』を偏見と執着の結果、『事前選択と選択の機会の削減がなされるもの』とするならば、『定番』は『事前選択と選択の機会の削減』を目的として、自由意志で設定するものだ。
全然別のものだけど、『定番』は『こだわり』の代用品として非常に優秀だ。
この『定番』をもつことにより、こだわりを持たないぼくらも、『こだわっている』人のように『選択』の過程をすっ飛ばして即断即決することができるようになる。
みなさんのまわりに、特にこだわりがあるわけでもないのに、同じ服をいっぱい持ってるような人いませんか?
ぼくですノシ
あるいは、『こだわり』に変わる『選択のポリシー』を自分で作成して運用するのもいいね。
あるお気に入り作家さんが言っていたのを聞いて感銘を受けたのだけれど、例えば『どんな商品でもその店で2番めに安い商品を買う』というような選択の基準を設けることは、画期的に優れたアイディアだと思う。
ぼくの場合は、『予算に応じて決め打ちで、「今回はこれを買う」と事前選択して、まとまった量を買う』ことを、その時々の気分で変える、というようなことをやっていた。
うまく言語化できないな。
なんだろうな。
リボルバーに事前にバラバラのメーカーの弾を込めておき、ガラガラ~っとシリンダーを回して適当に発射する感じ?
多分読んでくださっている方たちと価値観が違いすぎるので、正確には理解されないと覚悟している。
※理解できる。あるいは近いことをやっているという同志は是非コメントをー。是非にー。コメントを頂けると小躍りして喜びます。
ぼくは単に何度も買いに来るのが面倒くさいからまとめ買いをしているだけなのだけど、これがなかなか理解されない。
『好きでもないものをまとめ買いする』という感覚がまわりには解りづらいらしい。
ぼくと似た価値観の人がいるとして、その人に警告しておくと、こういうことは人目につかないようにやらないと、まわりからは、『ころころ「好きなもの」が変わる変人』に見えるので要注意だよ。
世間一般に、『好きなものにこだわる』ことは、『普通』のことなので、人前で迷いなく同じものを大量に買うと『こだわっている好きなもの』とみなされる可能性が非常に高い。それでプレゼントを貰ったりすると「感情が動かない+特に好きでもないものをもらう」で、相手の期待ほどにはありがたがることができずに惨事になる。
いやいや、実のところもらって嬉しい好きなものは、変わってないのだ。むしろ、何かを買うときに好きなものに『こだわって』ないだけで。
『即断即決』でまとめ買いはしているけれども、それは、『いちいち選択するのが面倒だから』って理由であって、別に好きか嫌いかで選んでいるわけではない。ほかに予算に合う適当な品があれば、ぼくはそっちを大量に買うことも『即断即決』できるのだ。
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