レッテル張りは、ときに想定以上に人を傷つける
たとえば、創作界隈で仲良しな人たちを「クラスタ」と呼ぶとき、そのとき僕は、単に集合をイメージしているにすぎない。
クラスタそのものは同じ方向性の人が、活性の高い中心人物のもとに集まり勝手にできるもので悪いイメージは特にないのだ。『相互評価』とか、そういうのが印象良くないだけでね。
ところが、ただ単にクラスタと呼ばれるだけでも、ことさら必要以上にダメージを受ける人達がいることに僕は気がついた。
曰く、「勝手にクラスタの中心にされたー」とか「僕はクラスタなんて望んでねぇ」とかね。
クラスタの中心って、そもそも単に属性が近い人たちの中で活性が高くて一目置かれてるってだけで特段悪い意味ないじゃん? なにをそんなに拒むのだろうか? と。
そんで、見てるとなぜかクラスタを解消するために仲間との関係を一方的に絶ったりする。
過剰反応も甚だしい。
一体なぜこんな状況に陥るのか?
発言した僕は大したことを言っているつもりはないのだが、観察するに相手方には大きな心理的負荷がかかっているようだ。
随分時間が立ってもそのことを引きずっている。
じゃあ、どんな人がこうしたレッテル張りによって発言者の想定以上のダメージを受けるのか?
観察による答えは、『発達障害』を持っている人達だ。
レッテル張りは、発達障害を持っている人達を大きく傷つける。
発達障害の根底には『不安』があり、発達障害の人たちは『決めつけられること』を極端に嫌う。
たとえ、それが冗談で言われたものだとしても、彼らはそれを真剣に受け止めてしまう。決めつけられることによって、新たに『こだわり』が生じ、思考が循環して不安が増幅されるためだろう。
創作界隈には、この手の人が多い。
たとえば、恋人同士のAちゃんとBくんが喧嘩をしていて、場を収めるために、Cさんが冗談めかして「Aちゃんはツンデレさんだから」といったとしよう。
Aちゃんがそうした対象者である場合、どこまで被害が及ぶか僕には想定できない。
心の奥底のこだわりに触れている場合、その一言が引き金になってAちゃんとBくんが破局してしまうことさえありえるのだ。
例えば、チー牛とか陰キャとか、ネトウヨとかパヨクとか、ネット上でレッテル張りの言葉はよくあるけれど、そうしたレッテル張りの言葉は軽々しく使うもんじゃない。
僕なら笑って流すけど、特にこの界隈では、被害想定がうまくいかないことも少なくはない。




