手を抜くと主語が大きくなる問題
説明する側が手を抜くことによって、『思いがけず』(思いがけずであって欲しい)主語が大きくなって、不当に得をする人が出るとか、不当に損をする人が出るとかそんな事があるように思う。
今回はそんなお話。
例えば学校に通っている子供が「クラスのみんなが持っている」とおもちゃをおねだりした場合。実際には「友達の数人が持っているだけ」というケースはよくあるだろう。
「AちゃんとBくんとCさんが持っている」ということを面倒くさがって「みんなが持っている」というと『不当に主語が大きくなる』わけだ。
そして子供は、不当に主語を大きくすることによって説得力を得て、親におもちゃを買ってもらえたりする。
ちょっと悪意のある書き方をしたけれど、じゃあ、子供が嘘をついているか? というと必ずしもそうではなくて、子供が「主観的にイメージしている世界では、学校というのは、子供とAちゃんとBくんとCさんしか見えていない」ってこともあるかもしれない。
要は、「その小さなコミュニティーで、子供のすべての行事が完結しちゃってるかも」ということだ。
だから、客観的に見るとクラス数十人のうち数人しかおもちゃを持っておらず、子供が嘘を言っているように見えるケースでも、子供の側に立ってみれば、必ずしも子供が嘘を言っているとも言えないというわけだ。
難しいとこだよね。
だけど事実として、嘘を言っているとは限らないが、親がそれを信じて子供におもちゃを買い与えた場合には、『子供が説明の手を抜くことによって、不当な得を得て』はいるのだ。
法律とかも一緒。
なにかを規制するときに、精査してピンポイントで規制せず、ふわっと範囲を広げちゃうと施政者の都合のいいように拡大解釈される法律ができあがって、多くの人が迷惑を被る。
施政者側が恣意的にそれができる状況だというならば、それは国民の側の教育が足りないことにほかならない。
外国人の賃貸問題もそう。
例えば、家賃を払わずに突然外国に帰ってしまう。あるいは、荷物を残して外国に帰って連絡が取れなくなる。そんな事があると大家は困る。本当はそんなときにはピンポイントで契約書面を作ればいいのだけれど、大家が面倒くさがって『外国人禁止』とかやってしまうと不当に主語が大きくなって、迷惑を被る人が増える。
『人種差別ガー』とかね。別に人種で差別しているわけではないのだ。不当に主語が大きくなっているだけで。
デモとかポリコレもそう。
ほら、あるじゃない。
犯罪者が捕まっただけなのに、いつの間にか話が人権だの人種だのにすり替わってたりさ。
問題なのは、手を抜いて主語を大きくしたとき『どちらかが不当な利益を得られる』、ってことなんだよね。




