日本人が『没人格化』しやすい理由
今回は、日本人が『没人格化』しやすい理由について考えてみます。
ここでいう『没人格化』とは、『「自分で物を考えない」とか、「判断を外部に委ねる」とか、「周りと均質であることを強いる」とか、そういった機械的な、あるいは脊髄反射的な生き方』ぐらいの意味合いだと思ってください。
ぼくは、日本でおこる『没人格化』は、仕組みの設計者(既得権益)が意図的に起こしているものだと考えています。
中抜きの構造とかってさ。
権力を持った偉い人が作りますでしょ?
法律だとか、契約だとかを通して、『間』に一枚かませる。
中抜き然り、派遣然り、談合然り、間接選挙なんかも似ているかも知れません。
日本では、権力者が仕組みとして、あえて『間に一枚かませる』ことが非常に多い。
『間』に一枚かまされると、お金を中抜かれること以外にも見えない問題がありましてね。
何が問題かというと、下々のぼくら(複数であることに注意してください)は、『間』に対して『帰属意識』を持ってしまうんですよね。
つまり、本来『個』と『個』でかわされるべき『対等な契約』が、『個』と『間』(壁のようなものです)と『群の分配システム』に置き換わる。
例えば、談合をやってる親会社の都合とか派遣会社の都合とかを、受け手側が言いなりになって受け入れるようになる。
本来、個と個で行われるはずの対等な契約が、中間に入り込んだ異物によって、歪められるわけです。
そうして、群の『帰属』の効果もあいまって、判断を外部(『間』)に委ねるようになり、やがて、例えば同じ下請け業者であったり、同じ派遣社員だったりの内側で『均質幻想』が強化されることになる。
『賃金が少なくてもしょうがないだろ、みんな我慢してるんだからさ』とかさ。
そんな言葉、身に覚えがあったりしませんか?
日本を駄目にした大本って、この仕組だと思うんですよ。
つまり、『間』という仕切りで堰き止められることによって、ぼくら(複数)は、運命共同体として、生殺与奪を握られた一つのグループ(群)に帰属させられるんですよ。無意識裏にさ。
口開けて餌を待つだけの雛にされてしまったぼくらが、自発的に物事を考えるわけ無いじゃん?
権力者は『中抜きできて金儲けできる』のと同時に、『不満の矛先を群の中に上手に逸らし、将来にわたって長いこと『安全に』うまい汁を啜ることができる』ってわけです。
『巣の中の雛』も同じ巣の中の『より弱い別の雛を押しのけようとする』ぐらいの知恵はあるのでね。さらに不幸なことになる。
中抜きでごっそりもっていかれた後の取り分の少なさを、『別の下請け連中が仕事を取ったせいで』、とかさ、『別の派遣社員が条件の良いところに行ったから』とかさ、ぼくら民草が勝手にそっちの方向に勘違いしてくれるというわけです。
全くもって笑えません。
『間接投票』にしたって『間』を作った段階で帰属意識は生じますから、誰に投票したって同じ、と有権者がそう考えるのも無理はないでしょう。
そうして、政策への不満の矛先として、均質幻想を起点とする弱者たたきが強まったりします。
生活保護者とか、身体あるいは発達障害者とか、外国人とか立場の弱い人とか、あるいは不倫した人とか、マナー違反をした人とか、そういう人が、『倫理に背いた』みたいな勝手な幻想で過剰に叩かれたりする。
本来叩くべきは、『間に一枚かませる』目くらましを使って、のうのうとうまい汁を吸い続け、一向に改めようとしない『既得権益を啜る偉い人たち』なんですけどね。
みんな考えもせず、弱者たたきに興じてます。
世の中を『間に一枚かませない』仕組みに変えていかない限り、この体質は変わらないでしょう。
公平な目で見るのなら、『間に一枚かませること』にいい側面もなくはないのだけれど、それはまた別のお話。と言うか言及する気になりませぬ。
今回はそんなお話。




