表舞台に出ない天才の話
学生の頃、『天才』って呼ばれる先輩がいました。
大学院っていろんな出身大学の人がいるんですね。
その先輩の出身大学は、うちの大学より偏差値的には下と見られる大学だったんです。『天才』なら最高学府を出てそうじゃないですか?
実際話しかけても、返事が帰ってくるのが遅い。いつもボーッとしていてとても頭が良さそうには見えない。細身で背が高かったんですが、冬でも汗をびっしょりかいている。
そして、大量の薬を飲んでいる。
この人がなぜ『天才』と呼ばれているのか? と僕は不思議に思ってました。
ある日先輩と一緒に本屋に行きました。○○にある誰もが名前を知る大きな本屋です。
先輩がお目当ての本を買うあいだ、僕も欲しい本を探していたんですが見当たりません。
僕が探している本は非常にマイナーな分野だったのでなかなか探すのも大変です。
で、先輩が聞いてきたんです、「どの本がほしいのか?」と。
答えると、先輩は「この店にはないよ」と言いました。
僕は、「そんなことわかるわけ無いでしょ」と思ったので、店員さんを呼んで本を探してもらうことにしました。
先輩がニコニコしてたのを覚えてます。
お店の人に調べてもらうと、だいぶ待たされたあとで『入荷してない』と言われました。
仕方ないから、解散して△△の大型書店に行きますというと、先輩がそこにもないという。
「先週、□□駅前の某本屋の何階のどこの棚の何番目にあったのを見たよ。まだあるかもしれないから、いってみるかい?」と言われました。
まず思ったのは先輩もその本を買おうと思ってるのかということです。興味のある本だからそこにあることを知っていると、そう考えたわけですね。
しかし、そうじゃなかった。先輩は両隣にある本のタイトルも当ててみせた。
道中、先輩にいろいろな話を聞きました。一度見たものは忘れられないこと。飛び込み自殺者の顔が脳裏に焼き付いて忘れられないこと。大量に飲んでいる精神安定剤のこと。もう長くないこと。
そんな特殊な才能を持った先輩は、どんなことに楽しみを感じているのか?
僕は気になって聞いてみました。
すると、先輩は満面の笑みで嬉しそうにこう言いました。
「この前同じ本を2冊買っちゃったんだ」、と。
ただの手違いなのか、一つだけでも忘れることができたのか僕にはわかりません。
ただ、恵まれてると思われる才能を持った人にも僕にはわからない苦労があるのだとそのときに気付いたのです。




