優越感と劣等感
残念なことに、今はもう無く感想を書くこともできないのだけれど、面白いエッセイのサルベージに成功したので、今回は優越感と劣等感について考えてみようと思います。
なろうエッセイの例から入って、最終的に『ラノベ』への活かし方までもっていけたらいいなぁ。
今回はちょっと真面目にいきまっしょい。
まず、主人公を設定しましょう。
『私』を仮に、32歳男性のK氏とします。
>子供の近くで、私がスポーツをすると、子供はまずスポーツしません。嫉妬するからでしょう。逆に私よりも優れたスポーツセンスを見かけると、私もつまらなくなります。
この文の面白いところは、32歳男性のK氏が、『子供が私のスポーツセンスに『劣等感』を抱いて嫉妬してる』と『優越感』を感じているところです。
まず、『優越感』と『劣等感』が表裏だということがひと目で分かりますよね。
劣等感や優越感って何によって生じると思います?
『比較』によってです。
エッセイの後ろの方にこんな文が出てきます。つまり、32歳男性のK氏も『比較』から優越感や劣等感が起こってることはわかっているんですね。
>私の実体験なのですが、『比べられ』、『羞恥』がある中で、スポーツすると、脳みそがスポーツをするときに嫌な気持ちを覚えてしまうんですよね。そしてフラッシュバックする。
でね。僕が問題にしたいのは、『比較』っていうのが『レベルが近い場合』にしか起こらないって事実なんです。
例えば、小学校低学年の子が高学年の子に走りで負けたとて、劣等感を抱くでしょうか? 抱かないですよね? 抱くとしたら、それこそトップクラスの一部の子で『レベルが近い場合』でしょう?
偏差値140の人が偏差値50の人に優越感を抱くでしょうか? 抱かないですよ?
同様にIQ200の子がIQ100の子に優越感を抱くでしょうか? 抱かないですよ?
金メダリストがね。一般人に勝っても優越感って抱かないでしょ? 勝った相手が世間の認めるレベルの近いアスリートの場合だけだよね? 優越感を抱くとしたら。
ぶっちぎりに成績が違うと、そもそも『比較が成立しない』んですよ。
だから逆に、比較が成立している場合には、外から見ると両者は『ほとんど同じレベル』に見えます。
翻って見ると、32歳男性のK氏は『子供』と比較が成立していると考えているわけですね。
K氏の行動に感情移入できない僕らは、外から見るほかはなく、比較による同レベル化によって、32歳男性のK氏が子供のように見えます。
なろう小説でも同じことが言えるんですね。
『ざまぁ』や『俺TUEEE』ってあるじゃないですか? これらって、優越感や劣等感の表現ですから、『比較』に依拠していますよね?
チンピラ相手に俺TUEEEしちゃうと、特に主人公に感情移入できていない場合には、比較による同レベル化がおこって、チンピラとなろう主が同レベルに見えちゃう。
また、なろう小説によく見られる現地人のレベル下げ+俺SUGEEをやっちゃうと、比較による同レベル化によって、なろう主も一般人以下の知能に見えてしまう。
結論いこうか?
『ざまぁ』や『俺TUEEE』をするなら、ふさわしい敵を用意しよう。チンピラ相手にやると同レベルに見えちゃうぞ?
このエッセイでは触れてないけど、感情移入の成否も重要な要因なんだけどね。




