病名と症状と差別(コロナ差別ってなにさ?)
かつては『性格』と思われていたものが、新たに『症状』として診断されるようになったとき、果たして差別は減るのか増えるのか? みたいなことを考えてます。
例えば、『大学では学生は研究室をもらえないが、自分は研究能力が高いため特別に一人部屋の研究室をもらってる』とかさ。常にそんなことばっかり言ってる人がいたとする。
ひとめで嘘ですやん?
こういう人を見たときに嫌悪感を抱く人は、少なくないと思う。
ぼくならとりあえず距離を置く。
ところが、これに『病名』をつけられて『症状』として診断された場合はどうだろう?
案外、寛容になれるんじゃないのかな?(差別低減説)。
薬があってないかな? 辛くないかな? とか慮ったりしてさ。
視点を変えまして……。
差別されちゃう側に目を向けると、何かをグルーピングするとき、『他が排除される』性質があることを頭の片隅においておくべきだろうね。
例えば、発達障害とかあるいは性同一性障害とか、なんでもいいのだけれど医者から『診断』されて、グルーピングされましたと。
『診断を受けて気持ちが軽くなった』っていう体験談、なろうでも見かけたことないかな?
これは、もともと孤独を感じてた人が、グループの中に入ることで安心するためだ。
だけどね? 『同じ症状』の人には仲間意識をもつけれど、そうでない人には『どうせわかりっこない』と拒絶したり、そんな状況が生まれることありません?
サポートしてくれる周囲に辛く当たったりさ。
自分と同じグループでないものを今度は自分が排除する側に回るのだ。
例えば、奇数の集団がいたときに『4人1組になって』とか言われると精神的にプレッシャーを受ける人、いるんじゃない?
グルーピングってさ。
基本、排除のニュアンスを含んでるものなんだよ。
国籍とか団体とか人種とか宗教とか、あるいはなろうのクラスタとか、なんでもいいんだけれど、グルーピングして、特にそこに『帰属意識』をもたせると、他を排除するような動きが出てくるんだよね。
『あいつは僕らとは違うぜ、叩けー』ってさ。
強い帰属を得るためには、異物の排除は重要な意味を持つからね。
そういう意味で『病名』や『診断』でグルーピングすることは、差別を助長する可能性がある(差別増強説)。
もっと言っちゃうと、はじめから差別する目的でレッテル張りに使うケースも出てくるよね。
病気じゃない人に、『あいつはこーいう病気で症状がでてるんだぜ』とかさ。レッテル貼りをして『自分の周囲から遠ざけよう』とするわけ。
あいつは別のグループだ、って吹聴することで自分のグループから遠ざけようとする。
これは、『もともと差別する人が差別する』っていう、いうなれば、診断では差別は増減しない説にあたるかな。
昨今の医療従事者へのコロナ差別とかもこれでしょう。
もともと差別意識のある人が、レッテル貼りすることによって自分の属するグループから嫌いなものを遠ざけよう、排除しよう、としてるんじゃないかな?
ちょっとまとまりが悪いけど、時間が来たので今回はここまで。




