マウンテンパワハラ野郎の『お説きょ栄心』について(お説教+虚栄心)
今回は、ゆるめかつ毒強め。
説明やお説教を、『自分の虚栄心を満たしたいがため』に行う人がいる。
そんな人のお話。
この手の人って、残念なことに高学歴の人の中にもいるんだよね。
無自覚パワハラ野郎とか、指示厨とかさ。
めんどくさくないですか?
なろうでもツイッターでも時々見かけます。
テンプレを一つあげると、説明やお説教の後に「ぼくが〇〇の頃は~」みたいな自分語りが入る。
誰も、興味ない人の『美しく加工・改変・捏造された栄光の過去』なんて、聞きたくないってばよ。
というか、聞いたところで、『尊敬』なんて感情は出てこない。
うぜーなとか、めんどくさいな、って思うだけでさ。
本人はさり気なくやってるようだけど、はじめから自慢が先にあることが見え透いているの。
いませんか? そういう人。
ごくたまになら誰にもそんなときはあると思うし付き合うけれど、年中そうだと愛想も尽きる。
行動が、『教えることによって優位に立ちたい』とか、『見てる人に自分のほうが上だとわからせたい』とかそういうモチベーションに基づいているんだ。
果たしてそれって、実効性あるのかな? って疑問に思う。
それがうまく機能しているところを、ぼくは見たことがない。
この手の人って褒めないと不機嫌になるから、その場ではもちろんみんな空気を読んで褒めるよ?
でもさ。
いつだってそれは、見透かされているじゃん?
周囲に気を配って観察してみなよ。
裏で馬鹿にされてるよ?
たかが一分野の知識がほんの僅かに多いだけで、もしかしたら他分野では自分よりはるかに優れているかもしれない人にマウントを取れると本気で思っているのかい?
どんだけ、周囲が『見えてない』のよ?
だいたい、どんなに頭のいい人だって、あらゆる分野で知性無双なんてできるわけないじゃない?
他人を頼る局面は、絶対にあるでしょう?
こういう人ってさ。
概して勉強のスタンスがおかしいんですよ。
多分統計をとったら、かなり強い相関がでると思うんだけどね。
馬鹿にされたくないからとか、見下されたくないからとか、バカにした人を見返したいから、とかさ。そういう動機で勉強するの。
虚栄心とか、卑屈さとか、見返してやるみたいな執着って強い感情だから、案外馬鹿にもできなくて、有効に機能することもあってね。
高学歴のアホを作ることがあるんだ。
そんでそういう人が勘違いをやらかして、炎上したりパワハラしたり、問題を起こしたりする。
同じような目で見られて肩身の狭い思いをする人のことなんか微塵も考えずにさ。
学歴を手に入れることで目的を果たし、以降勉強しなくなるんだろうね。
そうして過去ばっかり見て、きれいに加工された過去にすがって生きる、古い知識で武装した、ハイパーマウンテンパワハラ野郎ができあがるわけだ。
めんどくさいので、そういう人にはぼくは極力近づかないようにしている。
このエッセイで時々やってる強い口調は、実はその手の人を遠ざけるためだ。
関わっても時間の無駄だから。
逆に、大人になってからなにか新しいことを始めている人にぼくは敬意を抱く。
音楽を始めた人とかさ、勉強を始めた人とかさ。語学を始めた人とかさ、プログラミングを始めた人とかさ。創作でも園芸でも料理でもなんでもいい。
そういう人と仲良くなりたいわ。
勉強ってさ。
本来、『これが理解したい!』っていうモチベーションで、進んでやるものだと思うんだよね。




