馬鹿を馬鹿といって何が悪いか?
・馬鹿を馬鹿といって何が悪いか?
最近、こんなコメントを頂いたので考えてみた。
みなさんは、『畜生』とか『くそったれ』とか言うときに、『豚や牛』(畜生)とか、ふんばっている人(〇〇をたれている人)とか、そういうものを想像されますか?
しませんよね?
『馬鹿』もそうじゃないですか?
馬鹿って、そういう『カッとなったときに言う類の言葉』だと思うんです。
要は『感情から来る言葉』であって、論理的に『人類全体と誰彼を比較して馬鹿と言ってるわけじゃない』ですよね?
そうであるならば、馬鹿って言葉は、イラッと来たときに『馬鹿!』って言うべきで、『論理と絡めるべきじゃない』っていうのがぼくの意見です。
論理的に考えると、『馬鹿』って言葉はニュアンスの範囲が広すぎるんですよね。
最初に定義から始めないと、後々合意を得られません。
例をあげてみましょう。
「偏差値50未満を俺らの間で馬鹿と呼ぼう」
「いいよ。せいぜい必死に勉強するんだな! ああ、試験の結果が楽しみだぜ。もしお前がひどい成績をとったら、盛大に馬鹿にしてやるぜ!」
後日。
「おれは偏差値51だったが、おまえ、試験どうだった?」
「いや。その。あんな偉そうなこと言ったけどちょっと今回ケアレスミスが多くてさ。たまたま調子が悪くて偏差値49だったんだ。いつもはそうじゃないよ? たまたまなんだぜ? 普段はもうちょっと」
「言い訳無用っ! 馬鹿はお前だ!」
「くっ、悔しい! 言い返せないっ!」
こんなんなら、納得はする。
もちろん冗談ですよ?
ある人の言う馬鹿はIQ120未満かもしれないし、ある人の言う馬鹿は偏差値65未満かもしれない。
また、ある人の言う馬鹿は『自分を理解してくれない人』かもしれないし、ある人の言う馬鹿は『カルト系やスピリチュアル系の』人のことかもしれない。
結局の所、定義がしっかりしてないと『馬鹿』って言葉は偏見に過ぎないんですよ。
馬鹿を馬鹿といって何が悪いか?
ぼくの答えはこうです。
『だってさ。合意を得られてない以上、その『馬鹿』って偏見じゃん?』
次に、感情に論理を絡めないほうがいい理由を考えてみましょう。
めんどいので結論を先に言うと、感情由来の言葉を論理でどうこうしようとすると、偏見や差別、人格否定につながるからです。
試しに、やってみましょうか?
・おまえは○○だから、馬鹿なんだ!
〇〇にお好きな言葉を当てはめてください。
男女LGBTQ・人種・障害・国籍などなど。
どうです? ゾッとしませんか?
お国によっては、ツイッターで呟いただけで即日解雇案件じゃん?
外資系とかだったら、日本でもやべーよね。
だからぼくは、お気に入り作家さんやフォロワーさんには、行為の否定を勧めています。
『馬鹿なことを言うな!(書くな!)』とかね。
これなら、人格否定を避けることができますよ。
ちなみに理屈の上では、感情と論理を完全に切り離せれば、差別心を消せるんですけれど、それをやると他人からは子供っぽく見られるんですよね。
大人が『ばかー!』とか言ってたら、どん引きしますでしょ?
ぼくは意図してそれができる人は賢い人だと思うんだけどさ。
一般的には、『おまえは〇〇だから馬鹿だ』ってしかめっ面で言ってたほうが賢そうに見えますよね。
侮られたって、どう見られたって別にいいぜー、っていう覚悟が必要です。
ぼくはあんまり気にしないほうだけど、それでも必要以上に侮られるのは嫌だ。
今回はそんなお話。




